ドの音。
ミの音。
レの音。
ファの音。
記憶にある音。
一つ一つの音が繋がると、音楽になる。
どうして、音が繋がると、音楽になるのだろう?
星原百合がピアノの鍵盤を「押す」時に、いつも思う事だった。
星原百合に出来た事が、「星原百合」には出来ない。しかし、その事は、別段彼女を苛む要因ではなかった。
全てが終わったのだし、解決した問題に比べれば、ピアノが弾けなくても、それはそれでいいと思っていた。
でも・・・と、彼女は思う。
音と音を繋げた時に、音楽になる。
星原百合になるまでは、とりたてて考えた事もなかった事が、今、何故か気になって仕方がなく、どうしても頭の中に広がっていくばかりであった。
音を繋げられる記憶があるのに、その繋げ方がわからない。出来る事ならば、繋げてみたい。
音楽に対して、星原百合の残した記憶には、あまりいい思いが絡んでいないのはわかっていたが、同時に、何もかも忘れられる程、心地いい瞬間があったのも確かだった。自分の記憶ではないのに、なぜか暖かくなる瞬間。
自分でピアノを弾けたなら、その気持ちが本当に自分の物になるような気がする。だから、弾きたいと思っていた。
また鍵盤をひとつ押した。
繋がりたい。と音が言っているように聞こえていた。
繋げたい。と自分で思った。
そんな風にして、星原は、昼休みにはいつも音楽室のピアノの鍵盤を押していた。
シの音。
ソの音。
音が繋がらない。
ドの音。
ラの音。
一つ一つの音が乾いていた。
繋がれば、きっと水のように流れるに違いない。そう思いながらも、星原が出す音は流れ出さない。まるで、目を合わそうとしない仲の悪い者同士のように、頑なだった。
何か抑えきれない物があったのか、鍵盤に両手をついて、体重を乗せた。洪水のように不協和音が溢れていく。
やがてその音が引いていくと、身を潜めていた静寂が顔を出してきた。
「あ、百合。ここに居たんだ」
今までの余韻を払うように、不意に声がした。
星原が声の方を向くと、ショートボブの女の子が、眉尻を下げながらも、微笑で星原を迎えていた。
「探したのよ。百合、お昼まだでしょ? だったら部室でご飯食べない? 記事の事で打ち合わせもしたいしさ」
星原の方に歩きながら、そう言った。
「あ・・・うん」
「どうしたの? 何してたの?」
「なんでもないです」
星原は、やんわりと首を横に振った。
「そう・・・」
なんでもないと言って首を振る時は、なんでもない筈が無い。と天羽は思っていたのだが、それには例外があった。
唯一、微笑みがある時。それが今だった。
「一つ聞いていいですか?」
星原が、不意に質問をなげかけた。
「なに?」
「碧ちゃんは・・・ピアノとか好き?」
意外な質問でもなかったのか、天羽は特に迷う事も無く答えた。
「うーん、そうね。結構好きな方かな。でも、あんまり身近に感じないのよね。TVとかCDで聞いても、綺麗だなあって思うけど、あんまり届いてこないし。だから、下手でもいいから、近いところで聞くピアノだったら、大好きよ。私だって弾ける物なら弾いてみたいけど、そういう勉強はからっきしだから」
照れくさそうに苦笑する天羽を見て、星原は目を細めた。
天羽の答えに満足したのか、星原は、言葉をかみ締める為に、そっと目を閉じた。
「音楽の本当の力は、そういう所にあるんだと、聞いた事があります」
そう言って鍵盤を一つ押す。
不思議と、さっきとは違う音が出た。
鍵盤を一つしか押してない。それに繋げてもいない音なのに、なぜか音が流れていた。たった一つの音なのに、それだけで音楽になりそうな音だった。
ただ、天羽の為に弾いてみたいと思っただけで。
「ピアノって、いい音よね」
天羽は、音を呼吸でもするように、すうっと息を吸いながら、音の余韻に浸っていた。
「・・・音楽の・・・力」
星原の鼓動の奥で、何かが小さく弾けた。知っているだけの記憶の泡だった。
中から流れ出していくものが、胸の中に広がっていく。
どこか別の所から、それが本当の事なんだよと囁くような声が、胸の中に響いていく。
もう一度鍵盤を押した。
また音が流れる。
消えかかる音を追いかけるように、もう一つ鍵盤を押した。
音が音を受け継いでいく。
記憶の泡がまた一つ弾ける。
また一つ。
また一つ。
何時の間にか、立ったままの星原の両手は、ピアノを弾いていた。
まだ産まれたばかりの雛鳥が歩くように、たどたどしく。
途中、何度もつまづきながら、ほんの短い間の演奏は終わった。演奏というには、あまりにも稚拙なレベルだったが、星原と天羽にとっては、そんな事はどうでもいい事だった。
「ごめんなさい。まだあまり弾けなくて・・・」
「そんな事ないわ。いいよ。良かったよっ」
「ありがとう・・・」
星原にとっては、弾けた事よりも嬉しい事だった。
知らずに、星原は笑っていた。
「百合・・・やっぱり笑ってた方がいいよ」
天羽は、笑顔を返しながら、そう言った。
「その方が絶対いいわ。うん」
「・・・・・・・」
星原は、天羽がそうだと言うのなら、そうするつもりだった。
頷きで答えた。
「といっても、あんまり無闇ににこにこしてる事はないと思うけどね。変な人って思われても、損・・・・・・・」
天羽は、そこまで言ってから、ふぅっと肩を落とした。
「な訳ないか・・・」
「?」
星原は、小さく首を横に傾げた。もし星原が「力」を使っていたら、天羽の言った意味がわかっただろう。
「あ、そうそう。あとちょっとでフィルム終わるの。だから、百合撮ってあげるわ」
「写真?」
「うん。ほらほら、ちょっとその椅子にでも座って」
天羽は、ピアノの椅子を指差してから、カメラを覗き込み、馴れた手つきで、ピントを合わせた。

「ねえ・・・百合、ちょっと聞いていい?」
意を決して言った言葉の半分は、秋の名残が消えかけた風が持っていった。
昼休みの一時を過ごす場所としては、特上すぎる場所。
校舎の屋上。
それでも、昼休みにここに来る生徒の数は、ほとんど居なかった。今も、居るのは天羽と星原の二人だけだ。
学食の充実という事もあったし、なによりも風景の良さとは裏腹に、屋上そのものの、不要な机や椅子などといった物が置かれていたせいもあるだろう。廃棄場みたいな雰囲気を、避けているのだった。
一人で居るのは寂しすぎる場所だ。
いつも屋上に来る度に、そう思うのだった。
自分一人だったら、こんな所には一人で居られない。
そんな場所に、百合は居た。他の人には決してわからない何かを抱えながら。
それがどんなに重い事だったかは、後で知って納得はした。しかし、それ以上の不満もあった。
星原に対して。自分に対して。記憶を操作した側と、された側に対して。
いくら記憶を操作されていたからと言って、重い何かを、一人背負っている星原に、最後になるまで何もしてやれなかった自分がどうしようもなく情けなかった。
結局、部室には行かずに、天羽が途中でここへ行く事に決めて、今に至っている。
「なんですか?」
ポットの蓋で紅茶を飲んでいた星原は、ほっと一息ついてから、答えた。
「どうして、ここ・・・好きなの?」
天羽が今日ここを選んだのには理由があった。あの一件以来、消えたと思ったわだかまりが、ぶすぶすと自分の中で再燃しだしたのを、なんとかする為だった。
天羽自身、全ての憂鬱を解消出来る程自分は強くもないと思ってはいたが、周囲の評価とつくづく一致はしないのは、別段気になってはいなかった。しかし、今抱えている事は、どうしてもなんとかしたいと思っていた。
放っておけば、きっとすぐにでも収まってしまう事なのは、天羽自身にもわかっていた。それでも、完全に鎮火しなければ、またいつこんな気持ちが湧き上がってくるか知れた物ではない。
天羽の一言は、勇気の産物と言って良かった。
「・・・・・・・」
星原は答えなかった。
「ごめん。こんな事、本当は聞きたくなかったんだけど・・・」
「わかってます」
天羽にとっては、意外な表情。笑顔と共に、そう返ってきた。
聞いた事の後悔が、突然押し寄せて来る。
なんでこだわったんだろう。もうわかってる事だ。百合は百合だ。誰がなんと言おうと。
「私も、碧ちゃんには言っておかないと・・と思ってましたから」
手にしたカップに目を落としながら、そう言った。
「やっぱりいい。いいわ。ごめんね、変な事気にしちゃってて。忘れて」
天羽は慌てて手を振ったが、星原は、小さく首を横に振った。
「碧ちゃんは・・・私の事をどう思ってるんですか?」
「どうって・・・」
いきなりの質問に面食らったのか、一瞬言葉に詰まる。
しばらくの沈黙の後、星原をじっと見つめながら、力強くこう言った。
「親友だと思ってる」
答えを聞いた星原は微笑んだ。笑う事の意味を知らなければ出来ない微笑だった。
「だからこそ聞いて欲しいんです」
「・・・・・」
風が、紅茶の湯気をふっと散らす。
「もし私がこの世界で最初から居たら、碧ちゃんとこうして会って、友達になれたかどうか・・って最近思うんです。碧ちゃんとの思い出・・・私にはあります。でも、それは星原百合さんとの思い出であって、私との思い出ではありません・・・それに・・・」
「やめて・・」
天羽の呟きにも構わずに、星原は続けた。
「碧ちゃんの思い出の中に居るのは、私じゃありません」
「やめてって言ってるでしょっ!」
天羽は、キッと星原を見据えた。
言われた事への憤りとは違う。自分が触れようとした部分の傷は、こんなにも痛いというのがわかった故の悲鳴だったのかもしれない。
「私の思い出の中の百合も百合だし、今私の目の前に居るも百合。違わないわっ! おんなじよ・・・おんなじなんだから・・・」
「・・・・・」
天羽にも、星原にもわかっていた。
くすぶる火種は消えないのだと。
目の前の星原は、天羽の事を何も知らない星原ではない。二人にしかわからない事も、ちゃんと知っている。共有の思い出は、全部持っている。
それでも違う。外見は同じでも、中身は違う。
本来なら、今の星原が居なかったら、天羽の前から、大切な二人が永遠に居なくなっていた筈なのはわかっていながらも。
天羽の中にある火種は、そういう事だった。
「私は、記憶を眺めるように思い出す事しか出来ないんです。その時、どんな気持ちだったのか、どんな事を思ったのか・・・実感として思い出す事が出来なければ、意味がありません」
星原の、カップを持つ手に力がこもった。
微かに震えてさえいる。
「星原百合さんが、碧ちゃんを本当の友達だと思っていた事が、今の私には羨ましいんです。だから・・・」
自分が何を言っているのかわからなくなったのだろうか。星原は、視線を落として、紅茶の中に写る自分の顔を見ていた。
自分であって自分で無い姿。
ここに居る事は、本当は間違いだったのではないのか。
鏡で自分の姿を見る度に、星原が度々思う事だった。
あの一件が解決するまでは。
不意に、星原が持っていた紅茶の中の顔が揺れた。
「碧・・・ちゃん?」
自分の肩に頭を持たせかけている天羽に驚いて、目を見開く。
「親友同士なのに、碧ちゃんも無いでしょう・・・」
心の中だけの言葉が、口に漏れた様な小さな声。
それから、一言。もっともっと小さな声がした。
「ありがとう」と。
星原の中で、不意に「星原百合」が微笑んだ。
知っているだけの記憶。中身が無い空っぽの記憶。その器の中に、暖かい物が流れ込んでいくような感覚。星原百合の気持ちが、重なっていく。
それから、星原は考えた。
なんに対してのありがとうなのか。自分が天羽の親友で居たいと思った事へなのか。星原百合の気持ちを伝えたからなのか。
しかし、肩に感じる重さが、そんな疑問を消していく。
どうでもいい事だ。今、どうしているかさえ感じられれば。
お互いの感触が、そんな言葉の代わりだった。
「高校卒業しても、おばさんになっても、おばあさんになっても、百合とはいつまでも友達だからね。もう絶対に忘れたりしないからね」
「・・・・・」
今の星原にとって、この世界に来る事に、正直抵抗が無かった訳ではなかった。今までの自分を捨てなければならない事は、仕方ない事だと割りきっていても、微塵も辛くないという事はなかった。そればかりか、全てが終わった後に、全てを閉ざして生きるつもりでさえあったのだ。
自分の居ていい世界ではない。
今までそんな風に思っていた事が嘘のように、心地よさを感じていた。
「私、碧ちゃんや上岡さんに会えて・・・本当に良かった」
「ばかね・・・今更・・・」
しばらく、お互いがお互いを一点で感じていた。
何度風が二人の髪を揺らしただろう。
いきなり、天羽がぱっと頭を戻して、
「ね、百合。私にも紅茶ちょうだい。代わりにたこさんウインナーあげるから」
そう言って、ぱんと両手を合わせて苦笑した。
何事も無かったように。
星原にも、自然と苦笑が浮かぶ。
自分がそんな表情を浮かべる事は無いと思っていた表情だった。
「さっきから良い匂いしてたから、我慢できなくて。百合の紅茶、美味しいもんね」
「そうでもないですけど・・・」
苦笑が照れに変わる。
「それは自分で決める事じゃないわ。飲む人が決める事なの。だから、いいでしょ?」
「はい」
「はいじゃないでしょ」
天羽は、眉を寄せた。
「どうしてそんなに固いかな。同学年で友達同士の会話って感じじゃないでしょう? そう思わない?」
「それが普通なんですか?」
「普通も普通よ。いい? 私達、友達よ。しかも親友。これがどういう事かおわかりになられて?」
天羽は、悪戯っぽく笑う。
「わかった?」
「はい。それが普通なら」
「だから・・・はい。じゃなくて、うん。いい? お約束で。はいって答えるの無しよ」
「うん」
星原の即答に、
「ま、そんな所よね」
眉をハの字にしながらも、天羽は微笑んだ。
星原と初めて出会った頃の事を思い出しながら。
「はい。碧ちゃん、紅茶」
「・・・まあ、いいか」
星原の差し出したカップを受け取って、首を小さく傾げながら、頬を指で掻いた。
百合とは、まだまだこれからだ。
そう思いながら。

Fin

後書き

 Lの季節より。
天羽碧と星原百合のお話。
このゲームって、なんつーか、私は初めての事なんですが、主人公とかよりも、この二人になにかいい物を感じてしまって、ついついこんな物を・・・という具合になりました。
「駄目じゃん」という声が聞こえてきそうな出来具合ですが・・うう。

 まあ、なにはともあれ、この二人はそれぞれ気に入ってるのでまたなんか書きたいなーと。
上岡と天羽 上岡と星原。
この二種類の組み合わせでも、二人を動かすのは非常に面白そうなんで、やってみたくもありますね(^^)
相変わらずSSというのも憚られる程の物になるのは間違いないですが、宇宙並の広い心でやんわりと見守ってやってくださいませ〜〜。


作品情報

作者名 じんざ
タイトルLの季節
サブタイトル屋上に吹く風は、秋から冬へ。
タグLの季節, 星原百合, 天羽碧
感想投稿数45
感想投稿最終日時2019年04月09日 07時01分22秒

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  • [★★★★★★] 友情ストーリーってのも良いですよねぇ。すごく良かったと思います、ホントに。二人とも大好きなキャラだし・・・。
  • [★★★★★☆] この二人のことを考えるとついついメインシナリオに進んでしまうなぁ
  • [★★★★★☆] 他のLの季節の話も読んでみたいです。
  • [★★★★☆☆] 原作の雰囲気が出ていて面白いです。
  • [★★★★☆☆] 「Lの季節」のその後って感じが出てていいと思う。でも、最初のほうに百合が「あ・・・うん」と言っているのでそこの「うん」を「はい」にしたほうが言いと思う。以上!!
  • [★★★★★☆] ゲーム中のBGMが聞こえてくるようだった。(特に前半)
  • [★★★★☆☆] また書いてください
  • [★★★★★★] より一層このゲームの世界観が広がりました。
  • [★★★★★☆] 真の友情の姿を見た。続編に非常に期待してます。`  
  • [★★★★★★] 真の友情の姿を見た。続編に非常に期待してます。  
  • [★★★★★★]   
  • [★★★★★★] このゲームのシリアスな特徴を掴んでると思います。
  • [★★★★★★] オフィシャルのドラマCDより良かった!この調子で頑張って下さい。
  • [★★★★★☆] よかった
  • [★★★★★☆] うーん。作者さんがこの子達の事で補完したかったんだなぁと思いました。あとは、オリジナルな展開を一サジ欲しいとこです。がんばって!
  • [★★★★★★] とてもよい出来です、感涙です
  • [★★★★★★] ゲーム中の二人のキャラと世界観がすごくうまく出ていると思いました。
  • [★★★★☆☆] 是非次回作を見てみたい、って今更遅いか
  • [★★★★★★] ちゃんとキャラをとらえています。なので、天羽さんや星原さんの声が浮かんでくるようでした!
  • [★★★★★☆] 次回も星原百合のSSを待ってます。
  • [★★★★☆☆] 面白い
  • [★★★★★☆] 他の人物たちの話を見てみたいです。
  • [★★★★★★] SS本筋とは関係ないですが、お嬢と百合、どっちのエンド後の話なのかが気になります。