どこにでもあるような、ある秋の一日———その日、俺はいつものように通い慣れた本屋の中に入っていった。
「いらっしゃいませぇ。あ、お兄ちゃん!」
「よう、加奈。元気にやってるみたいだな」
「もう…先週来たばかりじゃない」
「はは、それもそうだな」
「でも嬉しい。ありがとう」
そう言ってカウンターで満面の笑みを浮かべているのは、俺の妹藤堂加奈。二年半前、遅ればせながら高校を卒業した彼女がこの小さな本屋に就職して以来、休みの度に欠かさずここを訪れるのが俺、藤堂隆道の習慣になっている。ま、要は心配で毎週様子を見に来てる訳なんだなこれが。
ちなみに、加奈は生まれつき腎臓が悪く、何度も「その時」の宣告を医者にされていたのだが(もちろん本人は知らないが、薄々は気づいてはいたらしい)、いよいよ後がなくなった時に俺の腎臓を移植することで一命を取り留め、今ではすっかり普通の生活を送れるようになっていたのだ。だから余計心配なんだけど、俺の心配なんか吹き飛ばすくらい、加奈はいつも元気いっぱいに頑張っていた。
「どうだ、調子の方は」
「うん、今日もいい調子。今は空いてる時間帯だけど、夕方とかになるとお客さん、結構来るんだ。そろそろテスト期間なのかな、学生さんもよく参考書買いにくるし」
「そっか。そりゃ何よりだ」
「あ、ちょっと待って。おばあちゃ〜ん、わたし、ちょっと休憩もらってもいい?」
「ああ、いいっていいって」
奥にいるはずの、この本屋のオーナー(…はちと大袈裟だけど)の奥さんに声を掛ける加奈を遮る。すると加奈は、予想通り意外そうな顔で振り返った。
「え、でも…」
「今日は、用が済んだらすぐ帰るつもりだからさ」
「帰っちゃう…の……?」
…そしてこれまた予想通り、捨てられた子犬のような哀しそうな顔で俺を見つめてくる。
「う……そんな顔されると、弱いんだよなぁ〜………」
「……………(じーっ)」
「あぅ〜。そりゃ俺だって加奈といたいけど〜、仕事の邪魔する訳にはいかないだろ?」
「……………(こくん)」
それでも納得したくない、といった内心を100%顔に出し、しぶしぶ頷く加奈。うう…あんた怖すぎ………。
「それに、今日はちゃんと用があって来たんだからな」
「?」
「あのな……」
柄にもなく緊張してくる。そんな大した話じゃないはずなんだけど、心臓がどんどん速く鳴り始めるのが自分でも分かった。
が、ここで睨めっこしてても加奈の仕事の邪魔になるだけだ。俺は一度大きく深呼吸して覚悟を決めた。
「…今度の休み、ヒマか?」
「お休みの日? うん…特に予定は入ってないけど……」
「じゃあさ、山、いかないか? 紅葉狩り。今がちょうど旬らしいぜ」
「えっ…!?」
加奈は、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をする。と言うのも、加奈が家を出て以来、二人でどこかに出かけたことはなかったからだ。
「その………やっぱダメ…か……?」
「………(ふるふるふる)」
「じゃあ…」
「………(こくこくこく)行く! ゼッタイ行く!」
まだ信じられないといった顔で大きく首を振る加奈。何か随分興奮してるみたいだけど、そんなに行きたかったのか…。だったらもっと早くに誘ってやればよかったな。
「よしっ、決まりだ。じゃあ駅前に10時でいいか?」
「え? 駅なら、わたしが家に寄った方が……」
「それじゃデートにならないだろ」
「で、デー…ト……?」
「デート」という言葉を聞いた途端、加奈は顔中真っ赤にしてぽ〜っとなってしまった。こう言っちゃ不謹慎だけど、頭から湯気が出そうといった比喩がまさにぴったりだ。だから、わざとイジワルな質問をしてみた。
「嫌か?」
「(ふるふるふるふる)」
「じゃあ、OKだな」
「(こくこくこくこく)」
「ん。今日の用件はそれだけだ。じゃ、楽しみにしてるぞ(なでなで)」
頭を撫でてやると、少し落ち着いたのか我に返って俺を見つめる。
「あ、うん…」
「仕事、頑張れよ」
「は、はーい………」
それを見届けると、俺はまだここにいたいという未練を断ち切るように足早に店を後にした。
ところで、いくら仲が良くても兄妹でデートなんて、と世間からは言われそうだが、実を言うと俺と加奈の間に血のつながりはない。昔、うちの両親の友人だった人が亡くなる際、一人娘だった加奈を引き取ったということだ。
結局その事実を知らないまま俺達は惹かれ合い、その事実を知ったことでやっと素直になり、そして今に至る訳だが、いずれにせよあまり世間体のいい話ではない。むしろ、下世話な好奇心を満たす餌でしかないだろう。加奈が高校を卒業した時家を出ると言い出した背景には、そんな心ない噂に負けない強さが欲しかったから、というのもあるんだろう。
…まぁ、何だかんだと毎週顔見に行ってる俺の方が、本当はもっと強くならなきゃいけないんだけどさ………。
とまぁこれで分かるとおり、俺と加奈は「兄妹」としてだけでなく「異性として」も好きあっている。親にバレたら勘当モノの秘密…のはずなのだが、両親は俺達のことにしっかり気づいていて、しかも困った顔を見せながらもちゃんと認めてくれていたのだ。それを知った時には、ああ、この人達は間違いなく俺の親なんだな、この人達は、二人のことをちゃんと見ていたんだ、と嬉しく思い、同時に器の違いを痛感したものだった……。
ちなみに、認めてくれたのは嬉しいんだけど、その後が問題なんだよなぁ〜……。実を言うと今度のデートの本当の目的は、加奈を一日店から引き離すことにあるのだ。その間にうちの両親やじいさん達(つまり、ここのオーナー夫妻のことだ)がいろいろと仕込みをするって算段らしい。しかし、あの両親があんなにノリのいい性格してるとは思わなかったぞ………。
わざとらしく謎の伏線を残しつつ、俺は残りの用を片づけるべく歩を進めた。
〜一方その頃〜
「加奈ちゃん」
「デート……お兄ちゃんと………」
「加奈ちゃんってば、かーなーちゃん!」
「ひゃぅっ! あ、あれ? お、おばあちゃん…」
「大丈夫ですか? ぼーっとしてたみたいですけど」
「あ、平気です。何でもないです」
「でも、顔も随分赤いし、熱でもあるのではないのですか?」
「(ふるふるふるふるふる)な、ないですないですっ。全然、平気ですっ」
「そうですか。ですが、無理をしては駄目ですよ。何と言っても、加奈ちゃんはうちでお預かりしてる大事な娘さんなんですからね」
「娘…?」
「ええ。あたし達には子供がいませんから。本当の娘ができたみたいだってあの人も喜んでますよ。もちろん、あたしもね」
「そ、そんな……(ぽっ)」
「だから、無理だけはしないでくださいね。
もっとも、だからと言ってそうそう楽もできないんですけどね、申し訳ないことに」
「いえ! そんなことありません。わたし、平気ですから」
「いいんですよ。あ、そうそう。今度、新しく男の人を雇うことにしましたから、これからはもう少し楽になりますよ」
「え? 男の…人……?」
「力仕事は、やっぱり若い男の人の方が向いてますからね。それに、男の人がいた方がお店としても何かと安心ですし」
「そ、そう…ですか………」
「どうしました? 顔色、あまりよくないみたいですけど」
「な、何でも…ありません……」
「心配いりませんよ。新しく雇ったからって、加奈ちゃんをクビにしたりはしませんから」
「い、いえ、そうじゃなくて……」
「ああ、うまくやっていけるかどうか、心配なんですね」
「………(こくん)」
「大丈夫ですよ。加奈ちゃんならすぐ仲良くできますから」
「で、でも……わたしには、お兄ちゃんが………あ、何でもありません…」
「ふふ…」
「ふぇ? な、何ですか?」
「あ、いいえ。何でもありませんよ。すぐに分かることですから」
「?」
「おしゃべりはここまで。さ、お客様がいないうちに、棚の整理しましょうね」
「あ、はい…」
「……加奈ちゃん?」
「お兄ちゃん………」
「あらあら、困った娘ねぇ。ふふ…」
さて、デート当日。
悪の顔で俺を見送るご両親様(今日の作戦に、朝から妙に張り切ってた)の見送りを受けて、俺は駅前へと向かった。
「9時半か……。ちょっと早すぎたかな…って、あれ?」
待ち合わせ場所の駅前には、可愛らしい白のワンピースに麦わら帽を被った加奈が既に待っていた。それも何やら困った様子で。
………ん? 加奈しか見てなかったから気づかなかったけど、側に妙にへらへらした男がいるな。そいつにナンパされて困ってる…ってとこか。
「おーい、加奈〜。お待たせ〜」
ちょっと大きめの声で呼びかけると、加奈は途端に嬉しそうな顔で俺の方に駆け寄ってきた。まぁ、俺ももう学生じゃないからな。たとえ加奈にすり寄るナンパ男であっても、後ろから葉呀龍ぶちかます訳にもいかないだろう。昔みたいに。
ぱたぱたぱた…ぽふっ。
舌打ちして別の獲物を捜すナンパ男などもう頭の片隅にもないらしく、加奈は子犬のように駆け寄るとそのまま俺の胸に飛び込んできた。うんうん、可愛いヤツめ。
「おはよ、お兄ちゃん」
「おはよ…って、いつからいたんだ?」
「えっと、9時頃…かな」
「おいおい、それじゃ1時間も早いぞ」
「お兄ちゃんこそ。まだ30分もあるよ」
「俺は、加奈を待たせる訳にはいかないと思って…」
「わたしは、こういうの憧れだったんだ。デートの待ち合わせで、ドキドキしながらお兄ちゃんを待つの」
「そりゃ嬉しいが……普通こういう場合、待つのは俺じゃなくて彼氏じゃないのか?」
恥ずかしさのあまり、つい心にもないことを口走ってしまう。彼氏なんかできた日にゃあ、きっとそいつにデュエルを挑んでいるだろうに…。
「お兄ちゃん以外の男の人、嫌いだもん……」
「あ、あはは……。そ、そういやさっきもナンパされてたみたいだったな。どうだ? 感想は」
「……怖かった」
「だろ? だから、女の子があんまり待ってるってのも考えものなんだぞ」
「でも……」
俺に怒られたと思ったのか、俺の胸で小さく震える加奈。まったく、子犬みたいなヤツだな……。苦笑しながら頭を撫でてやる。
「それにしても、二人してこんなに早く来るんじゃ、待ち合わせの意味がないよな〜」
「うん………でも、その分いっぱい一緒にいられるから……」
「それもそっか。じゃあ、行くか」
「…うんっ!」
ようやく笑顔になって見上げる加奈の手を引き、俺達は予定より早くホームへと向かうことにした。
電車が動き始めて30分。目指す山まではまだしばらくかかる。
最初のうちは流れる景色を物珍しげに眺めていた加奈も、さすがに飽きたのか首が舟を漕ぎ始めていた。
「ふぁ…〜あ…あふ…」
「どうした加奈。眠いのか?」
「うん…ちょっと……」
「だったら今のうちに寝とけ。今日は体力使うからな」
「うん…。もうちょっと、お話したら……」
「そっか。仕事、頑張ってるんだな」
「頑張ってるよー……」
ふわふわしながらも答える加奈。まったく、昔の加奈からは想像できないくらいタフになったものだと、お世辞抜きに思う。
「随分忙しそうだな。そんなに疲れてるのか?」
「もう目が回りそうよ〜。本屋さんって、意外と力仕事多いのよ」
「聞いてるよ。いつもカウンターでぼけ〜っとしてる姿からは想像もつかないけどな」
「んもぉ、お兄ちゃんのイジワル〜!」
むくれた口調で俺の胸を叩く。が、本心から怒っている訳じゃないことは、目をみればすぐに分かった。
「あははは。ま、重労働の辛さは、俺も引っ越し屋のバイトしてたから分かってるつもりだけどな」
「ホントよ。最初の頃なんか筋肉痛で夜、眠れなかったんだから。
わたしがやるはずの分、おじいちゃんが半分以上手伝ってくれてもこうだったから、ホントにやっていけるかってすっごく不安だったな」
「分かる分かる。俺もバイト始めた頃、自分の甘さを思い知らされたよ。でも、一週間もすると慣れるんだよな〜、怖いことに」
「やっぱりすごいね、お兄ちゃんって。わたし、筋肉痛はともかく、重たい物はまだダメなの。いつもおじいちゃんにやってもらってるんだ」
「まぁ、加奈は入院生活長かったからな。リハビリ代わりにはちょうどいいだろ」
「そうね。どう? 力こぶついてきたでしょ」
ガッツポーズを作り、ぐっと力を込め……多分込めてると思う加奈。
「お〜…って、ほとんど変わったようには見えないが」
「ぶー。やっぱりお兄ちゃん、イジワルよ」
「あはは。元気そうな加奈を見てると、安心してつい、な」
「んもぉ〜…。あ、でも、これからはもう少し楽になるの」
「ほぉ〜。そりゃまたどうして」
「今度、新しく男の人雇うことにしたんだって。力仕事はその人に任せることになるみたい」
加奈は、俺の顔を観察するかのように覗き込む。どうやら俺の反応を知りたがっているようだ。
……けどな、加奈…その話、俺もう知ってるんだよ……。だから、本当なら狼狽しまくってるだろうこんな告白を聞いても、平然としていられた。そして、俺にやきもちを焼かせたいであろう加奈の思惑を見抜いた俺は、わざと素っ気ない態度で返す。
「…ふぅ…ん」
「心配?」
「…別に」
「心配…して、くれないの……?(じわ…)」
「…それは脅迫とゆーものだぞ、加奈」
「だって……」
「俺は加奈を信じてるからな。ま、理由はもう一つあるんだが……」
ぽりぽりと頬を掻きながらフォローを入れる。しかし、何が悲しゅうてこんな恥ずかしいセリフを言わなきゃならんのやら……。
「理由?」
「今は内緒だ。それより新しい人来るの、楽しみか?」
「………正直、ちょっと怖いかも。でも、もう大人なんだから、そんなわがまま言ってられないよね」
ちょっと寂しい顔で俯いた後、今度は強い意志を秘めた瞳で顔を上げる。その顔は、学校からも俺の元からも卒業していったあの日の加奈と同じ輝きを持っていた。
「…強くなったな、加奈。東方不敗は王者の風よ。見よ! 東方は赤く萌えている!」
「…確かに、紅葉してるから赤く萌えてるけど……どういう意味なんだろ……」
「ドモンよ…夕陽が美しいのう…」
「うう……お兄ちゃん…(うるうる…)」
「わぁ〜っ! 泣くなウソだ冗談だ〜」
しまった。加奈に夕美のようなツッコミを期待しちゃいけなかったんだ。つい、あいつ相手のノリでやってしまった……。いや、やってるんだよこれが。
「ぐすっ……ホン…と……?」
「ホントだって! これは言わば、この作者のSSの運命だから…」
「?」
「どんなにシリアスでもラブコメでも、小ネタを挟まなければ気が済まないという運命だと思って諦めてくれ。それでもまだこれはマシな方なんだから…」
「そうなの?」
「ああ…。どこぞの宴会だの幼なじみだのは、それはもう酷い有様らしい……。傭兵SSに至っては、存在自体がネタだそうだしな」
「怖いんだね…」
「怖いんだよ…」
二人揃って大きなため息をつく。
「ま、そんなことはどうでもいい。それより、新入りのことで加奈が心配することはないぞ、うん」
「? お兄ちゃん、新しく来る人のこと知ってるの?」
「一応、な」
「ホント? どんな人? 優しい人?」
「う〜ん…どうだろう? 難しい質問だな」
「じゃあ、お兄ちゃんから見てどんな人?」
加奈は興味津々な様子で聞いてくる。加奈にしては珍しく他人に興味を持っていることが、兄として嬉しいような、けど何だか寂しいような気がするのは、俺のわがままなんだろうな、きっと。
「そうだな…。カッコよくて優しくて頼りになるナイスガイ…ってとこかな」
「うふふふ…すごい人なんだね。まるでお兄ちゃんみたい」
「ふぇ?」
「あ、その…あの………」
自分の言葉の意味にやっと気づいたらしく、真っ赤になって俯く加奈。
「あ、あはは………恥ずかしいセリフ、さらっと言うなよなぁ〜」
「ご、ごめんなさい……」
「いや、謝る必要はないんだけどな」
「ごめんなさい…」
「だから〜」
「ご、ごめんな……はぅ〜」
堂々巡りに陥り、泣きそうな顔で俺を見つめる加奈。まったく、自分のしっぽを追いかけ回す子犬みたいなヤツだ。
「あ〜よしよし。その辺にしとけ」
「うう…わたし、やっぱりまだまだダメね……」
「仕方ないさ。俺も、加奈の前だとクールマン藤堂でいられないしな。すーぐシスコン兄貴に戻っちまう」
「くすっ。わたしも、一生ブラコン治らないみたい」
「まったく、どーしよーもない兄妹だな、俺達は」
自嘲気味に苦笑する。結局、表向きはどうあれ俺達は根っこの部分では何も成長していなかったし、する気もなかったんだろう。何しろ、俺と加奈は「一心同体」なのだから。いつでも、一緒なのだから…。
「いいもん。どーしよーもなくても」
「…おまえ、強くなりたいんじゃなかったのか?」
「それはそれ。わたし、お兄ちゃんのこと好きだから、また、一緒にいたいから強くなりたいって思ったのよ?」
「うーむ…確かに強くなってるよなぁ〜。そんな恥ずかしいセリフを素面で言えるとは……」
「んもぉ! そうやってすぐ茶化すんだからぁ〜。バカァ…」
俺の軽口にまた拗ねる加奈。それがまた可笑しくて可愛らしくて、ついつい声を上げて笑ってしまう。
「あっははは、ゴメンゴメン。おまえの拗ねた顔って珍しいからな。ついいぢめちゃうんだよ」
「お兄ちゃんったらぁ〜。あんまりそんなことばっかりしてると、キライになっちゃうよ?」
「ぐはぁっ……それは辛すぎる………」
「うふふ。う・そ☆ お兄ちゃんを嫌いになんてなれるはずないよ」
「俺も、加奈を嫌いになんてなれないよ」
「ありがと、お兄ちゃん(ちゅっ)」
「おう! ………って、あ゛………」
「? どうしたの? お兄ちゃ……」
ほっぺたにキスされた時にちょうど周りが目に入る。そして二人揃って凍った。
じ〜〜〜〜っ。
「………(ふるふるふるふる)」
「あ、あははは……ど、ど〜も、しつれーしました〜…」
うう…視線が痛い……。おじちゃんのしかめっ面やおばちゃん達のひそひそ声がすべてを物語っているように、俺達のいちゃつきぶりはどうやら周りの乗客に一部始終見られていたようだった。
「あぅあぅあぅあぅあぅ〜……は、恥ずかしいよぉ〜………」
「こ、こういうときは、寝ちまうに限る! お休み、加奈」
「あ、お兄ちゃんずるいよ〜。わ、わたしも寝る〜」
そして俺達は、一番現実的な対抗手段である「寝たふり」をするのだった。………ただし、加奈が添い寝する形になっていたため、まったく効果はなかったのは誤算だったが………。
あれから数時間———。降りるまでず〜っと乗客の視線に晒されていた俺達は、とある小さな駅でようやく解放された。ここは開発の手があまり進んでおらず、交通の便が悪い分、紅葉狩りには絶好の穴場なのだ。
ちなみに、開発の手を逃れた理由として、子供が蜂に襲われたニュースのせいで観光客が避けるようになったことが挙げられるのだが、その子供ってのが俺だから世の中は狭いものだ。
そんな人のいない山道を、俺達は休憩を挟みながら頂上目指して登っていった。加奈がダウンしないかどうか不安だったのだが、意外にも一度も根を上げることはなく(かえって俺が根を上げてたくらいだ。情けない…)、ついに頂上へと到達したのだった。
「うわぁ〜、綺麗………」
「まさに絶景ってヤツだなぁ〜」
「夢、見てるみたい…」
ぽーっとした顔でうっとりと景色に魅入ってる加奈。その加奈の目の前には、一面真っ赤に染まった山の斜面がパノラマになって広がっている。正直、この年で紅葉なんて見ても…と思っていた俺もこれには度肝を抜かれた。
「迫力だよな〜。喩えでも何でもなく、ホントに一面全部真っ赤だぞ」
「うん…。写真とかテレビでしか見たことなかったけど、こんなに凄いなんて………」
「そっか。そういや加奈、夏の山しか本物は知らないんだよな」
こくん。
頷く。
「これも凄いけど、冬の山ってのも凄いんだぞ。一面全部真っ白で」
「ふぅん。見たかったなぁ〜……」
「バカ。見に来ればいいじゃないか」
「あ、そっか。わたしもう、行けるんだっけ」
今気づいた、といった顔ではっとする加奈。人生の大半を病院で過ごさざるをえなかった加奈にとって、「今度」ということに消極的なのはなかなか治らない壁のようだ。
「人生の楽しみはまだまだいくらでもあるんだからな。やりたいことはやっておかないと、すぐにおばあちゃんだぞ」
「うー…お兄ちゃんのイジワル〜」
「あははは。ま、一人で行くのが怖かったらいつでも言ってこいよな。付き合ってやるから」
軽く肩を叩く。が、加奈はまた表情を暗くして俯いた。
「…ちがうもん」
「は?」
「一人が怖いんじゃないもん……二人で行きたいんだもん…お兄ちゃんと………」
「加奈……」
「ホントは、寂しいんだもん……。強くなんて、なりたくないんだもん………」
肩に乗せた手から、加奈が震えているのが分かる。同年代の友達もほとんどいない加奈にとって、俺から離れていた日々がどれ程の孤独感とプレッシャーを与えていたか、手を通して伝わってくるようだった。
「そっか……。実は俺もだ」
「…お兄ちゃんも?」
「ああ。俺も、加奈がいないとダメみたいだ。父さん達に言われちまったよ」
「あはっ……。わたし達、同じなんだ」
「まったく、ダメ兄妹だよなぁ〜。おかげで夕美にはひどいことしちまったし」
かつての恋人の泣き顔を思い出し、少しだけ胸が痛む。彼女とは一時期、付き合っていたことがあったが、結局俺は加奈と天秤にかけて加奈を選んでしまったのだ。
「………ごめんなさい…」
「加奈が謝ることじゃないさ。全部俺が悪いんだから」
「でも……わたしがいなければ、お兄ちゃんと夕美さんが、別れることもなかったんだし…」
「そんなの加奈が気にすることじゃないだろ? それに、多分どっちにしろダメだったろうな」
「どうして?」
「……正直言うと、俺はあいつに、おまえの影をだぶらせてたんだ」
「えっ…? わたし…の……?」
「ああ。そんな不誠実な気持ちで付き合ってたって、いつかはボロが出てただろうな。
振ったとき随分傷つけちまったけど、今はあのままずるずる引きずらなくてよかったと思ってる。もちろん、それで許してもらおうとは思わないけどな」
「…ゴメンね……」
「加奈は悪くないさ。悪いのは、流されてた俺なんだからな」
「でも……」
こういう気遣いができることは、加奈の長所でもあり短所でもある。特にこの問題は100%俺に原因があるのだし、そんなことまでいちいち気に病んでいたら世の中やっていけないだろう。
そう思った俺は、話題を変えることにした。
「もう止めようぜ。せっかくの休みに、わざわざ落ち込むこともないだろ」
「………うん。分かった」
「よし。じゃあ、山に来た時には必ずしなければならない儀式をするぞ」
「え? そんなものがあるの?」
「あるんだよ。俺達四天王の間じゃ、血の掟とされてたくらい重要なイベントだからな」
「わたし、知らなかった……」
「うむ。これは一般でも軽視されがちだから、加奈が知らないのも無理はない」
加奈は感心した顔で俺を見上げる。本当はそんな大袈裟なものでもないんだが、どうやら素直に信じてくれたらしい。うう…ええ娘や………。
「それで、何をすればいいの?」
「儀式自体は簡単さ。俺と同じ事をすればいい。準備はいいか?」
こくん。
真剣な表情で頷いたのを確認すると、眼下に広がる山々の方に向き直る。加奈も俺に倣う。
「ではいくぞ。大きく息を吸って〜」
すぅ〜…っ。
「吐いて〜」
はぁ〜…。
「吸って〜」
すぅ〜…っ。
「吐いて〜」
はぁ〜…。
「重心を低くして下っ腹に気を込めて〜」
ずずい……。
「そのまま息を大きく吸って〜」
すぅ〜…っ。
「止めて〜」
ぴたっ。
「やぁぁぁぁぁっ……ほぉおぉおぉおぉおぉおぉおぉ〜っ!」
「きゃっ!?」
「こら。せっかく溜めた気合いが逃げじゃったじゃないか」
「だ、だって……」
突然の大声に驚いてか、しゃがみ込んで耳を押さえる加奈。が、ここで耳を塞がれると意味がなくなってしまう。俺は、加奈の手を耳から離して声を掛けた。
「ほれ、耳澄ましてみろ」
「?」
っほぉおぉおぉおぉほぉおぉおぉほぉおぉほぉ…
「これ……ひょっとして、山びこ…?」
「その通り。どうだ、面白いだろ」
「凄い……。こんなにはっきり聞こえてくるんだ………」
「今はごくオーソドックスに"やっほ〜"だったけど、俺達の間じゃもう無茶苦茶なこと叫んでたんだぜ」
ちなみに血の掟では、この山びこが一番小さかったヤツは、他の三人に恥ずかしい秘密を大声で叫ばれてしまうのだ。山びこで返ってくるそれを聞くのは、まさにこの世の地獄だったと伝えられている……(民明書房刊『神々の住まいし山への祈り』より)
「た、例えば…?」
「例えば、智樹は先生の悪口が多かったな。で、育郎は野球とかサッカーのネタ、でもって雅俊は100%下ネタだった」
「ふぅん…。お兄ちゃんは?」
「俺か? 俺は……」
無邪気に聞いてくる加奈の問いに、そのまま固まってしまう。しかし、できるならあまり知られたくないんだけどなぁ〜………。
という訳で、一応、無駄な抵抗を試みる。
「…言うの?」
こくん。
「……聞きたいの?」
こくこく。
「………言わなくちゃダメ?」
こくこくこく。
「…………どうしても?」
じわ……。
「わぁあぁあぁ〜っ! 分かった、言う! 言うから泣くな〜っ」
やっぱり無駄だった。
じーっ………。
「う〜…。その……」
じ〜っ………。
「…小四まではその……おまえの悪口で、それから後は夕美の悪口………」
「えっ………?」
途端に泣きそうな顔になる加奈。ほらな…こういう反応が返ってくるのが分かっていたから………。
「だから言いたくなかったんだよ……。ほら、子供の頃、俺おまえのこといじめてたろ?」
「………(こくん)」
「あの頃は、おまえのことがどうしようもなく嫌いだったからなぁ……。夕美の件は、前に話したろ? ラブレター事件」
「(こくん)」
「とまぁ、あんま男らしくないこと叫んでた訳だ。四天王には『クールマン藤堂の意外な素顔』ってよくからかわれたもんだ」
自嘲気味に苦笑して加奈から視線を逸らす。子供の頃のこととは言え、もし今の俺が過去にタイムスリップできるのなら、この情けないガキを思いっきりぶん殴ってしまうかも知れない。
「ごめんね……」
「だから、謝ることなんて何もないんだって。単に親に構ってもらえなくて拗ねてただけなんだからな。それより、今度は加奈の番だぞ」
「え? わ、わたし…?」
指名されたことが余程意外だったのか、辺りをきょろきょろ見回してから恐る恐る自分を指差す。
「他に誰がいる」
「で、でもわたし、大きな声なんて出したことないし……」
「だからやるんだよ。気持ちいいぞ〜」
「…ホント?」
「ああ。腹の底から大声出すと、すっげーすっきりするんだぜ。試しにやってみろよ」
「じゃ、じゃあ………やってみる…」
両拳をぐっと握り、もう一度大きく息を吸い込む。
「や、やぁ〜っほぉ〜っ」
…やぁ〜っほぉ〜…。
耳を澄ますと、辛うじて返ってくる山びこが聞こえてくる。恐る恐る俺を見つめる加奈に一言。
「…45点ってとこだな」
「はぅ〜。厳しいよ〜」
「で、どうだった? 感想は」
「気持ちいい! もう一回やってもいい?」
「お、ノリノリだねぇ加奈ちゃん。よし、今度はもっとどどーんと行ってみろ、藤堂曹長」
「分かりましたぁ♪ 藤堂提督☆」
びしっと軍隊式に敬礼を送ると、同じように敬礼で返す。また向こうを向き直した時、加奈には珍しく何か企んでるような笑顔を見せたのは、気のせいだろうか…。
そしてもう一度大きく息を吸うと、今度はさっきよりもずっと大きな声で叫んだ。
「お兄ちゃん、だ〜い好きっ!」
「……………ほぇ?」
お兄ちゃん、だ〜い好きっ…お兄ちゃん、だ〜い好き…
「……………」
「……………あのぉ〜……」
だ〜い好き、だ〜いすき……。
「……………」
「……………」
意外と長く続くな…。
お互い凍りついた状態で山びこを聞き続ける。
やがてそれも聞こえなくなり、沈黙が二人を包む。
ぱたぱた……
そして沈黙に耐えきれなくなった加奈は、林の中へと駆けだした。
「う〜む、意外と大胆なヤツ………」
ひゅ〜………。
「ってちょっと待てぇ〜い! こら加奈、どこ行ったぁ〜!!」
……もうずいぶん奥まで来てしまった。
最初は雑木林のような感じで、陽の光も射し、木々の間隔も広かった。
だが奥に行くうちに、いつの間にやら木々は密集し、足元は険しくなり、空気は湿気を帯びて沈殿していた。
濡れた枯れ葉が水分を吸っているらしく、足元はぐしゃぐしゃだった。
油断しているとすぐに滑ってしまいそうだ。
足元を見ながら歩く。
お気に入りのスニーカーが、腐葉土まみれになっていた。
もし加奈を見つけたら、絶対に文句を言ってやろう。
そう決めた。
ふと、地面に何か光るものがあることに気づく。
ペンダントが落ちていた。
拾う。
「これ……まさか……」
加奈の高校合格祝いに(それに結果を吹き込んでイタズラしたことがある)送ったものに間違いなかった。
「あのアマ〜。大事にしてるのか粗末にしてるのか、はっきりさせろよなぁ〜」
ずっと持っていてくれたことを喜ぶべきか、それともこんなところに不用意に落としたことを怒るべきか、ものすごく複雑な気分だ。そのせいか、口調は怒っても顔はどうしても緩んでしまっているのが自分でも自覚できる。
それはともかく、こっちにいるという確信が、俺の歩調をさらに早めさせた。
「加奈ーっ、加奈ーっ!」
いくら大声で叫んでも、その声は、森の深みに吸い込まれるように消えていく。気がつくと、辺りはずいぶんと暗くなっていた。
別に夕方になったわけではない。ただ、樹木の林冠部が高い位置で密集し、陽光をさえぎっているのである。だから、見渡す限りの木々には途中の枝というものがなく、うっすらとそびえ立っているのである。
さらに光が届かないためか、下生えの草も少ない。樹木の表面を覆う菌類や、きのこ、そして蛇行するように周囲を這い回る蔦植物ぐらいだ。
不気味な色彩の別世界であった。
密度の高い森の大気が、ねっとりと肌にまとわりついていた。
秋とは言え、残暑がまだ残っているこの季節にこれだけ走り回っているのだから無理もない。
「加奈ーっ、どこだーっ!」
返答はない。
森は声を呑み込み、虚無の底に落とす。
と、不意に既視感が俺を襲った。この光景、そしてこの文章、どこかで……最初の方に読んだことのある文章だ。いや、自分でも奇妙なことを考えてることは分かっている。けど、どうしてもこの文章には見覚えがあるのだ。
「何かのパクリか…?」
仮にも登場人物が考えていいようなネタではないが、確かに以前にも同じストーリーを演じた記憶が………って、当たり前じゃん。
「何だよ。よく考えてみたら、これ蜂事件の時と同じ文章じゃないか」
と言うか、元々思い出の山をもう一度見せてやるつもりで加奈を連れてきたんだが……まさかここまで再現してくれるとわ……。
ん? ってことは………。
「まさかあいつ……あそこに………?」
この先にある、覚えのあるあの場所を目指し、全速で駆け出した。
光が爆発した。
いや、そう見えた。
あまりの眩しさに、目を閉じる。自分が今までいかに暗い空間にいたのか実感する。それは太陽の光だった。
目の前には岩に囲まれた窪地のような場所で、なぜか森の侵食を受けてはいなかった。
光が降り注ぎ、雑草が生い茂っている。
そして切り立った崖から、小さく細い滝がザーザーと落ちていた。
「何も変わってないな、ここも………」
まるであの時に戻ったような錯覚が俺を包む。もし、加奈も同じ錯覚に包まれているとしたら………。
加奈は滝を見ていた。
あの日、あの時と同じように———。
「加奈!」
「え?」
振り返る加奈。
膝から下は泥だらけだった。
「何やってるんだよ、こんなところで!」
「……」
加奈はいつもの怯えた表情を見せる。
自分のしたことさえ理解していない顔。
向けられる怒りに怯え、困惑している顔。
「お父さんもお母さんも探してたんだぞ」
近寄って怒鳴る。
その瞬間———
くぅ。
加奈の腹部から聞こえた。
そして———
ぐぅ。
「あ……」
今度は自分の腹も鳴る。
…そこまで忠実に再現してくれなくても………。
「……おなか……すいた……」
加奈が自分の腹を両手で押さえ、言った。
「そうだろうな」
俺はため息をついた。
と、ここまではいいが、ここから先の再現はさすがに無理だ。素に戻って加奈に声を掛ける。
「けど、今回は俺、何も持ってきてないぞ」
「うふふ…。大丈夫、ほら」
すると加奈は、待ってましたとばかりに持っていたポシェットから弁当箱を二つ取り出した。そして、その内の大きい方を俺に差し出す。
「へぇ…準備いいなぁ」
「おばあちゃんが手伝ってくれたの」
「へぇ〜。ってことは加奈の手作りか」
「うん☆ お兄ちゃんと一緒にお弁当食べたくて」
「おお〜そいつぁ〜ありがたい。でもそんなこと言って、また自分の分の弁当落っことすんじゃないのかぁ?」
「そこまでマネしたりしないよ〜。お兄ちゃんのバカぁ〜」
「あはは、やっぱり覚えてたか」
「忘れる訳、ないよ。わたしの大事な…大事な思い出だもん……」
「俺もだ。俺達の、最初の思い出だから、な」
「うん……。あの日のこと、全部…覚えてるよ……」
微笑みで応える加奈。もちろん、ただの思い出ならあの日の前だってたくさんある。けど、今の俺達にとっての思い出は、あの日が最初になるのだ。
花輪を作ってやって、加奈を探して、弁当分けて、そして………。
「忘れようったって忘れようがないくらい強烈な思い出だもんな。メシは悔い損ねるわ死にかけるわ」
「はぅ〜…ごめんなさい……」
「ま、でもそのおかげで、加奈と仲良くなれたんだけどな」
「う、うん…」
「じゃ、昔を思い出してメシ食おうぜ。俺の分、もちろんのり弁当だろうな」
「(こくん)」
「よーし。じゃあ早速…」
ぱこっ。
「あ………」
「…………」
「お…俺ののり弁当が………」
弁当を受け取ろうとした時、受け取り損ねてしまい落としてしまった。
中身は当然、地面にぶちまけられている。
ふと顔を上げると、加奈の視線に気づく。
目が合う。
「……」
「……」
加奈は、自分の三色そぼろ弁当に目線を落とす。
俺を見る。
「……ふぅ」
加奈は、大袈裟にため息をつくと
「……はい」
そう言って、自分の弁当を差し出す。俺は困惑の表情を形作る。
「いいよ、おまえが食えよ」
「くすっ。ダメだよ。これでおあいこなんだから」
「おあいこ?」
「うん、おあいこ。あの時は、お兄ちゃんが自分の分のお弁当をわたしにくれたから、今度はわたしがお兄ちゃんにあげるの」
「でも、それじゃおまえが…」
「いいから!」
ためらう俺に強引に押しつける。
「……ありがとう、加奈……」
「どういたしまして。………ウフフ…」
「な、何?」
「…何てね。ホントは、さっき食べちゃったんだ」
そう言うと、加奈はぺろっと舌を出してウインクしてみせる。
「は? もう食べた? ……ってことはまさか……」
「うふふ。だから、おあいこだよ」
そういうことか……。加奈のヤツ、最初からそのつもりで、わざと弁当落としたんだな……。
「でも、んなことのためにメシ1つダメにするなんて……」
「それなら大丈夫。それ、作り物だから」
「何ぃ!? ってホントだ……。よく見りゃ、これプラスチックじゃないか……」
「レストランとかでよくある見本なの。本物みたいでしょ」
「また手の込んだことを…」
いや、それより。こんなものまで用意してきたと言うことは、今日行く予定だった場所が思い出の山だと分かってたと言うこと…だよな。
あの時、紅葉狩りとは言ったが行き先までは言ってなかったはずなのに……。
「侮れないヤツ…」
「えへへ〜。それより、早く食べて☆ お兄ちゃんに食べてほしくて作ったんだから」
「あ、ああ」
嬉しそうな顔で、じっと俺を見つめる加奈。
それが妙に気恥ずかしくて、俺はひたむきに食べた。
黄色いそぼろを口に運び、もくもくと咀嚼。
茶色いそぼろを口に運び、むぐむぐと咀嚼。
ピンクのそぼろを口に運び、んぐんぐと咀嚼。
とは言うものの、加奈の視線が気になって、せっかくの加奈の手作り弁当なのに味わうどころじゃない。それどころか、こんな食い方してたんじゃ喉につ…
「……っ!」
思った側から喉につまった。
「くすくす…。慌てんぼなんだから、お兄ちゃんは」
水筒のフタにスポーツ飲料を注ぎ、手渡す。
ごくごくと喉が動き、俺は呼吸を取り戻す。
「平気?」
「あ゛あ゛っ゛何゛と゛か゛な゛あ゛」
「まだ苦しそうだね…。もう一杯飲んだ方がいいよ?」
「いや、ネタなんだが……分かんなきゃいい………」
「?」
…分かってはいたけど、やはり加奈に冗談は通じなかった。
そして再び、俺が弁当を食べ始める様子を、何が面白いのかじっと見つめて続ける。
うう…食いづらい……。
「ごっそさん」
それでも何とか食べ終わると、タイミングを見計らった加奈がスポーツ飲料を差し出してきた。
「はい、お兄ちゃん」
「お、さんきゅ。ごくごく…ぷはぁ」
「……(じー)」
「ん? どした?」
加奈はまだ俺を見つめ続けている。
「…………(じー)」
「………だから何?」
「………………(じわ…)」
「……ひょっとして、感想が聞きたいのか?」
「……(こくん)」
「それぐらいで泣くなよな〜。おまえももう大人なんだから…」
「…(うるうる…)」
「…女の子ならまぁいいか。それに、俺の前なんだし」
「…(こくん)」
加奈には弱い俺だった。
「美味かったぞ。うん、これならいつ嫁に行っても大丈夫だな」
「えっ!? およめ…さん……?」
途端に真っ赤になる加奈。やっぱ女の子だね〜。
「おう。安心して送り出せるぞ。俺が太鼓判押したる」
「………」
が、途端に俯いて悲しそうな顔に早変わり。? 何かおかしなこと言ったかな…。
「どした? 加奈」
「…送り出す…の……?」
「ほぇ?」
「迎えには……来て…くれな………ぐすっ…」
「迎えって……あ、ああ……そ、そういう…意味…」
涙をこぼしながらの言葉に、今度は俺の方が赤くなってしまう。
「………(じー)」
「こほん……。これなら、いつ嫁に『来ても』大丈夫だな」
「………(じわ…)」
そしてまた瞳を潤ませる加奈。
「何故に!?」
「…違うの…嬉しいの……」
「そ、そうか。よ、よかった…」
同じ涙でも、今度のはどうやら嬉しさの涙のようだ。ホッと一安心。
すると加奈は、何か思い出したかのような顔をする。
「あ……」
「こ、今度はどうした!?」
「これ……」
そう言ってポケットから取り出して見せたものは、どこにでも落ちてるような木の実だった。
「木の実? それがどうかしたのか?」
「……覚えてない?」
「覚えてって……ああ、そっか。そういやあの時も」
「……(こくり)」
あの日、木の実に関することと言えば………そうだ、加奈はここで、これを集めてたんだっけな。確かあの時二人で集めた木の実を使って、母さんにお手玉を作ってもらったんだ。
「また作るのか?」
「……(こくこく)」
「そっか。じゃあ、名人芸楽しみにしてるぞ」
「はいっ!」
元気良く頷く加奈。
一区切りついたのでふと時計を見ると、そろそろ夕方になろうかと言う時間になっていた。
「よし、じゃあ暗くなる前に帰るか」
「え……?」
加奈に声を掛けると、意外そうな顔で俺を見つめ返してきた。
「いや『え?』じゃなくて。遅くなって、じいさん達に心配かける訳にもいかないだろ?」
「うん…でも……」
「でも?」
「その……今日、お泊まりするかもって…言ってきちゃった……」
真っ赤になって俯いて、もじもじと手を合わせる加奈。って、お泊まりってことは……ってこと…だよな……。
「お泊まりって……おまえ、大胆なヤツだなぁ〜」
「あ〜ん、お兄ちゃんのばかぁ〜えっちぃ〜!(ぽかぽか)」
「あっはははは。えっちなのは俺じゃなくて加奈の方だろ」
「………(ぼっ)」
俺のツッコミに一瞬動きを止める。そして下を向いたまま小さく震えると———。
「お兄ちゃんの〜……ばかばかばかばかばかばかばかぁ〜!」
「お、おいおい止めろってば。痛いよ加奈」
「………わたしだって、恥ずかしいんだからぁ〜、ばかぁ〜…」
「…あらま、そうですか……」
…否定はしなかった。
「……ま、ともかくだ。それは次の機会と言うことで、今日は帰ろう。こっちにもいろいろ予定があるからな」
「……ごめんなさい」
「謝るなって。後で理由は分かるから」
「?」
「いいから帰るぞ。こんなとこで日が暮れたらさすがにやばいからな」
「(こくり)」
ぎゅ。
頷いたのを見計らって、加奈と手をつなぐ。
「あっ…」
「だ、ダメか?」
「……(ふるふる)」
「そ、そうか。その、はぐれると、いけないしな」
「……(こくり)」
こうして俺達は、また林の中に足を踏み入れた。
日の当たらない暗い林を戻る途中、俺はある場所で足を止めた。加奈もそれに従うと、不思議そうに俺を見つめる。
実は今日、この山に来た目的はここにあったりする。相当に恥ずかしいんでなかなか言い出せなかったが、ここを逃しては後は帰るだけになってしまったため、やむなく腹を決めた訳である。
「どうしたの? お兄ちゃん」
「いやなに、ちょっとな」
「? 何かあるの? それとも……こんな人気のないところで、わたし、どうにかされちゃうの? …な〜んてね。えへへ☆」
「ば、ばかぁ! な、何言い出すかな君わぁ〜」
「くすくす…。お兄ちゃん、真っ赤になってるよ」
「そら真っ赤にもなるわい! おまえ、いつの間にそんな高等テクニックを身につけやがったんだ…」
世間慣れしてないはずの加奈の大人のジョークに、俺はかなりショックを受けてしまったようだ。が、加奈はそんな俺の反応を見透かしていたかのように俺の顔を覗き込んできた。
「知りたい?」
「……興味ある…かも……」
「本屋さんって、いろんな本が置いてあるのよね〜。お客としてなら、絶対に見れないような本とか……」
「…分かった。分かりすぎた。だからもういい……」
がくっと肩を落とす。こいつ……すっかり耳年増になっちまって……。
「クスクスクス…分かってる。ここ、お兄ちゃんがわたしを守ってくれたところだね」
「う…覚えて……たのか…」
「もちろんよ。忘れられる訳、ないじゃない」
「……まぁな」
そう、ここは……あの蜂事件のあった場所。加奈を初めて、妹として守らなくちゃいけないって思った場所。俺達の原点とも言える場所。
「懐かしいね……」
「ああ…。思えば、我ながらよくあんなことできたもんだよ。ましてや、あの頃はおまえのこと嫌ってたはずなのに、な」
「ごめんなさい…」
「…いや。謝るのは俺の方さ」
「え…?」
加奈が意外そうな顔で俺を見上げる。
………さて、腹は決めたんだ。後は行動あるのみ…っと。
「ここなら、あの時みたいな勇気を思い出せそうな気がしてな」
「?」
「…ちょっと待ってくれ。深呼吸してから……」
す〜は〜す〜は〜……。
覚悟を決めたはずなのに、ここに来てまだ踏ん切りが付かない。ええい、それでもクールマン藤堂か! これぐらいのことでいちいち狼狽えてどうする!
ぱしっ!
「よしっ!」
「きゃっ。お、お兄ちゃん…?」
両手で自分の頬を打つ俺を、さらに不思議そうに加奈が見つめる。
「加奈!」
「は、はいっ!」
「俺は、おまえのことが好きだ!」
「えっ!? あ、あの、その……」
「もう、二度と離したくない。……加奈は、俺のことは嫌いか?」
「……(ふるふる)」
目の前で、頭が左右に動く。いきなりこんなところでの告白に、混乱してるようだ。
けど、今の加奈はそれで終わらない。深呼吸して気を落ち着けると、しっかりと顔を見上げて微笑んだ。
「わたしも、お兄ちゃんのことが……えっと……好き。異性として、好き」
「そうか……じゃあ、俺たちは相思相愛なんだな」
「……(こくん)」
「振られなくて、良かった」
「もう…何言ってるのよ。嫌いになんて……なれる訳、ないじゃない……。わたし達その、一心同体…なんだから……」
「そ、そっか…。その、照れるな………」
「………(ぽ〜っ)」
二人で真っ赤になって黙り込んでしまう。いかんいかん…そんなことしてる場合じゃなかった。
「な、なぁ、加奈。その、聞いてくれるか」
「なぁに?」
「その…何だ。俺達、お互い学校も卒業していっぱしの社会人になった訳だ」
「うん」
「それで、だな……。その、おまえに渡しておきたいものが、あるんだ…」
「渡しておきたいもの?」
「でもまぁ、無理にって訳でもないし、もう少し経ってからでも遅くはないし、でもせっかくの機会だし…あ〜混乱する〜!」
この期に及んでまだ心のどこかで躊躇いがあるらしい。まったく我ながら情けない。
「あ、あの…お兄ちゃん……。言いにくいことなら無理しなくても……」
「いーや言う! 言わなくちゃダメなんだ!」
「は、はいっ!」
「つー訳で加奈! これ、受け取ってくれ!」
「は、はい?」
勢いをつけて、俺はポケットの中に隠してた小さな箱を加奈の目の前に差し出した。
「あ……こ、これ………ひょっとして……」
「その…まぁ、嫌なら嫌で、いいんだけど……」
「……(ふるふるふるふる)そんなことない! そんな…こと……(じわ…)」
「わわわっ、か、加奈!?」
いきなり顔を覆って泣き出した加奈に戸惑ってしまう。
「……嬉しいの…。やっと、お兄ちゃんが………だから…嬉しいの……」
「じゃ、じゃあ…」
こくっ。
加奈は小さく頷くと、そっと左手を俺の前に差し出してきた。そして俺は、箱の上に載っている指輪を取り出して、ゆっくりとその震える薬指にはめた。
「………これ、そういう…ことなんだよね…」
「ああ…」
「……ちゃんとした言葉で、聞きたいな…」
「ああ…」
指輪をはめた自分の左手を右手で掴みながら、加奈はじっと俺を見つめる。
俺は改めて深呼吸をして気を落ち着ける。
「加奈…」
「はい…」
「俺と……結婚、してほしい」
…ついに言った。この言葉を言うためだけに、今日はここに来たと言っても過言じゃあない。大役を果たしてホッとすると同時に、加奈の返事がより一層俺を緊張させた。一秒がこんなに長いと思ったのはいつ以来だろうか…。
やがて———実際には数秒のことだろうが、永遠にも思えるくらいの沈黙の後、加奈はゆっくりと口を開く。
「………わたしで…いいの? わたしなんかで、ホントにいいの…?」
「俺は———」
「わたし、何にもできない弱虫だよ。わたしといると、周りからどんな目で見られるか、分からないんだよ…」
「それでも加奈でなきゃ、嫌みたいだ」
「ああ…お兄ちゃん……」
ぽふっ。
そして俺の胸の中へと飛び込んできた。俺はもちろん、その小さな体を力一杯抱きしめる。
「お兄ちゃん…おにいちゃん……」
「加奈……」
プロポーズにはまるで似つかわしくない暗がりの林の中、俺達はお互いの思いを確かめ合った。
電車に乗り、俺達の街に帰ってきた足で加奈の家に向かう二人。加奈は知らないだろうが、向こうでは既にうちの親どもがすべての準備を終え、手ぐすね引いて待っているはずだ。
加奈のヤツ、どんな顔するかな。ショックで気絶なんてしないだろうなぁ〜、なんて考えながら歩いてると、加奈が不思議そうに俺を見上げてきた。
「どうしたの?」
「いや、何でもない。それより今日は楽しかったか?」
「(こくん)まさか、プロポーズまでしてくれるなんて思ってもみなかった」
俯いて頬を染める加奈。うんうん、可愛い可愛い。
「しっかし、こんなに度胸がいるものだとは思わなかったぞ。ホントはもっと早く言うつもりだったのに」
「すっごく嬉しかった。ホント言うとね、家を出た時、ひょっとしたらお兄ちゃん、迎えに来てくれないかもってずっと心配だったんだ」
「バカだな。そんなはずないだろ」
「そうだね。バカだよね、わたし……」
また泣きそうになる。
「お互い、な。でなきゃ毎週様子見に行ったりしないって」
「クスッ。そっか……」
「そうそう。バカはバカ同士ってな」
「クスクス…ひっどぉ〜い。あ、でも……お父さん達、わたし達のこと許してくれるかなぁ……」
「ん、ああ…そのことか……」
ちょっとだけ、苦虫を潰したような顔になる。今日のことといい、どうもあの両親の手の平で遊ばれてるような気がして複雑な心境なのだ。
「話変わるが、その指輪のことなんだけどな…」
「?」
急に話を変えられ、加奈はきょとんとした顔で自分の左手を顔の前に持ってくる。
「それな………加奈の、本当のご両親のもの…なんだって、さ」
「えっ……?」
突然の俺の言葉に目を見開いて驚いた加奈は、指輪をかざした格好で固まってしまった。
当然だろう。今まで本当の両親の話はしたことがないし、加奈も聞こうとはしなかったのだ。今になって急に言われても、戸惑うなという方が無理な話だ。が、あの指輪を受け取る以上、言っておかなければならないことだ。
「おまえの本当の父さんが亡くなる時、その指輪を託されたんだそうだ。母さんに送ったものだって。大きくなって、本当のことを告げる時が来たら、その指輪を渡してくれって」
「わたしの……ホントのお父さんが、お母さんに……」
「で、うちの両親が何を血迷ったか、『どうせ渡すならおまえがプロポーズの時に渡せ』って言ってな」
「へっ…? お父さん達が……?」
「ああ。しかも、やたらとノリノリな顔してな…」
あの時の両親の楽し気な顔を思い返し、またため息が出てしまう。
「じゃ、じゃあ……」
「ああ…。認めるどころか、煽り立ててたよ」
「ホント…?」
「ウソ付いたってしょうがないさ。それに…」
「それに?」
「後は加奈の家に戻ってからのお楽しみだ。みんな首長くして待ってるぞ」
「みんな?」
「ああ…。みんな、な……」
俺の言葉の意味がよく理解できなかった加奈は、またもやきょとんとした顔で俺の顔を見上げる。が、俺はそれ以上何も答えてはやらなかった。
そして……。
「さ、着いたぞ」
「うん。おじいちゃん、おばあちゃん、ただい…」
ぱんぱんぱぁん!
「きゃっ!」
玄関のドアを開けた途端、何発ものクラッカーの音が盛大に加奈を迎えた。
「な、何なになにぃ!?」
「ほれ、入れって」
「う、うん…」
俺に押されるままに中へと入る。そこで加奈が見たものは———。
「おめでとう、加奈」
「おめでとう、加奈ちゃん」
「コングラッチュレーション!」
「くっそ〜、俺の加奈ちゃんがぁ〜」
「お前、とっくに結婚してるだろうが」
「お、おじいちゃん達に、お兄ちゃんの、お友達さん…?」
両親や本屋のじいさんばあさん、智樹達四天王の面々、そして………。
「おめでとう、藤堂。何かまだ悔しいから、先輩には言ってやりません」
「おめでとう、加奈ちゃん。何かまだ悔しいから、藤堂君には言ってあげないよーだ」
「…おまえらなぁ……」
「伊藤君……夕美さんも………」
かつて俺が傷つけてしまった二人も、この日のために駆けつけてくれたのだ。
「さ、藤堂君、加奈ちゃん。この紐引っ張って」
「紐? あ、ああ…」
夕美に促され、目の前のくす玉から垂れ下がった紐を二人で引っ張る。すると、頭上のくす玉が割れ、中から「祝! 加奈ちゃんご結婚」と書かれた垂れ幕が降りてきた。
「おまえら、手の込んだことを……。しかも俺の名前なしかい!」
「当然」
「威張るな! 夕美」
胸を張る夕美。
「まぁ、自業自得ってヤツっスよ、先輩」
「おまえも垂れ幕ぐらいで人生語るな!」
俺の肩をぽんと叩き、慰めてるんだかいぢめてるんだかよく分からない勇太。
「あっははは、まぁまぁ隆道。今日の主役は加奈ちゃんなんだから、そんなに目くじら立てるなって」
「そうそう。俺、待ちくたびれて腹減ってるんだよな〜」
「男は迫害されてこそ成長していくものだぞ」
「おまえらまで…。ったく、とんだ親友持っちまったもんだなぁ〜」
育郎、雅俊、智樹の四天王も、誰一人止めようとはしてくれなかったようだ。
「その…ゴメンナサイお兄ちゃん。わたし、嬉しかった……」
「…ま、いいんだけどな。どーせ俺はおまけだよ……」
「拗ねない拗ねない。一人だけいい思いしようったってそうはいかないのだよ」
夕美がからかうようにウインクする。見ての通り、夕美とも勇太とも、あれから長い時間を掛けて仲直りすることができ、今では四天王同様、俺達共通の良き友人となっているのだ。
「あの…これって……」
「ご覧の通り、『加奈ちゃんの』結婚祝いよ。相手の方はどーでもいーけど」
「しつこいな〜おまえも〜」
「べーっだ。こーんな美人振って妹に走ったフケツ君なんて知らないもんねー」
「あ、あの…ご、ごめんなさい……わたしの、せいで……」
「ああ、いーのいーの。加奈ちゃんは気にしないで。悪いのはぜ〜んぶこのシスコン兄貴なんだから」
「言いたい放題言いやがるなぁ…」
「あによ〜。何か文句でもあるの?」
「まったくもってございません夕美様」
過去が過去な上、移植の件でも世話になっただけに、はっきり言ってこいつには未だに頭が上がらない。加奈も似たようなものらしく、ちゃっかり俺の背中に隠れてしまっている。
「そんなに怯えなくても、私も勇太君も全然気にしてないわよ。今じゃいい思い出だし」
「俺にとっちゃロクでもない思い出ですよ〜」
「バカ。こういう場合、ウソでもそう言っとくのがお約束でしょ?」
「おまえも変わらないなぁ〜」
「まぁね〜♪ 夕美ちゃんは不滅なのだ〜」
呆れ顔の俺に、ピースサインを返す夕美。こいつがこれだけ明るく振る舞えるのも、きっと時間のおかげだけじゃないんだろう。
「勇太……苦労してるだろ………」
「分かってるなら聞かないでください…」
「え? え? え? どういう…こと?」
急に勇太に話を振った訳についていけず、加奈が頭に?マークを浮かべている。
「あのな、こいつ夕美と付き合ってるんだと」
「え、え〜っ! うそぉ〜!?」
衝撃の新事実に、加奈はらしくないくらいの大声を上げて驚く。その態度に勇太は、
「…いや、そんなに驚かれても……」
結構傷ついていた。で、もう一方の当事者はと言うと、
「てゆーか、今の驚きはどういう意味かしらぁ〜? 加ぁ奈ぁちゃぁ〜ん…」
「ひっ…そ、そのあの…ご、ごめんなさい〜」
忍者の如く加奈の背後に回り込み、冷たい目で話しかけていた。
「こらこら、あんまり加奈をいじめるな」
「たまにはいいじゃない。それに、あたしだって傷ついたんだぞ」
「どこが?」
「あ、ひっどーい! 兄妹揃ってあたしをいぢめるのね。よよよ…」
「先輩〜。勘弁してくださいよ〜。後で機嫌取るの、こっちの役目なんですからね〜」
「あはは、冗談冗談。加奈、この二人な、妙に意気投合したみたいで、付き合うことにしたんだと。まぁ勇太は年下より姐さん女房の方が合ってそうだし、夕美はまんま年下を弄ぶタイプだから、相性バッチリって訳だな」
「先輩! それ、ひどいっスよ〜」
「だぁ〜れぇ〜がぁ〜年下を弄ぶタイプですってぇ〜?(ぐりぐり)」
「いででででで、ギブギブギブぅ〜っ」
勇太の非難と夕美のこめかみグリグリの刑が俺を襲う。けど、本当に怒ってる訳じゃない。みんな、一度自分を冷静に見つめられた分、大人になったんだろう。
「…くすっ、クスクス…」
「か、加奈〜。笑ってないで助けろ〜」
「ご、ごめんなさい…。でも……何だか…嬉しくて……」
「加奈…?」
見ると、加奈の目元には光るものが貯まっていた。
泣いてる…のか……?
「だって……わたし達、周りの人達を、不幸にするだけじゃないって………認めてくれる人達がいるって………それが、嬉しくて………」
「加奈……」
しゃくり上げる加奈を、夕美と勇太以下その場にいたみんなは黙って見守っている。
そして、そんな加奈に意外にも夕美が声を掛けた。
「加奈ちゃん」
「…はい……」
「恋愛はね、他人のことなんて見えなくなっちゃうものなの。だからそのせいで不幸になっちゃう人も出てくるかもしれない」
「……はい……」
「でもね。だからこそ、そんな人達の分まで幸せにならなくちゃなんないの。分かった?」
「…夕美……さん………」
まるで母親のような微笑みで加奈を諭す夕美。その表情は、俺と付き合っていた頃には決して見ることのできなかったものだった。
「このあたしや勇太君を振ってまで選んだんだもん。二人とも、幸せになんなくちゃ承知しないからね」
「そうだそうだ。藤堂を不幸にするようなら、いつでもかっさらいに行かせてもらいますからね、先輩」
夕美の激励に、勇太も続く。って、をひ……。
「ほぉ〜。このあたしの前でよく言ったものねぇ〜勇太ちゃ〜ん…」
「わわぁ〜っ! ゆ、夕美さん、今のはその、言葉の文というヤツで〜」
「問答無用! 天誅ぅ〜(ぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐり)」
「あだだだだだだだだ、ご、ごめんなさ〜い」
「…バカばっか……」
くいくい。
ふと、俺の袖が引っ張られる。加奈だ。
「どうした、加奈」
「ひょっとして、今日デートに誘ってくれたのって……」
「……まぁ、な。おまえをびっくりさせてやろうって、あいつらが企画したんだ」
そう言って四天王を指差す。連中もそれに合わせ、親指立てたりピースサインしたり返事を返した。
「ホントびっくりしたよ……。でも、もしわたしが断ってたらどうするつもりだったの?」
「何ぃ!? 断るつもりだったのかぁ〜。お兄ちゃんは悲しいぞ…」
「ち、違う違う! 断る訳ない! …でも、ホントにその時のことは考えてなかったの…?」
「一応考えてたさ。その場合、垂れ幕は別なモノになってたはずだ」
「別なモノ?」
「その通り」
「あ、お父さん。ただいまー」
「お帰り、加奈。それより、隆道が玉砕した場合、こっちの垂れ幕になっていたのだよ」
そう言う父さんに合わせ、四天王は別の垂れ幕を俺達の前に広げる。そこに書かれていた文字は———。
"藤堂隆道君再就職祝い"
「再就職? お兄ちゃん、図書館辞めちゃったの?」
「辞めたっつーか、このクソ親父が勝手に辞めさせちまったってゆーか……」
「こら、隆道! 父親に向かってクソ親父とは何事だ!」
「言える立場か! 無茶なことしでかしたくせに」
「いつまでも細かいことをぐちぐちと…。私は情けないぞ!」
「細かいのか? 俺が悪いのか!?」
「お、お兄ちゃん落ち着いて」
加奈の声でようやく我に返る。
「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ……い、いかん…やなこと思い出しちまったぜ……」
「いったいどうしたの?」
「………」
「お兄ちゃん? その、嫌なら無理にいわなくても…」
「加奈……」
「な、何?」
「今度、この店で新しく人雇うって言ったよな」
「う、うん…」
ごくっ。
みんなが息を呑む音がここまで聞こえてきそうだ。いや、俺も加奈も、次のセリフを前に緊張しまくっている。
「その…………と、藤堂加奈さんっ!」
「は、はいっ!」
「今度、ここで働くことになりました藤堂隆道です。よろしくお願いしますっ(ぺこっ)」
「…………………え?」
「しっかりやれよ、隆道。父さん達も応援してるぞ」
「え? え?」
「明日から、よろしくお願いしますよ」
「ご期待に添えるよう、頑張ります」
「え? え? え?」
急な展開についていけず、可哀想にパニックに陥る加奈。首をきょろきょろさせて、まるで迷子の子供のようだ。ま、無理もないけどな…。
「……つまりだな」
「う、うん…」
「おまえが言ってた『今度雇う男の人』ってのが……俺なんだな、これが」
「……………」
「加奈…?」
呆然とした顔で立ちすくむ加奈。う〜む…やっぱいきなりだったからなぁ〜…。
「あの…藤堂、どうしちゃったんですかね?」
「ショックのあまり立ったまま気絶でもしたのかしらねぇ」
「わぁ〜っ! か、加奈ぁ〜、しっかりしろ〜(ゆさゆさ)」
勇太と夕美の指摘に気づき、慌てて加奈を揺さぶる。
「あ、あれ…? わたし……」
「気づいたか。よかった……」
「えっと……」
「どうやら、俺がここに就職したって聞いて、頭がオーバーヒートしたらしいな」
「お兄ちゃんが? ここに……?」
ふらぁ〜…。
「待てぇ〜い! また倒れるなぁ〜っ!!」
「冗談よ、お兄ちゃん」
ずるっどてっ。
「あ…あのなぁ……」
「ご、ごめんなさい…。でも、それホント……?」
「こんなこと冗談で言えるか。つーか、俺も冗談だと思ったぞ」
「はっはっは。これは、おまえ達への父さん達からのプレゼントとでも思ってくれ」
とそこに父さんと母さんがやってくる。
「お父…さん?」
「隆道はもちろん、おまえもわたし達の娘だ。娘の幸せが何よりなのは、よその親と一緒だと思ってる」
「そのあげくが、俺の辞表勝手に出すわ再就職まで決めちまうわってか?」
「嬉しいだろうが。加奈と一緒の職場で」
「…それ言われると弱い……」
…とまぁそんな訳で、俺のここへの就職と、それに関連して前の職場への辞表提出は、父さん達やじいさん達が裏で極秘裏に進めていたんだそうな。
まったく、とんでもないお節介と言うか……。
「じゃ、じゃあ……」
「ま、そういうことだ。明日から、公私共々よろしくたのむわ」
加奈の正面に立ち、手を差し出す。
加奈は、俺の手を見つめ、俺の顔を見つめた後、また手を見つめ………。
「………はいっ!」
俺の手を握り、元気良く返事をした。
「よーし、それじゃ早速パーティー始めようぜぇ。俺、腹減って腹減って、出るもんも出なくなっちまうぜ」
「食事前に下品だぞ、雅俊」
「まぁまぁ。隆道達も早く来いよ。主役の登場、待ちかねてたんだからな」
「よーし、今日は飲みまくるわよー。勇太君、分かってるわね〜?」
「お手柔らかにお願いしますね〜」
「よし、わたしも今日は飲むぞ。母さんもつき合いなさい」
「はい」
「ほっほっほ。今日は賑やかになりそうじゃなぁ」
「そうですわねぇ。ふふふ…」
みんな口々に言いながら、いい匂いのする奥へと歩いていく。
そして俺は、微笑んで加奈に手を差し出しす。
「…行こうか、加奈」
「…はい」
加奈は俺の手を取り、微笑んで答える。
「よろしくお願いします。あなた☆」
「おうっ!」
血がつながっていないとは言え、兄妹で夫婦になる俺達を待つ道は、決して楽なものじゃないだろう。
けど、俺達が長い間抑えつけてきた、だけど育んできた想いは、そして強くなろうと決意した想いは、簡単に壊されたりはしない。そして今は、祝福してくれる人達もいる。
だから俺達は、胸を張って寄り添える。
加奈も同じ想いなのだろう。俺の視線に、別れの時に見せた百点満点の笑みを返しながら———。
「ずっと一緒…だから、ね?」
俺には妹がいる。
俺には妹がいた。
妹は……一番、大切な人になった。
後書き
お、終わったぁ〜……(-o-;)
永遠の妹コンテスト用に加奈SS書いてーと頼まれたはいいが、いやまた長くなったの〜(^^;)
最初はこれとは別パート書いて、その後今回の部分書いたのですが、気がつきゃテキストで50kオーバーしてるしー(^^;)
毎度毎度、話を進めるのは苦手なのだ…。
さて、ひっさびさの読み切りものでしたが、この「加奈〜いもうと〜」、マジで泣けたゲームでした。最初に見たED2では、ホントに涙出てきたのだよ〜。
で、ED1があーだったので、補間したくなったんで書いてみたのがこれデス。
図書館司書になった隆道君が、お父様の策略(笑)により加奈の勤める本屋さんに転職するってー設定で、プロポーズもそれに絡めてみようとしてみたら…こんなに長くなっちゃった(^^;)
ま、本当は最後の宴会の辺り、もちっと夕美や勇太を絡めた話を書きたかったけど……これ以上長引くのがやだったんで止めました(^^;)
しかし夕美、あんたええ娘やの〜。小学校時代は困ったちゃんだと思ってたのに、よくあんなに健気に想い続けてたものだ。ED3見た時は、マジで評価見直しました。まったくもってシスコン兄貴にゃあもったいない(笑)
なもんだから、勇太君とくっつけてしまいました(爆)……いや、案外お似合いだと思いません?
子供っぽいところのある勇太と、お姉さんタイプの夕美って(^^;)
つー訳で、永遠の妹コンテスト用のSSなのに妹じゃなくなったってーSSになってしまいましたが(^^;)、加奈をやってない人は是非、やって泣け(爆)
作品情報
作者名 | あみ〜ご |
---|---|
タイトル | 加奈〜いもうと〜 |
サブタイトル | 大切な人に… |
タグ | 加奈〜いもうと〜, 藤堂加奈, 藤堂隆道 |
感想投稿数 | 93 |
感想投稿最終日時 | 2019年04月10日 18時32分51秒 |
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コメント一覧(クリックで開閉します)
- [★★★★★★] 夕美勇太が二人を祝福しているのがよかった
- [★★★★★★] 加奈はまじで泣いたゲームだったので、こういった話が読めてよかったと思います。真剣に、ありがとうございました(笑)
- [★★★★★☆] ちょっと幸せすぎ(^^;
- [★★★★★★] 幸せになってうれしいです^^
- [★★★★☆☆] 〜救われました。
- [★★★★★☆] いい!
- [★★★★★☆] いいね〜また続きがよみたいですね・・・。
- [★★★★★★] すごいね…
- [★★★★★★] 加奈のSSって少ないんで、これからもがんばって続き書いてください。
- [★★★★★☆] 夕美と勇太をくっつけるのは少々ありがちでは?
- [★★★★☆☆] 元気な加奈を見ていると、自分まで元気になってしまいました(^^ゞ)
- [★★★★☆☆] 次回作期待してます♪
- [★★★★★☆] とても良かったです。最後の方はめぞん一刻の五代君と響子さんが結婚する場面なんかを思い出して泣けました。
- [★★★★★★] メールソフトのほうを先に買ってしまい、本編は未だやってませんが、このお話を読んで猛烈にやってみたくなりました
- [★★★★★★] 補完お見事!
- [★★★★★★] やっぱハッピーエンド最高!!!
- [★★★★☆☆] 加奈逞くなって嬉し
- [★★★★★☆] 勇太と夕美のこんな救い方があったんだとおもった。
- [★★★★★☆] 加奈と二人で幸せに
- [★★★★★☆] 続き又は、ちがう場面でいいのでまた作ってください!!
- [★★★★★★] またゲームがやりたくなりました。
- [★★★★★★] 登場キャラの個性がきちんと活かされていて、ストーリーも良く、面白かったです。
- [★★★★★★] ED1の後に感じた喪失感をうまく埋めて頂いた気分です。ありがとうございました!
- [★★★★★★] みんなから祝福されてるのがいいですね、じーんときました。