まるで刺そうとしているかのように照りつける陽の光。
その光に、身体の血がどうにも騒いで仕方がない。

夏。
七月の終わり。
高校最後の夏休み。


いつもより早く起きて、いつもより少し長い時間をかけて、ゆっくりと朝食を取ったあと、部屋に戻って窓を開けた時の事だった。
窓を開けても、空気が動かない。
かといって、蒸し暑いという感じはなかった。珍しく湿度が低いのだろう。
これで風さえあれば、夏の一日としては最適かもしれない。

「‥‥あれ? もう起きてるのかな?」
向かいの詩織の部屋の窓が、全開になっている。
陽が差し込んで、部屋の中がいつもより良く見える‥‥といっても白い部屋の壁だけだが‥‥‥

しばらく見ていると、窓の中を詩織が横切った。
パジャマ姿を期待したが、すっかり着替えているようだ。といっても、ノースリーブの薄い青、今の空の色と同じくらいの気持ちのいい青色の服だ。ただ、ヘアバンドではなく、髪を首の後ろあたりで大きめな白い布で結んでいるのがいつもとは違った。
次に横切った時、窓枠が額になるのに丁度良いと思えるほど、詩織が中心に立った時、こっちに気づいたのか窓に近づいてきた。

「おはよう」
窓枠に手をつきながら、先に詩織が言ってきた。聞いていると落ち着ける声だ。
「よ、おはよう」
そう返す。
こんな風にして挨拶をするのは、別に珍しい事じゃない。
ただ、昨日とは違う物が俺にあるのだけが、いつもとは違う。明日はもっと違うかもしれない。

その日一番に好きな人の声を聞ける。これ以上の事があるだろうか。

ただ、それは俺だけの話だ。詩織がどうなのかは、詩織にしかわからない。
「早いね。今日は」
そう言ってから、詩織はニッコリと笑った。
陽の光が心地いいのだろうか、その笑顔が気持ち良さそうだ。
「なんか天気よくってね。ついつい」
俺がもっと毎朝早く起きていれば、いつでもこういう事が出来るだろうか。そんな期待があった。
「そうなんだ‥‥」
詩織は可笑しそうに笑っている。
朝からこの笑顔が見れただけでも、まあ良しとするか。
「ところで、どうしたの? なんか忙しそうに動き回っているみたいだけど」
「あ‥うん、部屋の掃除をしようかな‥‥って」
「へえ、掃除か‥‥俺もやらなきゃな」
今、俺には背中に目があるような気がする。そう思うほどに部屋の散らかりぐあいが頭の中にハッキリと浮かぶ。
部屋の中が詩織の所から見えなくて良かったと思う。
「そう‥‥頑張ってね」
「あ、ところでさ。今日なんかある?」
「え? ううん‥‥別に、何もないけど」
「じゃさ、昼頃、どっか行かない?」
「うん。いいわよ」
あまりにもあっさり答えてくれたせいで、膝がカックンとなりそうだった。
別に、いつも即答してくれないとかそういう事ではなかったが、なんの前触れもなく朝一番に予定を聞いてOKしてくれるとは最初から思ってはいなかったせいだ。
「ホントに?」
思わず大声で訊いてしまった俺に、「うん」となんのためらいも無く答えてくれた。
言ってみるものだ‥‥‥‥とは言っても、一番肝心な事を言う勇気だけは‥‥今は、無い。
「それで‥‥どこへ行くの?」
「え、あ‥‥中央公園なんてどう?」
「そうね。今日なんかとっても気持ち良さそう」
「オッケ、じゃ、それで決まりだ」
「それじゃお昼‥‥何時頃?」
「十二時でいい?」
「うん。わかった」
「それじゃ、俺も昼まで部屋掃除でもするか」
足元に転がっていた雑誌を、こっそり蹴り飛ばした。
「わたしもやらなくちゃ」
「んじゃ、またあとで」
「うん‥‥」
お互い、窓からはなれるのに、ほんのちょっぴり時間がかかった。
背中を見せるタイミングを計り兼ねていたのかもしれない。
それは俺の思い過ごしだろうか。

正午。

陽はまだ真上に昇りきってはいないものの、それでも十分に暑い。
相変わらず空気は動かなかったが、朝と同じくらい湿度が低いのか、蒸し暑くはなかった。

ふと上を見上げて、目を細めて太陽を見た瞬間、
「お待たせ」
そう声がした。
「いや、別に待ってないよ」
詩織の方をみると、太陽を見ていた影響か、暗くて何も見えない。
しばらく目を閉じてから、ゆっくりと開けると、朝見たのとは色が違うが、同じノースリーブのシャツと膝のちょっと上くらいの丈の白いスカートをはいた詩織が目に入った。
頭には、少し小さめな麦藁帽子。
「ごめん、ちょっと目が‥‥」
「大丈夫?」
少し心配そうな声。
「ああ、ちょっと太陽見ちゃったから‥‥」
「今日、まぶしいものね」
「まったく」
キザな台詞が頭の中だけで浮かんだ。
まぶしいのは太陽じゃないと。
もちろん、口に出す事はない。
「それじゃ、行こうか」
「うんっ」
さしずめ、言葉は太陽の光と言ったところか。


公園の一番大きな樹の下の木陰の芝に座りながら、遥かに見える空を見ていた。
暑いのか、あまり鳴かないが、セミの声がBGMだ。

セミは生まれてから六年は土の中に居るというが、なんとも気の長い事だ。
六年前といえば‥‥‥詩織をかなり強く意識し始めた頃だったかもしれない。
そんな事をぼんやりと考えていた。
草いきれが、木陰で少し冷えたのか、心地いい匂いになって届いた。夏の匂いだ。
ほんの少し風が吹いた。葉がさざ波のようにサワサワと音を立てて、木もれ陽がキラキラと揺れる。

「部屋の中に居るより、ずっと気持ちいい」
本当に気持ちよさそうに詩織が言った。風に溶けていってしまいそうなほど柔らかくて優しい声だ。
「確かにね。俺の部屋なんかより十倍気持ちいいよ」
「これで、もうちょっと風が吹けば気持ちいいのにね」
「まあ、でも湿度がないから蒸し暑くなくていいよ」
ふと上を見上げて見た。
さっき吹いた小さな風はもう収まり、揺れない木もれ陽だけが目にはいる。
「一昨日は凄かったね。わたし、部屋で汗だくになってたもの。
 三回くらいシャワー浴びちゃった」
手でパタパタと扇ぎながら、ほんのり頬を赤らめて苦笑している。
「そうだよなぁ‥‥
 俺もそうだったんだけど、プールにでも行きゃ良かったよ」
「ほんと。でも、プールすごく混んでそう」
「まあ、混みまくったプール行くより、こうやってた方がいいかもしれないけど」

その後に続く言葉は、頭の中だけで続けた。
「詩織と一緒だしね」‥‥と。

「でも、一度はプール行きたいね」
「そうだなぁ‥‥八月にでもなったら、プール行こうか?」
「うん、いきましょう!」
明るい笑顔は太陽ほど輝いたが、熱く刺すような光の代わりに、気温とは関係ないほどの暖かい物をくれたような気がした。
「そうそう。今年‥‥海どうする?」
「えっ?」
「あ、その‥‥海は行かないの?」
俺がそう言うと、詩織は懐かしい物を見るような目で、ふいに空を見上げた。
青い空に、海を写しているのだろうか。
そんな風な眼差しに見えた。
「前からの約束だったから‥‥‥行きましょう」
視線を空から俺の方に写しながら言った。
「あ、いや、別に無理にって訳じゃないけど‥‥」
以前、入院騒ぎの時に約束した事だった。
俺は覚えていたが、詩織には忘れられていると思っていただけに、嬉しい驚きはあった。
「無理にだなんて‥‥‥そんな事全然思ってないのに‥‥」
詩織は、小さくクスっと笑った。
それが可笑しいとでも言う風に。
「それじゃ、八月になったら‥‥でいいかな?」
「うんっ」
暑さも飛ばしてくれるような返事だ。
「でも‥‥」
いきなり詩織の声のトーンが落ちた。
「どしたの?」
「あ‥‥ううん。
 高校の時に行ける海も、これが最後かもしれないって思うとなんだか寂しいなぁ‥って」
「‥‥‥確かに。
 でも、二度と海行けなくなるって訳じゃないし」
「そうよね」
苦笑を浮かべた。
俺にとっては、もしかしたら詩織と行ける最後の海かもしれない。
もし‥‥卒業式の日に伝説を信じて伝える相手が居たとしたら‥‥‥
たとえ近くにいても、本当に遠い人になってしまう。
「来年も行こうね」
そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、いつもと変わらない笑顔を浮かべた。

少し遠い約束の言葉。
信じるには、少し頼りない言葉‥‥

俺がそれに答えようとした時、
「あ‥‥ねえ、あれ」
不意に、詩織が俺の後ろの方を指さした。
「え?」
振り替えると、微かに涼しげな音が聞こえてきた。
「お‥‥‥風鈴屋か」
派手なくらい多くの風鈴を釣り下げた屋台が動く度に、うるさいほどに涼しい音を出している。
「ねえ、見に行かない?」
「いいね。行ってみるか」
涼しい木陰を後にして、俺達は風鈴屋を追いかけた。


「おそろいの、買っちゃったね」
少し照れくさそうに笑う詩織の手には、風鈴の入った箱。
「たまたま選んだのが同じだっただけだよ」
半分は嘘だった。
気に入ったのは同じだったが、もう一つ気に入ったのもあった。ただ詩織の気に入った方と同じのをつい選んだだけの事だ。
しかし、さすがに照れくさい。照れ笑いだけが浮かぶ。
それを見ている詩織は、可笑しそうに微笑んだ。
「それにしても、なんか強烈に暑くなってきたな‥‥詩織、大丈夫?」
「え‥‥あ、うん。大丈夫よ」
麦藁帽の奥で、微笑みが揺れた。

どんな時でも「大丈夫」と言う詩織。
それが心配のタネでもある。

詩織は覚えているか知らないが、小さい頃、詩織が日に当てられて、少しまいったのを俺は覚えている。
近所の公園の涼しい所で休ませた事があった。
あの頃とは違うというものの、その時の事が頭にはしっかりと焼き付いている。焼き付いている以上、あの頃と同じと言ってもいいかもしれない。
少なくとも、俺の中では‥‥だ。
「どっか涼しい所にでも寄って、冷たい物でも飲んで行こう」
「うん。わたしもちょうど喉乾いてた所だったの‥‥」
やはり、少し暑さが辛かったようだ。
ずっと外に居た訳だから、大丈夫な子なんてそうそう居ないだろう。
とりあえず、詩織の「大丈夫」じゃない事をわかってやれる事が、少しだけ特別な気分にさせてくれた。

午後三時。
俺達はそれぞれ家に戻った。

別れ際に微笑みながら手を振った詩織の顔が浮かぶ。
明日もあの笑顔に出会えるだろうか。笑い声が聞けるだろうか。


部屋に戻ってから、買った風鈴を箱から取り出した。
丸い硝子に、青い波を思わせる模様の、見た目にも涼しい風鈴だ。
取り出す時、チリンと小気味いい音がした。
しばらくその風鈴を見つめてから、カーテンを取り外した時残しておいた金具にかけた。
詩織の部屋の窓を見ると、すでに風鈴がかかっている。が、詩織の姿はここからは見えない。
風鈴をかけ終えた俺は、ひとつ息を吐いて、窓から離れた。
「うん、なかなかいいな」
風鈴のある窓。
夏の絵が入った額縁のような気がする。

しばらく見ていると、緩やかな風がふいに窓から入ってきた。
同時に、さっき取り出す時に鳴った音とは比べものにならないほど、澄み切った綺麗な音が鳴った。
風が鳴らす鈴。その言葉どおりなのかもしれない。
その音だけで、部屋の空気に綺麗な物がまじっていくような気がする。
おもわず窓に近づくと、向かいの窓には、いつのまにか詩織の姿があった。
「あ」
「風‥‥‥出てきたね」
詩織が言った。
いや、そう口を動かしたのが見えた。
声の半分は風が持っていった。もしかしたら、半分は風鈴の音になったのかもしれない。
「‥‥ああ」
俺は、風が吹く度に、同じ音を詩織も聞いているのかと思うと、なんとも言えない、夏だというのに、暖かい気分になれた。


心地いい暖かさ。
また吹いて来た風が、二つの風鈴を鳴らした。

Fin

後書き

ある夏の日の一日。
こんな一日を過ごせたら‥‥と、思いつつ。

まだ今年はセミが多く鳴いてません。
六年前は、セミが少なかったのでしょうか。
それとも、「土」が減ってきたんでしょうか。

風鈴、欲しいので、なんかイカス奴を買ってこようかと思ってます。


作品情報

作者名 じんざ
タイトルあの時の詩
サブタイトル34:風鈴
タグときめきメモリアル, ときめきメモリアル/あの時の詩, 藤崎詩織
感想投稿数280
感想投稿最終日時2019年04月09日 16時33分43秒

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  • [★★★★★★] 今の季節にピッタリですね!ただ、家の隣には詩織ちゃんは住んで居ませんが・・・・(汗)