カランコロン…。

「ありがとうございました」

いつものように、店を出ていくお客さんに頭を下げると、ホッと一息。

「ふぅ…。最後のお客さんも帰ったし、今日はこれでお終いかな?」

今日もお店のお手伝いをしていた私は、本日最後のお客さんが帰った後のテーブルの上を片づけた。
夏休みとはいえ、今日は平日だからそれほどでもないけど、やっぱり一日のお仕事が終わりになると気が緩むせいか、それまで感じてなかった疲れが一気に襲ってくる。

後もう一踏ん張り、と気合いを入れ直して一通りお店のお掃除を済ませると、キッチンの方からお兄ちゃんが、眉間に皺を寄せて何だか怖い顔して出てきた。
そのまま近くのイスに座って、何だか考え込んでるお兄ちゃんの前に、私はお冷やをそっと置く。

「お兄ちゃん、どうしたの? 不機嫌そうな顔して」
「ん? ああ、ありがと。何、大したことじゃないよ」

私に気がついたお兄ちゃんは、すぐに笑顔を返してくれたけど、私はお兄ちゃんの向かいの席に腰をおろして声をかけた。

「何か、イヤなことでもあったの? 私でよければ、相談に乗るけど……」
「俺、そんなに不機嫌そうな顔してたか?」
「う、ううん。そうじゃないけど………」

内心の心配が顔に出ちゃったのか、お兄ちゃんは私の顔を見ると、困ったように苦笑いを浮かべた。

「おいおい。お前までそんな顔しなくてもいいって。ただ、お使い頼まれただけなんだから」
「お使い?」
「ああ。横浜まで行って、コーヒー豆買ってこいってさ」
「横浜まで? いつも仕入れてるのは?」
「何でも、特別なお得意様用スペシャルブレンド作るのに要るんだと。しかも、その店までわざわざ行かないと売ってくれないんだそうだ」
「ふぅん……何だか、本格的だね」
「怠慢なだけじゃないのか?」

そんな気もする。けど、今時そこまでこだわる人がいたなんて、私はちょっと驚いた。

「それで、機嫌が悪かったんだ。でも、だったら帰りがけにでも横浜で遊んでいけばいいのに」
「母さんにも言われたよ。で、こんなの貰ったんだ」

そう言ってお兄ちゃんは、ポケットから2枚のチケットを取り出して、テーブルの真ん中に置いた。

「何、それ? えっと………横浜ドリィムランドのチケット? あ、プールの入場券も」
「みたいだな。しかも、期限は今度の日曜までと来たもんだ」
「へぇ。じゃあ、菜織ちゃん誘って行ってみたら?」
「…パス。ていうか、機嫌悪いんじゃなくて、ちょっとそれで悩んでたんだよ」

ため息をつくお兄ちゃんを見て、私は不思議に思った。いつもなら、喜んで菜織ちゃん誘ってるのに、どうしたんだろ……。

「? どうして?」
「アイツと遊園地なんて行った日にゃあ、一日中ジェットコースターに乗せられるか、プールで特訓させられるのは目に見えてるからな。
 かと言って、ミャーコちゃん誘っても同じことだし、冴子誘って、もしミャーコちゃんに見つかったら後がどうなるか……」

…何となく、想像がついちゃった。ゴメンね、みんな………。

「じゃあ、どうするの?」
「だからどうしようか悩んでたんだ。
 …っと、そうだ、ちょうどいいや。これ、お前にやるよ」

何気なくそう言ったお兄ちゃんに、私は慌てて手をパタパタさせた。

「い、いいよ。お兄ちゃんが貰った物でしょ? それに、私お店の手伝いがあるから……」
「お前、休みはいつも手伝いしてるんだろ? たまには休んだって誰も文句言わないよ」
「で、でも……私、人混みとか苦手だし……あんまり、一緒に遊園地行ってくれるような友達もいないから………」
「そうかぁ? クラスの友達でも、何だったら、それこそ菜織とかミャーコちゃん達でも誘えばいいんじゃないか?」

お兄ちゃんが気を遣ってくれるのも分かる。
私は、普段からお店のお手伝いばかりしててお休みの日でもあまり外に出歩かないし、夏休みが始まってからは、それこそ毎日働いてたから、きっと心配してくれたんだ。
そんな心遣いが嬉しくなったからかな。私は、ちょっと考え込んで、一緒に行きたい相手の人を思い浮かべた。

「う〜ん…………じゃあ、お願いしてみよっかな………」
「そうそう。たまには目一杯、羽のばしてこい」

そう言ってお兄ちゃんは私にチケットを差し出した。
そして、私はそのチケットをじっと見つめて………片方をお兄ちゃんに返した。

「じゃあ……………はい」
「ん? おいおい、だからそれはお前に…」
「一緒に………行ってくれる?
「…は?」

だんだん小さくなっていく私の声に、お兄ちゃんはきょとんとした顔で私の顔を見つめ返してきた。自分でも顔が真っ赤になっていくのを自覚しながら、俯きながらももう一度お兄ちゃんに答える。

「だ、だから………あの、お兄ちゃんと…その、一緒に……行きたいなって………
「俺…?」
「や、やっぱり、迷惑だよね! 妹なんかと遊園地行ったって………。
 その、ゴメンナサイ。今の、忘れて。これ、返すね」
「あ……………」

その場の緊張に耐えられなくなった私は、お兄ちゃんの顔も見れないままチケットを2枚ともテーブルに置いたまま、大慌てでイスから立ち上がった。

「じゃ、じゃあ………私、お掃除の続き、あるから………」
乃絵美!

ビクッ!

お兄ちゃんの鋭い声に、足がすくんで動かなくなる。心臓も、お兄ちゃんに聞こえそうなほど強く高鳴ってた。
すると、今度は一転、いつもの優しいお兄ちゃんの声に戻って私に話しかけてきた。

「お前、今年泳ぎに行ってなかったよな、確か」
あ………う、うん…
「よしっ! じゃあ、いっちょ二人で行くか」
えっ!? わ、私と…?
「おう。あ、でもやっぱ、兄貴とプールって、恥ずかしいか…」
う、うん………。そ、それに……いいの? 私なんか、で………

恥ずかしくなっちゃって、上目遣いでお兄ちゃんを見る。だ、だって、私だよ? 私なのに………。

「俺は別にかまわないさ。たまには兄貴らしいこともしてやらないとな。
 そうだ。帰りがけショッピングでもしていくか? コーヒー豆のついでに」
「うん。…ありがとう、お兄ちゃん………
「礼を言われることでもないさ。誘ったのは俺なんだし」
「でも、嬉しいよ、とっても」
「何だか、そんなに喜んでもらえると、照れるなぁ」

そう言ってお兄ちゃんは、鼻の頭をぽりぽり掻き出した。これ、お兄ちゃんが照れた時にするクセなんだよね。

「クスッ。お兄ちゃんったら。あ、でも私、スクール水着しか持ってないよ?」
「それなら大丈夫。確か、水着のレンタルもやってたはずだからな。
 乃絵美。大胆なヤツ期待してるぞー」
「なっ…! お、お兄ちゃんのエッチ!! 知らない!

お、お兄ちゃんたら、私なのにぃ〜。
ドキドキ高鳴った心臓を誤魔化すみたいに、私はそっぽを向いた。そんな私を見て、お兄ちゃんはとっても可笑しそうに笑ってる。はう〜。

「あはははは。冗談だよ冗談。じゃ、母さんに話つけてくるわ」
「あ、うん…」

私の内心なんてお構いなしに、お兄ちゃんはまたキッチンの方に歩いていった。
一人残された私は、テーブルの上に残ったままのチケットを拾い上げてじっと見つめた。そして、大変なことに気づいてしまった………。

「お兄ちゃんと二人でプール………かぁ…。
 二人で…? ひょ、ひょっとしてこれって、デート…に、なるのかな……。え? え?え?え?」

———日曜日。

「う〜ん、いい天気だぞっと。今日は絶好のプール日和だなぁ〜」

あれから、ずぅ〜っと緊張しっぱなしのまま、気がついたらプールに来てた。そう言えば私って、お兄ちゃんと二人っきりでお出かけしたこと、なかったんだよね。いっつも、菜織ちゃんとかいたし………。

でも、ここまで来たらもう後戻りはできない。入り口でやっと覚悟を決めた私は、お兄ちゃんには先にプールサイドに行ってもらって、着替えることにした。

「…それにしても、乃絵美のヤツ随分時間かかってるけど……大丈夫かなぁ」

それからかれこれ一時間………。
着替え終わって、プールサイドで待ちぼうけてるお兄ちゃんに、やっぱりまた恥ずかしくなっちゃった私は声もかけられずに、手を伸ばしたり引っ込めたりをずぅ〜っと繰り返してた。
と、急にお兄ちゃんは両手を思いっきり伸ばして、準備運動を始めた。背筋を伸ばしたり屈伸したり、そして……上半身を左右に捻ったところで———

「あ………」
「あれ? 乃絵美。来てたのか」

お兄ちゃんと目が合っちゃった………。はう〜。まだ、心の準備ができてないのに〜…。

「…あ、あの……お、お兄ちゃん…ゴメンね………待たせちゃって……………」
「気にすんなって、俺も今来たとこだから」

…ウソつき。
私、さっきからずっと、お兄ちゃんの背中見てたんだよ。声もかけられなくて、ずっと………。

「気を遣わなくてもいいよ。私、ずっと後ろにいたんだから」
「な、何だ、そうだったのか。でも、何でまた?」

気まずそうにするお兄ちゃんに、私は正直に訳を話す。

「そ、その…恥ずかしくて……声、かけられなかったの………
「いつぐらいに着替え終わったんだ?」
「えっと……50分くらい前」
「あう」
「ご、ゴメンナサイ、お兄ちゃんっ」
「い、いや、いい………」

都合、一時間も待たせちゃったのに、怒りもしないで笑顔を見せてくれるお兄ちゃんに、また一つ胸が高鳴る。
そんな私の気持ちなんて知らないだろうお兄ちゃんは、私の頭のてっぺんからつま先までを一通り眺めて、それがまた、私の胸を高鳴らせた。

「へぇ〜。乃絵美、なかなか似合ってて可愛いじゃないか」
「(ぽっ)そ、そんなっ…! は、恥ずかしいよ、やっぱり……
「恥ずかしがることないって。うん、やっぱいいな」
「………(もじもじ)」

お、お兄ちゃんたら、私なのに、私なのにぃ〜。
私が選んだのは、地味なボーダー柄のワンピース。周りにいる女の子の水着に比べれば、全然目立ってもないし、可愛くなんてないよ…。

「乃絵美。お前今、『私なんて周りの女の子に比べたら、全然地味で可愛くない』とか思ってるだろ」
「えっ!? ど、どうして分かったの?」

図星を突かれて、ビックリして顔を上げると、お兄ちゃんはイジワルっぽい笑みを返した。

「じゃあ、もっと大胆なヤツにするか。ハイレグのビキニとか。
 野郎連中の注目の的間違いなしだぞ」
「おっ…おにいちゃん!
「はは、冗談冗談。これ以上目立ったら、俺が独り占めできなくなるしな」
「えっ…? 何?」
「何でもないよ。とにかく、せっかく来たんだから早速泳ごうぜ」
「あ、うん………あの、お兄ちゃん、一人で泳いでて、いいよ……
「は? 何で?」

私に背中を向けてプールに向かったお兄ちゃんが、振り向いて不思議そうな顔をする。

「だ、だって私…あんまり泳ぐの得意じゃないから……それじゃお兄ちゃんが楽しめないから………
「何だ、そんなことか。そんなの気にするなって。俺だってたまには兄妹水入らずで遊びたいんだからさ」
「で、でも………」
「それに、お前一人にしといたら、ナンパ野郎がすぐ寄ってくるだろうからな。かえって心配でしゃーない」

そう言って腕を組んでそっぽを向いたお兄ちゃんの顔は、何だかとっても気まずそうに見えた。その様子が、何だかとっても子供っぽくて、ついつい可笑しくなってしまう。

「(きょとん)………クスクス。ありがとう、お兄ちゃん」
「ごほん。それじゃ、今日はお前の水泳教室にしよう。これから俺のことは、先生と呼ぶように」
「ハイ。よろしくお願いします。お兄ちゃん」
せ・ん・せ・ぇ。今日は足腰立たなくなるまで特訓しちゃるから、覚悟しておけよ」
「はう〜。お手柔らかにお願いします、せんせぇ〜」

お兄ちゃん、目が本気だよ〜。私は、嬉しさ半分、後悔半分でペコリと一つ、お辞儀をした。

「うむ、よろしい。じゃあ、まずはバタ足で向こうの端までだ!」
「お兄ちゃ〜ん………」

「はぁ、疲れたぁ………」
「よく頑張ったよな。お前もやればできるじゃん」
「そ、そうかな? そんなこと、ないと思うけど」
「そんなことあるって。来たときと比べたって、随分上達したと思うぞ?」

たくさん泳いだ私達は、帰りがけに小さなお店に立ち寄って、頼まれていたコーヒー豆を受け取った後、山下公園の海沿いの道を歩いていた。
海へと吹き抜けていく風が、濡れた髪を通り抜けていってとっても心地よかった。

…なんて言えばロマンチックなんだけど、実は、近くの中華街でお兄ちゃんが食べ過ぎちゃったから、腹ごなしにお散歩してるだけなんだけどね。
でも、それでも私は、滅多にできない経験に、何だか嬉しくなってくる。お兄ちゃんと二人でお散歩……これも、デートって、言うのかな? で、でも、私達兄妹だから、そんなの、何か変だし………。

あ、そうそう。特訓の方はと言えば、私もついに25m、プールの端から端まで泳げるようになった。
最初のうちは、お兄ちゃんに掴まってもらって泳いでたんだけど、途中でいきなり手を離したりするんだもん。大変な特訓だった。(それでつい、お兄ちゃんに抱きついちゃって、二人とも真っ赤になったりもしたし…きゃっ
そんなこんなで、夢中になって泳いでいって、ついにプールの端にタッチできた時には、二人で飛び上がって喜んじゃった。

「お兄ちゃんの教え方がよかったからだよ、きっと」
「はは。誉めたって、ジュースぐらいしか出せないぞ」
「クスッ。残念」
「あ、お前やっぱりウソだったなぁ、このぉ〜」
「キャア! お兄ちゃん、怖い〜」

潮の匂いに包まれた道を、仲良くじゃれ合って歩いていく。けど、お兄ちゃんの何気ない一言に、私は途端に胸が締め付けられる思いがした。

「あはははは。今度行くときには、今日の分まで思いっきり泳ぎ倒してやるからな。お前にも付き合ってもらうから、覚悟しとけよ?」
「あ……………」

そうだった……。今日お兄ちゃんは、私に付き合ったせいで、自分は全然遊んでなかったんだ……。
そのことに気が付いて、また、迷惑をかけちゃった自分が嫌になった。

「ねぇ……お兄ちゃん………」
「ん? どうした? 乃絵美」
今日……楽しかった?
「何だよ急に。楽しかったぞ」

お兄ちゃんは、笑って答える。けど……お兄ちゃんは優しいから、そう答えるのは最初から分かってたこと………。

「無理しなくてもいいよ……。お兄ちゃん、今日はずっと私につきあってたせいで、ほとんど泳げなかったでしょ」
「はは。お前の練習見てるってのも、結構楽しかったぞ。特に最初の方のもがいてるときな。
 それに、お前の水着姿ってのも小学生以来だったけど、成長するとこはしてて、おにーさんは嬉しいぞ」
「なっ………も、もう! お兄ちゃんのイジワル!!(ぽかぽか))」
「いたたた。お、おいおい乃絵美」
私……マジメに聞いてるのに………

お兄ちゃんの胸でぽかぽか叩いてた手を止め、そのまま胸の中に顔を埋める。
私の不安げな声に、お兄ちゃんは、私の頭を静かに撫でながらゆっくりと話しかけてきた。

「だから、マジメにそう思ってるって。さっきから深刻な顔してると思ってたら、そんなこと気にしてたのか?」
「だ、だって………。お兄ちゃんは、優しいからそう言ってくれるんだよ………
「別に、乃絵美に気を遣って言ってる訳じゃないんだけどなぁ〜………って、誰かに何か言われたのか?」
「う、ううん。そうじゃなくて。
 私、こんな性格だから、一緒にいてもつまんないって思われてるんじゃないかなって………」
「う〜ん………………」

私の頭の上に載せた手の動きを止めて、お兄ちゃんが考え込むのが分かる。

「お、お兄ちゃん?
 ………そ、そうだよね。お兄ちゃんも、そう思うよね………

俯いた私の、今度は髪をくしゃくしゃさせてお兄ちゃんが苦笑した。

「バカ。違うって。多分、菜織達も同じこと思ってるだろうけど、お前って、居るだけでどこかホッとするっていうか、落ち着けるような雰囲気するんだよな」
「落ち着ける…?」
「ああ。だから、今までお前のこと、一緒にいてつまらないなんて思ったことは一度もないぞ。
 …てゆーかいたらそいつぶっ飛ばす………

手をぐーにして、しかめっ面で力説するお兄ちゃんに、私は何だか可笑しくなった。

「そ、それは遠慮しておくよ。……でも、ありがとう…
「礼を言うことでもないだろ。にしても………」
「な、何? お兄ちゃん」
「兄貴の俺が言うのも何だけど、お前ってよく気が利くし可愛いし、その上掃除も料理もお手の物、ときてるだろ?」
「そ、そんなこと……ないよ…………。私、口ベタだし、体弱いし……一緒にいたって、つまんないから………

お兄ちゃんの突然の褒め言葉に、私は真っ赤になって首を振った。だ、だって…そんな、私なんて、私なのに………。
慌てて狼狽える私に、お兄ちゃんは、私の両肩に手をかけて、目線の高さを私に合わせた。

「俺も菜織も、冴子達もそんなこと思ったことは一度もないぞ」
「それは……みんな、優しいから………」
「俺達がそんな、裏表あるような連中に見えるか? 自分で言うのも何だけど」
「ううん見えない」
「……身も蓋もないな、お前も意外に」
「あ、ご、ゴメンナサイ……」

つい出ちゃった言葉に、思わず身を竦めてしまう。それを見て、またお兄ちゃんは楽しそうに笑った。

「いいっていいって。これぐらいのこといちいち気にしてたら、菜織とケンカなんてできないしな」
「…私も、お兄ちゃん達みたいな口ゲンカとかって、してみたいな……」
「おいおい本気かよ。アレは疲れるぞ〜精神的に」

お兄ちゃんは腕組みして、心底ウンザリした顔をする。けど、それでも目だけは笑ってた。何だかんだ言って、お兄ちゃんも結構気に入ってるんだ。

「でも、二人とも本気で付き合ってるって感じがするよ。
 私、みんなが気を遣ってくれるのは嬉しいけど、そんなのなしに本気でぶつかってくれる人って、いないんだ………」
「う〜ん…そんなもんか。真奈美ちゃん辺りなんか、タイプ似てるし仲良くなれそうだと思うけどな。今はいないけど」
「ううん。きっと、お互い気を遣いすぎちゃうよ」
「成る程。じゃあ、意表を突いてミャーコちゃんってのも面白いかもな…って、それじゃ捨てられる冴子が可哀想か」
「クスクス…お兄ちゃんったら。私なら大丈夫だよ。それに、そこまでお世話してもらう訳にはいかないし。
 こればっかりは自分で見つけないとね」
「確かにな〜。
 まそれはともかく、だ。お前って、男から見たらまさにカンペキなのに、何で自分に自信が持てないんだ?」
「自分に…自信?」

突然言われたその言葉に、私はきょとんとしてしまう。そんなこと、考えたこともなかった………。

「そう。自信。体弱いのだって、『儚げで守ってあげたくなる』って、俺のクラスでも結構評判いいんだぞ、お前」
「そ、そんな………」
「まぁ、ヤツらにお前を紹介する気はないけどな」
「…お兄ちゃんらしいね」
「にしても、モテると思うんだけどなぁ、お前って」

しみじみ言うその言葉に、昔のことを思い出して胸が痛くなった。

「ううん。そんなことないよ。それに、付き合うにしても、最初はそれでいいかもしれないけど……長く付き合ってると………

———そう。お兄ちゃんには話してないけど、私は昔、振られたことがある。
一緒にいてもつまらない………そう言われて、自分でもそれが分かってて………。それ以上、付きまとって余計に迷惑をかけたく……嫌われたくなかった。
だから私は………自分に自信が持てない……………。

「そんなヤツは最初からその程度だったってことだ。
 とにかく! お前にはたっくさん魅力があるんだ。妹じゃなかったから、俺が付き合いたいぐらいなのに……ぶつぶつ…」
えっ!? あ、あの……お、お兄、ちゃん………?」

多分、辛そうな顔になっちゃったんだと思う。
お兄ちゃんは、急に声を強めて、私を元気づけようとしてくれた。………のは、嬉しいんだけど………。
え? 今……お兄ちゃん…………。

自分の言ったことに今気づいたのか、お兄ちゃんは、たちまち顔を赤くして慌てだした。

「ん? ………あわわわわわ……。どさくさに紛れて、変なこと口走っちまったな。
 まぁ、それは置いといて」
………私も……そうだよ……。お兄ちゃんが、お兄ちゃんじゃなかったら……って、思うこと、あるもん……」
「へっ?」

え…? わ、私……今何言って………。
私は、ぽつりと漏らした自分の言葉に、頬が熱くなるのを感じた。

「あ、何でもないよ、うん。
 お兄ちゃん、ありがとう。私も、お兄ちゃんのおかげで何だか落ち着いたみたい」
「そうか? それならいいけど……。でも、自信持てってのはウソじゃないぞ。菜織を見てみろ。これでもかってぐらい、自信満々だろーが」

そう言って、ため息までつくお兄ちゃん。
くすっ。私は、お兄ちゃんといるときの菜織ちゃんを想像して、つい可笑しくなっちゃった。お兄ちゃんの言うとおり、菜織ちゃんを見てると、私まで元気になってくるぐらい、いつも元気にしてるもんね。

———けど、お兄ちゃん、それは違うよ……。菜織ちゃんも、そんなに強くないよ。
真奈美ちゃんが引っ越ししちゃってからずっと、菜織ちゃんはお兄ちゃんの側にいて、我慢してたんだよ……。告白しちゃって、それまでの関係が…自分の居場所が、なくなっちゃうかも知れないって、ずっと不安に思ってたんだよ………。

なんて考えてると、お兄ちゃんの後ろに人影が現れた。あ、あの人………。

「あの、おにい…
「まぁ、あそこまで自信過剰になれとは言わんが、あいつの1/10でも自信持てたら、学校中の人気者間違いなしだな、うん。俺が保証する」
…誰が自信過剰だって?
「そりゃもちろん、菜織のヤツに決まっ……のわぁ!?

いきなり耳元に響いた冷たい声に、お兄ちゃんは文字通り飛び上がって驚いた。その拍子に、目の前に立っていた私に抱きついてくる。

あ、あのっお、お兄ちゃんっ………
「ん? わぁっととと、す、すまん、乃絵美」
う、ううん…いいの………

また、真っ赤になっちゃった私達を見て可笑しそうに笑ったのは、その、菜織ちゃんだった。

「ったく……。人がいないと思って好き放題言ってくれちゃって。
 いい? 乃絵美。コイツに何吹き込まれたか知らないけど、信じちゃダメよ?」
「こらぁ! 人の妹をたぶらかすんじゃない!」
「私がいつたぶらかしたのよ。事実を言ったまでじゃない」
「ま、まぁまぁ。菜織ちゃんもお兄ちゃんも、その辺にしようよぉ。その………みんな、見てるよ?」
へっ?

二人共辺りを見渡して、初めて周りの人達が遠巻きに私達を見てたことに気づいた。菜織ちゃんは、困ったような顔で頬をぽりぽり掻き出す。

「あちゃぁ〜。注目度満点ねぇ〜私達…」
「やべっ! 行くぞ、乃絵美!」
「キャッ!? あっ…お、お兄ちゃん………」
「あ、コラ! 待ちなさい! 私を置いて逃げようたって、そうはいかないんだからねぇ〜!」

慌てたお兄ちゃんは、私の手を取ると、そのまま一目散に走り始めた。そして、菜織ちゃんも、引きずられる私に笑顔を見せて、後をついて走り出した———。

「お待たせしました、アイスコーヒーにオレンジジュース、フルーツパフェにレモンパイです」
「あ、レモンパイは私ね
「がっつくなっての」
「何か言った?」
「あ、アイスコーヒー俺ね」
「………誤魔化したわね…」

あれから、人目に付かなくなるまで走り続けた私達は、近くにあった喫茶店に入って休憩することにした。(ちなみに、私は菜織ちゃんの隣に、お兄ちゃんはその向かいに座った)
それにしても、菜織ちゃんはともかく、お兄ちゃん、今日はプールで体力使ってるはずなのに全然息切れしてないなんて……やっぱりすごいなぁ。

「はぁ、はぁ、はぁ………お兄ちゃん達って、やっぱり、すごいんだね…。全然、息切れて、ないなんて……ふぅ」
「伊達に陸上部はやってないからな」
「私だって、毎日境内の掃除とか、家の階段上り下りで鍛えてるからね」
「はぁ…羨ましいなぁ、二人とも。私も、もっと元気だったらなぁ」

オレンジジュースを飲んで一息つく。
それでなくても今日は一日中泳ぎ詰めだったからなぁ…。はぁ…きっと明日は、筋肉痛だね………。

「大丈夫よ。昔に比べたら乃絵美、随分元気になったもの。この調子で行けば全然平気になるって」
「そうそう。今日だって、一度も倒れなかったろ?」
「う、うん………」
「そう言えば、アンタ達今日何してたの? ひょっとして、でぇととかぁ〜?」
「え? な、菜織ちゃん!? あ、あのっ、私………(もじもじ)

菜織ちゃんの突然の言葉に、私は飲みかけのオレンジジュースを吹き出してそのまま俯く。それを見て、菜織ちゃんはきょとんとした顔で追い打ちをかけた。

「およ? ホントにデートだったの?」
「バカたれ。兄妹でデートしてどーする。
 今日は、店の買い出し頼まれたから買い物に行っただけだ」
「買い出し? プールに何買いに行ったのよ」

ドキッ。
後ろめたい訳でもないはずなのに、何故か心臓が高鳴って、体が硬直してしまう。
でもお兄ちゃんは、そんな私とは対照的に、いつもと変わらない態度で切り返した。

「何だ、よく分かったな」
「水着持ってたからね。それに二人とも、髪の毛まだ濡れてるし」
「よく見てるな〜。探偵にでもなるつもりか?」
「保母さんはね、子供達のちょっとした変化に気づけるようじゃないと勤まらないのよ。
 ま、アンタみたいな大ざっぱな人間には無理な話だけどね」
何かと突っかかってくる人間だって、子供が可哀想だけどな………(ぼそっ)
「何か言った?」
ぶぇ〜つにぃ〜。
 ただ、俺の場合は、お前の姉さんが保母さんで心底よかったな〜って思っただけさ」
「引っかかる言い方ねぇ〜。どーせ私は、姉貴みたいに優しくありませんよーだ」
「分かってんじゃねーか」
うるさい! 普通そーゆー時は、『そんなことない、お前だって優しいよ』ってフォローするもんでしょーが!!」
「言ってほしいのか? 俺に」
「………ゴメン。アンタに期待した私が、バカだったわ………」
「………素直な感想ありがとう」

菜織ちゃんの言うようなシチュエーションを想像してみて、私もつい顔が引きつってしまう。あ、あんまり、お兄ちゃんのイメージじゃ、ないよね、うん。

「あ、あはは……。
 お、お兄ちゃん。菜織ちゃんってとっても優しいよ? 私も、いっぱいお世話になったことあるし………」
「(がばっ)乃絵美〜。乃絵美だけよ〜私のこと分かってくれるのわぁ〜。
 あんなバカ兄貴なんかとっとと見限って、私の妹になりましょ〜〜〜」
「な、菜織ちゃん!?」

私のフォローの言葉に、菜織ちゃんはいきなり私に抱きついてきた。
あんまり急だったから、パニックになっちゃってなすがままになった私を横目に、お兄ちゃんは、やけに深刻な顔で腕を組んで呟く。

「お前………やっぱりそっちの気が………。
 いつまで立っても浮いた話の一つも聞いたことなかったから、もしやと思ってたけど………」
ちーがーうー!
 ったく〜。冗談も通じないんだから………。乃絵美も大変よね、こんなのが兄貴だなんて」
「そ、そんなことないよ。お兄ちゃん、とっても頼りになるもん………」
「見たか。分かるヤツには分かるんだよ、俺のよさは」
「いつもいつも私に世話かけさせてるくせに、何言ってんだか」
「お前が勝手にかけてるだけだろーが。俺は今まで、一度も頼んだ覚えはない」
「何威張ってんのよ。私がいなくちゃ、部活はサボるわ宿題はやらないわ境内の掃除はしないわ、好き放題墜落するくせに」
ちょっと待てぃ、何だその『境内の掃除』ってのわぁ!
 そりゃお前のバイトじゃねーか!!」
「あはは、バレた?」

そう言って舌をぺろっと出す菜織ちゃん。この辺の呼吸、さすがだよね。…それにしても、『堕落』じゃなくて『墜落』なんだね………。

「ったく。油断も隙もあったもんじゃねぇ……。大方、乃絵美にも掃除手伝わせようって腹だろうが」
ぎく…
本気かい!
「なぁ〜んてね、冗談よ冗談。
 乃絵美って面倒見よさそうだから、子供達の遊び相手手伝ってもらいたかったんだけど………こぉ〜んなでっかい子供がいるんじゃ、それだけで手一杯だもんね〜乃絵美〜」
「えっ? そ、その……そんなこと………
「ちっ。痛いトコ突きやがって。そりゃ、確かに乃絵美には迷惑ばっかかけちまってるけどよ」
「う、ううん! そんなことないよ。
 私の方こそ、お兄ちゃんに守ってもらってばっかりで………
「うう…麗しい兄妹愛ねぇ〜。この1/10でもいいから、周りにも気配りしてほしいんだけど」
「ま、できの悪い兄貴だってのは認めるよ。確かに、俺にゃ過ぎた妹だよな」

お兄ちゃんは、珍しく菜織ちゃんの言うことに素直に頷いてる。お兄ちゃんはさっき、私にもっと自信を持てって言ったけど………。
気づいてる? お兄ちゃんも、私の話になるといつも、自分のこと低く見ちゃうんだよ。
私は、そんなお兄ちゃんを見てると何だか、胸が締め付けられるような気がして……自分でも知らないウチに、変なことを口走っていた。

「でも、菜織ちゃんの妹になるのも、案外いいかも………。だって……」
なぬぅ!?
あっ! ご、ゴメンナサイ、お兄ちゃん。
 わ、私ったら、何バカなこと言ってるんだろ」

自分でも、どうしてこんなこと言い出したのか、咄嗟には分からなかった。
お兄ちゃんが嫌いだからって訳じゃなくて、ホントは、全然逆の理由なんだけど……そんなの恥ずかしくて言えないし………。
けど、そんな私の内心なんて知る由もないお兄ちゃんは、顔を突っ伏して落ち込んでた。
はう〜、誤解なのに〜。

「アンタも人徳ないわねぇ〜……」
うるへー! こーなったら自棄食いだぁ!!
 おねーさん、ピラフ追加ね。あ、これお前のおごりな」
ちょ、ちょっと何よそれぇ! 何で私がアンタにおごんなきゃなんないのよ!
「元はと言えば、お前が妙なこと口走ったからじゃねーか」
「自業自得でしょ? 悔しかったら、私の分もおごるくらいの度量見せなさいよ」
「よーし…ってそうはいくか。それはそれ、これはこれだ」
「巫女さんにたかるなんて、罰当たりねぇ、アンタも」
「悪いな。今月厳しいんだ。
 それに、いつも境内の掃除手伝ってやってんだ。たまにはお茶以外の礼があっても罰はあたんねーと思うぞ」
そう来たか……。
 しゃーない、今日のところは私がおごったげるわ。その代わり、今度倉庫の掃除も手伝ってもらうわよ」
「よかろう。
 とゆー訳でぇ、スパゲティーとサンドイッチとミックスピザとコーヒー追加ねー
調子に乗るなぁ!
 ったく……ホント、乃絵美も苦労するわね……って、あれ?」
(だって、もしそうなったら……お兄ちゃんと、兄妹じゃなかったら……私も、お兄ちゃんと………)
「…み、乃絵美?
えっ!? な、何? ど、どうしたの二人とも」

菜織ちゃんに体を揺すられて気が付くと、二人共心配そうに私の顔を覗き込んでた。はう……自分の世界に入り込んじゃってたのね、私………。

「どうしたのって………乃絵美こそどしたのよ。急にぼーっとしたりして」
あ…わ、私………
「おいおい大丈夫か? 何だか顔が赤いみたいだけど。
 熱でも出たのか?(ぴとっ)」
「お、お兄ちゃん!?」

うまく言葉が出ない私に、お兄ちゃんは顔を近づけておでこ同士をくっつけた。
はうはう〜。ち、小さい頃は、熱を測るのによくやってたけど、今こんなことされたら、かえって熱上がっちゃうよ〜っ。

「どぉ?」
「う〜ん………やっぱり、ちょっと熱っぽいな。今日は無理しすぎたからかなぁ……」
「だ、大丈夫だよ、お兄ちゃん……。具合が悪いとか、そういうのじゃ、ないから………
「乃絵美、ホントに平気なの?」
「平気だよ、菜織ちゃん。ちょっと、考えごとしてただけだから」
「考えごと……ねぇ………。ははぁ〜ん、なるほどねぇ〜〜〜」
「な、菜織ちゃん?」

私の内心に気づいたのか、菜織ちゃんは何だかとっても嫌な予感のする笑顔をしてる。うう〜、菜織ちゃん、こんなトコ鋭くなくてもいいのに〜………。

「そっかそっか。
 お兄ちゃんと兄妹じゃなくなれば、ホントの恋人同士になれるもんね〜、乃・絵・美・ちゃん
「(ぼっ)………」
「あらあら、真っ赤になっちゃった。かーわいーんだから乃絵美ったら」

や、やっぱり、思いっきりバレてる…よね。
お兄ちゃんに聞こえないよう囁いた菜織ちゃんの顔を恨めしそうに睨むけど、きっと、今の私って恥ずかしくて半分泣きそうな顔になってるんだ。だって菜織ちゃん、笑ってるもん……うるる〜。

「お、おい、菜織。いったい乃絵美に何吹き込んだんだ? 乃絵美、真っ赤になっちまったじゃねーか」
「それは秘密よ。ね、乃絵美♪」
「(こくこくこくこく)」
「ホントに大丈夫なんだろうなぁ……」
「女の子なら、大抵一度はかかる病気よ。ま、はしかみたいなもんかな?」
何だってぇ!? の、乃絵美! 安静にしなくていいのか!? 何だったら、タクシー呼ぶぞ」
「だ、大丈夫だよ、お兄ちゃん。その、風邪とか、そーゆー病気じゃ、ないから………

こんな時、菜織ちゃんの説明の意味に気づいてくれないお兄ちゃんの鈍さって、複雑に思う。気づいてほしいような、気づかないでいてホッとするような……。
だってお兄ちゃん、私がホントの病気なんだって本気で心配してくれてるんだもん。それはそれで嬉しいんだけど………なぁ。

「だって、はしかみたいな病気って………」
「そーゆー意味の病気じゃなくて……。
 あ〜もう! 鈍いんだからこいつわぁ〜!
「な、何怒ってんだよ。こっちは大事な妹が病気だっつーのに…」
「あのね、お兄ちゃん……その、病気っていうか………病気じゃないの、これ…
「は? どーゆー意味だ?」
だから……その…………

菜織ちゃんの言いたかったことをお兄ちゃんに説明しようとしたけど、やっぱり恥ずかしくてできなかった。
結局また、心臓がドキドキ鳴りだして、何も言えなくて俯いちゃう。これじゃ、またお兄ちゃんが心配しちゃうのに………。

「しょうがないわね、二人とも。
 いい? 今の乃絵美には、アンタが側にいるのが一番の特効薬なの。これで意味が分かんなきゃ、黙って言う通りにしてなさい」
「な、菜織ちゃん…」
「変なヤツだなぁ〜。俺は推理物、苦手なんだけどなぁ…」
「はぁ〜〜〜〜〜ダメだこりゃ。全っっっ然分かってない………」
「だから何が?」

テーブルに突っ伏した菜織ちゃんに、私も思わず苦笑いしてしまった。
ホント、菜織ちゃん達も苦労してきたんだろうなぁ……。今のお兄ちゃんの顔見てたら分かるもん。
菜織ちゃんもさすがに呆れたみたいで、そのまま頬杖をついて吐き捨てるように話を続けた。

「自分で考えなさい!
 それより、今更私にまで『買い出しだ〜』なんてウソつくことないんじゃない?」
「ん? ああ、プールのことか。
 別にウソはついてないさ。今日のメインイベントはコーヒー豆の買い出しだからな。で、その時、横浜ドリィムランドのチケットもらったんだ」
「へぇ〜。だから乃絵美誘ったんだ。アンタも結構いいトコあるじゃない」
「まぁな。乃絵美のヤツ、夏休み中働いてばっかだったから、たまには息抜きさせてやろうと思ってな」
「うんうん、妹想いで大変結構。
 なぁ〜んて、ホントはただ、乃絵美とデートしたかっただけじゃないの〜? こぉ〜んなに健気でカワイイ妹だもんね〜」
「アホ! 人をシスコン呼ばわりするんじゃねぇ!」
「あら? 私そこまでは言ってないわよ?
 それともやっぱ、自覚あるんじゃないのぉ〜?」
こ・の・や・ろ・う……言わせておけば言いたい放題………
「う、ううん、違うよ菜織ちゃん。私が、一緒に行きたいって言ったの。今年、まだプール行ってなかったし、ちょうどいいかなって思ったから……」

慌てて私がフォローに入ったんだけど、菜織ちゃんは怒りに震えてるお兄ちゃんなんて気にも留めないで、さらに煽るような言葉を続けた。

「あらそう? だったら、私に声かけてくれたらよかったのに。こ〜んなニブチンよりよっぽどマシよ?」
誰がニブチンだ。だいたい、お前にチケットやったら、乃絵美ほったらかして自分だけ遊ぶだろうが」
そんなことしないわよぉ! 乃絵美は、私にとっても妹みたいなもんなんだから。
 それに、それはアンタだって同じでしょ? 私とプール行ったって、5分もすれば一人でどっか行っちゃうでしょうが」
「当たり前だろ、泳ぎに行ってんだから。乃絵美は特別だ」
「ほ〜らやっぱりシスコンだぁ〜」
「黙れ。兄貴ならこれぐらい当然だ。お前んとこの兄貴だってそうだろうが」
「うちは教育方針が違うもん。心配どころか、『これも修行だー』とかいって、わざと溺れさせてたくらいって、アンタも知ってるでしょ?」
「…そーいや、そーだったな………」

菜織ちゃんの言葉に、途端にお兄ちゃんが額に青筋を浮かべた。

「お、お兄ちゃんも、されたことあるの?」
「子供の頃、年に3、4回程な」
「だ、大丈夫だった………?」

そ、そう言えば……子供の頃お兄ちゃんって、菜織ちゃん達とプールに行ったきり帰ってこなかったことが何回かあったけど………。しかも大抵、次の日に真奈美ちゃんが泣きそうな顔して、一緒に付き添って帰ってきてたけど………ひょっとして………。
私は、懐かしい思い出の裏事情に、思わず背筋が寒くなった気がした。けど、そんな心配は杞憂だったみたいで、菜織ちゃんは笑いながらお兄ちゃんの頭をぽんぽんと軽く叩く。

「まぁ、こーやって生きてんだから、大丈夫だったんじゃないの? 頭の血の巡りが悪くなったの除けばね」
「そりゃどーゆー意味だ?」
「そんなヒドイこと、私の口から言うなんてできないわっ。貴方が可哀想すぎるものっ!」
ちっ。口と胸ばっか達者になりやがって………
な、何よこのスケベ!
「いいな、菜織ちゃん……。私、ちっちゃいから………」

お兄ちゃんの軽口に、真っ赤になって胸を押さえる菜織ちゃん。私は、ここぞとばかりに二人にお返しにでた。

「な、何言ってんのよ、乃絵美。心配しなくても、こんなのすぐおっきくなるって」
「でも、お兄ちゃんだって、大きい方がいい、でしょ………?」
ぶっ! い、いや、俺は別に、大きさにはこだわらない…と思うぞ、うん」
「アンタ………やっぱり、乃絵美のことそんな目で見てたんだぁ!」
ち、違う違う! そんな訳ねーだろ!
「……………(じ〜)」
「はう〜」

悲しそうな目でお兄ちゃんを見つめると、お兄ちゃんはこれでもかとばかりに狼狽えた。
でも、このまま見てるのも面白そうだけど、これ以上は可哀想かな? 私は、口元を手で押さえながら二人に向かって謝った。

「クスクス…。ごめんなさい。お兄ちゃん、菜織ちゃん」
あ〜! 乃絵美ぃ〜、アンタ私達をからかったわねぇ〜!?
「の、乃絵美にしてやられるとは………。い、いや、乃絵美は悪くないな。悪いのは、全部菜織だ。うん、そう決めた」
何ですってぇ! 元はと言えば、そっちが胸の話持ち出してきたんでしょうが。このスケベ大王!
「まぁ、胸がでかくても、態度がでかけりゃ全部台無しってことだ。だから乃絵美も気にするな」
「こ、この男わ………」

菜織ちゃんの追求も何のその。お兄ちゃんは、胸元を押さえたままの菜織ちゃんのことなんて気にした風もなくアイスコーヒーに口を付けた。

は、話の流れを、変えた方がいいみたい。私も、ホントはあんまり胸の話題は………。

「あ、あはは……。そ、そういえば菜織ちゃんって、スタイルだけじゃなくてお洋服のセンスもあるんだよ」
「あら、嬉しいこと言ってくれるわねぇ乃絵美〜。どっかの鈍感大王とは大違いね〜」
「誰のことだ?」
「さぁ〜ね〜。
 せっかくのお兄ちゃんとのお出かけだからって、新しいリボンして、ちょっと冒険して香水までつけたってのに、全然気づいてあげられないヤツのことじゃないかしらぁ?」
なぬぅ!? ………あ゛」
な、菜織ちゃん!

菜織ちゃんに言われて、お兄ちゃん初めて気が付いたみたい……。
今日の私は、いつもと違う真っ白なリボンに、この間貰った香水をちょっとだけ使ってた。気づいてもらおうなんて思ってた訳じゃ…そりゃ、気づいてくれたら、嬉しいけど……そんなんじゃなくて、せっかく貰ったんだし、いつもと違った気分でいたかったから……。
お兄ちゃんは今まで気づかなかったみたいだけど、どうやら菜織ちゃんは、これがどんな物なのかすぐに分かったみたい。私に向かってウインクを一つすると、楽しそうに笑ってた。

「あはは、ゴメンねぇ〜乃絵美。こいつのことだから、どーせ気づいてなんかいないだろうと思ってね。
 おせっかいだったかしら?」
「う、ううん。そんなこと…ないけど………
「そーいやこのリボン、どっかで見たことあるような………。それにこの匂い………?

お兄ちゃんは、私の顔をじっと見つめた後、頭に鼻を近づけてくんくん匂いを嗅いだ。

「お、お兄ちゃん………。その、あんまり見つめられると、恥ずかしいよ………
「あ、ああ、ゴメンゴメン。つい…」

そう言って照れくさそうに私から離れたお兄ちゃんに、菜織ちゃんはちょっと不機嫌そうに、ぶっきらぼうに説明した。

「ばぁ〜か。それ、真奈美のリボンと香水よ」
「真奈美ちゃんの?」
「どうせ使わないし、記念にってお別れの時に乃絵美に上げたんだって」
「へぇ〜…って、よく見たらそのリボン、真奈美ちゃんが昔してたヤツだよな」

お兄ちゃんの言うとおり、このリボンは、真奈美ちゃんが子供の頃にしてたもの。
ついこの間、真奈美ちゃんがミャンマーから戻ってきてた時期があって、結局一月程でまた帰っちゃったんだけど、その時私は、真奈美ちゃんからこのリボンと香水を貰った。
実はこれ、私達が小さかった頃、私が何度も欲しいって言ってたもので、真奈美ちゃんはそのことを覚えてて、お別れの時に私にこれをくれたという訳。

「そうだっけ? よく覚えてるわねぇ。そこまでは知らなかったけど」
「まぁな。あの頃は、真奈美ちゃんって言えばでっかいリボン!って印象強かったしな」
「そう言えばそうね。あの頃の真奈美って、ホントお人形さんみたいだったっけ」
「その点、お前ってば昔っから何っっっっっにも変わってないよな。笑えるくらい」
アンタにだけは言われたくないわよ!
「乃絵美。コイツ、ホントにセンスなんてあるのか? 巫女服にバッシュ履くようなヤツなんだぞ?」
「あ、あはははは……。わ、私、それについては何も言えないよ〜」

さすがにこればっかりはフォローできなくて、菜織ちゃんはちょっと膨れた顔をした。元気な菜織ちゃんらしくて、それはそれでいいとは思うんだけど………ねぇ。
でも、二人とも……って、私もそうだけど、全然変わってないと思うよ。アルバム見たらすぐ分かるもん。

でも、菜織ちゃんは納得がいかなかったみたいで、不服そうな顔でお兄ちゃんを睨み付けてた。

「むぅ〜失礼ねぇ〜。アンタ、私のロンジー姿知らない訳じゃないでしょ? モデルと間違われたくらいなのよ?」
「ありゃ真奈美ちゃんの見立てだろ。等身大○カちゃん人形がエラソーに言うな」
何ですってぇ!
「ふ、二人とも抑えてぇ〜。みんな見てるんだよ?」
「乃絵美を困らせるなんて、なんてヒドイおばちゃんなんだ。さぁ乃絵美、こんなおばちゃん放っといて、さっさと帰ろう」
誰がおばちゃんよ! だいたい、アンタがケンカ売ってきたんでしょうが!
「俺は買っただけだ。売ってきたのは菜織の方だろうが」
「あ、あれ? そだったっけ?」

お兄ちゃんの一言に、菜織ちゃんは思わず言葉に詰まっちゃった。
いつも、気が付けばケンカになってるって感じだったから、珍しくはっきり言われて菜織ちゃんも戸惑っちゃったのかな?

「そうだよ。どうだ参ったか」
「お兄ちゃん。あんまり菜織ちゃんをいじめちゃダメだよ」

私は、それ以上騒ぎを広めないようにするためにやんわりとお兄ちゃんを諭した。
それに……ホントはお兄ちゃんが先なんだよ? 菜織ちゃんのこと、自信過剰だ、なんて………。

「ったくぅ〜調子狂うなぁ。
 それにしても、今日はいつになく強気よね。いつもならアンタの方が言い負かされるってのに」
「そうか? 俺はいつもこんなだと思ってたけどな。
 お前こそ、何か悪いモンでも食ったんじゃないのか?」
「バァ〜カ。アンタと一緒にしないでよ。
 あ、そっか。はっはぁ〜ん……なるほどなるほど……」
「ど、どうしたの? 菜織ちゃん」
「乃絵美には、カッコ悪いとこ見せられないって〜♪」

菜織ちゃんはそう言って、私達を交互に見てイジワルそうな笑顔を見せた。
はう〜。結局このパターンになっちゃうの〜?

「…お前、どうあっても俺に禁断の道を歩ませたいらしいな………」
「そんなことないわよ〜。ただ、見てると面白いってだけで」
「あ・の・なぁ〜」
「アハハハ 冗談よ冗談。さっきのお返しよ。さて…(カタン)」
「ったく……。って、もう帰るのか?」
「まぁね。境内の掃除もあるし、さっさと用済まして帰らなくちゃなんないのよ。
 じゃ、お二人さん、ごゆっくり〜♪」
「な、菜織ちゃん!」
「………マンガの見すぎだっちゅーの」

私達は、足早に店を出ていく菜織ちゃんの背中を見送った後、二人揃って大きなため息を一つついた。
 そしてお兄ちゃんは、しばらく考え込むような仕草をした後、ぽつりと呟いた。

「……あの野郎…………」
「どうしたの?」
「………やられた……」

そう言って指さしたテーブルの先には、領収書だけがぽつんと載せられてた。

家への帰り道。綺麗な夕焼けが、私達の影を長く伸ばしてる。
私とお兄ちゃんは、いつもよりゆっくり歩きながら、気持ちいい風の吹く夏の夕暮れを楽しんでた。

「やれやれ。今日はまた一段と騒がしい一日だったぜ……」
「お疲れさま、お兄ちゃん」
「ああ。乃絵美こそ大丈夫か? 人混み、大変だったろ?」
「私も平気だよ。それに、とっても楽しかったから全然気にならなかったし」
「そか。なら、いいんだけどな。
 それにしても、菜織のヤツ、ふざけたことばっか言いやがって………」
「クスクス……。仲、いいもんね、二人とも」
「そうか? 顔合わせればケンカばっかしてるんだぜ?」
「ケンカするほど仲がいい、っていうじゃない」

私の言葉に、お兄ちゃんは苦笑いを返す。

「そんなもんかねぇ。まぁ、アイツには気を遣う必要がないってのは確かだけどな」
「きっと菜織ちゃんもそう思ってるよ」
「お前ぐらい…とは言わないけど、1/10ぐらいは気を遣ってほしいんだけどなぁ…」

空に向かってため息を付いて、菜織ちゃんと同じことを言うお兄ちゃん。私は、その広い背中に向かってそっと呟いた。

気を遣ってくれたから、先に帰ったんだよ、きっと…
「ん? 何だって?」
「う、ううん、何でもない!
 あ、そうだ。お兄ちゃん。ちょっと耳、貸してくれる?」
「耳? 内緒話か…って、誰もいないぜ?」
「う、うん………。でも、やっぱり、ちょっと恥ずかしいから………
「? 変なヤツだなぁ」
「お願い、お兄ちゃん………」
「ん〜…まぁ、いいけど………どうしたんだ?」

不思議そうに、私に横顔を寄せてくるお兄ちゃん。そのお兄ちゃんにまで聞こえちゃうんじゃないかってくらい心臓が高鳴ってくるのを感じる。

「うん………あのね……………」
「ふんふん」

すぐ側にあるお兄ちゃんの頬に、私は思いきって唇をそっと近づけた。

「今日は、ホントに………ありがとう(ちゅっ)」
「へっ……………?」
「わ、私、先に帰ってお店の手伝いするね!
 じゃあ、お兄ちゃん。また、後で(ぱたぱた…)」
「乃絵美? え? え?え?」

そのまま呆然と立ちすくむお兄ちゃんを背に、私はこれ以上ないくらい真っ赤になりながら家に飛び込んで、そのまま部屋の中に駆け込んだ。

〜次の日〜

「まったく、いったい昨日何してたのよ。夏期講習当日にちょうどカゼだなんて、狙ってるんだか、タダのバカなんだか………」

菜織ちゃんが、濡らしたタオルをお兄ちゃんの額に載せる。

「う、うるへ〜…げほっごほっ」
「だ、大丈夫? お兄ちゃん。ゆっくり寝てなくちゃダメだよ…」
「ま、そんだけ元気あればすぐ治るわよ。乃絵美も、そろそろ学校行ったら?」
「う、ううん。私、看てる………」

あの後———外で立ちつくしていたお兄ちゃんは、体が冷えちゃったみたいでそのままカゼを引いてしまった。
朝そのことに気が付いた私は、今日からの夏期講習のこと、全然忘れてるだろうって迎えに来た菜織ちゃんに事情を簡単に説明して(その…何で立ちつくしてたか、は…ナイショだけど……)、こうして今まで看病していた。

「別に放っといたって大したことないって。おばさまもいるんだし」
「で、でも、お兄ちゃんが風邪引いちゃったのって、私のせいだし………」
「ほーら正樹、アンタが風邪なんか引くと、乃絵美に余計な心配かけさせちゃうんだからね? 分かった?」
分かったから………お前こそ、とっとと学校…行け………げほっげほっ」

お兄ちゃん、私達に余計な心配かけないようにって結構無理して菜織ちゃんに言い返してる。
菜織ちゃんもそれが分かったのか、困ったような、呆れたような顔で、お兄ちゃんに布団を掛け直して、ドアの方に向かった。

「はいはい。それじゃ、乃絵美も行きましょ?」
「あ、私、もうちょっと後で行くから、菜織ちゃん先行っててくれる?」
「そぉ? ま、いいけど………。それじゃ、遅刻しないようにね」
「行ってらっしゃい」
「…おー行け行け。俺の分まで勉強してこい………」
「言っとくけど、自分の分のノートまで取ってもらおうだなんて考えないことね。後でちゃんと、アンタに書き写してもらうからね」
「ちっ……。せっかく堂々とサボれるってのに………」
「バ〜カ。後で困るのはそっちなのよ?」
「分かったからさっさと行け。俺は寝る」
「そっ。それじゃ、行って来ま〜す」

ぱたぱた……。
部屋から遠ざかっていく足音がだんだん小さくなる。それが完全に聞こえなくなった頃、お兄ちゃんは大きく息を吐いて私に向かって笑いかけた。

「ふぅ〜、やっと行ったか……。
 乃絵美も、俺は大丈夫だから、菜織と学校行けよ」
「う、ううん。私、今日はずっとお兄ちゃんのこと看てる。
 だって、お兄ちゃんが風邪引いたの、私のせいだから………」
「あう………」

私の言葉に、お兄ちゃんは顔を真っ赤にして言葉を詰まらせた。
どうしたのかな、って様子を見ようと覗き込もうとした時、私は不意に、何でお兄ちゃんがそうなったのかが分かった。
そ、そうだった………。私…お兄ちゃんに、キス……しちゃったんだっけ………。

「あ…………」
「いや、まぁ………なんだ。その………」
「…ごめんなさい、お兄ちゃん。私、あの時どうかしてた………」
「……………」
「へ、変だよね、私……。お兄ちゃんは、お兄ちゃんなのに………」

恥ずかしさと後悔とで胸が押しつぶされそうになって、お兄ちゃんの顔をまともに見ていられない。
お兄ちゃんの視線を感じながらも、これ以上何て言っていいか分からなくて……二人共黙り込んでしまったせいで生まれた静寂が、永遠みたいに長く感じられた。

その重さに耐えきれなくなって、すぐにでもここから逃げ出したくて、足を後ろに動かそうとした時、お兄ちゃんが口を開いた。

「…なぁ、乃絵美」
(びくっ)な、何?

心臓が、飛び上がりそうなほど大きな音を立てる。それにつられてお兄ちゃんを見ると、お兄ちゃんは照れくさそうに目を反らしながら、鼻の頭を指で掻いていた。
そして、あくまでもさり気なく私に向かって言う。

「俺、乃絵美のこと好きだぞ」
お、お兄ちゃん!?

突然の告白に、私は頭の中が真っ白になってしまった。
だ、だって…わた、私達、兄妹なのに……。私だよ? 私なのに………。
熱で赤くなってるお兄ちゃんと同じくらい、顔が熱くなる。けど、お兄ちゃんが「冗談だよ」って言ってくれるかもって期待も虚しく、私から目だけを背けたまま話し続ける。

「菜織にもシスコンだってよく言われるけど、マジな話、お前が妹じゃなかったらって、よく思ってた」
「……………」
「けどやっぱり、俺は乃絵美が妹でよかったって思うんだ。男とか女とか、恋愛感情越えたところで、さ」

それを聞いた私は、張りつめていた糸が切れるみたいに急に力が抜けて、カックリと肩を落としてしまった。
妹………。その言葉が、私の心を斬りつける。
知らないうちに、私は俯いて唇を噛みしめていた。

「どうして? やっぱり、私みたいな娘が、恋人なんてイヤ?」
「そうじゃないよ。
 …どんなに仲のいい恋人だって、結局は他人だからな。別れたらそれっきりだろ?
 けど、兄妹はそうじゃない。ケンカしたって、将来、二人とも誰かと結婚したって、俺達はずっと兄妹なんだ」
「え、あ、うん………」

お兄ちゃんの言いたいことが分からなくて、素直に頷き返す。私の反応を見て、お兄ちゃんは、そこで初めて私の目を見て、そして、とっても優しい笑顔を見せてくれた。

「真奈美ちゃんや菜織みたいな『幼なじみ』って絆も、絶対って訳でもないだろ? だけどお前とはそれこそ、もう二度と会えなくなっても、兄妹だってことには代わりがないんだ。
 だから乃絵美とは、特別な絆でつながってる———そう、思えるんだ」
「特別な、絆………」

お兄ちゃんの言葉が、ゆっくりと心に染みわたる………。それは、さっきまでせつなくて苦しかった私の心を包んで、暖めてくれた………。

「だから俺は、乃絵美が妹でよかったって思う。これからもずっと、お前は俺の『特別』でいられるから、な」
「お兄…ちゃん………」

目の前にいる、お兄ちゃんの姿が揺らぐ。我知らず、涙が溢れてくる。
けど……哀しいからじゃない。だって………こんなに、心が震えてるもん……。胸がドキドキして、暖かいもん………。
お兄ちゃんも同じ気持ちなのかな……。さっきより顔を赤くして、焦った顔をしてる。

「…も、もういいだろ? 俺だって、恥ずかしいんだからな。こんなこっぱずかしいセリフなんてよ………」
「クスクス…。そうだね。お兄ちゃんと私は、『特別』なんだもんね。真奈美ちゃんとも、菜織ちゃんとも違う………」
「あ、ああ。だから、安心して学校行ってこい。多分菜織のヤツ、下で待ってるだろうからな」
「………お兄ちゃん、菜織ちゃんのこと、何でも分かるんだね………」

私は、ちょっと悔しくなって、わざとイジワル言ってみた。するとお兄ちゃんは、苦笑いをして私を見つめ返した。

「こ、コラコラ、ちゃかすなって。単に付き合いが長いから、アイツの行動パターンが読めるってだけだよ。
 それに、それを言うならお前の今考えてることだって分かるぞ?」
「えっ? ホントに?」
「行ってきますのキス、したいって考えてたろ」
「(ぽっ)お、お兄ちゃん!?

冗談だって分かってても、つい心臓が高鳴ってしまう。お兄ちゃんはそんな私の顔を見て、さも可笑しそうに笑い出した。うぅ〜………。

「ハハ。冗談だよ、冗談」
「も、もぉ〜…。そんなエッチな冗談言えるなら、今日は学校行っても平気だよね!」
う゛………やぶ蛇だったか?

怒った顔で言う私の一言に、途端にお兄ちゃんの顔が引きつった。

「ウフフ。う・そ
 そんなこと言わないよ。今日は無理しないでゆっくり休んでてね?」
「ふぅ〜助かったぁ〜。それじゃ、これ以上ボロ出す前に寝るとしますか」
「じゃあ、私、行ってくるね」
「おー。気をつけてな」

安心して気が抜けたのか、お兄ちゃんはまたベッドに倒れ込むと、そのまま目を閉じた。そして私は、乱れた掛け布団を肩までかけ直す。

「お兄ちゃんも、ちゃんとお布団肩までかけないと、風邪治んないよ? ホラ」
「ん。サンキュ」
「はい、これでよし……………」

そして、目を閉じて何も見てないお兄ちゃんに———。

「じゃあ…………行ってきます…」
「んっ…………んん!?(ガバッ!)
 の、乃絵美!?

「お兄ちゃんが言ったんだよ? 私がしたいって考えてるって。
 じゃ、行ってきます!」

(ぱたん)ぱたぱたぱた………。

お兄ちゃんが何か言う前に、急いで部屋を飛び出した。

「い、今のあったかい感触………ま、まさか………だよ、なぁ〜……。
 い、いかん……やっぱ、熱あるせいだな、うん。今日は、寝てた方がよさそうだ………寝れたらだけど」

「あ、遅かったわね、乃絵美」
「菜織ちゃん。待っててくれてたんだ」

下に降りた私を、お兄ちゃんの言う通り菜織ちゃんが待っててくれていた。菜織ちゃんは、カウンターのイスの一つに腰掛けたまま、私に向かってウインクを一つする。

「まだ時間あったからね。
 ところで、何かいいことでもあったの? ずいぶん嬉しそうな顔しちゃって」
「えっ? そ、そうかな。そんなことないよ、うん」
「そぉ? ま、元気がないよりずっといいけどね。てっきり、今日はお兄ちゃんがいないから寂しい、って顔してるかと思ってたんだけど」
「(ぽっ)そ、そそそ…そんなこと………」
「隠さなくてもいいわよ。乃絵美がお兄ちゃんっ子だってこと、よーく知ってるんだから」

頬杖をついて笑ってみせる菜織ちゃんに、私はため息混じりに苦笑してみせた。

「はぁ……やっぱりかなわないなぁ。お兄ちゃんだけでなく、私のことまでお見通しなんだもん」
「そりゃあ、ね。小さい頃からずっと見てきたんだもん。
 分かるわよ。アイツが何よりも、乃絵美のこと大事に想ってたってことも、乃絵美も、アイツのことを一番に想ってるってことも…………」
「えっ………?」

菜織ちゃんの一言に、私は表情を強ばらせた。それを見た菜織ちゃんは、何か納得したみたいに頷くと、困ったような顔をする。

「兄妹揃って、隠しごと下手なんだから。周りの方が逆に気を遣っちゃうくらいね」
「……………(もじもじ)」
ホント………見てて妬けるんだから……………

呟いた菜織ちゃんの言葉にハッと顔を上げると、菜織ちゃんは、どこか遠い目をして寂しそうな顔をしてた。
その表情は、素直じゃない菜織ちゃんの本心を何よりも物語っていて、私の胸をホンの少しだけ痛めさせた。

「菜織ちゃん……やっぱり……」
さぁて、ね。私は、後ろでハッパかけるのがお似合いだし」

けど、私が見てるのに気づくと、すぐにいつもの明るい笑顔に戻って、戯けた調子で返してくる。

「くすっ…そうだね。でも、お兄ちゃんも菜織ちゃんのこと好きだよ、きっと」
「ぷっ…アイツがぁ〜? まっさかぁ〜。
 こぉ〜んな、すぐ口ゲンカ吹っ掛けるような私…なんて………。それにアイツは、昔から真奈美のことが………
「菜織ちゃん……」

菜織ちゃんは寂しそうに笑うと、殊更元気よく私の肩をぽんと叩いた。

「なぁ〜んてね。ま、私が入り込む隙なんて最初からないわよ。初恋の娘に、大切な妹までいるんじゃね」
「そんなことないよ。それに、妹って……最初から、勝負すらできないんだよ………
「乃絵美?」
「だから……だから、菜織ちゃんには、諦めないでいてほしいの。いつもお兄ちゃんの背中押してあげてる菜織ちゃんが立ち止まってたら、私、辛いよ……」

自分の言葉に、どうしようもないくらい胸が詰まってくる。
菜織ちゃんが私達のことをずっと見守ってたように、私も菜織ちゃん達のことをずっと見てた。
だから、菜織ちゃんの気持ちも、私にはよく分かってた———。

「乃絵美……アンタ…………」
「だから、菜織ちゃんにも頑張ってほしいの。二人なら、私も、諦め…られ………。
 あれ? どうしたのかな………私、何で泣いてるんだろ……」

気が付くと、また涙が溢れ出してきた。
何故だろう……。最初から、分かり切っていたはずなのに。なのに、何で胸がこんなにも痛いの?
自然と肩を震わせる私を、菜織ちゃんはそっと抱きしめた。

「………ゴメンね、乃絵美…(きゅっ)」
「ど、どうしたの? 菜織ちゃん………」
「そうだよね……。乃絵美は、スタートラインに立つことすらできなかったのに………。私は、そのスタートラインからも逃げてた………。
 アイツのこと、偉そうに言えないよね………」
「なお…り……ちゃ……う…うう……ぐすっ………すんすん………
「分かってる。思いっきり泣きなよ………。乃絵美の分も、私頑張るから……。ちゃんと、スタートラインに立つから………」

菜織ちゃんの心臓の音が聞こえる……。どきどき、いつもより速く、強く。私を抱きしめる両腕も、少しだけ震えてた。

「うん………。真奈美ちゃんも、喜ぶよ、きっと」
「そう…ね。もっとも、あの娘も身を引いちゃうタイプだけど」

私は、菜織ちゃんから離れて精一杯の笑顔を返すと、戯けた調子で一言。

「3人とも、ね」
「プッ……あはは。言うじゃない、乃絵美も」
「クスクス…。
 あ〜あ。私も、もうお兄ちゃんから卒業しなきゃな」
「頑張れ。もし、乃絵美を泣かせるような男がいたら、私がぶっ飛ばしてあげるからさ」
「期待してるね。それじゃ、行こ
「おっし。じゃあ、今日も一日、頑張りますか」
「うんっ!」

家を出て、空を見上げて思いっきり深呼吸をする。
そして、視界の端に見えたお兄ちゃんの部屋を一度だけ見て、先を歩く菜織ちゃんの後を追いかけた。


———お兄ちゃん。ずっとずっと、私の『特別』でいてね———


おしまい

後書き

こんな妹が欲しい!
…いや…
妹じゃなきゃもっといい!(爆)
以上、魂の叫びでした(笑)


———ま、それは置いといて。
え〜、惜しくも逆転されてしまいましたが、出番の少なさと影の薄さなどモノともせず、人気大の乃絵美ちゃんだい。
しかし彼女も、三軒茶屋姉妹のままだったら………きっと、正樹君とらぶらぶになれただろうに、くっそぉこの野郎やりやがったなぁ。でもって、更にサエやミャーコちゃんともらぶらぶになれたら………それはそれで面白いかも…(*^^*)
サエがからかわれるのは本編にも出てたけど、逆にミャーコちゃんとらぶらぶになった途端、ミャーコちゃんがしおらしくなってサエちゃんの逆襲が始まったり………い、いかん。SS書きの血が……(^^;)

そしたらますます乃絵美の影が薄くなる〜(爆)

で、菜織です。うちのSS、この手のキャラが出ると途端に掛け合い漫才が始まってしまうというクセがありまして、今回も予想に違わずやってくれました(笑)お陰で中盤、主役の影が薄い薄い(^^;)
でも、この娘もいい娘ですよねぇ、端で見てる分には(爆)まぁ、主人公一生尻に敷かれるのは間違いあるまいて………。乃絵美とは気が合うと思うんで、きっと乃絵美も、いい小姑さんになれることでしょう。


つーところで、最後に一言。

やっぱ『お兄ちゃん』だよなぁ〜


作品情報

作者名 あみ〜ご
タイトル特別の絆
サブタイトル
タグWithYou〜みつめていたい〜, 伊籐乃絵美, 伊籐正樹, 氷川菜織
感想投稿数389
感想投稿最終日時2019年04月13日 01時17分50秒

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評価一覧(クリックで開閉します)

評価得票数(票率)グラフ
6: 素晴らしい。最高!168票(43.19%)
5: かなり良い。好感触!126票(32.39%)
4: 良い方だと思う。82票(21.08%)
3: まぁ、それなりにおもしろかった6票(1.54%)
2: 可もなく不可もなし6票(1.54%)
1: やや不満もあるが……1票(0.26%)
0: 不満だらけ0票(0.0%)
平均評価5.13

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要望得票数(比率)
読みたい!382(98.2%)
この作品の直接の続編0(0.0%)
同じシリーズで次の話0(0.0%)
同じ世界観・原作での別の作品0(0.0%)
この作者の作品なら何でも382(98.2%)
ここで完結すべき0(0.0%)
読む気が起きない0(0.0%)
特に意見無し7(1.8%)
(注) 要望は各投票において「要望無し」あり、「複数要望」ありで入力してもらっているので、合計値は一致しません。

コメント一覧(クリックで開閉します)

  • [★★★★☆☆] ラストがちょぴり残念・・・でも、乃絵美が最高!!
  • [★★★★☆☆] 他のSSと比べても一番いい終わり方だと思う。
  • [★★★★★★] ほのぼのしてて楽しかったです
  • [★★★★★★] 布団抱えて悶えてました。萌えすぎです。
  • [★★★★★☆] 布団抱えて悶えてました。萌えすぎです。
  • [★★★★★★] 乃絵美と菜織、この二人はやっぱりサイコー!
  • [★★★★★☆] 乃絵美ちゃんラブリー
  • [★★★★★★] 主人公の「妹」の存在を忠実に表してくれているから良かった!
  • [★★★★☆☆] 何か、ほのぼのしていて良かった。
  • [★★★★★★] すごくよくできていると思います。
  • [★★★★★☆] 僕も乃絵美を愛してるぞー
  • [★★★★★★] 乃絵美ぃぃぃ〜〜
  • [★★★★★★] え〜白状します妹物にはとことん弱いです。はい。(^^; 原作は未経験ですが、“ほのぼの系ラブコメ”って大好きなんです。読んでいて幸せな気分になりますよねぇ。だからこうゆうお話が読めるのはとても嬉しいものです。それからもっと背中が痒くなるようなものが読めればいいなぁなどと思ったりもして・・・(笑)
  • [★★★★★★] 乃絵美ちゃんらぶりぃ〜
  • [★★★★★★] 読んでいる間、ずっとドキドキしてました.
  • [★★★★★★] 言葉もありません…最高!
  • [★★★★★★] 最高ーーーーーーー!!
  • [★★★★★★] good!!
  • [★★★★★★] ...>_<
  • [★★★★★☆] やっぱ乃絵美最高!!
  • [★★★★☆☆] ほのぼのしていて良かったです。
  • [★★★★★★] よかったです。ぜひ続きを…。
  • [★★★★★☆] 最高ですヽ(´ー`)ノ
  • [★★★★★★] 妹最高!
  • [★★★★★☆] 頑張って下さい
  • [★☆☆☆☆☆] 最高!!
  • [★★★★★☆] 読んでいて赤面してしまいました。
  • [★★★★★★] ^_^!
  • [★★★★★★] 家族の前なのに、にやけてました・・・
  • [★★★★★★] 画面の前でこっちが赤面でした〜。
  • [★★★★★☆] この話は此処で終わった方がいいような気がします。ソレでは、乃絵美ぃ!!大好きだ!!!
  • [★★★★★★] やっぱり!血の繋がった妹が!一番萌える!
  • [★★★★★☆] 『こんな妹・・・いや、こんな彼女が欲しいぞぉぉぉぉぉぉっ!』
  • [★★★★★☆] おもしろかったのでまた書いて下さい。
  • [★★★★★☆] ガチンコバトルをして欲しい
  • [★★★★★★] 新作を是非希望致します
  • [★★★★★★] 乃絵美最高!
  • [★★★★★★] 乃絵美〜!