舞い落ちる枯れ葉。
黄色い絨毯。
どこまでも伸びる並木道。
あのずっと先には、冬の入り口があるんじゃないかと思えた。
一人で歩いていたならば・・・だ。
でも、今俺の横には、まだ夏が居た。いや、彼女が居れば、どこでも夏があるのかもしれなかった。
「ねえ、わたしと競争しようよ」
「競争?」
いきなりの光の提案に、俺は「競争」という単語がどいういう意味なのかを考えてしまった。
「競争ってなんの? 早食い競争?」
「なんでそこで早食いなの?」
「いや・・・競争って言ったら、それくらいしか思いつかないし」
「もう。違うよ。競争って言ったら、かけっこの事」
「かけっこ?」
かけっこって・・・・あのかけっこの事か?
「つまり、走るって事だよな?」
「そうそう」
「なんでまたいきなり」
俺がそう言いたくなるほどいきなりだった。ただ、いきなり走りたくなった気持ちもわからないでもない。まっすぐ伸びる並木道は、まるで滑走路だ。滑走路があれば飛んで行きたくなるのが、飛行機という物だろう。まったく光らしい。
「でもなあ」
「駄目?」
「いや、駄目ってこたないけど・・・」
「じゃあいいでしょ。決まりっ!」
「おいおい、勝手に決めるなよ。俺だって心の準備が・・・」
まっすぐに伸びる並木道が滑走路で無い証拠に、落ち葉で黄色い絨毯が敷かれているし、その雰囲気を味わう為に、カップルが二人より沿ってそこかしこで歩いている。そんな中をいきなり突っ走ろうなんて、誰が思うだろう。
光以外は・・・
「まあいいか」
お互い、鞄も何も持ってないしそれなりに軽装。走るのに不都合は無い。
それに、不思議な物だ。光と一緒なら、走ってもいいという気になる。
「それじゃ、ここからあの並木道の木が途切れた所までね」
「よし。オッケー」
俺は指で輪をつくって答えた。
もちろん、やるからには負けるつもりはない。
お互い、ほんの少し中腰になる。クラウチングスタートにするほど大げさな事じゃないのは、俺も光も同じって訳か。
ちらりと横を見た。
瞬間、少し驚いた。
まっすぐ前を見ている。本気の目で。
一瞬だけ光の目線の先をちらりと見てから、また光の横顔を盗み見た。
何かが見えているような目だ。
何を・・・光は何を・・・
「いい?」
眼差し同様に、真剣な光の声に俺は我に返った。
「あ、ああ」
「よーい・・・・」
それからの長いようで短い瞬間の後、光の声が、かっけこのスタートの合図の声が耳に入った瞬間、頭で反応するより、足が一歩前へ出ていた。合図を脚で聞けた成果だ。
スタートダッシュは完璧。
光よりも一歩速いのがわかる。
部でも、光はスタートダッシュ型なのは判っている。それよりも速ければ、勝機は十分。
大げさな事じゃないと言いながら、俺は出来る限り本気で走った。薄手の服装なのも幸いしている。
周りを歩いていたカップルが、目を丸くしている横を駆け抜けた。
男が速くて女が遅ければ、何事かと思われるだろうが、光は俺のすぐ後ろあたりを走っているに違いない。少なくともひったくり犯人に間違われちゃいないだろう。
あと少し。
次第に並木道の出口が広がってくる。
光がどのあたりに居るのかも考える余裕も無かった。
最後のスパートで、俺は並木道を抜け出した。
そのまま少し走ってから、ゆっくり止まって、大きく息を吸う。酸素を欲しがっていた身体が、何度も肩を大きく上下させた。
こんな格好で本気に近い走りなんてするもんじゃないな。
「光・・・」
俺は、すぐ後で、大きく息を弾ませている筈の光の方を向いた。
「・・・?」
光は居なかった。
もっと首を後ろ向けたが、そこにも居なかった。
え?
俺は身体ごと後ろを向くと、光は居た。
並木道を出る前の所に。ゴールではない場所に。
立ち止まっていた。
「光・・・・?」
表情が見えなかった。
まだ並木道の影の中に居るからか、それともうつむいていたからか・・・
「おい・・・」
勝てないと判っていても、勝負を捨てるような奴じゃないのは、俺が一番知っている。それなのに・・・
俺が近づこうとしたときに、光は背中を見せて、駆け出した。
な、なんだ?
「ちょっと、光!」
俺の声に止まる様子もない。
「待てよ。おい。どうしたんだよ」
小走りで光を追いかけた。
「なんだよ。ちょっと待てって」
答えずに光は走っていく。ただ、本気の走りじゃないから、すぐに追いつく事は出来たが、俺は光に止まって欲しかった。だから、間をゆっくりと詰めながら付かず離れずの距離を保った。
しかし、いつまで経っても、光に止まる様子は無い。それに、すれ違うカップルが光に向ける視線がおかしいのが気にかかった。走っていく光を少し目で追ってから、後から追いかける俺に視線を向ける。なにか光と俺を見る目つきが違う。
気になって、俺は光に追いつき追い越して、前に回った。
「おい、ひか・・・」
光の顔を見て、俺が言えたのはそこまでだった。
立ち塞がれて立ち止まった光は、俺から顔を慌ててそらす。
もう遅かった。俺の頭には、焼き付いてしまった。
光の赤く腫らした目と、涙の跡が。
「ど、どうしたんだよ・・・」
泣く理由を探す前に、俺はただ情けない事に、驚く事しか出来なかった。
なんで泣いているんだ。勝負に勝てなかったからか? そんなんで光は泣いたりしない。それとも、走ってる最中に俺が何かをしたのか。そんな暇も無いししたつもりもない。
「なんで泣いてるんだよ・・・」
「・・・・」
「黙ってたらわかんないだろ・・・」
泣き虫だったあの頃の光。でも、泣くにしても理由はあった。他愛も無い事でもだ。それでも、まったくわからないよりは全然良かった。
「俺か? 俺のせいか?」
すると、光は首を横に振る。
「じゃあ、なんで・・・腹でも痛いのか?」
答えは同じだった。
「なんでだよ。黙ってたらわかんないだろ」
「・・・・・」
言葉は無かった。
今俺の目の前に居るのは、いつもの光じゃなかった。小さい頃の光だ。何かあったらすぐに泣いてしまうあの光だ。
「ごめん・・・・」
光がこうなったら、俺のするべきことは一つだった。
「なんか知らないけど、やっぱり俺のせいなんだろ? だから・・ごめん」
「違う・・違うよ。…君は悪くないよ! 誤る事なんてないよっ」
光がはっとした顔で、俺を見てきた。また涙の跡が残る目と合う。
「悪いのは私・・・こんな事で泣いたりして・・・」
「だから、それは俺のせいなんだろ? 悪い。走ってる時なんかしちゃったか・・?」
「違うよ・・・」
俺から視線だけを逸らしてそう言った。間違いなく俺のせいか。
このまま何を聞いても、多分堂堂巡りなってしまうだろう。埒があかない。
「・・・ちょっと場所変えよう。な?」
「・・うん」
光が頷いたのを合図に、俺は促すように光の背中をポンと叩いた。
瞬間、思わずはっとなってすぐに手を離した。
慌てたのを気づかれないために、少し足を速めて、光のすぐ前に出ながら、背中を叩いた手を見た。
どうしてだろう。
なぜ、もし思いっきり叩いたら、壊れてしまいそうに感じるのだろう。
もう光は小さくない筈なのに・・・
しばらく考えてから出てきた答えは簡単な事だった。
中央公園の一番広い所にあるベンチからは、でっかい空が見える。俺がジュースを持って戻ってくる時に、光はその空を見上げていた。
「紅茶でいい?」
俺は、暖かい紅茶の缶を光に渡した。
「あ。うん。ありがとう」
そう言って受け取った光の目には、まだうっすらと涙の跡は残っていたが、表情からは、晴れ間が覗いている。
曇りや雨なんて、やっぱりらしくない。
「よっと・・」
光のすぐ隣に腰掛けて、缶コーヒーのプルトップを引き上げた。
「広い空って・・・いいよね」
「空なんてどこも一緒じゃないか?」
「そうじゃないよ。上を見上げると、空しか見えないっていうのがいいの。他の所だと、ビルとか電線とか、いろんなのが目に入るでしょ」
「うーん・・確かにね」
空を見るついでに、コーヒーを煽った。
光の言う通りの空は確かに見える。ただ、視界で一杯の空という訳にはいかなかった。
視界の隅に見えるのは光だった。
思えば、いつでもそれくらい近くに光は居た。あの時も。
「そういやさ、河原でも空は広かったじゃないか。良く見たよな」
「うん。そうだね。よく一緒に見てたよね」
上を見れば広がる空。走りまわるのに事欠かない広場。今でも広いと思う所だ。小さかった俺達には、とてつもなく広い場所だったもんだ。
光は、しばらく何も言わずに空を見ていた。
「でもね・・・もうあそこ・・行かないんだ」
不意に、光がそう言ったが、声が沈んでいた。らしくない声だった。泣き虫でも、沈んだ声だけは絶対に出さなかった筈なのに。
「なんで?」
「…君、あそこに一人で行った事ある? 一人で座って夕焼けとか見た事ある?」
震える声に、思わず横を向くと、目があった。
光はこっちを見ていた。俺が見るのをわかっていたように。
「もうイヤなの。二人で一緒に見てた所で、一人で見るのなんて。寂しいんだよ? だから、あそこで夕日見るの嫌なの。オレンジ色の空見てると泣いちゃうから。泣かないって決めたのに泣いちゃうから・・・」
もうほとんど消えていた筈の涙が、じわっと浮かんでくるのだけが見えた。
自分では、泣いてないつもりなんだろう。口元に笑顔をなんとか浮かべようとして、釣りあげようとしているんだろう。我慢すればするほど、涙が出てくるのも気づかずに。
「さっき・・追いつけないってわかったら怖くなって・・・足が止まっちゃったの。動け動けって言ってるのに、全然動かなくて。また行っちゃうって・・・・」
「お、おい・・」
「ずるいよ・・車で行っちゃうなんて・・・」
「車って・・・・」
なんの事だ。なんの・・・
口から出しかけた時、頭の中である光景が、いきなり浮かんだ。
引越しの日。
泣きながら車を追いかけてきた姿。
どんどん小さくなって消えていく姿を、俺はあの時ずっと見ていた。
どうしようも無かった。
光には言ってないが、俺も泣いていた。ここに残るんだと泣き喚いていた。光や華澄さんと別れるのは本当にイヤだった。
追いかけてくる姿は、今でも頭の隅に焼きついている。
「どうしていつもいつも先に行っちゃうの? もう行っちゃやだよう・・・」
今俺の前に居いるのは、あの頃と同じ、泣き虫光だった。
「・・・泣くなよ」
光を泣かしてしまった後に、必ず言ってた言葉だ。
「俺だって・・・泣いたんだ。光や華澄お姉ちゃんと離れるのイヤだって。車の中でずっと泣いてたんだ。あの時悲しかったの、光だけじゃないんだ・・・」
涙ってのは移るのか。俺は鼻を一つすすった。
「え・・・・」
「もう行かない。約束する。俺だってもう・・・」
そこから先は、言葉にならなかった。その代わりのとばっちりを受けたのは、コーヒーの空き缶だ。ペコっと小さくへこむ。
「ほんとに?」
「ほんとだ」
「ほんと・・・?」
「しつこいな。ほんとのほんとだ」
俺は、思いっきり息を吸って、しばらく胸に溜めてから、
「絶対に行かない。なんなら指きりしてもいい」
光に手を差し伸べて、小指を立てた。
「よくやったろ」
俺は笑ってみせた。
笑え。そんな顔は似合わないぞ。
照れくさくて言えないそんな言葉の代わりの笑顔だった。
「・・・うん」
光は、指で涙を乱暴にぬぐって、笑顔を見せてくれた。
笑顔で居れば、涙の跡だって綺麗に見える。そういう表情だから好きなんだ。
「やっぱりその方がいいよ・・光は」
「うん。うん」
涙のせいなのか、頬を赤らめながらの笑顔を見て、正直ずるいと思った。
俺一人か。こんな鼓動が高鳴らなくちゃいけないのは。
「じゃあ、指きりだ」
そう言うと、光が、そっと俺の指に小指を絡めてきた。
柔らかかった。
昔、こんな風に意識しなかったのが不思議なくらいに。
下手したら、俺の鼓動も筒抜けかもしれないな。ま、それでもいい。
「指きりげんまん。うそついたら針千本のーます・・・」
三度振ってから、
「指切った」
俺達の指は離れる筈だった。
離れなかった。
俺が指を伸ばさなかったせいだろうか。
いや・・・・
「あはは・・・やっぱり切れないや」
光が困ったように笑っていた。
なんで指を伸ばせないのか判らないとでも言う風に。
「やだな。なんでだろ。おかしいね。ごめんね。指切りしなきゃ、指切りにならないのにね」
「いいよ・・・・切らなくても」
「え?」
「嘘つくつもりなんてないからな。切らなくても別にいいよな」
「・・・…君」
「せっかくだから、しばらくこのまんまで・・・」
そこから先は言えなかった。
居ようと言うだけでいいのに。しかも、たった一言。小さい頃は何度も言えた筈なのに。
「うんっ」
光が俺の困惑を切ってくれた。
「切らなくていいよね。そうだよね」
「そうそう。そうだよな」
光は笑った。俺も笑い返した。
今こうしているのが、いや、ずっと前からこうしているのが当たり前だと思うくらい自然に。
七年も離れていたのは、昨日見た夢の中だったのだろうか。
「あのさ・・・せっかくだから・・・」
「ん?」
「あ、う、ううん。別に。やっぱいいや」
慌てて光は首を横に振った。
いつもの光の表情で。
雨よりも晴れ。光が晴れを好きな理由がわかったような気がした。
「なんだよ」
「んー・・・」
「ちぇっ。おかしなや・・・」
俺が言えたのはそこまでだった。
「へへ。いいよねっ。ついでだもんね」
小指の繋がりは切れていた。
変わりに———
「…君、以外に手、あったかいんだね」
こういう場合、なんて答えたらいいのか。
「・・・・」
「おっきいね。昔はほとんど同じだったのに」
「光のが小さいんだろ」
「あはは。そうかもね」
もう光の表情には雲は無かった。晴れが好きなのは、何も光だけじゃない。
「せっかくついでだ。このまま・・・ちょっと行ってみるか」
「行くって・・・どこへ?」
「河原。一人じゃ嫌なんだろ?」
「・・・・あ」
この次にあるだろう返事を見ないようにして、俺は顔をそむけた。
「うんっ」
見なくても判ってる。この声がどんな表情の時に出てくるかなんてのは。
俺達は歩き出した。
もう光が迷子になる事も、俺が離れる事も無い。
あの頃よりも、ずっと強く手を握りあっていられるならば。
後書き
今回光が泣く話を書きましたが、原作では泣かないようにしていたと言うんですよね。
とりあえず、一回くらいならむしろ泣いておいて、その意味を明確にしてみようかな?とか思っただけですが、失敗だったでしょうか(^^;
若干エンディングの要素を取り入れはしましたが・・・
作品情報
作者名 | じんざ |
---|---|
タイトル | ときめきメモリアル2 |
サブタイトル | 繋いだ、手 |
タグ | ときめきメモリアル2, 陽ノ下光, 麻生華澄 |
感想投稿数 | 139 |
感想投稿最終日時 | 2019年04月12日 13時15分43秒 |
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- [★★★★☆☆] 今度はもっと甘いやつが読みたいです
- [★★★★★★] 最高でした
- [★★★★☆☆] 過去ネタはありがちですけど、そこへの繋ぎかたが良かったと思います。
- [★★★★★★] 泣いちゃう光ちゃんってのもいーですね。
- [★★★★★☆] 光ちゃんはEDまで泣いちゃダメ。
- [★★★★★★] ゲ−ム本編もってないのにいいんだろうか?
- [★★★★★★] これからの二人に乾杯って感じです
- [★★★★★☆] ボクが泣きました。マヂです。
- [★★★★★☆] なかなか、ほのぼので良い作品だと思います。次回作を期待します。
- [★★★★★☆] 一話完結がいいです
- [★★★★★★] 幼年期のからめ方がナイス、導入がとても自然。
- [★★★★★★] 光が泣き虫という設定をうまく使っているのでよかったです。
- [★★★★★★] 女の目で見て、主人公がすごく魅力的だなぁと思いました(^^続編・・・というか新たな素敵な作品を期待しています。
- [★★★★☆☆] うううううううううん・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- [★★★★☆☆] いいねぇ
- [☆☆☆☆☆☆]
- [★★★★☆☆] せつなめでよかったです
- [★★★★★☆] 光が泣いてしまったのが少し残念です。
- [★☆☆☆☆☆] もうちょっと工夫したほうがいいと思います