・・・
 どんっ!!!
 「きゃっ!」
 「うわっ!」
 しまったと思った時はもう遅かった。
 少女は盛大に突き飛ばされて、こちらを睨んでいる。
 「ちょっと気をつけてよ!」
 「ごめんっ!」
 1メートルも突き飛ばしてしまっていた…僕は持っていた荷物を投げ捨て慌てて少女に駆け寄った。
 「大丈夫?けがはなかった?」
 「大丈夫なわけないでしょ!」
 最初に返ってきたのは大きな怒鳴り声だった。
 彼女はスッと立ち上がってこちらを睨みつけてきた。
 「だいたいあなたね…」
 「本当にごめん」
 「ごめんって言えば済む問題じゃないでしょ!」
 彼女はかなり怒っているらしく睨みつけるのを止めない。
 しかし僕は彼女の険しい表情にではなく彼女の体に視線を落としていた。
 細い腕、華奢な体付き…僕よりも10キロは軽い、言って見るならば、か弱い体だった。
 「……けがはどこ?」
 それだけが心配だった…女の子に酷い事をしてしまった…そんな気持ちで一杯だった。
 「そうよ!けがでもしてくれるの?」
 「ごめんっ!早く手当てしなくちゃ…どこなの?」
 「……」
 と、そこで会話が途切れる。彼女は黙ってしまった。
 不思議に思って視線を彼女の顔の方に戻すと、彼女は相変わらずこちらを見つめていたが、睨みつけてはいなかった。
 ただ、きょとんとした表情をしていた。
 「?…どうしたの?」
 僕はその表情が意味する物が分からなかった…彼女はきょとんとしたままこちらを見つめて黙ったままだ。
 二人の間に不思議な沈黙と、暖かい風が吹き抜ける。
 僕も彼女を見つめていた…その瞳に吸い込まれるような感覚を覚え、同時に胸が高鳴り出す…
 迷う前に心で感じた…これはきっと恋なんだと。
 「あの…」
 思わず声が出たが、先が続かない。こういうときに何を話したらいいのかが分からなかった。
 しかし彼女はそれに続けるように言葉を紡ぐ…
 「ねえ?…あなたの名前は…?」
 「えっ?」
 奇妙な質問だった…再び沈黙に包まれる…心地良い春風と共に…
 ・・・
 …ジリジリジリジリジリジリ…
 「うーん…」
 目覚し時計がけたたましく響き渡る。
 午後五時を告げる目覚ましで、夕飯を作る時間を意味する。
 「またあの夢か………」
 昨日も一昨日も同じ夢を見た。最近になって急に頻度が高くなり、日に日に鮮明になっている。
 始めは少女を突き飛ばしてしまった距離から思い出し、次は話した言葉、次は声、次は…
 …そして今日の夢に至っている。
 あいにく顔までは思い出せない。
 夢の中では顔にシルエットがかかっているのかもしれないし、もしくは起きると忘れてしまうのかもしれない。
 とにかく顔までは思い出していない。
 でもこの調子ならもしかして…
 「思い出したところでどうなるんだ?」
 もう3年も前に終った事を今更思い出したところで何の得にもならない。
 寧ろ忘れてしまった方がいいのに…
 確かにあの時は悔やんだ…でも未練はもうない。今は新しい恋をしている最中なのだから。
 偶然にも同居をしている彼女に恋をしているのだから。
 「…小野寺さん…」
 誰もいない部屋に頼りない声が響く…
 それではなぜあの夢を見るのか?
 理由があるとすれば恐らく今とあの時とでは状況が似ているからか?
 出会った時の状況や、彼女の性格…そして、あの時は恋が実らなかった…
 今度も実らないかもしれない。
 もう数ヶ月も同じ屋根の下で暮らしているというのに、彼女との関係は、出会ったときのままだ。
 悪い意味でも良い意味でも他人同士なのだ。
 こんなに近くにいるのに、あと1歩近づけば、触れられそうな距離にいるのに、その1歩が踏み出せずにいた。
 僕に勇気がないせいもあるが、なにより彼女のどこか寄せ付けない雰囲気に戸惑っていたからだ。
 丸井学園の女王と呼ばれている彼女は、僕の前でも女王だった。
 気付けば、家事はほとんどやらず、僕に命令ばかりするようになっていた。
 僕はそんな彼女の気持ちが分からない。
 だから、彼女との距離を取り続けてきた結果が今の状況だ。
 このままで良い筈はない…勇気を持って踏み出さなければならない。
 しかし、あと1歩がとてつもなく遠く感じる。
 1歩…1歩踏み出せば何かが変わりそうなのに、その1歩を踏み出す方向が分からない。
 迷路の分かれ道に立たされて、そこで立ち止まっている…そんな状況だと思う。
 だから彼女は『女王』のまま変わっていない…出会った時のままだった。
 僕には荷が重過ぎたのか?『高嶺の花』なのか…?
 「…」
 もやもやした気持ちを振り払おうとしたが、消えることはなく、重く胸の底に沈んで行く。
 ぐっすり寝た筈なのに頭が重い…
 …こういう日はできる事ならインスタントで済ませたいのだが、彼女が文句を言うと思うとそうもいかない。
 僕は仕方なくベッドから起き上がった。
「あの…」
 「?どうしたの?」
 台所には、小野寺さんがいた。
 「今日は僕が当番じゃなかったっけ?」
 「うん…そうなんだけど」
 長い後ろ髪をくくった、エプロン姿で立っていた。
 辺りに何かが焦げた匂いが漂っている。
 「あの…今日は代りに私が作ったんだけど…」
 「えっ?本当?」
 状況を見れば、彼女が夕飯を作っていた事は明らかだったけど、思わず声が出てしまった。
 家事が嫌いで、自分が当番でも僕に押し付けてくる彼女が、
 僕の当番を代って、しかもちゃんと作ってくれるというのはそれだけ意外な事だった。
 「どうしたの?」
 僕は喜び半分、驚き半分で尋ねた。
 「…本を読んでてちょっと作ってみたくなったんだけど…テーブルに…」
 そこまで言うと黙ってしまった。?…何となく彼女が力無く見える。
 「テーブルに有るんだね?」
 「あっ…ちょっと待って…」
 それでも嬉しかった僕は構わずテーブルに向かった。
「………」
 「………」
 互いに目を合わせながら沈黙を続ける二人。
 これだけ聞くとロマンチックにも聞こえるが、今この場を支配しているのはそれではない。
 食卓に座って、夕飯が盛られた皿と彼女とを交互に見つめる僕…
 食卓の向う側に立って、気まずそうに笑う彼女…
 そしてなにより…僕と彼女の間のテーブルの上に乗っかっている奇妙な物体…
 大きな球を半分に切ったような形、表面は真っ黒になっていて、スプーンで突っついてみるとカチンッと音がする。
 「これはなんなの?」
 震える手を物体全体に向けて恐る恐る尋ねる…
 「…ピラフよ」
 彼女は気まずそうに笑ったまま答えた。
 僕は笑えなかった…彼女はこの場を和ませる為に笑っているようだが、実際に食べなければならない立場にいる僕には笑い事ではない。
 「…ちょっと…失敗しちゃったかな?…ははは」
 「…」
 彼女は無理に笑っているようだった。ちょっとどころの失敗ではないことを彼女は分かっている。
 そして当然僕にも分かる…
 ようするに互いの意見は一致しているのだが、問題はこのピラフだ。
 彼女が僕の為に作ってくれた物…まさか食べたくないとは言えない。
 しかしこれを食べるのは勇気が要る。
 毒と分かっているものを食べなくてはいけない…僕はそんな心境だった。
 「…ねえ…嫌なら…別に食べなくてもいいから…」
 「えっ?」
 僕は驚いて視線をピラフから彼女の方へと移した。
 「だから…ちょっと失敗したから食べなくてもいいわよ」
 彼女は相変わらず笑っていたが、その笑顔には幾分か元気がない。
 小野寺さんが弱気になっている?
 少なくとも今の今までは見たことのなかった弱気な彼女が僕の目の前に立っていた。
 「ほらっ、失敗した物を食べてもしょうがないじゃない?だから今日はもういいわ」
 無理をして強がっているのがよく分かる。
 「じゃあ、今日はインスタントにするわ。ごめんなさいね」
 「ちょっと、待ってよ!」
 皿を下げようとした彼女を咄嗟に引き止める。
 引き止めた理由は言うまでもない。
 「あっ!?」
 彼女が驚いて一声を発したが、僕は構わずにそれを口に運ぶ。
 一口…
 時が凍りつく…小野寺さんは口の辺りを両手で押さえて、僕の反応をうかがっている。
 沈黙が数十秒続き、それに痺れを切らした彼女の方だった。
 「美味しく…ないよね?やっぱり」
 僕はなにも喋れなかった…と言うのも、さっき食べた一口目がまだ口の中に残っていたからだ。
 飲みこもうにも飲みこめない。それどころか喉の奥から逆流しそうなのに必死に耐えていた。
 超能力が使えるのなら今すぐ瞬間移動させたかった。
 そして超能力などない僕は、ティッシュを口に当て、中身をそこに出した…
 「…ごめん…」
 激しい後悔が胸を締め付けた。
 結果として最低なことをやってしまった。
 怒って、こちらを睨みつける彼女の顔が目に浮かぶ。
 怒られる…僕は身を縮めてそれに備えた。
 しかし、彼女から帰ってきた反応は…
 「…謝る事はないわ…」
 予想していた怒鳴り声とは全く違う弱々しい声だった。
 「…怒ってないの?」
 その余りの意外さに愚かな事を聞いてしまった。
 「怒ってなんか…ないわよ。私とした事が失敗しちゃったわね。ははは」
 笑えない…無理をしているのが痛いほど分かるからだ。
 「食べるよ」
 「!?やめてよっ!同情なんて!」
 彼女は始めて鋭く睨みつけてきた。
 …が…すぐに又、元の弱々しい顔に戻る。
 「同情なんて!…やめてよ…」
 「…落ち込んでるの?」
 また、睨みつけてきた。
 なにをやっても裏目だった…ただ彼女をいたずらに刺激していた。
 「落ち込んでないかいないわよ!」
 激しく僕を怒鳴りつけると、そのまま背中を向けて、自分の部屋に入って行った。
 後姿がひどく悲しそうに見えたのは、多分見間違えではない…
 だからこそ…何も言えなかった…
目の前には相変わらずピラフだかなんだか分からないものが居座っている…
 食べられない…何度も食べようとはしたが駄目だ。
 食べたところで、なんの解決になるわけでもないが、食べなくてはいけないと思った。
 彼女に申し訳無いというのが一つの理由なのだが、
 理由はもう一つ有った。
 今まで知らなかった彼女を知ってしまったからだ。
 わがままで高飛車…僕よりも一枚上手の女王だと思っていた…
 でも、それは僕の勝手な思い込みだったのかもしれない。
 僕が思ってたよりもずっと子供っぽい所がある。
 無理に笑ったり無理に強がったりして、必死に自分の弱さを隠そうとしていた。
 これもこれでかなり勝手な思い込みかもしれないが、
 僕の中で彼女が『女王』から『女の子』に変わった瞬間だった。
 やっと1歩が踏み出せそうな気がした。
 その気持ちが、『食べなくてはならない』と駆り立てるのだ…
 しかし一向に減らない…1時間の間格闘したが減ったのは四分の一程度だ。
 「はー、はー、はー、はー…」
 息を切らしながら大きく椅子に凭れかかった。
 これは…無理だ。残りは捨てるしかない…
 申し訳ないと言う気持ちも有ったが、もはや限界…
 僕は諦めて皿ごと台所持っていくことにした。
 フラフラしながら歩いて、なんとか台所の流しまで来た。
 「…?」
 台所には、小野寺さんが料理をした後がそのまま残っていた。
 それは別に不思議な事ではないのだが…彼女の使ったまな板に変なものが置いてあった。
 なにか紙のような物が…
 「一つ…二つ…」
 数えると、十二枚有った…これはなんだろう?
 親指の第一関節部分の形をした、肌色の紙…
 何所かで見たような…
 「もしかして…」
 手にとってまじまじと見つめる…そしてその何枚かが赤く染まっている。
 確信に変わる…これはバンドエイドの紙の部分だ…
 「っていう事は…小野寺さんは…」
 彼女は…6×2=12…6回バンドエイドを使った?
 僕は慌てて包丁を探す。流しの中にまだ洗っていない包丁があった。
 「血?」
 間違いなく血だ…
 それを確認した時、僕の胸に、今までに無いような罪悪感が込み上げて来た。
 手にいくつも傷を作りながらも必死で料理を作っている姿、
 『嫌なら食べなくてもいい』と言ってくれた弱々しい顔、
 寂しそうな後姿が脳裏を過った。
 僕はピラフの乗った皿を持って食卓に駆けて行く…
眠れない夜…疲れていない訳ではない…むしろ疲れている。
 両手に貼られているバンドエイドを見てため息をつく…
 「はあ…私、ばかみたい…あんな物、作るんじゃなかった。
 どうせ私には料理なんて無理だったんだ…」
 …彼女は傷ついていた。
 「どうせ私は女の子らしくなんかないわよ…」
 呟くように言う…彼を責めるためではない…ただ自分を責める為だけに。
 実は…彼に料理を出す前に少しだけ味見をしていた。
 とても食べられるような物じゃない…分かっていたのに。
 でも、つまらない意地を張ってそのまま彼に差し出してしまった。
 悪いのは全部自分…素直に本当の事を言っていれば二人とも傷つかなかったのに…
 …でも、認められなかった。悔しかった。
 きっと謝れない、謝っている姿など想像できない。
 「だめね…私」
 自嘲するようの一言と共に起きあがる…せめてもう少し料理がうまければ…
 首を振る…私には無理なんだ…と。
 ベッドから起き上がり向かう所は食卓。
 「また…意地を張っているのかな…」
 あれが置いてある食卓へ…
 もう見たくはないが…
 重い足取りで食卓へ向かう…と言ってもわずか2メートルの距離あるのですぐに着き、
 肩を落としながら目的の場所に目をやった。
 「えっ!?」
 彼女は目を疑う…そこのは有る筈の物が無く、居ない筈の人がいた。
 「〇〇君?」
 思わず名前を呼ぶ…返事は無い。
 慌てて駆け寄ると、彼は食卓のテーブルの上に覆い被さって倒れていた…
 「寝ているの?」
 口元に手を当てて呼吸が有るのを確認してほっとする。
 そして食卓の上に視線を移す…
 「食べてくれたの?」
 彼女の作ったピラフのような物はそこにはなく、空になった皿と、その上にスプーンが置いてあった。
 「嘘…」
 嘘ではない…一つしか考えられない…
 始めのうちはその余りの意外さに呆然としていたが、
 徐々にそれは気恥ずかしさと感謝の気持ちに変わっていった。
 「ばか………」
 こんなに親しみのこもった『ばか』なんて始めてだ…
 「でも…ありがとう…」
 こんなに心からの『ありがとう』も始めてだ…
 「目が覚めたら…謝らなくちゃね…」
 優しく穏やかな顔で少年を見つめる。
 「くしゅんっ!」
 と、彼はくしゃみをした…
 「しょうがないわね…」
 彼女は毛布を取りに少年の部屋に向かおうとした。
 「…小野寺さん…」
 ビクッとして彼を見る…
 「むにゃむにゃ…小野寺さん…」
 相変わらず眠っている…なんだ寝言か…
 彼女は少し頬を染める…
 「全く…どんな夢を見ているのかしら?」
 呆れながら彼をもう一度見る…やすらかな眠りの最中だ。
 まあ…いいか…彼女は優しい面持のまま彼を見つめていた…
 ・・・
 「…小野寺さん…っていうんだ…」
 「そう。小野寺桜子よ」
 突き飛ばしてしまった少女の綺麗なロングへアーがすらっと地に伸び、風に乗って棚引いている。
 「でも僕の名前なんか聞いてどうするの?」
 僕は依然として彼女からの奇妙な質問に戸惑っていた。
 彼女は僕の問には答えない。代りに曖昧に微笑んでこう言った。
 「あなたの名前…覚えておいてあげるわ」
 「どういうこと?」
 彼女は答えない…春風と共に訪れた出会いは、春風と共に消えて行く。
 遠ざかって行く彼女をただぼうっと見つめていた。
 ・・・
後書き
真面目に書きました。コメントを入れてくださった方々の意見も取り入れたつもりです。
  どんどん参考にしていきますにでこれからもよろしく!
  
作品情報
| 作者名 | ワープ | 
|---|---|
| タイトル | ずっといっしょにいるために | 
| サブタイトル | 3:料理は愛情? | 
| タグ | ずっといっしょ, ずっといっしょ/ずっといっしょにいるために, 小野寺桜子, 大森正晴, 三条真 | 
| 感想投稿数 | 24 | 
| 感想投稿最終日時 | 2019年04月09日 11時51分09秒 | 
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- [★★★★☆☆] 大きな目で読むと展開は良い。しかし、細かいことを言うと誤字脱字や漢字の使い方は改正が見られない。次回に期待。
- [★★★★★☆] 丁寧にかかれていて、読みやすいです。
- [★★★★☆☆] 途中で「食べられない」っていう所がいい展開だった。
- [★★★★★☆] なかなかとかつけましたが、凄くなってます〜(^^) まさに次回に期待。
