「なあ、真琴。どこへ行ってみたい?」
「私・・・・海に行ってみたい」
「なあ、真琴。なにしたい?」
「私・・・・いろんな事、たくさんたくさん一杯したい」
「なあ、真琴・・・・・」
笑っていた。
嬉しそうな笑顔で。
楽しそうな笑顔で。
俺の答えに、何度も何度も答えてくれた。
聞かなくてもいい事だったかもしれない。
でも、名前を呼びたかった。答えを聞きたかった。
いつも近くに居るのが当たり前になっても、こんな風に思う事はしょっちゅうあった。
その度に、真琴はいやな顔一つせずに答えてくれる。
お互いの温もりを感じ合えるくらい近くで。
冬の寒さから守ってくれる布団の中は、俺達だけの世界だった。
真琴が枕を持ってきて「眠れないから」と言ってきても、俺はすんなり真琴を受け入れた。眠れない夜には、二人添い合うのも悪くない。
パジャマ姿のままでも。
照明が月明かりでも。
「祐一はどこに行きたいの?」
「俺か。俺は・・・そうだな。いろんな所行きたいな」
「いろんな所って?」
「暖かい所とか、寒い所。高い所や低い所。そりゃもういろいろさ」
「・・・・・・」
真琴が黙った。
それからしばらくの沈黙。
真琴が布団に入ってから、何度もこんな事はあった。でも、間が持たないとかそういう事はなかった。
暖かい空気のせいだろうか。
柔らかい匂いのせいだろうか。
真琴が言った事を俺の中で繰り返すのが楽しかったし、真琴も俺の言う事を繰り返してくれているんじゃないかという事もわかるような気がしたからだ。
「私も行きたい」
「そっか」
わざとはぐらかした。
「・・・・・」
不満そうなのがわかった。
俺の腕に絡んでいる真琴の腕に力が入ったのがわかったからだ。迷子になるまいと、母親の腕をしっかり握っていた時の事を思い出す。
「寒い所、苦手だろ?」
「そんなことないよ。暖かいもん」
「暖かい? なんで?」
「うーん・・・わからない。でも、あったかいから」
真琴の方を見ると、真琴が微笑み返してきた。
なるほど。わからない事もない。
「肉まんは、冬に食べた方が美味しいよね」
「そりゃまあ・・ね。他の季節に食ってもうまいんだけどな」
「本当?」
「ああ、うまい物は何時食ってもうまいんだ」
「じゃあ、春になったら、食べたい」
「そうだな。別にいいんじゃないか」
見晴らしのいい丘の上で、日差しを感じながら肉まんを頬張る真琴の姿。俺は見たいと思った。寒くても暑くても、いつも同じ微笑みで居てくれるような気がした。
「祐一にもあげるね」
「そっか。まあ夏は冷たい物の方がいいけどな」
「何時食べても美味しいんでしょ?」
どうしてと言わんばかりに、真琴がじいっと見つめてきた。
「この町の夏って、結構暑いんだ。その時は、気軽にそこらじゃ肉まんとか売ってないし、暑いからきっと食う気がなくなるよ」
「やだっ。どうしても食べるっ」
眉が八の字になる。
「誰も止めるなんて言ってないよ。食いたければ、満腹になるまで食ってくれ」
「祐一にも食べてもらうのっ」
シャツをクイクイと引っ張られた。
俺は、笑みを返して答えた。
それから、また沈黙。
長い沈黙は、暖かい風呂につかっているような心地よさ。短い沈黙は、夏の日差しを感じたくてウズウズしている子供のような高揚感。
「・・・・暖かいところってどこ?」
「暖かいところだよ。日差しがぽかぽかしてて、風も柔らかいところかな」
「知ってるよ。そういう所」
「へえ・・・どこ?」
「教えてあげない。教えたら祐一、連れていってくれる? 連れていってくれるんなら、教えてもいいよ」
「そうだな・・・・じゃあいいや」
「え?!」
自分で言っておきながら、小さな驚きの声をあげた。
俺の中の悪戯心が目を覚ました。
「真琴はそういう場所を独り占めか。寂しいよな・・・」
わざとらしく息を吐くと、真琴の困ったような表情が深くなっていく。
「そ、そんなぁー」
真琴の腕に、さらに力が入ってくるのがわかる。
「いや、言いたくないなら無理に言う必要はないよ」
「うー・・・・」
どうしていいかわからない表情。出会った時に良く見た、自分のした事が生んだ結果に戸惑う表情。
今はもうあの頃じゃない。そんな顔はほんの少しだけで十分だろう。
「行こう。一緒にさ」
「え?」
信じられないような表情をする。
「連れてってくれるんだろ? そこへ」
真琴の頭にポンと手を置いた。髪の毛が柔らかく受け止めてくれる。
「・・・・うん。うんっ!」
嬉しそうな声だった。何度返事しても足りないんじゃないかと思う程に。
俺の意地悪の虫は、この笑顔が見たかったから出たのかもしれない。
風船のように膨らんだ沈黙。話したい事が一杯あるのに、外に出てこない。
そんな沈黙。眠れる訳がない。俺も真琴も。
次にどんな事を言うのだろう。どんな言えばいいのだろう。
ただ鼓動だけが、期待で弾み、安心感で落ちついて行く。そんな繰り返しの沈黙。
「もし・・・もし行ったら、祐一何したい?」
「そうだな・・・気持ち良かったら、そこで昼寝したい」
「それだけ?」
「他になにか?」
「ううん。なんかあるのかなって思っただけ。私も昼寝する」
そう言って、真琴は目を閉じた。
一足早く、そこに着いたのだろうか。
「なあ・・・真琴」
「なに?」
真琴は目をつぶったままだ。
「いろんなとこ、行くか」
「うん。行く」
「いろんなこと、するか」
「うん。する」
「・・・・・」
また沈黙。
長い沈黙だった。
鼓動を数えてみた。今の六十回は、一分じゃないだろう。
百二十まで数えてみた。
それ以上は数えられなかった。
面倒になったのもそうだし、何よりも数えるよりも、すぐ近くに感じる真琴の体温を感じた方がいいと思ったからだ。
真琴が寝てないのは、俺の腕にからまった手にこもった力具合でわかる。でも・・・
「寒くないか?」
すると、首を横に振ってきた。
「狭いだろ?」
答えは同じだった。
「祐一、寒いの?」
すぐにそう聞いてきた。
「大丈夫だよ。寒くない」
「私が来たから狭くなっちゃったでしょ?」
俺は答えなかった。
身体を横にして、真琴を抱きしめた。不思議なくらい、胸の中にすっぽりと納まった。
包むように。
元から俺の胸の中に納まるために居てくれるような。そんな気持ち良さがあった。
こんな事をしなければ良かった。
いつかは離さなきゃいけない。そうなったら、俺の胸の中にある物まで、ごっそり持っていかれる気がしたからだ。
「・・・痛い」
俺は構わず、力を緩めなかった。
真琴もそれでいいと思ったのかもしれない。
もう何も言って来なかった。
「もう行かないよな。一人で行ったりしないよな」
小さな不安が、ぽっと灯る。抱きしめても抱きしめても、どうしようもないもどかしさだけが募っていく。なんでこんな事を思ったのか。もう真琴は近くに居るのに。
「・・・私どこにも行かないよ。だってやっと祐一の所に帰ってきたんだもん。祐一が居ていいって言ってくれたら、ずっと居るよ」
「・・・・・・」
ありがとう。その言葉の代わりに最後にぎゅっと抱きしめてから、真琴を放した。
さっきの不安が、嘘のようだった。
俺の胸の中の物を持っていかない。それどころか、代わりに置いていってくれた。
暖かさを。いつでも思い出せそうな暖かさだった。
「春になったら、行こうね。一緒に行こうね。絶対に」
「ああ、絶対に」
「昼寝の後、何しようか」
「何するかな。ずっと景色見てようか。そこって景色はいいのか?」
「うん。いいよ。それに、上を見るとね。空しか見えないの。そういう所」
「へえ・・・・」
俺は、月明かりを跳ね返してほの白く輝く天井の向こうに、そんな景色を思い浮かべた。
どこまでも突き抜けるような青い空。たまに母雲からはぐれた子供雲がゆっくり横切っていく。風がさわさわと緑の匂いを運んでくる。
真琴は、そんな空の下に居たのか。一人で。
「じゃあ、いつかお返しに、俺が海に連れていくからな」
「海って広いんだよね」
「ああ。びっくりするくらい広いぞ。空も一杯あるし、水もたくさんある」
「ほんと?」
真琴の目が輝いた。
「びっくりするなよ」
「やだ。びっくりするっ」
楽しそうな声だった。びっくりしたがるのなら、俺はその時の表情が見たいと思った。凄いね凄いねを連発する真琴の顔が見られるなら、見たい。
「わかったよ」
それから、二人こうしてから、何度目かの沈黙。
どれだけ時間が経ったろう。
もうずっとこうしてたような気もするし、まだほんの少しだったような気もする。
長い長い沈黙。
やがて、真琴の小さな呼吸音が聞こえてきた。
ちらりと見ると、俺の腕を抱えながら、眠っていた。
ほんの少し前、真琴の腕に少しだけ力が入ったのは、眠りたくないとでも思ったからなのか。
「・・・・・」
わかっていた。いつかは眠くなる時がある。
こんな夜の時間も、いつかは終わると。
また朝が来て、一日が始まる。
そして夜がくる。
今日がお祭りの夜ならば、明日は普通の夜がくるかもしれない。
ただ寂しいだけの夜だ。
でも・・・
俺は、目を閉じた。
大きく息を吸う。
胸に残った感触を思い出してみた。
消えてない。
吐いてみた。
同じだった。
真琴の匂いがしたからだろうか。


「ねえ・・・春が来たら・・・」
「・・・春が来たら?」
「春が来たら・・・」
「うん・・・・・・」
「行こうね」
「ああ、行こう」

Fin

後書き

 真琴のお話。

 真琴が祐一の元に戻ってきた時の話しみたいな感じを意識して書いた。
すっかり真琴が祐一と和み和みしてるのは、そういう所を意識したせいかな。
ただ、自分のした事の結果について、「あうーっ」ってなってしまうところは変わってなかった。
個人的に、真琴ってそういう自分のしたことについて、ああ、そうじゃないのに・・・っていう風になっちゃうキャラってイメージが非常に強い。彼女がまだ加減や機微を掴めないせいなのか、それが生来の事なのかはわかりませんが、その「らしさ」だけは失って欲しくないですね(^^)
でも、真琴って動かしやすそうで案外難しいキャラなんだなあってのを今回実感したんですが、どういうのがポイントだと思いますかね?
なにかご意見などありましたら、下記のURLか、あるいはなんらかの形で意見などを頂けると幸いです(^^)


作品情報

作者名 じんざ
タイトルKanon
サブタイトルきっとだよ。約束だからね。一緒に居ようね。ずっとずっと一緒に
タグKanon, 川澄舞, 沢渡真琴, 梅宮辰夫
感想投稿数35
感想投稿最終日時2019年04月20日 10時16分33秒

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  • [★★★★★☆] いいと思います。ただ、ちょっと祐一の視点が強すぎて、真琴のいる背景が掴みづらかったかなって感じがしました
  • [★★★★☆☆] とても暖かい気持ちになる、読後感の良いSSですね。
  • [★★★★☆☆]
  • [★★★★★☆] 暖かい所とか、寒い所。高い所や低い所 連れて行ってあげてください。
  • [★★★★★☆] 真琴って、こんなに可愛かったっけ?いや、悪い意味じゃなくて(;^^)
  • [★★★★★★]
  • [★★★★★★] 幸せっ
  • [★★★★★★] 僕自身、真琴が好きなんで・・・w
  • [★★★★☆☆] 次は実際に行ったところをぜひ。
  • [★★★★★★] 真琴萌え!
  • [★★★★★☆] 真琴最高