こうも味気ない場所なのか。
人が居ないだけで。光が無いだけで。
舞に付き合うようになってからという物、何度見ても、この光景にだけは馴染めない。
真っ直ぐに伸びる廊下は、どこか果てしない所に続いてる気がする。昼間なら、あの向こうには教室がある筈だ。今は・・・・
生徒の姿と、日の光を消すだけで、こんなに簡単に別の世界になるんだな。
舞は、ずっとこんな所に一人で・・・・
吐く息だけが白く変わって動くだけの場所で・・・
「怖いと思った事ってないのか?」
俺は、隣に座っている舞に声をかけた。
剣が、月明かりを強く跳ね返して、夜の学校の中で唯一の確かな物に見える。
「怖い? どうして?」
日の光が溢れた公園のど真ん中で、何を怖がる奴が居るだろうか。そんな風な口調で言ってきた。
「だってそうだろ? 夜の学校って言ったら、怪談話しってのがお約束じゃないか? 誰も居ない筈の音楽室からピアノの音が聞こえてきたり、誰も居ない筈の教室から、泣き声が聞こえてきたり・・・枚挙に暇無いくらいだ」
「誰も居なかったら、何も起こらない。起こるのなら、それは誰か居るのから・・・」
「いや、誰も居ないんだって」
「祐一・・・見たことあるのか?」
非難じゃなく、ただ知りたいという目が、俺を見てきた。
「・・・別にそういう訳じゃないけど」
舞の言う事は、もっともだった。誰も居なければ何も起こりようが無い。ただ、俺が言いたかったのはそういう事じゃない。
「つまり、幽霊とかそういう類って事だよ」
「別に・・・怖いと思った事はない。ピアノを弾きたければ弾けばいい。泣きたければ泣けばいい」
「・・・・そういう物なのか?」
正直、考えを理解する事が出来なかった。しかし、言われてみれば、確かに何が怖いのかをちゃんと説明する事も出来ない。ゴキブリを怖がるのと同じレベルのような気さえしてくる。
舞の待っている、直接俺達に攻撃をしてくる存在じゃない物に、何を怖がる事があるのだろう。人間の方がよっぽど怖いじゃないか。
「祐一はそうじゃないのか?」
「いや・・・まあそうだけど・・・でも、俺はやっぱり怖いな。今大丈夫なのは・・・」
舞が居るから。とは言わなかった。言っても俺の期待する反応が返ってくるとは思わなかったし、照れくさくもあったからだ。
ロマンチックな反応が無いのなら、照れる必要も無いのだろうけれど。
「・・・・じゃあ、舞は何か怖いものってあるのか?」
「・・・・・・・」
答えはしばらく返ってこなかった。
答える必要は無いという事か、それとも言えない物があるのか。
気まずくも楽しくも無い沈黙がどれくらい続いたろう。
不意に、舞がぽつりと言った。
「・・・魔物」
何がそんなに怖いのかと思えるような目だった。いつも凛とした目をしながら剣を振るう相手の何がそんなに怖いのか。
「い、いや、それ以外にさ・・・」
「・・・・・無い」
答えは簡単だった。
このままだと、また沈黙が来る。そう読んだ俺は、質問をまた変えた。
「それじゃ、寂しいと思った事は?」
俺は、またしばらくの沈黙を覚悟したが、答えはあっさり返ってきた。
「別に寂しいと思った事はない。祐一が居るから」
どきりと来た。俺なんて、足手惑いになる程度で、舞にとってしてみたら、居ない方が何かとやりやすいし気が楽なんじゃないかと思っていたせいだ。
舞にとって、寂しくない要素になっているなんて思いもしなかった。
「あ、だからそうじゃなくて・・・一人で居た時のことだよ」
「寂しくない。これがあるから」
剣を抱いていた手に、ぎゅっと力がこもるのがわかった。
夜の校舎の中で、一人剣だけを支えにして、いつ来るかも判らない魔物をずっと待つ姿を想像して、訳もわからずに悲しくなった。月明かりだけが差し込む廊下の隅で、毎晩こうして・・・・
泣きもせず笑いもせず悲しみもせず。
やっぱり納得がいかない。なんで舞が・・・
「魔物って、いつ居なくなるんだよ・・待ってるだけじゃなくて捜さなくていいのかよ」
自分の声が高くなっているのも構わずに続けた。
「さっさと捜して倒して、もうこんな所くるのやめようぜ?」
「・・・・それは無理。いつ来るかどこに居るか、私にもわからないから」
「でも・・・・」
「祐一・・・」
「もうやなんだよ・・・考えんのさ。こんな暗くて冷たくて寂しい所に舞一人っていうのを・・・
 それに、もう知ったから、放ってもおけないんだよ。
 明日も明後日も、来るつもりなんだろ。俺一人家でのんびり寝てろっていうのか?そりゃ無理だ。
 目つぶると、舞が一人でさ・・・剣抱えてこんな所にぽつんと居るのが目に浮かぶんだよ。
 こんな事、終わらない限り、俺はもうまともに眠れないよ・・・」
暗い廊下で一人ぼっちという想像が、もう焼き付いて取れそうもなかった。
「俺がやれれば・・・」
俺が言えたのはそこまでだった。
何かがカランと甲高い音を立てた。
廊下の果てまで響いていく。
剣? この音は剣が転がる音・・・
最後まで考える前に、俺は包まれていた。
暖かくて柔らかい腕と胸の中に。
俺の為に、舞が形を変えてくれたんじゃないかと思うほどに柔らかかった。春の日差しの下に居るんじゃないかと思うくらい暖かかった。いい匂いもした。暖かさを匂いに変えたらこんな風になるんじゃないか。
いつまでもこういう風に出来たらどんなにいいだろう。
「祐一が寂しがる事は無い」
寂しいだって? 寂しいのは俺じゃなくて・・・・
「ありがとう」
そう声がした。
もう離れないと思った不安や想像が、あっさりと消える。
不思議だった。舞の顔は見えないのに、微笑んでくれているに違いないと思った。俺が顔をあげたらきっと消えてしまう微笑みだ。
「今日はもう魔物は・・・来ない」
そう言って、俺を解放してくれた。温もりと柔らかさがまだ頬に残っている。
舞の顔を見るのが気恥ずかしくて、すぐには目を合わさなかったが、舞は何もなかったように、剣を拾い上げて、再び抱えて俺の横に座る。
ちらりと横顔を盗み見た。
さっきまでの表情と同じだった。
照れくさそうな表情でも期待していた訳でもなかったが、そのお陰で、高鳴っていた鼓動も収まっていく。が、少しでも気を抜くと、すぐにでも感触を思い出して高鳴りそうだ。
「だったら、今日は・・・」
まだ魔物が出る可能性がある。とは思わなかった。舞が、今日は魔物は来ないと言った時、なぜだかはわからないが、それは本当の事だろうと思ったからだ。
「でも、今日はまだ居る」
「どうして? もう出ないんだろ?」
「うん」と一つ頷いてから「居たいから。祐一は帰りたければもう帰っていい」
「もう魔物が出ないんなら、俺も居るよ。元々魔物が出そうな時に俺が居るのがおかしいんだ。だったら今はいいだろ」
「別に止めはしない」
「そうだよな。そうこなくちゃ」
俺は笑いながら言った。
魔物が出ないという安堵感のせいか、さっきまで寂しい世界だった学校の中が、とたんに面白い世界のように見えてくる。どこかのアトラクションの中にでも居るような気分だ。
舞が隣に居る。それだけで。
「別にここに座ってる必要とかないよな?」
「うん」
「だったらさ」
俺は立ちあがって、
「学校の中、探検しよう」
舞に手を差し出した。
そんな俺の手を、無表情で見つめている。他人同士の会話を横で聞いてたかのように。
「いや、こんな機会滅多に無いしさ。行かないか?」
一緒にさ。という言葉を抜いた。その変わりの手だ。
しばらく俺の手を見つめていた舞が、さっと俺の手の上に手を乗せてきた。
柔らかかった。これは、剣を振る為の手じゃない。
ぎゅっと握って、舞を立たせた。意外な程軽い。俺よりも軽いのに、どうしてこんな所に居なくちゃいけないのか・・・誰か代わりは居ないのか。本気で思った。代われなくても、何か出来ても良い筈だ。
「祐一・・・」
「え? な、なに?」
「いや・・・なんでもない」
「・・・?」
なんだろうと考えて、じゃあどこに行こうかなと考えた時に、理由がわかった。
「あ・・と。ごめん」
俺は、舞の手を掴んでいた事に気づいて、慌てて離した。

「へえ・・・席はここなのか」
俺は、席に座りながら辺りを見まわした。
教室の全景が見渡せる場所だった。
窓際の一番後ろの席。他の列よりも、二つほど長い後ろだから、教室の様子が一目でわかる。
舞が自分の教室を案内してくれた時に教えてくれたのが、自分の座っている席だった。
「いいな。この席・・・」
窓からの眺めは、格別だった。
月明かりに照らされてほのかに白く浮かび上がる町。ここがいつも通ってる学校から見える景色なのかと思う程に。
昼間なら、季節が良く見えるに違いない。こんな席に座っていたら、俺は成績級下降間違い無しだ。
「佐祐理の席はあそこ」
舞が指差したのは、ほぼ中央の席だった。
「佐祐理さんあそこなのか・・・」
俺は、ここから見える佐祐理さんの姿を想像した。
後ろ姿・・・・
いや、佐祐理さんだけじゃない。
ここから見えるほとんどの奴の姿は、後ろ姿じゃないか・・・
不意に薄ら寒くなった。
夜の冷えた空気のせいじゃない。
後姿しか見えない生徒が、ある時一斉に振り向いたら、もしかしたら顔が無いんじゃないだろうか。
舞の近くには、いつもこんな孤独があるのか・・・・どうして・・・・
「・・・・・」
「佐祐理は、たまに見てくれる」
俺の考えを読んだみたいに、舞はそう言った。
得体の知れない不安を消すには、十分な一言だった。人形の中で一人居るような孤独な想像が、一変して、生徒達の無駄話でざわつく授業に変わる。佐祐理さんの笑顔を想像しただけで。
「そっか・・・・」
舞は一人じゃないんだ。
「ここは良い。昼寝も出来るし」
ぼそっと言った舞の言葉に、ぷっと吹き出すよりも、まず先に驚く。
「へえ・・寝てるのか」
「初夏が一番眠かった」
ようやく俺は笑えた。どんなギャグより可笑しかった。
「可笑しいか?」
初めて聞いた照れくさそう響きのある声が、俺の笑いに油を注ぐ。
「いや、可笑しくないよ。ほんと」
「別に可笑しい事はない」
「いやいや、悪い悪い」
「祐一。おかしい」
「そうだな。おかしいよ。うんうん」
憮然とするより、どうして自分が笑われているのか、わからないとでも言う風な表情が可笑しいのだと、わかってないんだろう。それがまた可笑しい。
「ちょっと前の席に座ってよ」
「どうして?」
「まあまあ、いいから」
そう言うと、舞は素直に従った」
昼間は、休み時間になれば喧騒で溢れる筈の教室は、今、俺と舞だけの教室だった。
舞の後姿。思えば、舞はいつもこうして前に居る。俺の知らない所を歩いてる。いつも一人で。いつか追い付く日は来るのだろうか。
手を伸ばして、舞の尻尾をつかんでみた。きゅっと軽く引っ張る。
「何をする」
「いや・・お下げが目の前にあったから・・・」
「あれば引っ張るのか?」
怒っても非難しても、もちろん変な奴だとも思っていない声だった。
「なんとなく」
「そうか」
「怒った?」
「引っ張りたかったら別に構わない」
「いや、いい。ごめん。悪かった」
ぱっと離して、首を振ってみた。
「怒ってない」
「いや・・・ただなんとなくだから。もうしないよ」
「・・・・」
それから、俺は舞の後姿を見ていた。
髪の毛が、月の光をきらきら跳ね返すのを、綺麗だと思いながら。
制服のせいか、身体の線は見えないが、後ろから見る姿は、ひどく弱く見えた。魔物退治なんていう重荷を背負える背中にはとても見えない。
「舞・・・さあ」
「なんだ?」
もうやめろよ。危ない事は。そう口に出しかけてやめた。代わりに、吸いこんだ空気が呆れたようにゆっくりと俺から逃げて行く。
俺が言っても、佐祐理さんが言っても、これだけはきっとどうにもならない事だとわかっていた。
「いや、髪の毛綺麗だなって」
舞に嘘は通じないのはわかっていても、俺にはこんな事しか言えなかった。それに、まるっきり嘘じゃない。
「嬉しい」
俺や佐祐理さん以外なら、バカにすんなと言われてもしょうがないような声だった。
今日は、特別な日なのだろうか。
いつまでもこんな時間が続いたら・・・
そう思いながら、舞の背中を見ていた。

音楽室。
壁にかかった過去の音楽家の肖像が、今にも動き出しそうな恐怖感。確かに学校の七不思議の定番になってもおかしくないのはわかる。ただ、今は百の恐怖よりも、一つの安心感の方が圧倒的に強い。例え絵の中で悪鬼の形相や笑いを浮かべたとしても、舞が居れば、ただの冗談で済みそうな感じだ。
グランドピアノを前して、青白い月の光を受けている姿を絵に出来たら・・とふと思う。
「ピアノ弾けるの?」
そう聞くと、しばらく何も答えてくれなかったが、不意に首を小さく横に振った。
「佐祐理は弾ける」
「へえ・・・」
舞は、一つ鍵盤を叩いた。
夜想曲。
たった一つの音だけでも、そう聞こえる。
ピアノは、本来夜の為に生まれた楽器だったんじゃないのか? あんなに黒いのは、その為かもな。
「でも、今校舎ん中に誰かいたら、怪談が実証される事になるのか。この学校にもそういう話しはあるだろうし」
「あの話しは本当」
「え?」
「でも、もう居ない」
「な、なんの事?」
聞き返すと、舞がまた鍵盤を一つ叩いた。
「ずっと前・・・ここでピアノを弾いていた子が居た」
ふと、流れるように言った。舞にしたら、珍しい口調だ。
「・・・・」
「小さな女の子だった。いつも、夜にピアノを叩いてた」
もう一度鍵盤を叩く。高い音だ。
「夜って・・・」
舞の時間に、もう一人居た。居る筈の無い誰かが。
「いつもいつもでたらめに鍵盤を叩いては、悲しそうな顔をしてた」
「・・・・・」
もう、俺の世界の話じゃなかった。それでも舞から聞いていると、不思議と怖いという気にはならなかった。
「どうしてそんな顔をしてると、ある日聞いてみた。でも、その子は何も言わなかった。自分でもわからなかったと思う。私もそれ以上聞かなかった」
また一つ鍵盤を押した。今度は低い音だ。
「でも、ある日。その子はピアノを弾かないで泣いてばかり居た」
そして、鍵盤をまた一つ。真中の音。
「なんで泣いてると聞いた。そうしたら、弾けなくなったと言った。どうしてと聞くと、忘れたからと返ってきた。思い出せなくなって、弾けなくなったと。忘れた事が悲しかったのかもしれない」
「それで・・・」
「佐祐理に少しだけピアノを教わった。それから、その子の為に弾いてみた」
「え? さっき弾けないって・・」
「正確じゃなかった。忘れたと言えばよかった」
「ああ・・そうなんだ」
この際、そんな事はどうでも良かった。舞が女の子の為にした事の方が気になる。
「確か・・・・こんな曲」
舞は、ゆっくり一つづつ鍵盤を叩いた。最初の四つの音で、なんの曲かすぐにわかった。
多分誰でも一回見れば覚えてしまうだろう。
「佐祐理は、こんな曲でいいのと聞いたけど、複雑なのは私には無理。それに、私も小さい頃嫌いじゃなかった曲だから」
「・・・・・」
舞が弾いたのは、「猫踏んじゃった」だ。しかもとびきり簡単な奴。
「で、その子はどうしたの?」
「わからない。もう居なくなった。でも、最後に見た時に、笑ってた」
そう言って、最後に一つ鍵盤を押した。
鍵盤から指を離しても、いつまでも音が残っていた。
「だから、音楽室からピアノが聞こえてきた話しというのは、本当」
「・・・・そっか」
舞がぎこちなく弾く猫踏んじゃったを聞いて、それでも満足したんだろうか。
誰かに弾いて欲しかっただけなのかもしれないな。
「舞ってさ・・・優しいんだな」
「・・・・・・・・・・・」
照れくさいと思ったのか、そんな事なんて考えた事も無いとでも思ったのか、答えは無かった。
「なんで弾いてやろうって気になったんだ?」
「・・・わからない。なんとなく」
「なんとなく・・か。でもさ、なんでこんな所に居たんだろうな?」
「さあ。わからない」
舞がまた鍵盤を押した。高い音だ。どこか楽しそうな響きがあった。
ちらりと見た舞の横顔。俺の見間違いのせいか、月の光の具合か、薄く微笑んでいるように見えた。
不意に思った。いつもこんな表情が浮かぶ隣に居られたら・・・その為に俺出来る事があったのなら・・・
音が音楽室から消えて無くなってから、舞が不意に、
「祐一。屋上へ行こう」
「屋上? 寒くないか」
「嫌ならいい。私一人で行く」
「わかったよ・・・」
どうしてそういう言い方をするのかね。は伏せた。一人で行くつもりなら、俺を促す前に一人で行く奴だ。
「どこへなりとも」
恭しく頭を下げてみた。
「くるしゅうない。と言いえばいいのか?」
「時代劇じゃないよ・・・」
俺は、肩を落として、ほうっと息をゆっくり吐いた。そりゃ殿様だっつーの。と突っ込んだら、どんな顔をするのか、興味はあったが実行はしなかった。

青い空は、今が夢見るための時間じゃない証だった。
昼休みに入るなり、生徒は各々の食糧事情によって、それぞれ寄り集まったり、教室を出ていったりする時間。
窓際の一番後ろの席に、佐祐理がやってきた。すると、いきなり、
「佐祐理、ここに座れ」
舞が自分の席の前の席を指差して言うと、佐祐理は首を傾げた。
「なあに?」
「いいから」
「うん・・・いいけど」
佐祐理は、舞の言葉に素直に従って、前の席に横座りで腰掛けた。
「違う。ちゃんと前を向いて」
「?」
不思議そうな顔をしながらも、前を向く。
それから何があったか。
何も無かった。
「ねえ・・・舞。聞いていい?」
「いい」
「何か面白い事でもあるの?」
「・・・・ない」
「・・・・そう」
端から見たら、妙な二人だと思われる図が、またしばらく続いた。
「佐祐理。もし私が前に居たら、私の髪を引っ張りたいと思うか?」
舞の言葉に、佐祐理は振り返って、
「引っ張ったりはしないけど、綺麗だなあって思いながら見るかも」
「そうか・・・」
そう言って、ぶっきらぼうに言う無口な親友に、
「舞・・・何か良い事あったの?」
「どうして?」
舞の返事に、佐祐理は何かを確信したのか、
「だって、嬉しそうだもの」
にこやかに笑って、両手をぽんと打ち合せた。
他の誰が見ても、そう思えない表情を見て。
「・・・・」
「佐祐理にも何があったか聞かせて」
「何もない」
舞は困惑した表情を見せて、佐祐理から目を逸らした。それが佐祐理の好奇心を煽ると気づかずに。
「ねえねえ。教えて」
「ポンポコたぬきさん」
佐祐理の追求に、舞のチョップが佐祐理の頭にコツンと炸裂する。
もとより、それに怯む佐祐理ではなかったし、何かすればするほど、佐祐理の確信が深まる一方だ。それに気づいた舞が、席から立ちあがった。
「そうだ。早く行かないと祐一が待ってる」
「珍しい。ごまかすなんて」
「ごまかしてない。本当の事」
逃げるように立ちあがる。
「あ、すぐに行くから、祐一さんに待っててもらってください」
「わかった」
立ち止まって答えてから、またすたすたと歩いて、教室から足早に出て行く。
舞の起こした微風が、佐祐理に届いた。
ふと、佐祐理は、微かに鼻を利かせた。しばらく何か考えるように視線を上に向けてから、ふぅんと一つ小さく頷いた。それから舞の消えたドアに向かって、微笑んで、小さく小さく手を振っていた。

「佐祐理さんは?」
「後で来るらしい」
いつもの場所。いつもの時間。
俺たちは、佐祐理さんが来ればすぐに判るように開け放して、屋上に居た。
昨日の夜とは違う風が吹いていた。
柔らかい匂いのする風だ。
こういう匂いを春の匂いって言うんだろう。
この風が町から雪を無くしたら、その時は・・・・
ちらりと舞を見た。いつもとなんら変わりない表情で、ずっと景色を見ている。
「そういや、昨日言った事、佐祐理さんに話してくれた?」
「・・・すまない。忘れた」
相変わらず、そうは見えない表情だが、言われて悪い気がしないし、何よりも、舞の気持ちが垣間見えるような気がするからだ。
「まあ、いいや。後で直接佐祐理さんに言うか」
「祐一。本当なのか?」
「まあね。俺に出来るかどうかわかんないけど、それが一番現実的だしな」
「でも、無理に・・・」
「もう決めたんだ。だから、これは俺の勝手だ」
手すりに背中を預けながら空を仰ぐ。
昨日の夜に、同じ格好しながらした決心は変わらない。
降るような星空でも、抜けるような青空でも同じだ。どちらの下でも、隣に舞が居る。
「・・・・どうして?」
「は?」
「どうしてそんな事をしようとする」
「どうしてって・・・」
舞は俺の方を見ていた。昨日と同じ目で。計算しきれなくてハングアップ寸前のコンピューターに表情があったら、こんな表情に違いない。
「同じ事は言わない主義なんだ」
「真面目に答えて」
思いもよらなかった答えにたじろぐ。言葉よりも、口調に。
舞が初めて本当に俺の横に居るように思えた。届かない高みにいつも居て、俺には見えない何かを見上げていたあの姿が、嘘のようだ。
「なんも。ただ弾いてみたいと思っただけだ。それだけ」
「嘘だ」
「嘘なもんか」
そうだ。嘘は言ってない。本当の事を全部言っていないだけで。
言えるか。
音楽室での舞の表情をもう一度見たいからだなんて。そんな表情をたくさんさせてやりたいなんて。
「・・・・・・・」
「・・・・もしかして迷惑とか?」
舞の表情に、不意に俺の中で暗雲が湧きあがる。しかし、答えは至って簡単な物だった。
「別に。・・・・弾きたいなら構わない。それに、ピアノは嫌いじゃない」
答えだけじゃ、俺の中の暗雲は消えなかったろう。
暗雲を払うのは、いつだって太陽と爽やかな風と相場が決まってる。
風は今吹いてる。太陽は頭上と俺の横にあった。
ただ、横に居る太陽は、少し照れくさそうだったが。
「まあ、たいしたもん弾けないとは思うけど」
「猫踏んじゃったでもいい」
「よせやい。少なくとも、舞よりはもっとまともなの弾けるようにはなるよ」
胸を張って見せた物の、内心苦笑していた。せいぜい弾けて小学校レベルだろう。夜中の学校に猫踏んじゃった両手バージョンが響いたら、怪談にもなりゃしない。
「舞。祐一さん。お待たせしましたぁ」
階段に通じるドアの方から、一足早い春風のような声がした。
ふと見ると、何時の間にか舞がさっき立っていた位置から、俺から一歩ほど遠ざかっているのに気づいた。
最初っからそこに立っていたみたいに、なんでもない顔をしている。
どうなってんだ・・・
「・・・・・行こ」
俺が先に歩いて促すと、
「待て」
「ん?」
「・・・・・なんでもない」
「?」
俺が首を小さく傾げていると、その間に、横をすっと通りぬけていく。
ふわっと、鼻先を柔らかい匂いが通りすぎた。
春の匂いとは違う。微かに甘い匂い。
昨日とは違う物だったが、良い匂いなのは変わりなかった。
「・・・・」
余計に息を吸って、しばらく胸の中に溜めてみた。
ゆっくり吐く。
息が底をついた時、気づかないうちに鼓動が速くなっていた。
暖かい。柔らかい。優しい。
昨日の感触を思い出したからだ。
「祐一」
立ち止まって舞がこっちを見てきた。
目を細めていた。
風が気持ちいいのか、それとも・・・・
舞から目を逸らして頬を一掻き。
「佐祐理が待ってる」
俺は頷いて、歩き出した。
高鳴る事を初めて知ったような鼓動を、どうやって抑えようかと思いながら。

End

後書き

舞のお話。
まだ舞と祐一が校舎内で魔物を待っている時って事で。

ゲームでは飯の差し入れがあったんで、それと同じのではなくて、また別の差し入れをするようになれればいいなあと祐一が思う経緯みたいな物です。魔物が出そうな時にのんびり弾いてる場合じゃないような気がしますが・・・(笑
舞の喋り方は感情が少ない分、時折見せる微妙な心の動きを鋭く見せてくれる所があって、そーいうのはいいですよね。
もっと彼女には笑っていて欲しいものですね。大声であははと笑う姿を期待してる訳じゃないんだけど、おかしくてついぷっと吹いてしまう瞬間が訪れてくれるといいなあ……とかは思いますね。
まあ、そうさせてやる役目は祐一に頑張ってもらうとしましょうか(^^)
祐一と舞の夫婦漫才とか見たいっすよ。
チョップ有りのドツキ漫才にならんとも限らんけど、なんかあの二人見てるとね・・・合いそうって気がするんですよ。どうっすか(爆
どうって言われても・・・って感じだがヽ(´ー`)ノ


作品情報

作者名 じんざ
タイトルKanon
サブタイトル君がしてくれること。僕が出来ること
タグKanon, 川澄舞, 沢渡真琴, 梅宮辰夫
感想投稿数35
感想投稿最終日時2019年04月12日 23時53分38秒

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