堤防の上。
眼下に広がる蒼。
頭上に広がる蒼。
肺の中一杯に吸い込んだ大気。混じった、焼け付いた匂いも、潮の香りも、全部俺の中にある。
夏はいまここにあった。
広がる蒼の中、一羽の鳥がすうっと海の方へと飛び去っていった。
どんどん小さくなる姿。
何も無い海の向こうに、一体何があるのか。
俺にはわからない、何かがあるのだろう。
不意に、忘れかけていた疑問が、目を覚ました。
忘れていたのは、何度も答えが出ていたからだ。それでも聞いてみる気になったのは、自分でもなぜだかわからない。
「鳥篭の中の鳥って幸せだと思うか?」
俺の問いに、観鈴は一瞬、不思議そうに目を丸めてから、小さく小首を傾げ、しばらくしてから「うん」と一つだけ答えた。
俺の目を見ずに。
「翼は、空を飛ぶためにあるんだろう?
飛べないんなら意味ないんじゃないか?
一生をカゴの中で終えるなんて、いくらなんでも寂しすぎやしないか?
絶対おかしいと思うぞ」
すると、観鈴は困ったような顔をして、
「往人さんの言う事、もっともだと思うよ」
笑顔だった。
自分の言う事を否定され、それを認めたというのに。
「ほんとは、ちゃんと空に行きたいんだと思う。でも……」
「……でも?」
「……ううん。ごめん。やっぱり反対。きっと幸せじゃないよ」
苦笑して、頬を掻いていた。
「にはは…」
俺にはわかっていた。
まだ「うん」と言った理由は、残っているに違いない。
でも、そうでないことも理解しつつあるのだろう。二つの理由が打ち消しあっている戸惑い。
しかし、うまく言葉がみつからない。うまく伝えられない。ならば、いっその事認めてしまおう。
俺にはそんな風に見えた。
まるで、羽ばたくのを怖がっている鳥だ。
飛びたくないのなら、飛ばなくていい。だから、自分から進んで鳥篭に入ろうとしているのか。
「でも、生まれたときから空を知らないのにいきなりあの広い所へ行けなんて、もしかしたら、すごく残酷な事なのかもな」
「……そうだね」
「地球上の大地と水の面積を合わせても、あの空にゃ及ばないしな。
俺だったらそんなトコに行くのは嫌かもしれない」
空を見上げた。
地球を覆う大きくて広い蒼。
あの世界を自由に飛ぶことは、何よりも恐ろしい事なのかもしれない。
「でも……」
観鈴が、俺の目を見て来た。真っ直ぐに。
「翼は覚えてるんだよね。きっと。風を……」
「風…か」
不意に流れた風が、観鈴の髪を軽く揺らした。
すると、観鈴が、手を広げて、風を受ける。
空を望む時に、誰もがする仕草。
遥か遠い昔、誰の両腕にも、羽があったのだろうか。
「きっと、羽ばたけば自由なんだよ。だって、こんなに気持ちがいいんだもん」
「………そっか」
そうだな。もう、あの時とは違う。鳥篭の扉は開いてる。あとは中の鳥次第だ。
羽ばたけないのは、幸せじゃない。
そう思えれば、あとは大きく羽を広げればいい。そうすれば、風が迎えに来てくれる。
「往人さんだって、そうなんだよね。ずっとそうしてきたんだよね」
空に向かって観鈴が言った。
俺が空に居るかのように。
「俺が?」
「知らない所から知らない所へ。旅ガラスみたいに」
「俺はカラスかよ」
俺のボヤきも、風に消された。観鈴の笑顔にも。
「ここまで飛んできたんだよね」
こっちを見て微笑んだ。
確かに俺は歩いてきた。
空は飛べなかったけれど、どこに行っても、風はあった。
行く道を、風に任せた事もある。
俺は、知らないうちに、翼に風を受けていたのだろうか。
「そうだな」
「カラスさん。これからどこへ行くの?」
観鈴は、俺は空に向かって目を細めながら言った。俺が空に居るとでも言う風に。
「さあな」
「西の空? 天気予報じゃ、雨だって言ってたよ」
物凄く透き通った空は、東西南北どちらを向いても、蒼一色。
「じゃあ、東の空だ」
「残念。台風が来てるよ」
「じゃ、北だな」
「うーん、高気圧が張り出していて、前線の影響で山があって谷があるから危険。カラスさんぴんち」
「……訳のわからんことを」
ため息を一つついた。
笑いながら。
「じゃあ、南だ」
すると、観鈴は笑った。夏のように。
「今は夏だよ。南の方が、こっちに出張中」
頷いたかのように風が吹く。
今の夏は、観鈴の味方のようだった。
「ほう、それは観鈴ちんの家に居るのか?」
「うん。居るよ」
「どんなのだ?」
「うんとね……でっかくて…ちいさくて……四角くて丸くて、硬くて柔らかいの」
奇妙な身振り手振りで、訳のわからない説明をしてきたが、なんでも良かった。
とにかく、今は観鈴の家にいるのだろう。
南にしか行く所が無いのなら、、行く場所は一つだ。
「じゃあ、俺も挨拶しとくか」
「うんそうだね」
「暑っ苦しい奴なんだろうな」
「そんなことないよ。結構さわやかさんかも」
かもってなんだよ。俺は頭を振った。
今日も極上の天気だ。クラクラもするさ。いろんな意味で。
「早く帰って麦茶でもガブ飲みしようぜ」
「あ、そういえば、さっき新しいジュースが入ったから買ってきたんだよ。飲む?」
「どこでだ…?」
背中にゾワゾワっと何かが這い上がってきた。
答えはハナからわかっていた。聞いた俺がバカだった。それでも聞きたがる俺がもっとバカなのかもしれない。
観鈴が指を指した。いつもの場所に置いてあるいつもの物を。
蒼い空の下で、それはひどく誇らしげに見えた。本日の売上は二個に違いない。
「特濃ドロロンジュース。デラックスオレンジメロン」
観鈴がそう言って、カバンから四角いパックを取り出した。
もう俺は、観鈴が鞄からこっちへ視線を向けてくるのを待たずに走り出す。
台風だろうが前線だろうが、その中へ突っ込む方がマシかもしれない。
そう思いながら。
後書き
一応、Air編終了後の、二人。
これからの二人。
もう空と鳥との間には、金網はないのでしょう。
作品情報
作者名 | じんざ |
---|---|
タイトル | Air |
サブタイトル | 夏と翼 |
タグ | Air, 神尾観鈴, 国崎往人 |
感想投稿数 | 26 |
感想投稿最終日時 | 2019年04月09日 19時57分06秒 |
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コメント一覧(クリックで開閉します)
- [★★★★☆☆] AIRには、最後なかされました。こういう幸せな話もいいですね。
- [★★★★★☆] air編は泣けるよな、やっぱあの2人は幸せにならないと
- [★★★★★☆] ジュースのシリーズ名が違ったような気がしたんですけど……
- [★★★★☆☆] AIRの凝縮という感じでお見事。
- [★★☆☆☆☆] 次のにも期待して待ってます
- [★★★★★☆] 解き放たれた翼は……「幸い」にたどり着けるのでしょうか?
- [★★★★☆☆] ひとりで飛んでいかないで欲しいですねぇ。できれば。
- [★★★★★★] 特濃ドロロンジュース。デラックスオレンジメロンがあるならば飲んでみたくなった
- [★★★★★★] おもろいっす。次回作待ってます。