秋が深まってきた。
古くから和歌にもあるように、この季節は人恋しいものがある。
一人身の私には、特に痛感してしまう。
レイヤーボブで短かった髪も、ようやく肩に届くくらいになった。
私、小林理佳(こばやし・りか)は、高校一年生のときに三年生の先輩と付き合い始めた。
夏休み直前だっただろうか、突然、付き合って欲しいと言われた。
そこから始まった。
先輩は、爽やかという表現がぴったりな人で、一年生の間でも有名な人だった。
憧れの人というやつだ。
かく言う私も、先輩のことを前々から知っていたし、少なからず憧れていた。
付き合ってくれと言われた時は、嬉しかっただけでなく、とても驚いたのを今でも覚えている。
しかも、先輩は単に爽やかなだけじゃなかった。
真剣な話にも巧みに冗談を織り込んだり、さりげなく優しくしてくれたり、ある意味、理想の恋人とも言えるような人だった。
私は、人から愛されること、人を愛することの悦びを先輩から教えてもらった。
自分の柄じゃないと思っていたのに、先輩が喜んでくれるからという理由で、中学の時から伸ばしていた髪を短くしてみたりもした。
髪を切った直後は、何だか恥ずかしかった。でも、先輩は喜んでくれて、とても嬉しかった。
くすぐったい気持ちもあったけど、それはそれで心地よかった。
先輩はまた、人の肌の温もりと、そこから得られる快楽も教えてくれた。
でも、それだけじゃない。
ご丁寧に、裏切られる時の心の痛みまで教えてくれた。
要するに私は振られてしまったのだ。暑い夏の日に。
先輩は高校を卒業して東京の大学に進学した。
遠距離恋愛にはなったけど、先輩は毎日のように電話をかけてくれた。
うまく続いていると思っていた。
そこで、二年生の夏休みに、私は予告もせずに先輩が一人暮しをするアパートに行った。
喜んでくれると思っていた。
でも、アパートにいたのは先輩だけじゃなかった。
髪の長い、綺麗な女の人も一緒にいた。
言い訳もせずに、正直に話してくれたのがいかにも先輩らしかった。
別に、恋愛一つで人生の全てを悟ったつもりになるほど私は酔狂なロマンチストじゃないけど、先輩から色々なことを学んだ気がする。
恋愛の酸いも甘いも、そして身を引き裂かれるような思いも。
先輩に振られてからその後、私は特に誰を好きになるでもなく、高校二年生の秋に至っている。
秋の少し肌寒い風が私の髪をなびかせる。
私は乱れを直すように軽く髪をかきあげると、髪も伸びたんだなぁ、と当たり前のことに少し感傷的になってしまうのだった。
今日は日曜日で、誰とも約束もなく暇だった。
親友の恵美子(えみこ)でさえ捕まらない。
まあ、文句を言ってもしょうがないから、私は一人で繁華街でもぶらぶらすることにした。
そして、私は繁華街に来た。
繁華街は、いかにも行楽客然とした人で溢れていた。
もっとも、紅葉が始まる今のシーズンでは毎年のことで、今に始まったことじゃない。
ここら辺は、隆山温泉というそれなりに有名な行楽地なのだ。
でも、これくらい人が多いと、鶴来屋もさぞかし儲かるんだろうなあ、とか思ってしまう。
鶴来屋というのは、隆山温泉では最もメジャーな温泉旅館の名前だ。でも、単にそれだけじゃない。
この町には鶴来屋グループという企業グループがある。
そのグループは、文字通り鶴来屋が中心で、ここら一帯では鶴来屋以外にも、レストランやレジャー施設なんかの色々な企業を抱えている。
だから、こういう行楽シーズンは稼ぎ時で儲かるんだろう、などと勘ぐってしまう訳である。
ちなみに、鶴来屋グループをまとめているのは柏木家という家系で、当然のように大邸宅を構えている。
いわゆる地元の有力者ってやつだ。
なんでも、柏木家の人が鶴来屋から鶴来屋グループを興したらしくて、その後も代々経営を引き継いでるらしい。
若い女性が会長をやっていた時期もあったらしいけど、今は四十歳すぎの男性がトップをやってるいるようだ。まあ、四十代でも十分若いらしいけど。
そしてもうひとつ加えると、私の家はこの柏木家と遠縁の家系にあたるらしい。
まあ実際には、ほとんど縁なんてない。でも、なぜか知らないけど、ごくたまにお父さんとお母さんは柏木家に呼ばれたりしているようだ。
大人の事情というものだろうか。
まあ、両親は説明してはくれないし、私も知ろうとは思わない。
そんなことはさておき、私は本屋に入った。
文学少女というわけじゃないけど、本を読むのはそれなりに好きなのだ。
とか言いつつも、最初は雑誌のコーナーに向かってしまう。
そして、雑誌のコーナーにたどり着いたとき、ちょうど、男の子が雑誌を戻したところだった。
歳は私と同じくらいだろう。で、その男の子がふと視線を上げたとき、私と目が合った。
「あ……」
その男の子が声をあげた。
思わず、という感じで。
凄く驚いた表情をしている。
「?」
彼は声をあげたけど、私には不思議でしかなかった。というのも、私は彼のこと全然知らないからだ。
一方、彼は予期せぬところで知人に会ったという表情だ。立ちつくして私を見つめている。
「あの、何か?」
思わず聞いてしまった。
「あ、いえ、何でもありません。すみません……」
そう言って、彼は私の横を通り過ぎて行ってしまった。
私は、ただただ首を傾げるばかりだ。
全然見たことない顔だった。まあ、ちょっと爽やかな感じで、先輩に雰囲気が似てると言えなくもない。
でも、あくまでも雰囲気が、って程度だ。
そして、その日は雑誌を一冊買った後、適当にウィンドウショッピングをして家路についた。
翌日の月曜日、学校の朝のホームルームで先生が教室に入ってくるなり、クラス中でどよめきが起きた。
どうしてかと言うと、先生が見知らぬ男子生徒を連れていたからだ。
制服もブレザーで、明らかにうちの高校と違う。おそらく転入生なのだろう。
「えー、静かに。
今日からこのクラスに入ってきた柏木克彦(かしわぎ・かつひこ)くんだ」
先生が彼を紹介して、黒板に大きく名前を書いた。
「東京から引っ越してきた、柏木克彦です。
どうかよろしくお願いします」
柏木くんがぺこりと頭を下げる。
彼が頭を上げたとき、私はちょっと驚いた。
よくよく見ると、昨日本屋で会ったあの人だったからだ。
しかも、頭を上げた柏木くんと私の目がまた合った。
でも、昨日と違ってすぐに目を逸らされてしまった。やはり、あの時は彼の人違いだったのだろうか。
そして、彼が自己紹介した後は、お約束のように質問コーナーになった。
男子としてはつまらないかもしれないけど、女子はちょっと色めきだってたかもしれない。
柏木くんは、ちょっと爽やか系で、色男とまでは言わないけど、なんだか見た目だけで好感が持てるタイプだからだ。
柏木くんの席は、一番後ろの一番端になった。私の席からはちょっと離れている。
それにしても、私と目があったとき、一瞬だけ驚きと、そして哀しみの表情が見えた気がしたけど、私の気のせいだったのだろうか。
転入してきて一週間も経たないうちに、柏木くんはクラスの人気者になった。
彼はノリが良く、人との付き合いも話し方も上手だった。
そして何より、さりげなく優しいところがあった。
うまく表現できないけど、ちょっとしたところに気を遣ってくれる。そのためか、男の子にも女の子にも受けがよかった。
ただ、私には一点だけ気になることがあった。
多分、これを気にしてるのは私だけだと思う。
それはどういうことかというと、柏木くんは私だけを微妙に避けているということだった。
あからさまに無視されたり避けられたりするならまだしも、一見、ちゃんと相手をしてくれるようにみえて、実は避けていたりするから性質が悪い。
他の人にこのことを話しても、自意識過剰と思われるかもしれないけれど、きっと、間違いないと思う。
私が柏木くんと最初に交わした会話の内容は、日曜日に本屋で会ったときのことだった。
「柏木くん」
話し掛けたのは私のほうだった。
「えっと、小林さん、だっけ?」
「うん、そう」
「ごめんごめん、なかなか人の名前覚えられなくって」
そう言って、柏木くんは笑顔を見せた。なんとも愛嬌のある憎めない笑顔だ。
「この前の日曜日さあ、街の本屋で私と会わなかった?」
「……え、あ、そうだっけ?
うーん、悪いけど覚えてないなあ」
あれは間違いなく柏木くんだった。
しかも、あの時の柏木くんの反応は、私の顔を知ってたとしか思えないようなものだった。
「人違いかなあ。柏木くんだと思ったんだけど……。
日曜日に本屋には、行った?」
「うーん、行ったかもしれない。
あの日は、散歩して色々なところに行ったからなぁ……。よく覚えてないんだ、ごめん」
「私の勘違いかもしれないね」
「こっちこそごめんね、もしかしたら会ってたかもしれないのに。
あ、それと今から用があるんだ、ごめん」
「あ、いいよいいよ、気にしないで」
柏木くんは謝りながら行ってしまった。
単に用事があっただけかもしれないけど、なんだか早々に会話を切り上げられた気がした。
その後も、何度か柏木くんと話す機会があったけれど、彼はきちんと話をしてはくれるものの、いつもそそくさと会話を終わせる。
何よりも、彼は他の人とはちょっとしたことでも会話をするのに、私には必要がない限り絶対に話し掛けてこないのだ。
ある休み時間、私が恵美子を含む三人くらいの友達と教室で話をしているとき、偶然柏木くんもその近くで何人かと話をしていた。
私は柏木くんとほとんど話をしなくなっていたためか、妙に柏木くん達の話の内容が気になってしまった。
「そう言えばさぁ、柏木くんって、雨月山の鬼の話って知ってる?」
柏木くんのすぐそばにいた女の子が聞いた。
「雨月山の鬼の話って、あの伝承話のやつ?」
どうやら、柏木くんは雨月山の鬼の話を知っているようだ。
「まあ、観光パンフレットにも載ってるくらいだから、こっちに来たばっかりでも、柏木も知ってるか」
今度は男の子が頷くように言った。
まったくもってその通りだと思う。
おそらく、ここN市に住んでいる人で雨月山の鬼の話を知らない人はいないだろうし、柏木くんが知っていても不思議じゃない。
雨月山の鬼というのは、この辺りに伝わる伝承話である。
時は室町時代中頃、雨月という山に何処ともなく現れた悪い鬼の一族が住み着き、英雄がそれを退治するという、ありきたりなおとぎ話だ。
話の概略はこうだ。
時の領主は、最初に討伐隊を二回出すのだが、どちらも大敗に終わる。
そこへ次郎衛門という剣豪の侍が登場し、領主に申し立てて三度目の討伐隊の隊長になる。
そして、30人の侍から成る精鋭部隊を組織し、次郎衛門は雨月山に赴き、鬼たちを河原におびき出して退治に成功するのだ。
「じゃぁ、恋愛語版はどうだ?」
やはり、当然のように恋愛語版の話が出てきた。さすがに、これは柏木くんは知らないかもしれない。
「恋愛語版?
もしかして、次郎衛門が鬼の娘と恋に落ちる、って話のこと?」
意外にも、柏木くんは雨月山の鬼の恋愛話のほうも知っていた。
この恋愛語版というのは、次郎衛門本人が口にして語った雨月山の鬼退治の真相を、当時の物書きが文章にしたと言われるものだ。
その話の内容はこうだ。
室町時代中頃、雨月山に悪鬼の一族が現れた。
その鬼達は、人間狩りを楽しむ鬼だった。
逃げ惑ったり、刃向かったりする人間を殺すことが生きがいの鬼だった。
そして、女性をさらっては慰みものにしていた。
鬼は、妖しき数多の術を用いて村々を焼き放ち、次々と大木を素手で薙ぎ倒して山中を進むなど、その力は人間を遥かに越えていた。
そして、鬼の悪事に耐えかねた領主は、近隣から雇われ兵を募って討伐隊を出すことにした。
一方、鬼の悪事の噂を耳にした流浪の剣士、次郎衛門がこの地を訪れ、討伐隊に参加することになる。
先のおとぎ話と違うのは、次郎衛門は二度目の討伐隊にも参加しているということだ。
しかし、二度目の討伐隊は、妖しき数多の術で火攻めに遭った後、炎の中を押し寄せた鬼の群れによって大敗を喫する。
討伐隊は全滅し、次郎衛門は深く傷つく。
次郎衛門は、生死の境をさまよった末、なんとか九死に一生を得る。
実を言うと、傷つき倒れた次郎衛門を助けたのは、鬼の娘だった。
その娘は鬼であるにも関わらず、次郎衛門に恋をしてしまう。
娘は次郎衛門に、自らに流れる鬼の血を飲ませ、次郎衛門を鬼にすることで、鬼の再生力で命を救ったのだ。
しかし、娘は次郎衛門を助けたことで裏切り者にされ、仲間の鬼に殺されてしまう。
次郎衛門の鬼に対する憎しみはさらに激しくなり、次郎衛門は領主に三度目の討伐隊の組織を申し立てた。
そして、自分にその隊を指揮させて欲しいと願い出た。
だが、次郎衛門は所詮、流浪の雇われ兵、領主はなかなか耳を貸そうとしない。
そこで次郎衛門は、鬼の力を領主の前で披露した。次郎衛門が刀をひと薙ぎすれば、そこには旋風が巻き起こり、振り下ろされた刃は大岩をいとも容易く両断したと言う。
それを見た領主は三度目の討伐隊組織を決意した。
次郎衛門の指揮する討伐隊は、河原で鬼を待ち伏せし、鬼達をまんまと策にはめてしまう。
罠にかかった鬼達は乱れ、ついには首領が次郎衛門に打ち倒される。
そして、残ったわずかな鬼達も散り散りに逃げたのだった。
しかも、これにはまだ裏と続きがある。鬼達が罠にかかったのは、次郎衛門の内通者がいたからであり、その内通者というのが先の娘の妹だったというのだ。
そして、次郎衛門は鬼を退治した後、その妹と結婚した。
これは、次郎衛門の血を引く一族の者には、今も生粋の鬼の血が流れているということになる。
最後は昔話によくあるパターンだ。次郎衛門は墓があるので実在の人物らしいのだが、雨月の鬼の話の真偽は怪しいところだ。
ただ、悲恋で切ない話なので、それなりに受けはいいと思う。私だって、好きなほうだ。
「へえ、まだ一ヶ月も経ってないのに、その話も知ってるんだ?」
柏木くんが恋愛語版を知っていたことに皆が関心している。
すると、柏木くんが付け足すように言った。
「実はさ、俺、小さい頃は隆山温泉に毎年のように来てたんだよ。
だから、小さい頃からよく聞かされてたんだよ」
「あ、そうなんだ。
でも、なんで毎年のように来てたの?」
「親の実家がこっちにあるからね。
転校してきたのも、親が実家に戻ったからなんだ」
柏木くんは、実はこの土地に関係がある人だったんだ。
私は、てっきり東京生まれの東京育ちなのかと思っていた。でも、この土地で柏木というと……。
「親の実家って……もしかして、柏木の親って、あの鶴来屋の柏木なのか?」
「んー、まあね」
「てことは、柏木くんって、あの柏木会長の、えーと……甥になるの!?」
「まあ、親父からして鶴来屋グループとは無縁だから、俺は全然関係ないけどね」
柏木くんは、少し苦笑気味にそう言った。
それにしても驚愕の事実だ。
この土地に関係があるどころの騒ぎではない。柏木くんが、あの柏木家の縁の人間だったなんて。
でも、さっきの苦笑いからすると、柏木家のことを言われるのは、彼にとっては嫌なことかもしれない。
「……佳? 理佳?」
一方で誰かが私を呼んでる。って、え?
「あ、え? な、何?」
「何、じゃないよ……。私の話、ちゃんと聞いてる?」
私の目の前で、恵美子が両手を腰に当てて、少し膨れた顔をしている。
「あ、ごめんごめん。ちょっと考えごとしてたの」
柏木くん達の話に意識を集中させていたためか、目の前の恵美子達の話を全然聞いていなかった。
おかげで、ケーキセットをおごる羽目になってしまった。
そして、柏木くんが望むと否とに関係なく、柏木くんが柏木家の人間であることはすぐに広まってしまった。
作品情報
作者名 | 遠井椎人 |
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タイトル | 紅葉が始まる季節 |
サブタイトル | 01:彼は転校生 |
タグ | 痕, 痕/紅葉が始まる季節, 小林理佳, 柏木克彦 |
感想投稿数 | 24 |
感想投稿最終日時 | 2019年04月09日 15時41分58秒 |
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