ぬくもり… [アニメ だぁ！だぁ！だぁ！]

「うん……たぶん大丈夫かな？」

未夢(みゆ)は、ほ乳瓶を逆さにして自分の腕に作ったミルクを数滴かけた。何故、彼女がそのようなことをしているかというと、ミルクの温度を肌で確かめるためだ。
全てが未発達な赤ん坊に、熱いまま口にふくませてしまっては舌が火傷を負ってしまうかもしれない。かといって、冷ましすぎたら、今度はお腹を壊してしまう恐れがある。
だいたいの温度は人肌ぐらい。以前に買ってきた育児本の内容を思い出しながら、未夢はもう一度、自分の腕にミルクをかけた。

「よし、大丈夫。ミルクの出来上がりっと♪」

未夢は嬉しそうに笑みをこぼすと、それを持って居間のほうへと足を運んでいった。

未夢が居間まで辿り着くと、そこには何とも奇妙な光景が広がっていた。
おもちゃの車、何かのキャラクターのぬいぐるみ、積木といった玩具類が宙にふよふよと浮かんでいる。不可思議と思える光景だが、未夢はそれをさほど気にしてないらしく、いや全く気にも留めずに居間に上がりこんだ。

「ルゥくん、ミルクの時間ですよぉ〜」
「あっきゃあ」

居間の空間に浮いている物の中心に赤ん坊が居た。知らない者が見れば、腰を抜かすか、あるいは驚いて大声をはり上げるか、はたまた失神するかのいずれかだろう。
なぜなら、赤ん坊は床の上に座っているのではなく、宙を漂っている物と同じように浮かんでいたからだ。
ルゥと呼ばれた赤ん坊は手足をばたつかせ、宙を泳ぐように未夢の所へと近づいていく。未夢は両手を広げて、その子を自分の腕の中へと優しく抱き寄せた。

「まぁま、まぁま」

ルゥは腕の中で未夢の顔を見上げながら、満面に笑顔を浮かべた。それにつられて、未夢の表情にも笑顔が浮かんでくる。そんな彼女の表情に、ルゥは安心しきった顔を見せた。

「未夢さん。わざわざ、すみません。本当でしたら、私の仕事でしたのに」

未夢の目の前に浮いていたぬいぐるみが、突然、声を発した。犬とも猫とも、どちらにも取れない奇妙な風貌をしている。今、テレビで放映しているアニメのキャクラターと似ても似つかない。こちらのほうが野暮ったく見える。

「いいのよ。ワンニャーは、ルゥくんの相手をしてたんでしょ？ ワンニャーだけにまかせっきりってのもマズイと思うしね？
それに、一応ここじゃ私がルゥくんのママなんだし、ねえ、ルゥくん？」

奇妙なぬいぐるみ、ワンニャーに話しかけながら、未夢はルゥに向かってにっこりと微笑んだ。彼女の問いかけに、ルゥは元気良く答えた。

「そう言っていただけると、助かります」
「気にしないで、ワンニャー」

言いながら未夢は腰を下ろすと、ルゥの頭が左胸にくるように彼の身体を腕の中に納め、右手でほ乳瓶を口のほうへと持っていった。

「はい、ルゥくん。ミルクでちゅよ〜」
「あー、あっきゃあ」

ルゥは差し出されたほ乳瓶を口にくわえると、ものすごい勢いで吸っていく。
よっぽどお腹が空いていたのだろう、その様を見ながら未夢はくすっと笑みをごぼした。

「未夢さん。なんだか今日はいつもと違って、優しい感じがしますね？」

側で見ていたワンニャーが、思ったことをそのまま口にした。その言葉に未夢はこめかみをひくつかせながら、ワンニャーを睨みつけた。

「………なによっ、その『いつもと違って』っていうのは？」

彼女の言葉で、部屋の温度が一気に下がったような気がした。ワンニャーは、考えなく言ったことを激しく後悔した。あまりの冷気に、自分の身体が凍ってしまったのではないかと思うほど、ワンニャーは身動きが取れないでいた。
確か……地球の言葉で「蛇に睨まれた蛙」と言うんでしたっけ？ そんなことを思いながらワンニャーは、半ば現実逃避しかけていた。

「あーっぷぅ」

未夢の腕の中でミルクを飲んでいたルゥが、声を上げた。ほ乳瓶を見てみると、中はすでに空になっていた。

「ルゥくん、もう飲んじゃったの？ すごいねぇ〜」

未夢は険しい表情を解くと、持っていたハンカチでルゥの口元を拭いながら笑いかけた。ルゥはくすぐったそうに、その行為を受け入れている。
しばらくボーっとしていたワンニャーは、はっと我に帰る。

「あ、未夢さん。ルゥ様にげっぷをさせないといけないので、あとは私が……」
「大丈夫よ、ワンニャー。げっぷのさせ方くらい、私にだってわかるわ」

ワンニャーの言葉を、未夢が遮る。彼女はにっこりと微笑んではいるが、目が笑っていない。先程、自分が言った言葉に、まだ怒っているようだ。

「じゃ、じゃあ、未夢さんに、お、おまかせ…しましょうかね……あは、あはは」

ワンニャーの額から一筋の冷汗が流れ落ちる。ここで逆らおうものなら、ここは地獄絵図になるかもしれない。彼は、未夢のやる事を黙って見守ることにした。

「ええっと。確か、こうやって……」

未夢は育児本にあったイラストを頭の中に思い浮かべながら、ルゥを抱きかかえる。
左肩に先程使ったハンカチを乗せておき、ルゥの顎が乗るようにした。そして、彼の背中をドン、ドンと叩いていった。
多少、赤ん坊には酷なことかもしれない。しかし、お腹の中にたまった空気を出してやらないと、あとあと問題になってくる。未夢は、ルゥのために背中を叩き続けた。
ワンニャーは側で未夢をずっと見ていた。初めてやる行為にしては、なかなか道に収まっている。

「げぷっ」

しばらくして、背中を叩かれていたルゥの口から、げっぷがこぼれた。

「未夢さん。育児が初めてとは、とても思えないです。さすがですね！」

言いながらワンニャーは、未夢に拍手を送った。彼の言葉に未夢は照れた表情を見せ始める。

「えっ？ そ、そうかな？」
「そうですよ。普通、なかなかここまではできないですよ。未夢さん、すごいです！」
「あ、ありがとう……ワンニャー」

未夢は頬を掻きながら、顔を赤らめていった。彼女は眉まで顰めて、怒っていたはずなのだが、もう忘れているようだ。
未夢とワンニャーが和気合い合いと話し込んでいる時、ルゥはここにあと一人居ないことに気がつく。

「ぱぁぱ……ぱぁぱは？」

ルゥは寂しそうな表情で、未夢の顔を見上げた。彼女の服を、小さな手がぎゅっと握りしめる。

「ぱぁぱ？ ああ、彷徨(かなた)のことね？」

未夢は自分の正面にくるように抱くと、ルゥの額に自分の額を当てて優しく微笑む。

「パパはねぇ、今お買い物に行っているんだよ？ もう少しで帰ってくると思うから、
ママとおとなしく待ってようねぇ？」
「あー、うー」

だがルゥは、不満そうな顔を見せる。そんな彼の態度に未夢は小さく苦笑する。
未夢はちょっとの間、天井を仰ぎ見ると、再びルゥと視線を合わせた。

「ん〜、じゃあ、そうね。ルゥくん、今からママと一緒にパパを迎えに行く？」

にっこりと微笑んで未夢。

「あっきゃあ」

その言葉にルゥは両手を広げて喜んだ。

「ねえ、ワンニャー。ルゥくんと一緒に彷徨を迎えに行ってきてもいい？」

未夢はワンニャーのほうに振り返った。見ると、ルゥがワンニャーのことを、上目遣いで見つめている。
ワンニャーは満面に笑顔を浮かべると、未夢の問いに二つ返事で返した。

「それじゃあ、行ってきまーす」
「あうあー」

未夢の腕の中で、ルゥがワンニャーに向かって手を振った。

「はーい、いってらしゃーい。気をつけてくださいねー」

二人はワンニャーの言葉にもう一度、手を振った。

春の柔らかな日差しを浴びながら、未夢とルゥは商店街へと続く道を歩いていく。

「ルゥくん、良い天気だよ、ほら」
「あいっ」
「ねえ、ルゥくん。彷徨を捕まえたら、帰りにちょっと公園にでも寄って行こうか？」
「あっきゃあ」
「じゃあ、決まりね」

突然、公園に行くと言い出したら、彷徨は嫌な顔をするかな？ と思いながら、笑みをこぼす未夢。でも、口では嫌と言いながらも彷徨は一緒に来てくれるだろう。
ぽかぽかとした陽気と、吹く風の心地よさ。そして、いま腕の中にある温もり。
迎えに行く彷徨にも、それらを感じて欲しいと未夢は心の底から思った。