高校三年 −夏−
ニュースでは、今年は猛暑だと告げていた。
言われなくても十分暑い。
午後0時。気温三十度。
うだるような暑さの中、俺は部屋でゴロゴロとしていた。
そのとき、電話がなりだした。
今日は両親二人とも居ない。
だから放っておけばいつまでも鳴り続ける。
「はいはいはい‥‥と」
動くのもイヤなほどダレきっていたが、呼びだし音を聞いているよりはマシと思い、呼びだし音に受け答えしながら、力を振り絞って受話器を取り上げた。
「はい、…ですけど」
その後にあるべき返答がなかった。
「もしもし?」
「あ‥‥ …」
俺の名前を言われて、かけて来た相手がわかった。
「詩織? 詩織か?」
「あのね‥‥‥」
電話の向こうの詩織の声が、いつもとどこか違う。
この声は‥‥
「詩織! どうしたんだ?」
俺は状況もわからずに、大きな声で聞き返した。
「あのね‥‥‥ …に貰った金魚が‥‥」
そこまで言ったあと、俺の耳に届いたのは、明らかに泣き声だった。
それから、なにも言わずに、ただ小さく泣いている声がするのに慌てて受話器を持ったまま立ち上がってしまった。
「ちょっと待ってて、今すぐにそっちに行くから!」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥うん」
長い沈黙の後にかえってきた答えを確認して、俺はすぐに電話を切った。
暑いのも忘れて、とりあえずズボンだけを履いて階段を駆け降りた。
詩織の家の玄関が開くと、そこには、詩織が立っていた。
俺をまっすぐに見据えている目は、赤味を帯びている。
頬には、伝わった涙の跡‥‥
「し、詩織‥‥‥」
俺はその様にビックリして、思わず立ちすくんでしまった。
「‥‥ごめんなさい‥ごめんなさい‥‥‥」
そう言うと、詩織の目にじわっと浮かび上がってくる物があった。
次の瞬間、俺の胸に飛び込んできていた。
「お、おい‥‥」
俺のシャツを両手で掴み、額を胸に押しつけるようにしている。
とっさの事に、俺は訳がわからなくて、自分の両手をどうすればいいのか考えていた。
抱き締めてあげればいいのか。詩織を引き離して訳を聞けばいいのか‥‥
「詩織‥‥どうしたんだよ」
俺は、詩織の肩にポンと手を乗せた。
手を乗せてみてわかった。
肩が小さい事が。
小さい頃、俺はほとんど詩織と身長も変わらず、視線も同じだった。
その詩織の肩が、今は儚く小さく思える。
俺は、心のどこかでその事に驚いていた。
いつから俺は詩織をこんな風に小さく感じるほどになったのだろうか‥‥と。
それでも、泣いている詩織を心配する気持ちの方が今は圧倒的に強い。
「泣いてちゃわかんないよ‥‥」
それでも、シャツを握りしめる力が緩まない。
俺は仕方なく落ち着くまでそのままで居る事にした。
やがて、シャツを握る手の力が緩み、嗚咽も納まったころに
俺は肩に置いた手に力を入れて、ゆっくりと詩織を引き離した。
「‥‥どうしたの」
どういう顔をして聞いてみようか悩んだ。
優しく包むように笑ってやるべきか、心配そうな顔で聞くべきか。
結局、口元はつり上がらなかった。
「‥‥‥いつか、…に神社の夜店で金魚もらったよね」
その言葉も、まだ涙の影響か、ところどころつかえる。
「ああ‥‥あの時の」
二年前の夏、俺が金魚すくいで取った金魚を詩織にあげたのを思い出した。
浴衣姿の詩織が、うれしそうに二匹の金魚を見つめていたのを覚えている。
「死んじゃったの‥‥さっき‥‥二匹とも水槽の底に一緒に沈んで‥‥」
思い出しているのか、また泣きそうになっている。
俺は、身体が無意識に動いた。
泣きそうな詩織を抱き締めていた。
詩織の家の玄関だという事も、すべて忘れていた。
ただ、金魚をあげた時の嬉しそうな詩織が、今こうして泣こうとしているのが俺にはたまらなく辛かった。
「えっ‥‥」
そう驚くような声が聞こえたが、詩織はどんな表情をしたのか考える暇もなかった。
「ごめん‥‥ごめんな。俺があげたばっかりに、そんな辛い思いさせて」
泣きたいのは俺の方だった。
詩織の泣き顔を見るためにあげた訳じゃなかった。
それに、その金魚を今まで泣いてくれるまでずっと大事に飼っていてくれた事の嬉しさもあったのかもしれない。
その思いが嬉しくて、それだけに辛かった。
「馬鹿だよな。俺も‥‥あの時ただ単に詩織が喜ぶ顔が見たかっただけなのに‥‥」
両手に力が入ってしまった。俺は思わずそれにハッと気づいて詩織を放した。
「ご、ごめん‥‥‥痛かった?」
離れた詩織の顔を見た時、詩織は無言で小さく首を横に振ってくれた。
「ありがとう‥‥」
そうつぶやきながら‥‥
もう一度抱き締めたい衝動に駆られたが、さっきの無意識の勢いはもう無かった。
良くあんな事ができたな。と感心すらする。
「でも‥‥‥こんな言い方、ちょっと変かもしれないけど、あの金魚の事でそんなに泣いてくれるなんて思わなかった」
「だって‥‥」
詩織は何かを言いかけて口ごもった。
「どうしたの?」
「ううん‥‥」
それだけ言って首を横に振るだけだった。
「で、金魚達は?」
「部屋の水槽の中‥‥」
「そうか‥‥じゃ行こう」
詩織を促して、俺は詩織の部屋へ向かった。
きらめき公園の池が見える近くの大きな木の下で、俺達は立っていた。
根元には、小さな盛り土。
木漏れ日が、キラキラと地面に降り注いでいる。
街の中よりもひんやりした空気が、心地よく緩やかに流れた。
「ごめんね‥‥‥」
その盛り土に向かって、詩織が言った。
「大切に飼ってくれてたんだろ? だったらこの金魚達もきっと幸せだったんじゃないかな‥‥」
自分でも、勝手な解釈だと思う。
でも、俺は心底そう思う。
「この金魚達ね‥‥とっても仲が良かったの‥‥‥」
詩織が、誰にともなく言った。
「オスとかメスとかってわからないけど、本当に仲が良かった」
「‥‥‥」
「それ見るたびに、いいなぁ‥‥っていつも思ってたの」
なぜか、少しだけ頬を赤らめていた。
一瞬だけ俺をチラリと見た事に俺は気づけなかった。
「そうか‥‥」
金魚達を見つめている詩織を想像しながら、俺は木を見上げた。
微かに揺れ動く葉の間から降り注ぐ木漏れ日の眩しさに一瞬目を細めた。
ふと目を背けた先に見えたのは、澄み渡る青空。
広いあの空で金魚達は泳いでいるのだろうか‥‥
「ねえ‥‥」
「なに?」
「今日は‥‥本当にありがとう」
「いいって。元もとは俺のせいなんだから」
「ううん‥‥そんな事ない」
柔らかく微笑みながら、首を横にふった。
「私、金魚貰った時、本当に嬉しかった」
「‥‥」
「だから‥‥自分のせいだなんて言わないで」
「ありがとう。そう言ってくれれば俺も‥‥‥」
ちょっと照れくさくなった。
「それじゃ‥‥帰ろうか」
俺は肩の力を抜いた。
「うん」
二人で金魚達の埋められた所を後にするとき、詩織がほんの一瞬無言で
盛り土を見つめ、すぐに振り返った。
木の下から出た俺達を待っていたのは、夏の強い陽射しだった。
−夜−
電話のコールが三回鳴った時、誰かが電話を取った。
「はい、藤崎です」
「あの‥‥ …と言いますが、詩織さんはいらっしゃいますでしょうか」
「ふふっ‥‥」
おかしそうに笑う声が聞こえてきた。
「あ、詩織か?」
「うん」
「なんだ、てっきりおばさんの方かとおもっちゃったよ」
「ごめんね」
笑いながら言っているのが声でわかった。
良かった。思ったほど落ち込んではいないようだ。
「それより‥‥今日は‥‥本当にありがとう」
「いや、別にいいよ‥‥
俺も詩織が今どうしてるかな‥‥って、気になってちょっと電話したんだけど‥‥‥忙しかった?」
「ううん‥‥」
小さな否定が返ってきた。
嬉しそうなのは、俺の思い上がりだろうか‥‥
「あ、そうだ。詩織、紙コップ用意してくれないかな」
俺はふと思いついた事を口に出した。
「え? 紙コップ? いいけど‥‥何するの?」
「いいからいいから、それで、用意したら部屋の窓を開けておいてくれないかな」
俺は受話器をもったまま窓から詩織の部屋を見た。
「うん‥‥いいけど」
「それじゃ、準備して窓開けるの待ってるから」
「うん」
「じゃ」
そう言って俺は受話器を置いた。
俺もさっそく紙コップを用意して、押し入れから凧糸を取り出し、凧糸の先端に消しゴムをくくりつける。
その消しゴムには、あることを書いたメモを細く丸めて結んでおいた。
窓を開け、詩織が窓を開けてくれるのを待とうとしたが、待つこともなく、すぐに窓が開いた。
「これでいい?」
窓越しに聞いてきた。
「オッケー。それじゃ、ちょっと窓から離れてて」
そう言うと、すっと詩織は窓から離れた。
俺は、狙いを付けて消しゴムを詩織の部屋の窓目掛けて投げた。
やった。うまく入った。
凧糸をひきつつ、消しゴムは見事に詩織の部屋に消えた。
しばらく待っていると、凧糸がピンピンと引かれた。終わった合図だ。
「もしもし」
紙コップからは、そう聞こえてきた。
「もしもし」
俺はそう答えた。
詩織は、窓際に立っている。
俺も窓際に立って詩織を見ていた。
「これでいいのね」
「うん」
メモに書いた手順どうりに準備をしてもらっていたのがうまくいったようだ。
「くだらなくてごめん」
詩織を見ながら、俺は言った。
「ううん、いいの。楽しいわ」
向こうも俺を見て言ってくれているのだろうか。部屋の逆光で良くわからない。
「糸電話。懐かしいね」
「そうだね。昔これで遊んだ事あったよね」
「うん。覚えてる」
「あの時、どんな事話したっけ」
「うんとね‥‥‥詩織ちゃん元気ですか〜って…が言ってたかな。すぐ近くにいたのに‥‥おかしかった」
笑う声が糸に乗って俺の所の紙コップに伝わってきた。
「詩織ちゃん元気ですか〜」
子供のような声で俺が言った。
「そうそう、そんな感じ」
楽しそうな声がする。
「詩織ちゃんが元気じゃないと、僕も‥‥‥元気じゃないから。
今日の事も‥‥忘れられないだろうけど‥‥」
僕も‥‥以降から、声が俺に戻った。
「‥‥‥‥うん」
しばらくの沈黙の後に、一言だけ返ってきた。
「私の事で、…まで元気無くなったら、私だってイヤだから‥‥」
「そうそう。頑張れ詩織ちゃん」
俺はまた僕に戻った。
「うれしいな…くんっ」
詩織も子供に戻っている。
「はははっ」
「うふふっ」
「良かった。元気になって」
「うん‥‥ありがとう」
穏やかな声が、糸電話のせいで一層穏やかに聞こえる。
「あ、それじゃさ。詩織ちゃん、明日プールに行こうよ」
僕が言った。
「えーとね‥‥ごめんなさい。明日はちょっと予定あるの」
残念そうな声が紙コップからした。
「ええっ!」
「…とプールに行く予定があるの」
「!」
「…くん、…にそう伝えておいてね」
どこか、笑いを堪えているような声だった。
今、きっと、小さい頃に親達に内緒ででかけようと企んだ時に見せた悪戯っぽい笑顔を浮かべているのかもしれない。
「‥‥うん。わかった。伝えておくよ」
僕は、俺に確かに伝えた。
「あ! ‥‥ねぇ‥‥見て」
「うん? どしたの?」
「ほらぁ‥‥星が一杯出てる」
その声に、上を向くと、冬には及ばないものの、綺麗な星がたくさん出ていた。
「ほんとだ。明日もきっといい天気だよ」
それからしばらく、俺達は無言でその夏の夜空を見上げていた。
ある夏の日の一日は、こうして過ぎていった。
後書き
なんとなく書いてみたかった話です。
まあ、相変わらず明るさとは少し遠い話展開ですが‥‥
落ち込んでいるところから這いあがろうとする心意気って
わりと明るいかな‥‥とか思うんですが、いかがな物でしょうか(^^;
もっと楽しいの方が、読んでてよいでしょうか。
最近の話展開って、どうもワイワイガヤガヤな感じとはかけはなれているので‥‥
あまりレスとかを期待するほどの物でもないんですが、そこらへんって、どんな物なのかなぁと、ちょっと気になったので、ほんのちょっと余った時間に、ちょこっと上記に関してのレスなどを頂けたらうれしいです(^^;
今後の自己暴走の参考にしたいので‥‥(^^;
(読んでくれている事を期待しているあたり、ちょっと調子に乗ってるのかも(T_T))
そんな訳で、よろしくお願いします(^^;;;
作品情報
作者名 | じんざ |
---|---|
タイトル | あの時の詩 |
サブタイトル | 16:金魚 |
タグ | ときめきメモリアル, ときめきメモリアル/あの時の詩, 藤崎詩織 |
感想投稿数 | 282 |
感想投稿最終日時 | 2019年04月09日 03時30分38秒 |
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- [★★★★★☆] 昔飼ってたのを思い出しました。やさしさがあふれてていい話だと思います。
- [★☆☆☆☆☆] ????????・
- [★★★★★★] わいわいガヤガヤも好きですが、こんな何気ない日常の風景も良いと思いますよ。(^^) 詩織の泣き顔と言うのも、なかなか描かれないお話ですし。
- [★★★★★★] 糸電話がなんかほのぼのしてて好きです。