芳彦は珍しく早起きをした。
今日は日直でもないし、何か予定があるというわけでもない。ただ自然に、普通に起きてしまった。
時計を見た時は、自分でも何かの間違いだと本気で思ったほどだ。珍しいこともあるものだと思う自分に苦笑せずにはいられない。
早起きは三文の得というわけではないが、何かいいことがあるかもしれない。
そう思った芳彦は早速、学校へ行く準備をすることにした。
洗面所で身支度を済ませると、その足でリビングへと向かった。するとリビングの奥のほうから、何やら人の気配がする。
どうやら、すでに誰かが起きているらしい。
「香奈ちゃんかな………」
芳彦は、その起きている人物を推測してみる。
といっても、この家を賄っている弥生は昨日は夜勤明けのはずなので昼まで起きてきそうにないし、妹の真奈美は今日は朝練の日じゃないので、まだ寝ている時間だった。
リビングの奥は台所になっている。
香奈は朝食の準備でもしているのだろう、味噌汁のいい匂いが台所の方から漂ってくる。
近くまで寄ってみると、彼女は楽しそうに鍋を見たり、皿を並べたりしている。
以前、どうしてそんなに楽しそうにするのかと聞いたところ、彼女ははにかみながら、みんなの喜ぶ顔が見たいからと答えた。
香奈の口からそう聞いた時、芳彦はその彼女らしい答えと、彼女の眩しい笑顔に胸が高鳴ったのを今でも覚えている。
そんなことを考えていると、芳彦の気配に気づいたのだろう、香奈は皿を並べていた手を止め声をかけてきた。
「あ、おはようございます」
「ああ。おはよう、香奈ちゃん。今日も早いんだね」
「そうですか? 私はいつもの時間に起きてきただけですよ。
お兄ちゃんのほうが、よっぽど早いと思うけど?」
香奈は悪戯っぽい笑みを浮かべながら、芳彦に話しかける。
「あはは、言ってくれるよ。でも、今日は何だか早く目が覚めちゃって……って…………
お、おおおおおおおおおおおおおおおおおお兄ちゃんっっっ!!??」
芳彦はいきなり素っ頓狂な声を上げた。
その声は台所はおろか、リビング、そして家全体にまで轟いただろうか。とにかく大きな声であったことは確かだろう。
その証拠に香奈は芳彦の声に心底驚いたらしく、びくっと身体を震わした。その拍子に手に持っていた皿を危うく落としそうになった。
「もう、お兄ちゃんたら! びっくりするじゃない!!」
香奈は芳彦に非難の眼差しを向け、抗議する。
だが芳彦はといえば、彼女の声が聞こえてないのか、呆然と立ち尽くしている。心、ここにあらずといったところだ。
反応を示さない芳彦のことが心配になってきたのか、香奈の表情は、だんだん暗いものへと変わっていく。
「……どうしたの、お兄ちゃん………具合でも悪いの……?」
上目遣いに聞いてくる香奈の目は、心なしか潤んでいるように見える。
彼女の表情にはっと我に帰ると、慌てて手を振りながら話しかける。
「い、いや。だっ、大丈夫だよ!
………ただ……お、お兄ちゃんって呼ばれたから、びっくりしちゃって………」
香奈が芳彦のことを「お兄ちゃん」と呼ぶことはない。いつもは彼のことを「芳彦さん」と呼ぶ。
だが、今日の彼女はそう呼ばずに、お兄ちゃんと呼んだのだ。
「うん? 変なの? だって、お兄ちゃんはお兄ちゃんじゃないの」
香奈は小首を傾げながら不思議そうにしている。その態度から、彼女はどうやら本気でそう言っているようだ。
となると、芳彦はますますわからない。一体全体、何がどうなっているのだろう。
とりあえず混乱した頭の中を整理しようと思っていると、香奈がまた心配そうに見つめている。
「やっぱり…お兄ちゃん………具合悪いんじゃないの……………」
いいながら、香奈は芳彦の額に自分のそれを当ててくる。
「なっ…………………!?」
「うん………熱はないみたいだけど…………」
芳彦の心臓は飛び出しそうなぐらい高鳴った。
それもそのはず。香奈の顔がすぐ間近にあるからだ。この距離で彼女の顔を見たことは一度だってない。
顔から火が吹き出そうなくらい、芳彦は赤く染まっていった。
恥ずかしさの余り視線を下のほうに移すと、香奈の唇が視界に入ってきた。途端、芳彦は彼女の唇から目を離せなくなる。彼女の唇は艶やかで、とても柔らかそうに見える。ほんの少し動けば、その唇に触れることができるだろう。
(……柔らかいかな………………?)
芳彦は急にそのことを確かめてみたい、そう思った。芳彦は無言で香奈の肩に手を置くと、そのまま顔を近付ける。
「えっ………」
香奈は小さく声を上げる。
二人の唇が今まさに触れ合おうとした瞬間、リビングのドアから誰が入って来た。
「……なぁ〜にぃ〜? 今の大きな声は………?
こっちは夜勤明けで疲れているんだから…静かに寝かせて……って、芳彦くん……?
そんなところで何してるの?」
「ほえ? …ホントだ。お兄ちゃん、そんなところで何やってるの?」
ドアから現れたのは、弥生と真奈美であった。
恐らく、この二人が起きて来たのは、先程の声のせいだろう。弥生はまだ眠そうに欠伸を漏らしている。真奈美のほうは、そろそろ起きる時間であったのだろう。彼女はいつもと同じように元気そうに見える。
二人は”リビングの床の上で這いつくばっている”芳彦の姿を見て、湧き上がった同じ疑問を彼にぶつけた。
「あ! い、いや。べ、べべべべべべつに! な、何でもないですよっ!
あは、あははははは……………」
あの一瞬の間で、ここまでよく移動できたものだと自分自身に感心せずにはいられない。だが、危機的状況がまだ続いていることには代わりはなかった。
芳彦は何でもないと言ってはみたが、リビングの床の上で這いつくばっている彼の姿に何の説得力もなかった。それに、あからさまに声も上擦っている。
そんな彼の姿を見て、何でもないと思うはずもなかった。
二人は、そんな彼の姿を見て疑念の眼差しを向ける。
「さっきの声は芳彦くんね? 一体どうしたの!? 朝っぱらから大きな声を出して?
単なる冗談で、済まされないわよ……!」
弥生は腰に手を当てて、芳彦を上から睨みつけるように前屈になる。
心地よく寝ていたところを邪魔されたのだ。弥生の声はいつもの彼女からは想像もつかないほど冷たく、そしてきついものだった。
「そうだよ、お兄ちゃん。真奈美なんて、ベッドから飛び起きちゃったんだから」
真奈美も怒った口調ではあるが、どこか楽しそうである。芳彦がなぜそうしているのか、興味深々といったところなのだろう。その証拠に彼女の口の端が緩んでいた。
そんな二人に上から睨まれながら、芳彦は必死になって言い訳を考えていた。
下手なこと言ったら、最悪この家を追い出されてしまうかもしれない。そのためには慎重に言葉を選ばなければならない。
「え、えーっと………そ、その……あの………」
芳彦がしどろもどろで言い訳をし始めようとしたそのとき、台所から香奈がものすごい勢いで飛び出してきた。
「お母さん、お母さん! お兄ちゃん、なんだか具合が悪いらしいのっ、看てあげて!」
そう言う香奈の目からは、今にも涙がこぼれ落ちそうだ。だが、弥生は彼女の言葉に悲鳴めいた声を上げた。
『お兄ちゃんっっっっっ!!??』
弥生だけでなく、真奈美もほぼ同時に声を上げた。
驚いている二人を見て、香奈は先程の涙もどこへやら。目を丸くしてきょとんとしている。
弥生はゆっくりとひきつった表情を芳彦に向けると、香奈を力無く指さした。
芳彦はそんな彼女に目で、そういうことなんです………と答えた。
後書き
KNPです。
えっと、またまたFKSのSSを書かせてもらいました。
本当は連載ものにするつもりはなかったのですが(苦笑)、このままだと書き上げそうにないんで投稿に踏み切りました。
#そうすれば、意地でも書くんじゃないかと。(^^;;;
今回も香奈ちゃんでいってます。他のキャラを書こうと思っても、書けないんですよねぇ〜(苦笑)。
#香奈ちゃんしか見えていないって話もあるけど(爆)。
まぁ、こんなの香奈ちゃんじゃないやいっ! なんて声もあるかもしれませんが、温かい目で見守ってくれると嬉しいです。
では、この辺で。
作品情報
作者名 | KNP |
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タイトル | ファーストKiss☆物語 |
サブタイトル | 1:朝のあいさつはお兄ちゃん!? |
タグ | ファーストKiss☆物語, 織倉香奈, 水沢芳彦, 織倉真奈美, 織倉弥生 |
感想投稿数 | 79 |
感想投稿最終日時 | 2019年04月10日 19時53分51秒 |
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- [★★★★★★] 続きも頑張ってください。・・・スイマセン、ありきたりな文で・・・
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- [★★★★☆☆] がんばれよー 応援してるぞー
- [★★★★★★] がんばって続きをっ!(゜д゜)
- [★★★★★☆] 続きが、気になるので是非がんばってください。
- [★★★★☆☆] SSの感想ではないのだがゲームをまたやりたくなった。それだけSSが良かった。
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