−1−
朝。
目を覚ますと、乃絵美が天井からぶら下がっていた。
……いや、その表現は正しくない。
乃絵美は天井に足付けて立っていたのだ。
「………………………乃絵美が逆さまに見える」
「私が逆さまじゃなくて、お兄ちゃんが逆さまなんだよ……」
ため息を漏らしながら乃絵美。
俺は、まだ寝惚けている頭で今の状況を整理してみた。
乃絵美が立っている場所は天井のように見えた。だが、それは床のようにも見える。
と言うか、床だろう。
はて? じゃあ、なんで乃絵美は逆さまなんだろう?
結論が出てこない。
「………お兄ちゃん、いつまでもそんな風にしてないで、早く起きてくれないかな?」
「は?」
「は? じゃなくて……
それにお兄ちゃん、そんな態勢で寝てて、疲れない?」
乃絵美はどこか呆れた声で、しかも何か憐れむような目付きで俺のことを見た。
態勢? 疲れない?
言われてみると、なんとなく体が痛い。特に腰の辺りが。
視線を乃絵美から自分の体に向けてみる。………なるほど、合点がいった。
俺の上半身がベッドから落ちてただけなのだ。
だから乃絵美が逆さまに見えるし、腰も痛くなる。
頭から床に落ちた状態でよくまあ眠ってられたものだ。我ながら感心もする。
ベッドに残っていた下半身をずるずると床に落とす。
これで反り返っていた腰も痛くなくなるだろう。
「んじゃ、おやすみ……」
「お、おやすみ、じゃないよぉっ、お兄ちゃん!」
俺が突然床の上で寝始めたので、乃絵美は慌てた。
「ん〜? なんだよぉ〜、乃絵美ぃ〜」
「あ、あのね、お兄ちゃん。
お兄ちゃんが起きてくれないと、朝御飯が片付かないの。
それに、いくら日曜日だからって九時過ぎまで寝ているなんてダメだよ」
乃絵美は俺の頭上まで近づくと、腰に手を当て、俺の顔をのぞき込むように睨んだ。
頬を膨らませ「私、怒ってるんだから」とでも言っているのだろう、きっと。
だが、俺はそんな乃絵美の剣幕に慄きもせず、
「水色か………」
と呟いた。
その言葉に、乃絵美はきょっとんとした表情になった。
意味を計りかねてるらしく、怪訝な顔つきで、ますます俺の顔をのぞき込んできた。
「お兄ちゃん……?」
その表情を無視し、幾分真面目な顔で乃絵美を真っ直ぐに見つめる。
「………あのな、乃絵美」
「な、なに?」
一呼吸置いて、
「見えてるぞ」
「えっ?」
二人の間に落ちる静寂。
だが、それは一瞬だった。乃絵美は俺の視線の先が自分の顔ではないことに気づくと、
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」
声にならない声を上げ、スカートの裾を押さえながら俺の頭の上から飛び退いた。
「お、お、おっ………」
「ふぁああ………『お』がどうかしたのか、乃絵美?」
体を起こしながら、白々しく俺。
「お兄ちゃんっ!!」
「ん? どうした? そんなに大声出して?」
「み、みみみ、見たでしょ!!」
「なにを?」
しれっとした顔で、さらに俺。
「う、うう〜っ!!」
乃絵美の顔がこれまでかって感じで真っ赤に染まる。
恥ずかしさからなのか、それとも怒りからなのかはわからないが、今にも火を噴き出さんばかりだ。
「さて、乃絵美。朝御飯でも食べに行くか」
一つ伸びをしてドアに向かう俺に、いつもの彼女からは想像つかないほどの形相で立ちはだかってきた。
「お兄ちゃん、誤魔化さないでっ!」
「俺が何を誤魔化しているって?」
間髪入れずに問うと、乃絵美の顔は再び赤くなった。俺から視線を逸らすと、
「だ、だから……そ、その……わ、わたしの………その………」
「だから、わたしの、なに?」
腰を折り、乃絵美の顔をのぞき込む。すると乃絵美の顔は再び赤くなり、そして。
「お、お兄ちゃんなんか、もう知らないっ!!」
身を翻し、派手なドア音を立てて部屋を出ていった。
静寂がまたこの部屋に落ちてくる。窓からは朝の光と小鳥のさえずりが飛び込んで。
そしてカーテンはふわりと風に揺れ、清々しい気持ちにさせてくれる。
平和な日曜日の朝───乃絵美が怒ってさえいなければ。
ぽりぽりと頭を掻く。ちょっと、やりすぎたかなと思わんでもない。
天井を仰ぎ見ながら、少し考える。
しばらくして、
「ま、いっか」
出た言葉はそれだった。
−2−
身支度を済ませた俺は台所へと足を運ぶ。それはもちろん、朝御飯を食べるため。
ちゃんと朝御飯を食わないと、貧血やら何やらで体がもたなくなるからだ。
……と何かの本で読んだことがある、たぶん。
台所に来ると、乃絵美は流し台のほうに立っていた。
洗い物でもしているのだろうか、カチャカチャとした音が響き渡る。
「乃絵美、飯ぃ〜」
その背中に声をかけてみるが、彼女から何の反応も返ってこなかった。
聞こえなかったのだろうか?
「のえみぃ〜、御飯は〜?」
「テーブルの上にあるでしょっ!」
振り向き様に乃絵美が叫んだ。そして、再び洗い物を仕出す彼女。
ヤバイ………本気で怒ってる……………
額から一筋の冷や汗が流れ落ちる。
こうなった時の乃絵美は、もはや手のつけようがない。
俺は、なるだけ彼女を刺激しないように席についた。
「い、いただきまぁ〜っす………」
ずずず………
まず、味噌汁の入った椀を手に取り、俺はそれを啜った。
「の、乃絵美! これって、冷たいぞ〜っ?」
いや、味噌汁だけじゃない。見ると、いつもならほんわりと湯気の立つ御飯からそれが
湧き立ってない。味噌汁と一緒で、冷めてしまっているに違いない。
「嫌なら、食べなければいいじゃない」
だが、乃絵美の言葉はどこまでもきつかった。
今度は、俺のほうを振り向きもせず、冷たく言い放ったのだ。
「そ、そんなのないよぉ〜! 乃絵美ぃ〜!!」
余りの仕打ちに、俺は乃絵美の腰に飛び付いた。
「ちょ、ちょっと! お、お兄ちゃん!?」
「のえみぃ〜!
さっきのこと、怒ってるなら謝るっ! 謝るからっ!!
だから、お兄ちゃんは温かい御飯が食べたいよぉ〜!!」
「や、やだっ…お、お兄ちゃん!? ど、どこに掴まってるのよ〜!」
「乃絵美が許してくれるまで離さないっ!!」
「は、離さないって……!
も、もう! わ、私、お皿を洗ってるんだからねっ! 危ないでしょっ!!」
上目遣いで乃絵美のほうを見ると、両手で皿を危なげに持っていた。
しかし、そんな皿のことより、俺がちゃんとした朝御飯を食べられるかどうかの瀬戸際なのだ。
お皿なんて、些細な問題だ。
俺は乃絵美の腰をぐいぐいと揺すりながら、
「乃絵美〜、あったかいごはん〜!」
「ちょっ…! お、お兄ちゃんっ!?」
ぐいぐい。
「ごはん〜!」
「も、もう! お兄ちゃん、いい加減にしてよねっ!」
ぐいぐ……
すこーーーーーーーーーーーんっ!!
「………………むう、いきなり何をする? マイシスターよ?」
台所に響き渡る、高らかな音。
それは、乃絵美が手に持ったお玉で俺の頭を叩いたからだ。
正直に言おう。
痛いぞ、マジで。
「マイシスター、じゃないわよ! お兄ちゃん、それで謝っているつもり!?」
「当たり前じゃないか、マイシスター」
「お兄ちゃん………っ!」
「わあっ! う、嘘っ! 冗談だってばぁ〜っ!!」
乃絵美が再びお玉を掲げ始めたので、俺は慌てて彼女に謝った。
「んっとにもう………お兄ちゃん、本当に反省している?」
乃絵美は呆れた顔で、俺の顔を見つめた。
「も、もちろん! 乃絵美には悪いことをしたと思ってるっ!」
「……本当に?」
「う、うん! だ、だから……その……あ、温かい御飯が食べたいなぁ………」
ぼそぼそと小さく俺。
しばらくの間、乃絵美はじっと俺の顔から視線を外さないでいたが、ふっと表情を緩めると、
「今度だけだからね?
今度同じことやったら、私、絶対に許さないんだからねっ?」
「わっかりましたぁ!!」
びしっと背筋を伸ばし、乃絵美に敬礼まがいなことして見せた。
そんな俺の仕草に、乃絵美はなんとも言えない表情を見せ、そしてため息をつく。
「はぁ……ホント、お兄ちゃんってしょうがないんだから……………」
ぶつぶつとこぼしながらも、乃絵美は朝食を温め直し始めた。
−3−
「ごちそうさまぁ〜」
ふう。やっぱり、あったかい御飯だよな、うん。
「お兄ちゃん、食べ終わったんなら、こっちに食器を持ってきて」
「わかった」
俺は空になったお椀やお皿を片付けると、乃絵美のいる流し台へと持っていった。
「あ、お兄ちゃん。そこに置いといて」
「ああ、ここでいいのか?」
「うん」
乃絵美は食器が置かれたのを確認すると、
「さて、片付けますか」
言いながら、スポンジに洗剤を染み込ませた。
「〜〜♪ 〜〜〜♪ 〜〜♪」
側で乃絵美がお皿を洗っているのを見る。なんか、楽しそうである。
鼻歌まで歌っているし。
「なあ、乃絵美? お皿洗うのって、楽しいのか?」
「えっ!?」
乃絵美が驚いて、こちらを向く。まさか、ずっと見られていたとは思ってもいなかったらしい。
その証拠に、彼女の顔は少し赤くなっていた。
けれど、笑顔で、
「お皿とか、食器が綺麗になるって、なんとなく嬉しくなっちゃうんだ。
あ、ほら! 洗濯物が真っ白なっているのって、お兄ちゃんだって気持ちいいでしょ?」
なるほど。言われてみれば、確かにそうかも。
シーツとかワイシャツとか、真っ白く綺麗に洗濯されたら気持ちいいもんな。
「ああ、そうだな」
一つ頷く。
「でしょ? やっぱり、嬉しいよね?」
嬉しそうにしている乃絵美を見て、なんだか俺のほうもそんな気分になってくる。
「なあ、乃絵美。今日の午後、暇か?」
「えっ!? な、なに、お兄ちゃん?」
「だから、今日の午後は暇か?」
「えっと、あの………」
急に問われたものだから、慌てる乃絵美。だが、落ち付いてくると首を縦に振った。
「だったらさ。
この間、言ってた喫茶店にでも一緒に行ってみないか?」
「えっ!?」
今度こそ乃絵美は、この上なく驚いて見せた。まあ、いきなりのお誘いだから驚くのも無理もない。
ちなみに喫茶店というのは、以前にお店に来たミャーコちゃんが、
『最近、横浜に美味しいケーキを食べさてくれる喫茶店ができたの!!』
嬉々として語っていたのが記憶に新しい。
その話を聞いて、そこに居た菜織、冴子。そして、たぶんに漏れず乃絵美もミャーコちゃんの話に興味津々と聞き入っていた。
美味しいケーキと女の子。それは、切っても切れない関係なのかもしれない。
俺にしてみれば、敵情視察ってところだが。
「い、いいの?」
「もちろん♪」
乃絵美が上目遣いに伺ってきたので、その問いに即答する。だが、乃絵美は不安げに、
「……………また、からかってたりしてない?」
「……してない」
警戒するのは無理もないと思うが、ちょっと悲しくなったぞ、お兄ちゃんは………
「じゃ、じゃあ、行く!」
少し興奮気味に乃絵美。彼女の様子にちょっと苦笑する。
「よし! じゃあ、決まりだな?」
「うん!」
乃絵美の表情が、ぱっと花を咲かせたかのように笑顔になった。
そして、先程とは比べものにならないほどのご機嫌で、彼女は洗い物に手をつけ始めた。
しばらくして、乃絵美の洗い物が終わる。彼女は着ていたエプロンで手を拭いながら、
「そういえば、お兄ちゃんが私を誘ってくれるなんて珍しいね?」
そう聞いてきた。
「そうか?」
「うん。
だって、いつもは菜織ちゃんか、サエちゃん、ミャーコちゃんたちと遊びに行くことが多いでしょ?」
「う〜ん……そうだったっけ?」
少し考えてみる。言われてみれば、そんな気がしないわけでもない。
「だ、だからね?
そ、その……わ、私なんかと、い、一緒でいいのかなぁ〜なんて……」
ごにょごにょ。
はぁ……
俯いている乃絵美の頭をわしゃわしゃと乱暴に撫でる。
「きゃっ! お、お兄ちゃん!?」
「ばぁ〜か。俺がお前を誘ったんだから、いいに決まってるじゃないか」
まったく。いつも要らんところで遠慮するんだから、この妹君は。
「乃絵美。お前、本当は俺と一緒に行きたくないんじゃないのか?」
「う、ううん! そんなことないっ!!」
ぶんぶんと、乃絵美が激しく首を振る。
「じゃあ、俺と一緒に行こうな?」
「う、うんっ! あ、ありがとう、お兄ちゃん!!」
暗かった表情から、眩しいくらいの笑顔になった。俺もつられて笑顔になりながら、
「なぁ〜に、いいってことよ。さっき、いいもの見せてもらったから、そのお礼かな?」
「えっ! さっき? お礼?」
………………
………
…
し、しまった!!
お、お詫びって言うつもりだったのにぃ〜!!
ちらっと乃絵美の顔を様子見る。笑顔だったその顔が、徐々に怒りのそれへと変化していた。
「お、おにいちゃ〜ん………っ!」
「あ、あはは………せ、せっかくの日曜だし……お、俺、部屋の掃除をしてくる………」
言いながら台所の出口へと足を向ける。だが、乃絵美に退路を断たれてしまった。
「やっっっぱり、見てたのね……お兄ちゃん………」
「ま、待て! お、おおお、落ち付け! 乃絵美っ!!」
「もんどぉ〜むよぉ〜!!」
「ひいいっ!!」
−4−
平和な日曜日の朝───乃絵美が怒ってさえいなければ。
まあ、そんな日曜日もいいかもしれない。
……………たぶん。
ドタバタドタバタ。
「お兄ちゃん、待ちなさぁ〜いっ!!」
「のえみぃ〜! お願いだから、もう勘弁してよぉ〜!!」
後書き
乃絵美SSを久しぶり書いてみました。
ですが、正樹や乃絵美が全然らしくないのは「KNP節」だと思って
勘弁してやってください(ぉ
SS、定期的に書いてないとダメですね。
書こうと思っても、手が動かないという(苦笑)。
MIDIばっかりにかまけていたのが原因ですね。
#あとゲームにも(マテ
これからは、ちょくちょ〜くと書いていくことにします、ハイ。(^^;;;
BGM: サガフロンティアより「Battle#1」
作品情報
作者名 | KNP |
---|---|
タイトル | Sweet Sweet Candy Drops 〜Noemi〜 |
サブタイトル | 二人の日曜日 |
タグ | WithYou〜みつめていたい〜, WithYou〜みつめていたい〜/Sweet Sweet Candy Drops 〜Noemi〜, 伊籐乃絵美, 伊籐正樹 |
感想投稿数 | 177 |
感想投稿最終日時 | 2019年04月11日 11時13分23秒 |
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- [★★★☆☆☆] ギャグがあって良かった、キャラが少し?違うような。(^^;
- [★★★★★★] ベタですけど、良いですね♪
- [★★★☆☆☆] 今までの5本とはキャラが変わったような?
- [★★★★☆☆] 乃絵美が菜織化している
- [★★★★☆☆] 乃絵美より、菜織のほうが適当だと思うかな〜