柏木くんが転校してきてから、二週間くらいが過ぎただろうか。


その日、私は生理の一日目だった。
普段はそんなに重いほうじゃないのに、今回は妙に重かった。
クラスの友達とは普段通り接しようとするのだけど、お喋りをするのもちょっと辛い。
少しでも安静にするためにも、私は休み時間も自分の席に一人で座ってぼうっとすることにした。

ただ、運の悪いことにその日は日直なので、休み時間になったら前の授業で使った黒板をきれいにしなければならない。
黒板を消すのも、今の私にはかなりの重労働だ。

「ふう……」

ようやく黒板を消し終わり、自分の席に戻って私はため息をついた。
そして、ぼけっとしながら教室を見渡す。
私にとっては、妙に生理が重い特別な日なんだけど、ほとんどの人にとってはいつもと変わらない日なのだろう。昨日と何の変わりもない風景だ。
違うのは、私の気分がちょっと優れないだけ。

柏木くんの周りには、相変わらず男女問わず人が集まっている。

そして、私は相変わらず彼に避けられているようだ。
私との接触でも、明るく応対してくれるけれど、いかにも社交辞令のような反応で実質は避けられ続けている。

そう言えば、柏木くんが鶴来屋グループの柏木家の出身ということが周知の事実となったけれど、彼に対する皆の目はほとんど変わらなかった。
色眼鏡で見られることもなく、今まで通り皆の人気者だ。
きっと、彼の人徳によるものなのだと思う。

そう考えると、何だか妙に腹立たしく感じられてきた。

そんな彼は、やっぱり私のことが嫌いなのだろうか?
嫌いなら嫌いでいいから、どうして、もっとはっきりした態度をとってくれないのだろうか?
今、彼と話をしている人達は、どうして楽しそうに会話ができるのだろうか?
何が私と違うというのだろうか?

なんだか、怒りが変な方向へと飛び火しているのが自覚できる。
でも、生理で苛々しているためか、抑えることができない。
今、誰かと話でもしたら、思いっきり八つ当たりをしてしまうに違いない。
でも、わかってはいても、もやもやとした怒りのような感情は消えない。

そんな自分が嫌になってくる……
自己嫌悪に陥ってしまう……
私は思わず机の上に突っ伏してしまった。


お腹が、ずっしりと重い……

そして放課後、ようやく日直日誌を仕上げて職員室に持っていったとき、担任の先生にある仕事を頼まれた。
アンケート調査の集計だ。
体調は相変わらずで、本当はさっさと帰りたかったのだが、男の先生相手には理由を言い辛くて、結局引き受けてしまった。


プリントの束を持って教室に戻ると、私の席に自分の鞄がぽつんと置いてあるだけで、誰も居なかった。
自分の体調が体調なためか、妙に侘しく感じる。
適当に気分が悪いと言って断れば良かったかなあ、などと後悔しながら、私は自分の席に座った。
そして、アンケートの集計作業を始めた。


一枚ずつ項目をチェックしながら正の字を書いていく。
一枚にかかる時間は長くはないが、全体の枚数を考えると、決して短いとも言えない。
典型的な単純作業だ。

元来、私は単純作業は好きではない。もどかしくて苛々してくるのだ。
ただでさえ苛々する上に、今はお腹が重い。かなりの苦痛を感じる。
私は左手で自分のお腹をさすりながら作業を進めた。


黙々と集計作業を続けていき、ようやく半分くらいが終わった時だった。

ガラッ!

突然教室の扉が開いた。
私は思わず扉のほうを見た。いや、もしかしたら、扉のほうを睨んだかもしれない。

教室に入ってきたのは柏木くんだった。
柏木くんは、ちょっと驚いた顔をしている。
おそらく、教室には誰もいないと思っていたのに、私がいたからだろう。
一方、私は何も言わずに視線を元に戻して作業を続行した。どうせ何か言ったところで、軽く流されるにきまっている。

「ちょっと、忘れ物しちゃってね」

柏木くんは、照れ隠しでもするかのようにそう言った。
おそらく、私に向かって言ったんだと思う。さすがに何も言わないは気まずいとでも思ったのではないだろうか。
でも、私は何も返答せずに無視して作業を再開した。
彼もそれに応じるかのように、それ以上は何も言わなかった。

私の視界には入らないが、何やら柏木くんが自分の席でごそごそやっているような音が聞こえてくる。
忘れ物とやらを取り出しているのだろう。

ところが、しばらくして、なぜか足音がこちらに近づいてきた。
そして、足音が止まった時、私は前方に人の気配を感じた。
私が顔を上げると、案の定、そこには柏木くんがいた。


目が合ったが、柏木くんはそのまま黙ってしまった。
仕方ないので、私は言った。

「何か、用?」

意図しているわけじゃないけれど、かなり棘のある口調になってしまう。

「あ、いや……何、してるのかな、って思って……」

普段は明朗な彼にしては、珍しくおどおどしたような態度だった。
でも、今の私には、それが変に気を遣われているみたいで何だか癪に触る。

「別に……先生に頼まれたアンケートの集計してるだけ……」

私は冷たくそう言うと、視線を机の上に戻して作業を再開した。
柏木くんは、黙って立ち尽くしたままだ。

彼は、何か躊躇することがあるのかどうか知らないけれど、立ち去ろうとして止めてを何度か繰り返しているようだった。
その間にも、私は一枚また一枚とアンケート用紙を処理していく。

正直なところ、ただでさえカリカリしているのに、目の前でそんなことをされては目障り以外の何者でもなかった。
いい加減うんざりしてきたので、私が柏木くんに何か言おうと思ったその時、彼の口がようやく開いた。

「あ、あの、て、手伝おうか?」

怯えた、ご機嫌を伺うかのような口調だった。
私は顔を上げずに即答した。

「どういう風の吹き回し? 普段は避けてるくせに……」

「え?」

私の嫌味な口調とその内容に、柏木くんは驚いてるみたいだ。
私は作業を続けながらも言葉を繋いだ。

「だってそうでしょう?
 ちゃんと相手してくれるように見せかけて、いつも私のこと避けてるし」

我ながら、何もここまで嫌な言い方をしなくてもいいだろうにと思う。

「べ、別に、俺は……避けてるつもりは、ないよ……」

柏木くんの返答は随分と弱気だった。聞いてて苛々するくらいに。
それが、私に火をつけた。私は立ったままの柏木くんを、きっ、と見上げた。

「避けてるつもりはないんだ?
 ふーん。私が何を言っても、いつも早々に話を切り上げるくせに?」

言いがかりのような気がした。
滅茶苦茶なことを言っている気がした。

でも、止まらない。

「どうして、そんなにまわりくどいことするの?
 私のことが嫌いなの?
 嫌いなら嫌いで構わないから、いかにも社交辞令な対応をするのやめてよ!
 嫌いなら嫌いって言ってよ!
 そうしたら、私のほうからは絶対に話し掛けたりしないから。
 柏木くんだって、本当は話もしたくないんでしょう?
 いいよ、無視しちゃって!」

私は、感情にまかせて言い放った。
おそらく、冷静に考えたらとんでもないことを言ってるんだと思う。でも、そんなことを考える余裕はなかった。

一方の柏木くんは、困った顔をしている。
いや、単純に困惑顔とは言えない複雑な表情だ。
でも、今の私はそれをよく観察できるほど冷静じゃない。

「何か言いたいことがあったら、はっきり言ってよ!」

私は勢いに乗って更に追い撃ちをかけた。
すると、言われっぱなしだった柏木くんが、一つ深呼吸をした後、表情を正して静かに口を開いた。

「俺は……小林さんのこと……嫌いだよ」

やはり、それが柏木くんの答えなのだ。

でも、その答えを望んでいたくせに、なぜか、私はその言葉に胸が締めつけられる思いがした。

「日曜日に、本屋で会ったのも覚えているよ……
 単に、知ってる人と勘違いしただけなのに、馴れ馴れしく言われて腹が立ったよ。
 嫌いなんだよ、そういうのって。迷惑なんだよ。
 だから覚えていないふりをしたんだよ」

「め、迷惑、って……じゃ、じゃあ、はっきり言えばいいじゃない!」

ショックを感じているのか、自分でもさっきまでの勢いがないのがわかる。
でも、柏木くんはあくまでも淡々と続けた。

「いくらなんでも、ストレートには言えないよ。
 相手のことがどんなに嫌いでもね。
 でも、小林さんが望むんであれば、社交辞令もやめるようにするよ。そうしたほうが、俺にも都合がいいしね」

まるで、感情を持っていないかのような、人を寄せ付けないような口調だった。
私には返す言葉もない。

そして、柏木くんはくるりと方向転換すると、何も言わずに教室から出ていった。
私は、ただただ、柏木くんの後姿を眺めることだけしかできなかった。


一人ぼっちの教室がやけに侘しく感じる。

なんだか、空虚だった。
望んでいた答えを得たくせに、虚しさだけが残った。
痛みを感じるのを通り越して、心が、魂が、ぽっかりと抜け落ちたような気分だった。
唯一の痛みと言えば、下腹部にずしんとくる生理痛だけだった。

柏木くんが帰った後、私はどうしたかよく覚えていない。きちんとアンケートの集計ができたかどうか定かではない。
どうやって帰ったかも記憶にない。
私は、ちゃんと夕食を食べたのだろうか。それもわからない。

今、自室のベッドの中で、お腹を抱えながら寝ようとしている。

下腹部が重い。
部屋が暗い。
夜なのだから、当たり前なんだけど、私は闇の中にいる。


その中で、少しずつ意識が遠のいていく……

ふと気づくと、私は川のほとりにいた。


夢?

そう、夢なんだろう。なぜか、それだけはよくわかった。
夢を見ているという自覚がある夢のことを明晰夢と言うらしい。
まさに、その明晰夢の最中なんだろう。

月明かりが世界を蒼く照らしている。
川の静かなせせらぎが聞こえる。虫の音までも聞こえる。
なんともリアルな夢だ。


ふと見ると、見知らぬ男の人がそばにいた。
その人は私を見て驚いた表情をしている。どうしてだろう。


そして、その人はしばらく私を見惚れるかのように見つめていた後、私に話し掛けてきた。

「ここら辺は、鬼が出るから危険だぞ」

でも、私はその人が喋る言葉を理解できなかった。
日本語のようなんだけど、なぜか私にはよくわからなかった。
ただ「オニ」という単語だけは聞き取れた。私は思わず聞き返す。

「……オ……ニ……?
 ……エルクゥ……デ……エゼ……?」

なぜ、この人の言葉は理解できないのに、こんな知らない言葉が私の口から出てくるのだろう。
一方、その人はその人で私の言葉を理解できないようだ。

「俺の言葉の意味が解かるか?」

その人は困ったような表情をして、私に何か聞いてきた。
でも、相変わらず私は理解できない。だから、私も何も言えなかった。
すると、その人は更に質問をしてきた。

「どこから来た? 異国の者なのだろう?」

何を言っているのか、よくわからない。
でも、何となく、どこから来たのかを聞いている気がした。

「……レガゼ……ゼア……ネガレム……ラゼ……」

これが私の返事だった。
彼も、何となく意味がわかったのか、微笑んでまた質問をする。

「月から来たのか?
 では、お前は天の使いなのか?」

でも、やっぱり何を言っているのかわからない。
上を指して「テン」とか言っているようだ。

「……テン……? ……レザム……デ……エゼ?」

「確かに、お前は天女のように美しいな」

思わず聞き返す私に、その人は感嘆するように言った。
ウツクシナ?
どういう意味だろう。私のことを言っているんだろうか。

「……ウツクシナ……?
 ……ダル……デ……エディフェル……」

「ああ、美しい」

彼がまた微笑む。
でも私にはさっぱり理解できない。小首を傾げてしまう。

「……レデゼ……ラダ……?」

今度は苦笑いの表情をされてしまった。やっぱり、通じていないようだ。

でも、言葉は通じないけれど、彼の笑顔に私の心は何だか暖かくなるのを感じた。
愛嬌があって、私を包み込んでくれるような、そんな優しい笑顔だった。

夢のくせに血と焼け焦げた肉の臭いが鼻をつく。

今度は、見渡す限りの炎の海の中にいた。
周りには多くの死体が転がっている。
こんな地獄絵図なのに、私の心はどこか浮かれていた。気持ち良いとさえ感じている。
私の中にある殺戮を楽しむ本能がそう感じているのだ。

そして、目の前にはあの人が仰向けに倒れている。
胸には深い傷があり、そこから大量に血が流れている。もう虫の息だ。

彼にこの致命傷を負わせたのは誰なのか。それは私が一番よく知っている。

私自身だ。

私が自分の爪で彼を傷つけたのだ。
その証拠に、私の指から彼の血が滴っている。

彼は、私達を討つための討伐隊の一人だった。
しかし、彼ら程度の力で私達にかなうはずもなく、こうして最後の一人である彼が今まさに瀕死の状態になっているのだ。

私の目の前で。

彼の目は虚ろだった。もう、命の炎が消えようとしている。
私がとどめを刺さなくとも、時間の問題であろう。だが、私はこの手で、彼の命の炎を消し去ってやりたかった。
私の本能がそう思わせるのか、それとも苦しみから開放してやろうと思ったのかはわからない。

私は、彼にとどめを刺すべく右手を振り上げようとした。
するとその時、私の心に彼の意識が流れ込んできた。
私達の一族は、互いの意識を信号化して伝え合うことができる。
その信号が、単なる人間である彼から私に流れてきたのだ。

なんだろう、この気持ちは……

彼から流れ込んでくるシグナルは、私の胸を痛める。
彼の意識は、優しく、私を包み込んでくれるような感じなのだ。

まるで、私の心が温まるような気持ちだ……
彼は、瀕死の重体だというのにどうして……

「……どうした、……ととめを刺せ」

彼が呟くように言った。

私は、あれから少し言葉を学習していた。
だから、彼が何を伝えようとしているのかはよくわかった。
でも、私は何も言えなかった。動くこともできなかった。

切なさで胸が一杯だ……
彼の意識に私の意識が同調しているのがわかる。
なぜだろう。どうしてそんなことになるのだろう。

そして、この気持ちは一体何なのだろう。

私の心を包み込むこの気持ちは、私の本能に訴えかけている。
殺戮の本能にではない。心を温かくする本能、相手を慈しみ愛おしく思う気持ち、それが刺激されるのだ。
そう、彼から送られるくるシグナル、それは私への想いに他ならない。

胸が痛い……締めつけられるようだ……

私は、いつ死んでもおかしくない彼を無言で見つめた。

「……本当に……お前は美しいな」

彼が最後の力を振り絞って言った。
どうして、どうしてこの人はこんなことを言えるんだろう?
私は、彼を死に追いやっている敵なのにっ!

そして、彼のまぶたがゆっくりと閉じていく。
それに応じて私の胸がきゅうっと胸が鳴った。彼の命の炎は容赦なく弱まっていく……

嫌だっ!
彼を失いたくないっ!

彼が私を愛してくれているように、私も彼を愛しているんだ。
彼を失えば、私はきっと後悔する。

それが私の正直な気持ちだった。


その時、私の心には何の迷いもなかった。
彼を救いたい一心で私は……

to be continued...

作品情報

作者名 遠井椎人
タイトル紅葉が始まる季節
サブタイトル02:魂の言葉
タグ痕, 痕/紅葉が始まる季節, 小林理佳, 柏木克彦
感想投稿数24
感想投稿最終日時2019年04月09日 13時32分33秒

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