私は目を覚ました。


ここは間違いなく私の部屋だ。川のほとりでもなく、炎の海の中でもない。
高校二年生、小林理佳の部屋だ。
視線を窓のほうへ向ければ、カーテンの隙間から朝日が差し込んでいるのが見える。


現実なんだここは……

何だったのだろう、あの妙にリアルな夢は……
切なくて、辛くて、そして……哀しい夢だった。

「う……」

私は軽く呻き声をあげ、布団の中で体を「く」の字に曲げた。
昨日より生理痛がひどくなっている。今日も辛い一日を過ごさなければならない。
そう思うと、半身を起こすのさえ気が進まない。

どうして私ばかりこんな目にあわなきゃならないんだろう。
半ば無意識に、手で顔を覆ってしまう。すると、頬で何やら冷たい感触がした。

「あれ?」

思わず素っ頓狂な声を出してしまう。

頬が濡れていたからだ。
これは……涙?

手の甲で頬をぬぐってみると、ぐっしょり濡れてしまうくらい沢山の涙が出ていた。
よく見ると、枕までも濡れている。
夢の中の私が受けた心の痛みが、現実の私に涙となったとでもいうのだろうか……

そもそも、夢の中の私は何者だったんだろう。
あの男の人は一体誰だったんだろう。
生理の苦しみから逃れたいがために、あんなファンタジーまがいの夢を無意識に作り上げたのだろうか。
でも、それならそれで夢の中でまで苦しい思いをしなくてもよかろうに。
ただでさえ、柏木くんのことで心が沈んでいるのに……

あれ? 私は心が沈んでいるの?
柏木くんのことで?
自分から望んだ結果になったくせに?

……考えるのは……よそう……
体調が優れない時には、必要以上に気が滅入ってしまうものだ。
だから、考えるのは、よそう……

生理痛に耐えながらなんとか夜まで凌いだ。
今日は、一日中お腹を抱えていた気がする。
恵美子はずっと心配してくれた。
けれど、その心配は嬉しいけれど、恵美子には悪いけど、心配してもらったからと言って痛みがなくなるわけじゃない。

あと、柏木くんは約束通り、いや宣言通り、私のことは見向きもせずに無視してくれた。
でも、何も問題はない。これで良いはず。
そう、彼が、私が望んだことなのだから……

そして、夢……今夜も私は夢を見る……

私は山小屋のような建物の中で、肌を使って彼を温めていた。
彼の命の炎が再び明かりを灯すことを願いながら、裸で彼を抱きしめていた。

パチッ!

囲炉裏の炎が音を立てる。それと前後して彼が目を覚ました。

「……目が……覚めた……?」

覚えたての拙い言葉で私は尋ねた。
正直言って、彼の意識が戻ってほっとしている。なんとか彼の命を救うことができたのだ。

「ここは……?」

「……レザムに近い場所にある……小さな山小屋。
 ……私と……あなた……以外……誰もいない」

彼に場所を説明する。
でも、彼は納得していないようだ。

「なぜ、お前が俺とこうしている?
 俺はどうなったんだ? 助かったのか?
 あれほどの傷を負っていたというのに……」

彼の質問も当然だろう。

「……あなたの命の炎……あと少しで……消えそうだった。
 だから私……あなたに……私のエルクゥの細胞を与えた」

「エルクゥ?」

そう、私は瀕死の彼に、エルクゥである私の細胞を植えたのだ。
エルクゥとは、彼の世界で一般に言われる忌み嫌われる伝説の鬼そのものでなく、鬼に似た力を操る種族のことだ。
つまり、私には鬼のような超常的な怪力や跳躍力、そして抜群の生命力がある。

「……体内に私の細胞が定着し……うまく育てば……あなたはエルクゥの再生力で助かるかもしれないと思った。
 ……そして……あなたは助かった。
 ……エルクゥはあなたの身体に根付き……傷を再生させた。
 ……つまり……あなたはエルクゥの力を宿した……」

「つまり、この俺が……鬼に……」

彼が呆然と呟いた。
無理もない。助かるためとは言え、単なる人間だった彼は、私の手によって鬼になってしまったのだ。
そう、彼が討とうとした鬼に。
でも、いや、だからこそ、私は更に説明した。

「……私たちエルクゥは狩猟者。
 ……獲物のを求め、星々の海を渡る。……星から星へ……生命に、より鮮やかな炎を宿す獲物を追い求め……狩猟を続ける」

「お前のいう獲物とは、人間のことか?」

尋ねる彼に私は黙って頷いた。

「……ふっふっふ。
 そうか、お前たちは人狩りがお好みの鬼だったのか」

彼が皮肉を込めて言った。
憎々しい気持ちがビリビリと伝わってくる。

「そして、俺はその鬼になったんだな?
 俺を、その人狩りの鬼の仲間にしたんだな!?」

彼が怒りを込めて私の肩を掴む。私は思わず目を伏せた。

「……そうするしか……あなたを助ける方法がなかった」

「だったら、何故、俺を助けた!
 お前たちにとって獲物でしかないこの俺を!
 何故! 助けた!」

「……エルクゥは互いの意識を信号化し……伝え合うことができる。
 ……そして……言葉よりも深く……互いを理解し合える。
 ……あなたは、もともと……エルクゥに近い人間だった。
 ……あのとき……あなたの生命から炎が消えようとしたとき……あなたの私への想いが流れ込んできた。
 私は胸が痛くなった。
 ……あなたを失えば……きっと後悔する。……そう想った」

自分でも、頬が赤くなるのがわかる。
だって、失いたくないくらい愛している、そう言っているのと同じだから。

「ではなにか?
 俺がお前を愛したから、お前も俺を愛したというのか?」

頬を朱に染めたまま、私は小さく頷く。

「くっくっくっ、……あーはっはっはっはっ!」

彼は、まるで蔑むかのように笑った……私は、驚いて彼のほうを見た。

「傑作だ!
 この俺が、化け物のお前に惚れただと?
 本気でそう思っているのか!? この化け物め!」

「……バケ……モノ……?」

「そうだ! 化け物だ! 人間狩りが趣味のなあっ!
 そんな化け物に、俺が心奪われるものかっ!」

「……」

そう言われては何も返せない……彼からみたら、私は化け物以外の何者でもないのだ。

しかし、あまりにも辛い……化け物と言われることがじゃない。
私のことを愛してくれていると思っていた人が、私が愛した人が、心を通じてくれないことが辛い……

私は何も言えずに彼を見つめた。
すると、彼が急に口を開いた。

「そうか、解かったぞ!? 俺を助けた理由が!
 女の魔物は相当な淫乱というからな。
 おおかた、この俺の逸物でも欲しくなったのだろう!?」

そうじゃ、ない……もちろん、彼と肌を合わせることを望んでいないと言えば嘘になる。
でも、私は、彼の心で私の心を温めて欲しかっただけ。私の心で彼の心を温めたかっただけ。
ただ、それだけなのに……

私は無言で目を伏せた。

「いいとも、だったら望みどおり、たっぷりと抱いてやるさ!
 犯してやるぞ、この化け物め!」

「あっ!」

彼はいきなり私を押し倒した。
でも、私は反抗しなかった。彼から、鬼の血を宿らされた怒りと憎しみ、そして私への劣情が激しく伝わってくる。
あまりの激しさに、私の心がビリビリと振るえる感じがした。

彼はまるで暴力を奮うかのごとく、乱暴に私を求めた。
でも、私は声も立てず、涙を堪えながら唇を噛んで耐えた。
処女を失う苦痛も、どんな辱めも、必死に耐えた。
仕方ないこととは言え、命を救うためとは言え、彼を鬼にしてしまったのだ。
それに、どんな仕打ちをされても、私は彼を愛しているのだ。

そして、怒りや憎しみに満たされていた彼からのシグナルの中に、次第に胸の痛みが混じるようになってきた。
私だけじゃなく、彼も心が痛いのだ。

彼の胸の痛みはどんどん大きくなり、憎悪が徐々に消え失せてきた。
代わりに、私を包む愛おしさが膨らんでくる。
ついには、膨らんでくる愛おしさが全てになった。

私は体を振るわせながらも、必死で彼にしがみついた。
どんなに乱暴にされても、一時たりとも彼を憎みはしなかった。
彼だって、私を憎んでいるかもしれないけれども、その想いは変わっていないんだ。

そうしてついに、彼は私の中で果てた。
大量の精と共に、温かい愛情が私の体に流れてきた……

終わった後も、彼も私も離れることなく繋がったまま、身体を重ねて抱きしめ合った。
彼ももう乱暴はしなかった。それどころか、優しく私を抱擁してくれた。

「……エルクゥは互いの意識を信号化し……伝え合うことができる。
 ……あなたの心が私を温かくさせ……その私の心があなたを温める。
 ……たとえ……どんなに遠く離れていても。
 ……私があなたを愛したのは…あなたが…私を愛してくれたから……」

私達二人は、抱き合いながら確かな安らぎを分かち合い続けた。

その後、私は彼、ジロウエモンと何度か逢瀬を重ねた。
彼と一緒に居るのは、私にとってとても幸せな時間だった。


しかし、それはエルクゥとして決して許されることではなかった。
私は、私達エルクゥにとって獲物でしかないジロウエモンをエルクゥにしてしまったばかりか、彼と一緒になることを望んでいるからだ。

私は、エルクゥと人間の共存を首領に提案した。
もちろん、ジロウエモンといつも一緒にいれるようになるからだ。
それだけじゃない。一族の他の人達だって、人間と対等に交わることで、きっと幸福を得ることできると思うからだ。
しかし、私の意見はあっけなく却下されてしまった。

そのことをジロウエモンに伝えたとき、彼は私を励ましてくれた。
何度も言っていればきっとわかってもらえる、と。
でも、彼も心の中では悲しみが一杯だった。そういうシグナルがはっきりと私に届く。
彼は彼で、エルクゥと人間の共存が不可能なことを感じとっているのだろう……

彼は、人間のときからそうであったが、エルクゥとなった今でも、心をストレートに送ってくる。
きっと、彼も無意識にやっているのだろう。
そういうところに、彼の良さの表れているんだと思う。
再確認して、彼を愛しく思うと同時に、彼と一緒になれないことの悲しみが更に膨らんでいく。

でも、今日はそんな余裕などないのかもしれない。
なぜなら、私達二人の前に、私の二人の姉が突然現れたからだ。


「エディフェル……」

上の姉、リズエルが私の名前を呼んだ。
下の姉、アズエルは無言でリズエルの横につき従っている。
二人の表情は険しく、どう見てもジロウエモンの紹介を望んでいるようには見えない。

「エディフェル、仲間なのか?」

雰囲気を悟ってか、ジロウエモンが小声で私に聞いてきた。
私は二人が自分の姉であることを彼に説明した。

そして、私の説明が終わると、リズエルが待っていたかのように口を開いた。

「エディフェル……一族の代表として、あなたを殺します」

その一言で周りの空気が張り詰める。
リズエルの表情はあくまでも真剣だ。
人間の言葉を使ったのは、ジロウエモンにも伝えるための配慮なのだろう。
彼は当然のように私の前に出ようとした。

「エディフェルは俺が守る。この命に……」

私は無言で彼を制した。

「エディフェル……」

彼が私に何か言おうとしたが、私は黙って彼を見つめた。
これは一族の問題なのだ。彼を巻き込む訳にはいかない。
私を守ろうとしてくれた気持ちは嬉しい。でも、それだけで十分だ。

彼も、渋々ではあるが、納得してくれたようだ。

一方、リズエルとアズエルの二人も、アズエルがリズエルの代わりを申し出たが、リズエルはそれを拒絶した。
結局、アズエルが引き下がることとなった。

そして、私とリズエルの一対一の勝負が始まった。
リズエルの体から強力な殺気が溢れ出る。私もそれに負けまいと力を集中させた。


しばらくの睨み合い後、私とリズエルが同時に地面を蹴った。

次に私が気付いた時、私は地面に倒れていた。
何だろう、お腹がズキズキと痛い。
手を腹部に持って行くと、ぬるりとした感触があった。
血だ。私の腹部から血が流れているのだ。

ようやく理解できた。

勝負はあっけなく終わったのだ。
いや、勝負と呼ぶのもおこがましいかもしれない。
私は、たったの一撃で、ほんの一瞬でやられてしまったのだ。
抜群の技力と知力を併せ持つリズエルに勝とうなんて甘かったのだ。

「止めは刺さなくても……問題はないわね……」

リズエルは無感情にそう言うと、アズエルを引きつれて行ってしまった。
私は自分の命の炎が薄れ行くのを感じつつも、二人の心の痕をはっきりと感じとることができた。
あの二人も辛いのだ。

「エディフェル!」

ジロウエモンが私に駆け寄ってくる。

「エディフェル……」

彼は私を腕に抱くと、もう一度優しく私を呼んだ。
私は弱々しくも微笑んでそれに応えた。

「……リズエルを……恨まないで……」

そう、リズエルは悪くない。仕方のないことなのだ。

「……リズエルを……許してあげて……
 彼女は一族の掟に従っただけ……一番辛かったのは彼女……
 だから……リズエルを……」

「解った」

頷く彼に、私はもう一度微笑んだ。
そして、鉄のような味を感じたかと思うと、口から何かが溢れて垂れるのを感じた。おそらく血でも出ているのだろう。

「……だから、頼む。
 ……もう喋らないでくれ。そのままじっとしててくれ。
 ……そうすれば、エルクゥの力で傷が治るかもしれない。
 そうすれば、また、ふたり一緒でいられるんだ」

私は彼の言葉に対し、首を左右に振った。

「……エルクゥの力でも……消えかかった生命に……新たな炎は宿せない。
 私の命は……あと……もう………わずか……
 だから……それまで……話をさせて……」

「エディフェル……」

ジロウエモンが私の身体を強く抱きしめた。
その力強い抱擁はいつものように温かかった。
でも、この抱擁も、これが最後なのだろう。

「……忘れるな、エディフェル。
 ……忘れるな。
 ……たとえ生まれ変わっても、この俺の温もりを、この俺の抱擁を忘れるな。
 ……きっと迎えにいく。
 ……そして、きっとまたこうして抱きしめる。
 ……たとえお前が忘れても、俺は絶対に忘れない……」

彼の言葉で涙が溢れてきた。
私は、必死で頷いた。

忘れない。
忘れたくない。
彼の心が私の心を温めてくれたこと、彼が私を力強く抱きしめてくれたこと、どんなことがあっても忘れてたまるものか。

「……忘れない。
 ……私も……あなたのこと……決して……忘れない。
 私……ずっと……待っているから。
 ……あなたに……再び……こうして……抱きしめてもらえる日を……ずっと……ずっと……夢みてるから……」

強烈な眠気が襲ってきた……いや、これは意識が遠のいているのか。
頬を伝う自分の涙も感じなくなってきた。
もう、目を開けているのも無理だ。


もっと、彼を感じていたいのに……
もっともっと、彼の温もりを感じていたいのに……
でも、私の願いとは裏腹に意識は容赦なく薄らいで行く……


ジロウ……エモン……

to be continued...

作品情報

作者名 遠井椎人
タイトル紅葉が始まる季節
サブタイトル03:エディフェル
タグ痕, 痕/紅葉が始まる季節, 小林理佳, 柏木克彦
感想投稿数26
感想投稿最終日時2019年04月12日 18時39分21秒

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