(1)

秋。
葉の色が緑から赤や黄色を増し、ずっと支えていてくれた樹との別れが近づく季節。
落ちた葉は、やがて土に帰り、またその樹へと帰っていく。

秋。
落ち着いた色の季節────


イチョウの枯れ葉を踏む、乾いた音がした。
道一面に広がった枯れ葉で、まるで黄色い絨毯の上を歩いているような気がする。
道だけでなく、上も黄色のアーチがずっと長く続く。
「綺麗ね‥‥この道」
制服姿の詩織がそう言ってから、空を見上げた。
微かな木洩れ陽を感じているのだろうか。気持ち良さそうに目を細めている。
木々の間から見えるのは、高い秋の空。
「そうだなぁ‥‥もう秋だもんなぁ」
秋の涼しげな風が、時たまふわっとやってきて、秋の香りを運んでくる。
夏や冬に感じる時間とは、少し違った流れを感じた。
「‥‥‥ねえ、今みたいな状況って、なんか思い出さない?」
「あ、詩織もそう思ってたのか」
詩織が思っていた事と同じじゃないかもしれないが、俺はこんな状況を綴った文章を文化祭で見た時の事を思い出していた。
次の言葉が、詩織と重なるとは知らずに。
「微かな木洩れ陽の中、二人寄り添い歩く道」
まったく同じリズムで、同じペースで声をそろえて言った。
言った時は、互いに別々の方向を向いていたが、言ってからハっとして、思わず顔を見合わせた。
「‥‥ははっ」
「ふふふっ」

何がおかしかった訳じゃない。
ただ自然に笑いがこぼれた。
それが自分だけじゃなかった事が、さらにうれしかった。
一緒になって笑ってくれた事がたまらなくうれしい。

「あの時の詩って‥‥きっと今みたいな感じを書いたのかもね」
詩織が、柔らかい微笑みを落ちてくる葉に向けながら、そっとつぶやくように言った。
「確かにね。そうかもしれない」

二人寄り添い歩く道‥‥か。

他からみたら、今の俺達は寄り添っているのだろうか。
今の俺達の距離といえば、手をいくら大げさに振ったとしても、かろうじてお互いの手が当たるか当たらないか‥‥‥という微妙なところだ。
あと足を半歩横にずらすだけで、もっと距離が近くなる。
そんな思いがあっても、実行する事が出来なかった。

友達としての距離。

俺はそんな壁を感じてはいなかったが、詩織の方にその壁があるのかもしれない。

ある? ない?

そんな事を、心の中だけで聞いてみた。
本当のところは、一歩踏み出す勇気がないだけかもしれない‥‥‥
踏み出せば、壁はたやすく壊れるのだろうか。
「こないだまで夏だったのにね‥‥‥」
「今年は、ずいぶんいろんなとこ行ったっけ」
「うん‥‥
 お祭り‥プール‥海‥‥すごく楽しかった」
夏の毎日が前夜祭のような期待があって、それでいて毎日が祭り当日のような楽しさがあって、それで‥‥毎日が祭りの後のような寂しさを感じていた暑い日の事が次々と頭に浮かんでくる。
そのどれにも、詩織の笑顔や楽しそうな顔や‥‥寂しそうな顔が一緒に存った。
落ち葉を踏み割る音を聞いていると、そんな暑い日が夢のような気がする。
夏の名残は、詩織の夏服だけだ。
それも、もうじき冬服に変わる。
そして、もう二度ときらめき高校の夏服になる事はないだろう‥‥
俺も詩織も。

「これで、残りの休みは冬休みだけになっちゃったね」
「ほんと‥‥早いよ。もう高校最後の長期休みもあと一回だしなぁ」
「うん‥‥‥ほんと‥‥早いね」
スッと、瞳をうつむかせて、小さくつぶやいた。
入学当時に、体にいまいち馴染まなかった制服も、いまではまるで体の一部になったような気がするくらい、長い時間を過ごしたきらめき高校。
出来るならば、今のままもう一度あの頃に帰りたい。
無理だとわかっていても、そう思わずにはいられない。

その時、突然強い風が吹いて、枯れ葉を舞いあげた。
「やっ」
詩織はとっさにスカートを押えている。
長い髪とスカートを乱した風は、いたずら小僧のようにあかんべをして空へ帰ってしまったのだろうか。

「なんか凄い風だったな」
「スカートはいてる時に、あんな風、こられても困るわ」
少し困った風に笑いながら、乱れた髪をすくうようにして梳かしている。
スッと指を通すと、すぐにきれいに整った髪の流れが蘇っていく。
俺がそれに少しみとれていると、落ちてきた枯れ葉が、詩織の髪に絡みついた。
「あ‥‥」
俺は思わずそれに手を伸ばして、その枯れ葉をつまんでしまった。
自分の髪に枯れ葉が絡みついたなんて思ってもいなかったのか、詩織はびっくりしてこっちを見ている。
「あ、ち、ちがうよ。違う。
 ほら、枯れ葉が髪にくっついてたから、思わず‥‥」
つまみ取った枯れ葉を振りながら、あわててしまった。
「ふふっ‥‥‥ありがと」
予想外の反応だった。
その反応に、自分でも頬が熱くなっていくのがわかる。
心なしか、詩織の頬も赤みが差している気がした。
「ご、ごめん」
俺は、謝る必要はどこにも無いのに、なにをあやまっているんだろう。
「どうしてあやまるの?」
不思議そうな表情をされるのも当然だ。
「あ、いや‥‥別に‥‥‥」
気が動転していたから。とも言えない。
なぜ気が動転するのか。それを説明出来ないから。
俺の詩織に対する行動は、あるひとつの言葉で全て説明が付く事に自分でも気がついている。

その言葉はただひとつ。
「好きだから」

もし、詩織に「どうして?」と聞かれたら‥‥‥
今がその時でもあるが‥‥

「な、なんでもないよ。まあ細かい事は気にしない気にしない」
「そう‥‥」
小さく言って、クスっと小さく笑った。
誤魔化した自分が憎らしく思える。

なぜホントの事を言わないんだ。

もう一人の自分がそう叫んでいる。

うるさい。だまれ。お前にはわからない。

自分を誤魔化す声もどこからか聞こえてくる。

「ねえ‥‥それ‥ちょっといい?」
詩織が、少し考えるようにしてから、俺がつまんでいる落ち葉を指さしながら言った。
「え? なに? ‥‥べつにいいけど‥」
差し出された手にそっと葉を乗せた。
指先が詩織の手にかすかに触れる。
暖かくて柔らかい感触だけはいつでもかわらないな‥‥
詩織は、受け取ったイチョウの葉の茎の部分を、そっとヘアバンドに差し入れた。
耳のすぐうえあたりの部分に、黄色い秋が咲く。
まるで、最初からそこにあったかのように自然だ。
「どう? ‥‥‥やっぱり少し変かな?」
少し照れながら、恥ずかしそうに、もみあげの毛を指先で耳の後ろに回している。
その仕草に、胸がトクッと高鳴った。
それに、どこか、空気に微かに甘くてやわらかい匂いが混じったような気がする。
仕草も言葉になったり匂いになったりするのかもしれない。
「い、いや‥‥いいよ。すごく。うん」
「本当? うれしいな‥‥‥」
嬉しそうな表情。こんな言葉ひとつでそんな表情を見せてくれる。喜んでもらえる。
嬉しいのはこっちの方かもしれない。
その後、俺達はしばらく言葉も少なく、ただ歩いていた。
時たまくる柔らかい風が、地面の落ち葉を小さく鳴らす音だけが聞こえてくる。
あとは、歩く音だけ。
それでも、会話しているような気になるのは、不思議としかいいようがない。
この落ち葉の道がずっと続いているのではないかという気さえした。
向こうから歩いてくる女の子にさえ出会わなければ‥‥‥


女の子が俺の横を通りすがったのは分かった。
しかし、別に人の顔をいちいち観察して見て歩いている訳じゃない。
ただ、女の子が通りすがった。それだけしか思わなかった。

「‥‥‥もしかして…君?」
すれ違い様に俺は名前を呼ばれて、ハっとしてそっちを向くと、女の子が立ち止まってずっとこっちを見ていた。
秋の枯れ葉色のセーターに、ドキっとするくらい大人っぽい黒のスカート。髪は、すっきりと短いがクセが無い。
表情は、どこか凛々しく少年のようでもある。
ふと、記憶のどこかで思い浮かんだ顔があった。

俺はこの子を知っている。
この子は‥‥‥

「…君でしょ? そうでしょ?」
その子は、俺の顔をじろじろと見ながら、確信したように微笑んでいる。
詩織をみると、なぜかその子をじっと見ながら無言のままだ。
「もしかして‥‥‥涼子ちゃん?」
ふと、詩織が、俺の思い浮かんだ名前と同じ名前を口にした。
「‥‥詩織ちゃん? ほんとに詩織ちゃん?」
涼子と呼ばれた子は、詩織をまじまじと見ながら、驚いたように声をあげた。
表情にも驚いた感じが良くでている。
それでいて、どこか嬉しそうだ。
「やっぱり‥‥涼子ちゃんか!」
そう言う俺の表情も、涼子と同じ風に驚いているのかもしれない。

‥‥涼子。親父方の少し遠い親戚の子。
小さい頃、うちに遊びに来た事が何度もあった。
少しお転婆だった同い年の女の子。
その子が今、目の前に居た。

昔を置いてきたかのように、すっかり見違えた姿になって。
「ほんと久しぶり。…君に詩織ちゃん!」
「ホントに涼子ちゃんなの? 懐かしいね!」
「ほんとね! 元気だった?」
「うん、元気だった」
詩織は嬉しそうに表情を輝かせている。
涼子ちゃんも、嬉しそうにはしゃいでいる。

小さい頃、涼子ちゃんがうちに来た時に、詩織と涼子ちゃんは知り合い、それで三人で良く遊んだものだった。
詩織とはすぐに仲良くなって、うちに来ている間は、ほとんど詩織と遊んでいた。
そんな懐かしい記憶が次々に頭に浮かんでくる。
「詩織ちゃん、すっごく綺麗になっちゃったね」
「ううん。そんな‥‥‥涼子ちゃんも変わったわ。すごく素敵」
女の子同士の思わぬ再会というのは、何か違う物があるのだろうか。
それにしても、詩織はいつも見ているから、特に変化を感じなかったが、涼子ちゃんは小さい時に会ったきりだ。今の姿に、正直、驚きが収まらない。
「ところで‥‥どうしたんだ? なんで涼子ちゃんがここに?」
「あ‥うん。ちょっと用事でこっちに来たんだけど‥‥‥」
ふと、表情を落としながら、つぶやくように言った。
真っ赤な靴で、足元の枯れ葉を掻きわけるようにしている。
どこか寂しそうに感じるのは、俺の気のせいなのだろうか。
「‥‥どうしたの? 涼子ちゃん」
その様に詩織が気づいたのか、心配そうに声をかけた。
「あ‥‥‥う、ううん。なんでもない、なんでもないよ」
今の表情が嘘のように、パッと明るい笑顔が戻ってきた。
そういえば、昔も、こんな真夏の太陽みたいな笑顔をしてたっけ。
「それよか‥‥涼子ちゃん。うちには寄ったの?
 父さんならまだ帰ってないと思うけど、母さんならいると思うよ」
「あ‥‥‥ううん。そういう用事じゃないから‥‥」
「へぇ、そうなんだ」
「ねえ、涼子ちゃん。
 もしこれから予定なかったら、わたしたちと一緒になんか食べに行かない?」
詩織が嬉しそうに、涼子ちゃんに負けないくらい明るい笑顔で言った。
再会出来た事が、よほど嬉しいのだろうか。
涼子ちゃんは、少し考えているのか、黙ったまま視線を小さくさまよわせている。
「‥‥うん、そうね‥‥‥別にこれから用があるって訳でもないし‥‥
 うん。行こ行こ!」
決心がついたように、力強く頷いた。
さっきのちょっと沈んだ表情が嘘だと思えるくらいに。
「よし。それじゃ歩きながらでも話すか」
制服姿の俺と詩織。私服の涼子ちゃん。姿や身長はあの頃と違うものの、
一緒に遊んだ時の事は、鮮明に蘇ってくるような気がする。
‥‥‥さっきまでの二人だけの時間が終わった事は、正直少し残念だけど、
詩織のヘアバンドに挟まれている「秋」があれば、十分だった。

ハンバーガー屋の二階席から見える外の景色も、心なしか秋の色に染まっているように見える。
日差しの色が少し違うのだろうか。
それとも、街行く人の服装の色が違うのだろうか。
いや、たぶん両方なのかもしれない。
「へぇ‥‥‥ …君。詩織ちゃんと一緒の高校なんだ」
涼子ちゃんはそう言ってから、ハンバーガーを小さくかじった。
「入るの、凄い苦労したけどね」
入る時の苦労は、いつでも思い出せる。それほどまでに苦労した記憶がある。
思い出すと、苦笑しか出てこない。
「…、すごく頑張ってたものね」
詩織がニッコリと笑いながら、ジュースのストローに口をつけた。
「そうなんだ‥‥ …君やるじゃない」
「いや、別に‥‥‥」
あの頃は、特に目標があった訳じゃない。
本来なら、一つ二つ下の高校を狙おうと思っていたが「頑張ればきっと狙えるよ」という詩織の一言で、生まれて初めて勉強でやる気になったものだ。
「でもさ、涼子ちゃんとこの高校も随分凄いところなんだよね?」
父さんに聞いた話だと、県下一の進学校という話だ。
「うん‥‥‥‥まあね」
俺から目を少しだけ逸らして、窓の外に目を向けた。
どこか寂しそうな表情がよぎって見えたような気がする。
「ところでさ、詩織ちゃんは高校卒業したらどうするの?」
「わたし? わたしは古波大学を目指そうと思っているけど‥‥」
「え! ほんと!?
 凄いね。古波大学って言ったら今年の一番人気じゃないの」
「うん‥‥‥でも、入れるかどうか自信ないな‥‥」
照れくさそうに頬を赤らめている。
「んな事ないって、詩織なら入れるよ」
「そ、そうかな‥‥そうだったら嬉しいな」
俺の言葉に、パァッと顔を輝かせて、嬉しそうに微笑む。
お世辞でもなんでもなく、もし詩織が入れなければ誰が入れるんだろうという気さえする。
「でもさ、…君はどうなの? 高校出たらどうするの?」
不意に涼子ちゃんが訊いてきた。
「え? 俺?」
「そう」
俺は、チラリと目だけを詩織に向けた。
詩織にはすでに夏休み直後に伝えてある。
伝えた時に返ってきたのは、「そうなんだ‥‥‥頑張ってね。一緒に大学合格しましょう」という言葉と、それを見たら頑張らずにはいられないくらいの、何かが伝わってくる笑顔だった。
「俺も‥‥‥実は詩織と一緒の所にしようと思ってるんだ」
「えっ、ほんとに? …君まで一緒なんだ」
涼子ちゃんが驚いてた風に目を丸くしている。まぁ‥‥無理もない。
「でも、俺の方が入れるかどうかわからないよ」
苦笑して鼻の頭をかくと、詩織がなにを思ったのか、ふと声を落としながら、
「涼子ちゃん、あんな事言ってるけど、…の成績ってね、うちの学校じゃ結構な物なのよ」
と、涼子ちゃんにささやくように言った。
「そうなんだ。謙遜がうまくなったね。…君」
可愛い小悪魔が居たら、きっとこんな風に笑うに違いない。
そういう笑顔を浮かべた。
「そんなんじゃないって。それに、小さい時俺は謙遜なんかした事ないぞ」
「あら、そうだったっけ」
あっけらかんと笑って誤魔化された。
そういう所は、全然変わってない。
竹を割ったような性格の見本と言ってもいいだろう。

「ところで‥‥‥さっき二人が歩いてるの見て思ったんだけどさ。
 その‥‥
 …君と詩織ちゃんってさ‥‥つき合ってるの?」

俺は飲みかけていたジュースを吹きそうになった。が、なんとか我慢した。
当たり前だ。
「えっ、そ、そんな事‥‥」
詩織は慌てている。
内心、その慌て方にほっとしていた。
呆気なく否定されていたら、俺はどうなっていたかわかったもんじゃない。
「突然何言い出すんだよ。涼子ちゃん」
俺も否定はしなかった。いや、したくはなかった。
例え俺の思い過ごしでも、俺が詩織の事をなんとも思ってないと思われたくなかったからだ。もちろん詩織に。
「だって、なんか仲良さそうに歩いてたからさ‥‥‥」
つまらなさそうに言ってから、ストローに口をつけた。
「そう見えた?」
俺としては、内心嬉しさで転げまわりそうだった。
自己満足でもいい。そう思われていた事自体が嬉しい。
「見えるわよ。あんな楽しそうにして歩いてれば」
ストローから口を離して、苦笑しながら、俺をじろじろ見つめてきた。
「でも‥‥わたし達、そんなんじゃ‥ね?」
最後の「ね?」の部分を俺に向けてきた。
そうなの? 違うの? そんな風に訊いてきているような気がしたが、それは俺の考えすぎだろう。きっと。
正直、俺は「違うの?」と、逆に聞き返してしまいたかったが、
「え‥‥うん、まあ‥ね」
と、曖昧な返事でお茶を濁しただけだった。
最大のチャンスを逃した気がする。
「なんだ。そうだったの。冗談で聞いたのに‥‥二人ともマジになっちゃって」
そう言って、涼子ちゃんは可笑しそうに笑った。
もっと意地悪そうに笑ってくれたなら、少しは怒る事もできたかもしれない。
「ひどぉい。涼子ちゃんたら」
詩織も同じなのか、微笑みながら言った。
「俺なんかが詩織とつき合ってるなんて思われただけでも、嬉しいけどね」
いかに冗談っぽく言うかが勝負の言葉だった。
「そんな事ないわよ。結構お似合いだったじゃない」
涼子ちゃんのその言葉に、俺より詩織が反応した。
「ほんとうに?」
「うん」
「そう‥‥‥」
ただそう一言返してから、詩織は窓の外に顔を向けて、ストローに口をつけた。
すぐにジュースが空になる音が聞こえてくる。
こっちからじゃ表情が見えない。どんな表情をしているんだろう。
気になりつつ、俺は涼子ちゃんに話を振った。
「ところでさ、涼子ちゃんがこっちに来た用事ってなに?」
「え‥‥」
さっきまでのにこやかな表情が、また曇った。
「わざわざこっちに来るなんてさ」
俺の言葉に、詩織が乗ってきた。
「涼子ちゃんの所って、確か九州の方よね?」
「う、うん‥‥」

どうも様子がおかしい。
さっきから気になっていたが、こっちに来た事の理由を聞く度に、声に元気というか‥‥勢いがなくなるのはなぜだろう?
「どうしたの? さっきからなんか変だよ」
「わたしもそう思ってたの‥‥‥
 涼子ちゃん、なんかあるんだったら、わたし達に話してみて」
詩織も気づいていたようだ。心配そうに涼子ちゃんをじっと見つめている。
「う、ううん‥‥ほんと、なんでもないって。
 ただ、今学校の事でいろいろとね」
苦笑しながら、俺と詩織、交互に視線を動かしながら手を振った。
その姿だけを見ていると、やっぱり思い過ごしではないかと思ってしまう。
「成績かなんか?」
「うん‥‥‥まあ‥‥そんなところかな」
困ったように頬を人指し指で掻いている。
「どんな訳かよくわからないけど、涼子ちゃんならやれば出来ると思うよ」
俺がそう言うと、涼子ちゃんが突然キッと俺を睨むように見つめて、
「なんでそう思うの? わたしの事良く知りもしないでっ!」
刺すような声で、俺に向かって鋭く言い放った。
‥‥というより、誰かほんとの対象を頭に浮かべて、それに向かって叫んでいるんじゃないか? 頭の隅で、勝手にそう考えている自分がいた。
涼子ちゃんの大きな声に、他のテーブルに座っていた人達が、何事かとこっちを見ている。
「涼子ちゃん‥‥‥」
詩織が、驚いた風に涼子ちゃんを見つめた。俺も同じだ。
「あ‥‥ご、ごめんなさい」
自分が何をしたのかに、ハッと気づいてか、慌てながら首を小さく横に振った。
「ほんとにごめんなさい!」
何度も何度も頭を下げられた。
「ちょっと涼子ちゃん。いいってば」
俺が慌てているところへ、詩織が小声で耳打ちしてきた。
「ねえ、…。ちょっと外へ‥‥」
少しだけ耳にかかった息に、ドキっとさせられたのは詩織には内緒だ。
それはともかく、確かにこのままここで話せるような雰囲気じゃないのだけは確かだ。
「涼子ちゃん、そろそろ出よう。な」
「あ‥‥うん」
大人しくうなずいた涼子ちゃんを見て、
俺は残っていたハンバーガーの一切れを口に放りこんで、席を立った。

(2)

正直、なんて言っていいのかわからなかった。
さっきの瞬間的な取り乱し様は、ただ事じゃない。
どんな言葉をかければいいのか頭の中には無いし、かといってこのまま黙っているわけにもいかない。
「ごめんね。…君。さっきあんな事言っちゃって」
そんな沈黙を破ったのは涼子ちゃんだった。
「あ、いや、いいんだよ」
良くはなかった。が、他に言う事もなかっただけだ。
「詩織ちゃんもごめんね。びっくりしたでしょ‥‥」
「う、ううん‥‥‥でも、ちょっとだけビックリしちゃったかな」
詩織も、どこかぎこちない笑顔を浮かべている。
「そ、そうだ、涼子ちゃん。中央公園行こうよ。
 覚えてるだろ、あの公園」
「中央公園って‥‥‥きらめき中央公園の事?」
「そうね、それがいいわ。
 行きましょうよ涼子ちゃん。ね?」
やっぱり、こういう時に女の子同士は頼りになるな。
詩織のフォローがなかったら雰囲気は重くなる一方だったかもしれない。
「うちの親父に連れられて行って、三人で遊んだっけな」
記憶の中で、小さい俺と詩織と涼子ちゃんが遊んでいるのが浮かんだ。
詩織と涼子ちゃんの笑顔は、押える事を知らないかのように輝いている。
「あそこの公園って、確かおっきくて綺麗な池があったんだよね」
さっきまでの事が嘘のように、明るい笑顔を取り戻している。
女の子というのは、どうも不可解だ。涼子ちゃんだけじゃなく、詩織もだ。
「今でもすっごく綺麗よ。今の時期なら、とっても気持ちいいと思うな」
「詩織ちゃんあの公園好きだって言ってたもんね」
「うん。だから今でも良く行くの」
そう言って、詩織はチラっと俺の方を見たが、俺が、え? と思う前には、すぐに涼子ちゃんの方に向きなおっていた。
「一人で?」
意地悪そうな笑顔も、涼子ちゃんは様になっている。
「え、えっと‥‥うん、そう。友達と良く来るの」
予想外のツッコミだったのか、詩織はかなり慌てながら答えた。
俺は友達‥‥か。
まあ、あたりまえと言えばあたりまえか‥‥‥
「なんだ‥‥よく来てたんだ。
 とりあえず、今日は涼子ちゃんの為だから‥‥」
「あ、ううん。いいの‥‥‥
 友達って言っても、メグとか麻美ちゃんだし」
「そ、そっか‥‥」
安心したのと同時に、なぜそんな事を言ってくれたのか‥‥‥その事を考えていた。
別に、友達の名前まであげてもらう必要はないのに‥‥と。
考えても考えても、答えはでないのは分かっている。
結論が出るくらいなら苦労はしない。
「あの頃と全然変わってないから、涼子ちゃんも満足してくれると思う」
思い出したように、微笑みながら詩織が言った。
詩織なりになんとかしようとしているのだろうか。
男にはわからない事もあるのだろう。詩織がこの場に居てくれて助かった。

それにしても、さっきの涼子ちゃんの言葉は効いた。
確かに、俺は小さい時の涼子ちゃんしか知らない。
小さい時から一緒に居る筈の詩織の事だって、まだまだわからない事は一杯あるのに、涼子ちゃんの事をわかっているとは思えないのは確かだ。


「あ‥‥‥そうだ。涼子ちゃんは学校でなんか部活やってるの?」
丁度いい話題だな。と自分でも思う。
「わたし? 水泳部よ」
「え! 涼子ちゃん水泳部なんだぁ‥‥すごいね。確かにスポーツしてるって感じする」
詩織が感心と驚きと憧れを込めた目で涼子ちゃんを見ている。
「確かに、なんか清川さんみたいな雰囲気あるよな」
「え、清川? 清川ってもしかして清川望さんの事?」
「なんだ、涼子ちゃん清川さん知ってんの?」
「全国大会で一度見た事あるけど、すごかったわ。
 でも、そう言われてみれば清川さん、きらめき高校だもんね。…君達が知っててもおかしくないか‥‥」
「ま、まあね‥‥‥それよか涼子ちゃん全国大会に行ったのか」
「え、言ってなかったっけ?」
「聞いてないよ。それにしても‥‥」
チラリと詩織を見た。
「うん‥ほんと、凄いのね。涼子ちゃん」
言いたい事を続けてくれる。最近になって、なんとなくこんな事が増えた気がするのは、やっぱり気のせいだろうか。
「といっても、結果は散々だったけどね」
照れくさそうに舌とチョロっと出した。
「ううん。全国大会に行けただけでも凄いと思う」
詩織の言葉に、掛け値なしの感動がある。
「それにしても、清川さん相手っていうのがアレだなぁ。
 普通の子じゃ勝ち目なんてまずなさそうだし」
「うん、彼女とっても凄かった。まるで魚みたい」
「卒業したら、実業団で水泳続けるらしいけどね」
「そう‥‥‥そうなんだ‥‥やっぱりね」
「涼子ちゃん‥‥」
詩織が、涼子ちゃんの少し‥‥気づかないくらい少し表情を落とした事に気づいたのか、言葉を出した。
俺も気づいていたが、今はそれ以上は聞く時じゃない。そう思ってその事には触れずに歩いた。

「わぁ‥‥ほんと、綺麗」
公園の池の手摺に手をかけながら、涼子ちゃんが表情を輝かせた。
さっきまでの不安定な表情はどこへやら‥‥だ。
「小さい頃だったから、覚えてないと思ったけど‥‥結構覚えているものね。
 ここって、全然‥‥‥変わってない」
「わたしも、涼子ちゃんと遊んだ時の事、しっかり覚えてる。
 でも‥‥変わってないっていう点じゃ、涼子ちゃんだって全然変わってないと思うな」
「そんな事ないよ‥‥わたし、変わったかもしれない」
微笑みとも苦笑ともつかない笑みを浮かべながら、じっと水面を見ている。
たまに吹く風が水面を揺らす度に、キラキラとまぶしく、さざめき笑うように陽の光で輝く。
「涼子ちゃん‥‥」
その時点で、俺はさっきからたまっていたモヤモヤを押え切れなくなっていた。
それは詩織も同じ事だろう。
「なあ、涼子ちゃん。もし良かったら‥‥‥話してくれないか?
 さっきから俺達が気になってるの、涼子ちゃんもわかってるだろ?」
俺の強気の言葉に、無言のまま涼子ちゃんは頷いた。
「お願い。涼子ちゃん‥‥」
詩織も心配そうに言う。
その言葉に、決心がついたのか、涼子ちゃんが池の方を向いたまんま話し始めた。
「‥‥わたしね。実は‥‥‥ちょっと家出してきたの」
「!」


俺は‥‥いや、詩織も、言葉にならない驚きの声をあげたが、今は話を聞く方が先だ。
そう思って、必死に驚きを押えた。
「進路の事で、前々から父さん達ともめてて‥‥‥
 わたし、高校卒業したら体育大学に行きたかったの」
「やっぱり‥‥水泳で?」と、詩織。
「うん。
 でもね、父さん達はどうしても上の大学へ行けって。
 わたしはこのまま水泳続けていたいのに‥‥」
涼子ちゃんの、手摺を握る手に力が入ったのがわかる。
「なんでまた‥‥‥」
「今思えば、わたしが今の高校にはいる時に賛成してくれたのは、ちゃんとした大学へ行ってくれる期待があったからだと思う」
「体育大学がちゃんとしてない大学だなんて、おじさんも考えが古いな」
「お前は、やれば出来るんだ。だから、ちゃんとした大学へ行け‥‥‥
 それが父さんの口癖なのよ。
 わたしは、別に成績の事なんか気にしてないしやる気がない訳じゃないけど、水泳っていうやりたい事があるから‥‥‥
 だから‥‥」
「それで‥‥うちを飛び出してきたって訳か」
涼子ちゃんはひとつ頷いた。
涼子ちゃんが、周囲の期待に対して妙な反感を持つ理由はわかったが、俺は小さい時の涼子ちゃんが頑張り屋だと知っているから、さっきの「やれば出来るよ」は、根拠の無い励ましじゃない。
「わたし‥‥なんて言っていいかわからないけど、涼子ちゃんがこうまで決めてる事だもの。
 絶対やりたい方に行ったらいいと思う」
「詩織ちゃん‥‥‥」
「わたしも、たまに思うの。なんで大学へ行くのかな‥‥って。
 行きたくない訳じゃないのよ。もっと勉強したい事だってあるし‥‥‥
 でも、涼子ちゃんみたいに『これをやるんだ!』っていうのが、わたしにはまだそんなハッキリとは無いの‥‥
 まるっきりって訳じゃないんだけど‥‥‥ううん、やっぱり無いのと同じかな」
詩織はそう言ってから、寂しそうに笑った。
どことなく苦笑している風にも見える。
そう言われてみれば、俺も特に何という目標があった訳じゃない。
ただ、大学を目指す。それだけがある意味で目標だった。
詩織と過ごしているうちに、いつのまにかそれが目標になったなんて涼子ちゃんに言ったら笑われるだろうな。
「…君は‥‥なんか目標あるの?」
「え、あ、俺?」
「そう」
「俺は‥‥‥」
こっちを見ている詩織と涼子ちゃん、そのどちらにも目を合わせられなくて少し空を見た。
空が高い。
秋だからな。当たりまえだ。
「今の所‥‥‥無いかな」
嘘だった。
というより、涼子ちゃんの言う目標とは違う目標が俺にはあった。
どうしても伝えきれない想いを、いつか伝えるという目標を。
下手すると、今一番の目標かもしれない。
それ以外では、やりたい事は一応ある。が、絞り切れていないだけだ。
「まあ、まるっきり無いって訳でもないけど、とりあえず涼子ちゃんほどの目標はないよ」
「わたし達より、ずっとずっとしっかりした目標持ってるんだもん。
 一生懸命それを伝えてみればいいんじゃないかな‥‥‥
 でも、わたしがこんな事言っても、無責任よね」
「ううん。そんな事ないって。ありがとう詩織ちゃん」
吹っ切れたような笑顔だ。
言いたい事を全部言ったからだろうか。
子供の頃に見た、何も迷いがない時の笑顔そのまんまだな。
この笑顔が出れば大丈夫。そう思う。
「俺も、涼子ちゃんみたいに、なんか持たないとな‥‥」
「そうね‥‥」
本当に何かがみつかった時、詩織は応援してくれるだろうか。
ずっと側で。
「うまく見つかるといいね」
涼子ちゃんがニッコリと笑いながら言った。
「まあ‥‥‥ね」
「二人とも、頑張ってよね」
さっきまでとは立場が逆になった。
それがおかしかったのかもしれない。
俺と詩織は目を見合わせて、なんとなく笑ってしまった。
ただ、そうしていると、涼子ちゃんと会わなくなってからの空白の時間が、ゆっくりと埋まっていくような気がする。
「涼子ちゃん。とりあえず、家出はマズイよ」
「うん‥‥そう思う。みんなきっと心配してると思うから」
「そうよね。わたしったら、気が付いたら電車に乗ってて‥‥‥」
失敗しちゃった。とでも言う風に苦笑いをしている。
こういう仕草が、妙に似合うな。
生来の物かもしれない。
詩織もたまにこんな表情をするが、それは最近になって見る事が多くなってきた。
そんな表情を見せてくれるだけの安心感を俺に対して抱いてくれているのかどうかは、詩織に聞いてみないとわからない。
ふと、詩織がチラリと俺の方を見て、微笑みの表情を作った。
その微笑みがこう言っているのがわかった。「良かったね」と。
俺も小さく頷き返す。
笑いあう心地よさ。その心地良さは、あの頃にはなかった物だった。
「とりあえず、来ちゃった物はしょうがないからな‥‥‥
 今日はとことんつき合うよ。すぐに帰るつもりはないんだろ?」
「う、うん‥‥」
すぐに帰れ。なんていうほど、俺は人間出来ちゃいない。
家出という点を除いてしまえば、単なる遠出だし、家出という事を含めても、今の涼子ちゃんならもう大丈夫だと感じる。
「そうね。わたしも付きあっちゃおうかな」
涼子ちゃんに会ったせいだろうか。詩織も子供のような悪戯っぽい微笑みを浮かべている。
そんな俺達に、吹っ切れたような笑顔でひとつだけ元気よく頷いてくれた。
どんな言葉よりも、たぶん一番伝わる気がする。
これから、少しだけの時間。小さい時の三人組に帰れそうだ。

(3)

−夜−

「ああ、思ったほど深刻な事にはならなかったよ」
「そう‥‥良かった」
電話の向こうから、詩織のほっと安心したような声が聞こえてきた。
「父さんとかは、わりとビックリしてたみたいだけどね」
「そうなの‥‥」
「ま、とりあえず明日の朝一番で帰る事になったみたいだし、ひとまず安心だな」
「今、涼子ちゃんは?」
「ああ、居るよ。
 さっきから代わりたがってるみたいだけどさ」
後ろで、ずっとこっちを見ている涼子ちゃんをチラっと見た。
「ちょっと待ってて」
俺は涼子ちゃんに受話器を渡した。
「え‥‥」
「詩織、話したいって」
「ほんと?!」
嬉しそうに受話器を受け取った涼子ちゃんは、すぐに謝り出した。
「もしもし、詩織ちゃん? 今日はほんとにごめんね」
とはいうものの、表情は明るいまんまだ。
こんな顔されて謝られたら、たいがいの事は許してしまうかもしれない。
「じゃ、涼子ちゃん。
 俺ちょっと外してるからさ、話終わったら切っていいよ」
俺がそう言ったのを、涼子ちゃんが電話で言うのを確認してから、部屋を出ようとした時、不意に呼び止められた。
「あ、ちょっと待って。詩織ちゃんから」
「ん? なに?」
「それじゃまたね。おやすみなさい‥‥‥だってさ」
涼子ちゃんの口を借りた詩織の言葉だった。
言った涼子ちゃんの表情のおかげで、物凄い恥ずかしい言葉を聞いた気がする。
からかうように唇の端を釣り上げられたら、たまったもんじゃない。
「あ、ああ、えっと‥‥‥じゃまた‥‥とでも伝えといてよ」
照れくささで、一瞬何を言っていいのか迷った挙げ句に出た言葉がこれだ。
まったく俺も弱い。
涼子ちゃんは、オッケーと指で合図してから、

「愛してるって」

と、サラっと言った。
もし今俺がジュースを飲んでいたら、間違いなく吹き出していただろう。
「やあね。冗談よ冗談」
俺と詩織。両方に聞こえるように言った。
「涼子ちゃん!」
電話の向こうで、俺と同じ風に声を上げていれば、涼子ちゃんにはステレオで
聞こえたかもしれない。
ただ、それが一応本心である事は、とりあえず二人には内緒だ。
「詩織ちゃん。ごめんごめん。冗談だから」
悪びれもせずに謝った。
やれやれ‥‥‥とんだ家出娘だ。
俺は苦笑しながら、部屋を後にした。

「それじゃね」
まだ朝の太陽が昇ったばかりの空、まだ肌寒さには遠い空気の中に、涼子ちゃんの明るい声が響いた。


午前六時。
俺と詩織は、まだ制服にも着替えていない。
詩織がうちに来た時は、なんとなくパジャマ姿を期待していたが、期待はあっさり裏切られた。
Tシャツに少し長めのスカートだ。
俺はと言えば、寝間着代わりのTシャツに、膝まであるトランクス姿だ。といっても下着のトランクスじゃない。その上のズボン代わりの大きめのトランクスだ。

「涼子ちゃん。また来てくれよ。今度はちゃんと休みの日にな」
「わかってるって。ほんとに迷惑かけちゃってごめんね」
朝から元気そうに答えるのはいいのだけど、ちっともそう思っていなさそうな所が涼子ちゃんらしい。
だが、それは見た目だけで、ホントはそうじゃない事は俺も詩織も知っている。
「きっとよ。涼子ちゃん」
「うん。また近いうちに来るわ」
「そしたら、今度はうちに泊まってね」
「ホントに? それじゃ、その時続き話そうよ」
「そうね。そうしましょ」
「なに? 続きって?」
俺の問いに涼子ちゃんが答えた。
「聞きたい?」
その言葉に、俺よりも詩織が反応した。
「り、涼子ちゃんってば‥‥‥」
「なんだよ。どうしたの?」
「へへ〜、やっぱり教えてあげないよ」
「なんだよ。俺だけ仲間はずれ?」

さっきから、なにかおかしい。

「う〜ん、そうね。仲間はずれ‥‥‥じゃないと思う。たぶん」
何の事だか、俺にはさっぱりわからなかった。
ただ、涼子ちゃんのニンマリとした笑いと、詩織の、どことなく顔を赤らめながら戸惑っている表情を見比べていると、訳はともかく、飽きない物がある。
「ちぇっ、別にいいけどね」
女の子同士は、どうしてこうも内緒が好きなんだか‥‥‥
「あ、それじゃわたしそろそろ行くわ」
腕時計をチラリと見た涼子ちゃんが、少しだけ和やかだった時間に、慌ただしさを運んできた。
「そっか‥‥それじゃ、気をつけて」
「またね‥‥‥きっと来てね」
「おじさんによろしくな」
「頑張って。わたしも涼子ちゃんの事応援してるから‥‥ね」
俺達のそれぞれの励ましに、力強く頷いた。
もう何を言われても、色々迷ったりはしない。そんな力強さを感じる。
「‥‥‥うん。ありがとう。
 ホント‥‥こっち来て良かった。二人に会って本当によかった」
「別になぁ‥‥俺達‥‥」
詩織の方を見ると、詩織は少し恥ずかしそうにしながらも、小さく小さく頷いてくれた。
「自分達も気づいてないって事って、良くあると思うよ」
「え‥‥?」
「あ、いけない。もうホントに行かなくちゃ‥‥それじゃねっ!」
言葉の意味を聞こうと思った時には、涼子ちゃんはすでに駆け出していた。
足取りが跳ねるようだ。
今の心境なんだろうな。きっと。
少しだけ走ってから、ピタっと足を止めて、振り返りながら一度だけ手を振ってからまた駆け出して行った。
俺達が手を振って応えるのも見ずに。
「やれやれ‥‥‥元気だよなぁ」
涼子ちゃんの姿が見えなくなるまで、見送った後にホっと息を吐いたら、肩が楽になった。
「ほんとよね」
可笑しそうにクスクスと笑っている。
「でさ、何? さっきの続きって」
「え?」
「涼子ちゃんが言ってたやつ」
涼子ちゃんはあんな調子だから、たぶんどんなに聞いても教えてはくれそうもないけど、詩織なら少しくらいは教えてくれそうな気がした。
「だめ。教えてあげない」
「なんで。いいじゃないか」
ついつい、何かを隠しているのを抑え切れないと言わんばかりの笑みに俺も笑わずにはいられなくなる。
「‥‥‥そのうち、言わなくてもわかると思うから、今は駄目‥‥」
なぜだか、俺の胸にその言葉がチクっと刺さった。
なんでだかはわからない。
そう言った時の詩織の表情が、どこか‥‥‥気のせいかと思うほど思い詰めた物があるような気がしたからだろうか。
「だからね。駄目なの」
今さっきまでの表情は、やっぱり気のせいだったに違いない。
そんな表情をしながら笑っていた。
「‥‥ま、いっか。そのうちわかるんなら」
ふっと息を抜きながら空を見上げた。
俺の視線を待っていたのは、突き抜けるような青い空。
「さってと‥‥一眠りでもしようかな」
「今寝たら、起きれないと思うけど‥‥ふふっ」
「でもなぁ‥‥まだ学校行くには早いだろ?」
微笑みに高鳴った鼓動の事を隠しながら、苦笑してみせた。
「そうよね‥‥‥それじゃ、コーヒーくらいならごちそうするけど。来ない?」
「え? ホントに?」
「うん‥‥わたしもどうせ暇だし」
詩織の微かに染まった頬の赤さに、俺は胸の中だけで涼子ちゃんに感謝した。
胸の中の涼子ちゃんは得意そうに笑ってる。
やれやれ‥‥‥
「じゃ、ちょっと着替えてくるよ。さすがにこのカッコって訳にゃいかないから」
ヨレヨレになったTシャツの裾を引っ張ってみせた。
「大丈夫よ、気にしないで。
 うちのお父さんも似たようなカッコでウロウロしてるんだから」
「そ、そう?」
「うん。だから‥‥ね」
「あ、ああ‥‥‥それじゃお邪魔しようかな」
「うんっ。来て」
早起きは三文の得。
その言葉を信じてもいい気がした。
いや、三文どころの騒ぎじゃないかな。
落とし主は、とりあえず涼子ちゃんといったところか。
今度返さないといけないかな。

詩織と一緒に。

(後日譚)

数ヶ月後─────

「やっぱりそういう風になっちゃったのね」
喫茶店で、俺達の向かいに座った涼子ちゃんが、アイスコーヒーをストローでかき混ぜながら言った。
特に驚いていないのはなぜだろう?
詩織は詩織で、頬を少し赤らめながらも、あまりうろたえた感じがない。
「いいじゃないか、そんな事は‥‥‥それより、大学の方はどう?」
「水泳漬けの毎日だけど、すっごく楽しいよ」
「ほんと? 良かったね涼子ちゃん」
大学に入ってから、ちょっとだけ髪を切った詩織が、パっと輝くような笑顔を浮かべた。
卒業の時、互いの遠くて近かった心の距離を知って以来、詩織の笑顔が前よりもずっと心地よく思える。
「やっぱりさ‥‥‥卒業の日にあれだったの?」
涼子ちゃんがずっと聞きたがっていた事だったのか、ニヤニヤと笑いながら訊いてきた。
「え‥‥なんで知ってんの?」
俺が驚いていると、やれやれ‥といった風に苦笑した。
「知らないのは…君だけじゃない?
 たまに詩織ちゃんと電話で話してて、いろいろ経過とか聞いてたもの。
 ねえ、詩織ちゃん?」
「う、うん‥‥」
詩織の頬がはっきりと赤い。
「ごめんね‥‥内緒にしてて」
「‥‥‥そっか、そーいう事だったのか」
いつだったか、涼子ちゃんと久しぶりにあったあの日。
二人で内緒にしていた事の意味がようやくわかった。
「あの時、仲間はずれじゃないって言ったよね。
 そりゃそうよ。…君、一番の当事者なんだから」
今後、俺は涼子ちゃんとつき合うようになる奴が出来るかもしれないが、まだ見ぬそいつに、少し同情したい気分になった。
そう思うくらい、悪戯っぽい笑顔だったからだ。

Fin

後書き

毎度どうも。JINZAです。
もう何も言う事はありません(^^;
あともうちょっとで50作です。
まったく、しょうもないのを量産したものです。
50作目からは、もっと洗練された暴走を目指します‥‥(^^;
(できればいいけど)


作品情報

作者名 じんざ
タイトルあの時の詩
サブタイトル32:秋風の小悪魔
タグときめきメモリアル, ときめきメモリアル/あの時の詩, 藤崎詩織
感想投稿数280
感想投稿最終日時2019年04月09日 10時57分55秒

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  • [★★★★★★] 意外な展開で、面白かったです(^^) 「やっぱりそういう風になっちゃったのね」と言う台詞がGOODです!(^^)v
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