(1)

「はっ!」
鋭い叫びとともに、コートに黄色い弾丸が跳ね返った。
見ていた俺達男子部員も、思わず声を出してしまった。
「藤崎先輩‥‥気合い入ってるね‥‥‥」
女子部員達からそういうつぶやきが聞こえる。
インターハイが近い十二月の冬休み直前の部活での事であった。
三年最後の大試合だけに、詩織だけでなく、俺達出場候補の部員も気合いが入るという物だ。
「次、行くわよ!」
「は、はい!」
詩織の勢いに、女の子の後輩がたじろいでいるようだ。
いつもと違うきびしい表情の詩織を見ていると、俺まで気合いが入る。
「おい、俺もやるぞ。ちょっと練習付き合え」
「え、…先輩の相手するんですか‥‥‥」
「いいからいいから‥‥」
嫌がる後輩を無理矢理連れて、俺もコートに立った。
詩織に負けてはいられない。
「せ、先輩‥‥お手柔らかにお願いしますよ‥‥‥いつも手加減してくれないから」
「お手柔らかにやってたら、インターハイで勝てないからな。本気で行くぞ!」
俺は青空に向かって球を投げ上げた。

「藤崎先輩、お先に失礼しま〜す」
女子部員が口々に言う声が隣の部室から聞こえる。
大会を控えていない部員達や後輩も次々に帰っていく。
「それじゃ、先輩お先に」
男子部員の後輩も次々と帰っていく。
「あれ、先輩。まだ帰らないんですか?」
「ああ、まだちょっと練習していこうと思ってな。練習付き合うか?」
「い、いや。自分はもう帰ります」
後輩達は、苦笑を浮かべながら次々に帰って行ってしまう。
手加減しないのがまずいのだろうか‥‥‥
ま、いいや。とりあえず残って打ち込みの練習でもするか。
テニスボールの入ったカゴを持って、コートへ行こうとすると女子の部室から、詩織が出てきた。
まだテニスウェアのままだ。
「あ、…」
「なんだ、詩織じゃないか。まだ帰らないの?」
「うん‥‥まだちょっと練習していこうと思って‥」
何かに熱中している目だ。キラキラと輝いている。
「そうか。俺もそうなんだ」
「そうなんだ‥‥あ、それじゃ練習付き合ってくれない‥‥かな?」
元もと一人でやろうと思っていただけに、これは予想外だった。
しかも、嬉しそうな顔で頼まれたのでは、断る理由なんかどこにもない。
こっちから誘いたいくらいだった。
「いいよ。一緒にやろう」
「良かったっ」
そう喜ぶのを見れただけで、俺も嬉しくなってくる。
「詩織、最近気合い入ってるよね」
「…こそ」
「もうインターハイも近いし‥‥‥それに、詩織見てたら負けられないよ」
「わ、わたしだって‥‥」
少し照れたように俺から目線を反らした。
「…に追い付こうって‥‥‥」
「え?なんか言った?」
かすかなつぶやきが聞こえてきたような気がして、俺は聞いた。
もしかしたら、風の音だったのかもしれない。
「ううん、別に‥‥」
目を細め、頬を少し赤らめながら小さく首を横に振った。


まだ日は西の空高くにあるが、空の色がほんのり黄色に染まりつつある中、俺は球を空に放りなげ、落ちてくるところを渾身の力を込めてラケットで叩いた。
まっすぐ反対側のコートに吸い込まれたと思った瞬間、その先にあったのは詩織のラケットだった。
完璧なタイミングで打った筈のサーブを、見事に捉えられた。
「!」
驚くよりも先に足が動いた。
返ってくる方向は頭より先に身体が読んだ。
読みどおり、すぐに反対側に強烈なリターンが返ってくる。
ギリギリの所で追い付き、なんとかボールを当てる事ができた。
一瞬の判断で、力を抜くことが出来たのはラッキーだったかもしれない。
返えす方向を完全に狂わす事ができた。
すでに動いていた詩織の逆方向に飛んでいき、見事にコート内でバウンドした。
「やっぱり男の子よね。全然かなわないな‥‥‥」
息を切らせた詩織が、ネット際に来て、それでも微笑みながら言った。
そういえば、危ないとは思いつつ、まだ詩織には一ポイントも許してはいない。
「私なんかじゃ、やっぱり練習相手にならないね」
どこか寂しそうなのはなぜだろう。負けている悔しさからなのだろうか‥‥‥
「そんな事ないよ。何度も駄目だって思ったし」
「ううん‥‥やっぱり駄目。
 私なんてこれで全力だもの。…はまだ力を残してるって感じだし」
確かに、返ってくる球は正確でスピードも速いが、球威が少し足りないような気がする。
最後のリターンも、球威があったら、力を抜いてフェイントなんかかけられない。
それでも、女子の中では群を抜いている。他の男子部員じゃ歯が立たないな。たぶん。
「詩織‥‥‥」
「…の練習相手にはなりそうもないから‥‥やっぱり私一人で‥‥」
全部言わせる気はなかった。
「詩織以外に俺の相手つとまらないんだ。だからそんな事言わないで俺につき合ってくれ!」
「えっ‥‥‥」
詩織は驚きに、目を丸くしている。
「あ‥‥‥だ、だから、その、強い人とじゃないと練習にならないから‥‥
 つまり‥‥‥詩織は強いって事で‥‥」
「‥‥‥私で本当に‥‥いいの?」
「えっ‥‥‥?」
今度は俺が驚かされた。
ふと、自分がコートに居る事を忘れてしまったような気がする。
ハッと気づいて、
「あ、ああ。だから練習付き合って欲しい‥‥」と、ちょっと気弱になってしまった。
「‥‥うん」
さっきよりも夕暮れの色が強くなってきたコートの中で、詩織は頷いた。嬉しそうに。
「私も、頑張るから‥‥‥」
「うん」
やる気になってくれただけで、満足だった。
「じゃ、行くぞ」
「うんっ!」
さっきまでより、力強くなっているような気がして、こっちまで力が入ってくる。
俺は、だんだん球の色に近づいてくる空に、サーブトスをあげた。

「今日も疲れたね」
もうすっかり夕暮れの帰り道、詩織が空を見ながら言った。
「ああ、もう大会も近いし。気合い入るよね」
「お互い頑張りましょうね」
「そうだね」
「あっ‥‥‥そうだ。冬休みに入ったら、一緒に‥‥早朝練習しない?」
ちょっとだけ上目づかいで、俺をチラリと見つめた。
返ってくる答えに少しだけ不安と期待を抱いているような感じに見えた。
「早朝練習か。いいね。やろうよ」
「よかった・・」
オッケーした時の嬉しそうな顔に、俺の方が嬉しくなる。
「いいよ。朝早くに学校行ってやろう」
「うん」
「それじゃ、それで決まりだな‥‥‥‥‥あっ!」
「えっ‥‥どしたの?」
あっ! に力を入れすぎたせいで、詩織が驚いて聞いてきた。
不安そうな顔をしている。
「あ‥‥ごめんごめん。もうじき大判焼売ってる店の近くだから、食べようって今日決めてたのを思い出した」
「な、なんだ、そうだったの‥‥‥」
詩織はホッと胸を撫で下ろした。
「え? なんで?」
「てっきり、なんか予定があるんじゃないかと思って、早朝練習駄目になっちゃったのかな‥‥って」
「ごめんごめん。不安にさせちゃって。お詫びにおごるから、大判焼食べようよ」
「うん、それじゃ私二つね」
「太るよ」
「ひどぉい」
小さく拳を作って振り上げた。
「ははっ、冗談だよ。運動頑張ってる人はそれくらい食ったくらいじゃ太らないって。
 もともと十分スマートなのに」
ちょっと目線が下がった。
もしかしたら、鼻の下も伸びていたかもしれない。
「もう、えっちなんだから」
顔を赤らめながら、ちょっとだけ身をよじった。
「ご、ごめん‥‥‥」
なんとなく気まずくなって、目を反らして鼻の頭を掻いた。
「‥‥でも、うれしいな」
今度はお互い、照れくささで会話を忘れた。
「あ、ほ、ほら、あの店だよ。それじゃ買ってくるから」
気まずさというか、恥ずかしさから逃げるように、俺は詩織を待たせて店頭へと走った。


「おいしいね」
「だろう」
近所の公園のベンチに座って、俺達は大判焼を食べていた。
焼きたてだけあって、ほかほかしてうまい。
「あったまるね」
「そうだね」
俺はすでに二つ目。詩織はまだ一つ目だ。
「いやぁ、うまかった」
「もう食べちゃったの。早いね」
「今日、スゴイ疲れたからね」
「これ‥‥‥食べる?」
まだ残っている二つ目を、詩織が俺に差し出した。
「いいよ。それは詩織の分なんだから」
「わ、わたしは‥‥もういいから、…にあげる」
「やっぱり太るのとか気にしてる?」
「そ、そうじゃないけど‥‥わたしより…の方がおなか空いているんじゃないかって‥‥」
照れくさそうに、でも嬉しそうに微笑みながら、まっすぐ俺を見つめていた。
「そう? ‥‥それじゃ」
俺は受け取って、それを半分にした。
「半分だけもらっておくよ。あとは‥‥‥」
半分を詩織に返した。
全部食べてしまいたかったが、なぜかこうしたかった。
「え‥‥」
そう驚きつつも、受け取ってくれた。
「ほんと、あったかいよね」
俺は、照れをごまかすために、わざとらしく熱そうに食べた。
「‥‥うんっ」
嬉しそうな声だけで、もう心底からあったかい。
「おいしいなぁ」
「うん。おいしいね」
半分になった大判焼を食べながら、詩織が頷いた。
夕暮れの一時、そのまま温かい時間が流れていった。

(2)

高校生活最後の冬休みが始まった。
午前6時半。
玄関を開けるなり、氷のような空気がどっと押し寄せてきた。
まだ陽も出切っていない朝の空気は刺さるほど冷たい。
肺に一杯に吸い込むと、身体の芯から冷え込みそうだ。
吐く息がオーバーなほど白く変わっていく。
しかし、その寒さを忘れさせてくれる笑顔待っていた。
「おはよう」
そういう詩織の紅い頬は、寒さのせいだろうか。
「待っててくれたの?」
「ううん、ちょうど今来たところだから‥‥」
それにしては、少し寒そうに震えているのはなぜだろう?
もしかしたら‥‥‥本当は待っていてくれたのだろうか‥‥まさか。
詩織は制服にコートという格好だが、さすがにこの時期のこの時間。少し寒そうだ。
「これ‥‥‥はい」
俺は自分のしていたマフラーを外した。
首元からスウっと冷たい空気が入ってきたが、そんなのは気にならない。
「え‥‥それ」
「うん、詩織に貰ったやつ。あったかいよ」
「ありがとう‥‥でも‥‥‥」
いっそう頬の紅みが強くなっていた。
「大会前に風邪引いたら大変だろ」
俺は半ば強引に詩織に渡して、先に歩き出した。
詩織の事だ、遠慮してすぐには受け取ってくれないだろうからそれを封じる為だった。
‥‥‥照れくさいというのもあったかもしれない。
「あ、待ってぇ」
早足の俺に追い付いてきた詩織の首には、しっかりマフラーが巻かれているのを見て安心した。


ようやく出始めた朝日が、コートを金色に変えつつあった。
朝のこの時間だけの色だ。
その時間を詩織と共有できる事で、嬉しさで足が軽くなる気がする。
「よく相手の動きを見て反応しろっ!」
俺の声が、白く変わっていく。
「はいっ」
元気な声が返ってくる。その声もまた白く変わり、冬の空気に溶けこんだ。
いつのまにか、俺がコーチ役になっていた。
それでも、短時間の練習のうちに、昨日とは見違えるほどの実力をつけていた。
いまだに球威こそは足りないが、スピードと正確なショットでそれは十分にカバーできている。
ライン際を狙う正確さはピカ一だ。
それでも、俺は負けじとそのボールに飛びついた。

「すごい。昨日よりずっと強くなってきてる」
ラケットを構えながら、詩織に聞こえるように言った。
「先生がいいのかも」
ボールをポーンポーンと地面に弾ませながら、可笑しそうに言った。
「よしてくれよ。このままだと、いつ逆転するかわかったもんじゃない」
半分ほど本気だった。
男子プレイヤー並の級威さえあったら‥‥‥と考えると、少し恐いほどだ。
「…こそ、まだ全力じゃないでしょ。私に構わないでどんどん本気出して」
詩織は全力なのか、息が多少切れている。それでも力強さだけは失ってない。
なんだかんだ言っても、俺はまだポイントをほとんど落としていない。
しかし、このまま大会前までやってたら、全力を出すハメになるのは明らかだ。
「よし、来い」
その声に詩織は一つ頷き、サーブトスを朝日まぶしい空に投げあげた。
来る!
しかし、一瞬詩織に見とれていて反応が遅れた。
やばい!
とっさ追い付いて返せたものの、俺はすでに体勢が崩れていた。
緩やかな返球は、ネット際に前進している詩織には絶好のチャンスボールだ。
崩れた体勢を立て直して、すぐに来るショットに備えようとしたが、遅かった。
俺の居た場所の反対側のラインギリギリに突き刺さった。
体勢が崩れてなくても、もしかしたら駄目だったかもしれない。
「くっ、やられたか‥‥‥」
俺は何よりも、着実に詩織が追い付いてきていることに嬉しくなった。
あれ? ‥‥‥そういえば、入学当時は俺が詩織に追い付こうとしていた気がする。
いつから俺は‥‥‥
「次、行くよ」
「あ、ああ‥‥来いっ!」
詩織のサーブに、その考えは中断された。

午前9時。
ほかの部員達もぞろぞろとコートへ集まり出してきた。
「…先輩、もう来てたんですか。早いんですね」
男子部員の後輩が眠そうな目で言った。
「もう大会まであと少しだからな‥‥‥
 それより、来年はお前達が主役なんだから、もっと頑張れよ」
「は、はい」
弱々しく答える後輩を見て、去年までの俺をなんとなく思い出し、なんとなく苦笑した。
「それじゃ、俺はちょっと休憩するから」
「お疲れ様です」

「ねえ、…。ちょっといい?」
コートのベンチで座って汗を拭いている俺に、詩織が声をかけてきた。
「あ、詩織、いいところに来た」
「なに? どしたの?」
「一旦家に帰らない? 飯食いに帰ろうかと思ってさ」
「ちょうどよかった」
詩織は、ぱあっと顔を輝かせた。
「え?」
「あのね‥‥‥そう思ってお弁当作ってきたの‥‥」
こっそり俺に耳打ちした。
ふっと耳にかかる息に、心臓が跳ね上がってしまった。
「え? 俺の分も?」
俺は詩織の方を向いて目を合わせた。なぜか声を小さくしてしまった。
「うん」
驚きに声をなくしていた。
「‥‥教室に行って、一緒に‥‥‥食べない?」
なんとなく、そう言ってくれるのに、勇気を出してくれたような‥‥‥
そんな笑顔だった。
「オッケ。それじゃ行こ‥‥」
悪戯の相談でもするように、小声で言った。


「‥‥‥おいしい?」
俺の机をはさんで、詩織が聞いてきた。
不安そうに俺を見ている。
「うまい!うまいよ」
誰もいないガラーンとした教室に声が響いた。
日常の筈の空間が、誰も居ないだけで、こうも違う物になるのだろうか。
「良かった」
嬉しそうに手を合せながら笑った。
お世辞でもなんでもない。本当にうまい。
卵焼の味といい、揚げ物の味といい‥‥‥揚げ物?
「これ‥‥冷凍物?」
フライを箸で摘みあげた。
「どうして? やっぱりおいしくない?」
また不安に曇る。
「ち、ちがうよ。その逆。うまいからちょっと気になって。もし冷凍のじゃなかったら‥‥」
「うん‥‥‥早起きして最初から作ったの」
俺が何を言いたいのか察したのか、うつむきながら言った。
「えっ‥‥ただでさえ朝早いのに?」
「そ、その‥‥早く目が覚めちゃったから‥‥つい」
恥ずかしそうにそっぽを向いてしまった。
作って来てくれただけでも浮かれまくっているのに、手間をかけてくれただけで、目眩がしそうなほどだ。
俺は想像した。
朝早く起きて台所に立つ詩織の姿を。
どんな表情で作ってくれたのだろうか。
どんな思いをこめてくれたのだろうか‥‥‥
「そっか‥‥」
今俺は、みっともなく崩れた顔をしているに違いない。
「でも‥‥喜んでくれて良かった」
「‥‥‥こ、こんなうまい弁当なら、毎日でも食いたいくらいだよ」
止めていた箸をまた動かして、また食べ始めた。こうでもしないと照れくさくてどうしようもない。
「それじゃ、毎日食べる?」
その言葉に、せっかく動かした箸がまた止まった。
「え?」
「朝練つき合ってくれるお礼に、大会まで‥‥‥お弁当作ってきてあげる」
「い、いいよ。朝早起きするのたいへんだろ」
半分本心だった。もう半分は本心じゃなかった。
「いいの‥‥‥喜んでくれるのが嬉しいから」
最後の方は、ほとんど口の中だけで言ったような感じで、良く聞き取れなかったがなんとなくわかった。
「あまり無理しないっていう条件ならいいよ」
できるだけそっけなく言ったつもりだった。
作って欲しい。と素直に言えない自分がなんとなく憎らしく思えた。
まともに詩織の顔を見れなくて、俺は窓の外を見ながらまた箸を動かした。
「うん。それじゃ期待しててね」
嬉しそうな声だった。

大会まであと十日

クリスマスイブ。
その朝も俺達は早朝から練習をする事になっていた。
空を見上げると雲があるのがわかった。
今日はあまり天気良くないな‥‥
俺は待ち合わせの六時半にはまだ十分程早いが、門の前で待っていると隣の家の門の扉を開ける音が聞こえてきた。
やっぱりそうか。
「あ」
待っている俺を見て、声をあげていた。
「よ、おはよう」
ゆっくりと歩いてくる詩織を見ながら、俺は軽く手をあげた。
「もしかして昨日もこの時間だった?」
聞かなくても言い事だったが、ふと聞いてみたくなった。
「もう、意地悪」
怒ったような、それでいてどこか笑ったような表情で小さく言った。
「いいよ。これあげないから」
詩織が青い巾着袋を揺らした。
「あっ、それは‥‥‥‥殺人コアラのおでかけセット?」
「馬鹿。そんな事言ってると本当にあげないから」
それでも、にこやかに笑いながら、走りだしてしまった。
「あ、おい。待ってくれよ」
昨日と立場が逆じゃないか‥‥‥


「今日、これからどうするの?」
昨日と同じように、教室で弁当を食べていた俺に詩織が聞いてきた。
「どうするって?」
「今日はクリスマスイブでしょ。レイさんとろこに招待されてないの?」
「ん、ああ、そういえば招待はされてるけど、どうしようかな」
そんな事よりも、今は弁当のうまさに集中する方が先だった。
「行かないの?」
「詩織は行くの?」
「どうしようかな‥‥‥」
そう言って、弁当を食べている俺を見ている。
目で何かを言われたような気がして、俺はご飯をのどにつかえそうになった。
「そ、そうだな‥‥‥詩織が行くんなら行ってもいいよ」
「そう‥‥よかった。それじゃ行きましょうよ」
安心したように微笑んだ。
「あ、ああ‥‥‥」
本当は、伊集院の所へ行く気はなかったが、一人で過ごすよりはましだ。
それが、詩織と一緒となれば、願ってもない事だった。
たとえ状況がどうあれ‥‥だ。
「それじゃ弁当も食べたし、練習に戻ろうか」
「うん」
弁当箱を片付けて、巾着に入れて詩織に返した。
「ごちそうさま‥‥うん、おいしかったよ‥‥‥」
俺は顔が熱くなるのを感じた。
どういう顔して言っていいのかわからなくて、鼻の頭を掻いた。
「‥‥ありがとう」
「礼を言うのはこっちのほうだよ。おかげで練習に身が入るし」
「うん‥‥‥」
詩織は受け取った巾着を手に持ちながら、暖かい物を見るような眼差しで
それを見つめていた。
「じゃ、もう練習戻ろう」
「うんっ」
弁当より元気が出そうな笑顔だった。

(3)

−24日 夜−

「それじゃ、私は友達と先に行ってるから」
受話器から声がした。少し声の調子が低い。
「わかった。じゃ会場でまた」
俺はそう言って受話器から口を離そうとしたとき、「あっ‥‥」と、呼び止められた。
「え? どうした?」
また受話器に顔を近付けた。
「ほんとはね‥‥‥ううん‥‥なんでもない‥‥‥」
詩織がどんな表情で受話器を持っているのか、俺には想像できなかった。
「そっか‥‥」
「それじゃ、会場でね」
「わかった」
そう言って俺は通話ボタンを押して電話を切った。
何を言いたかったのかな‥‥
そんな事をぼんやりと考えながら、のろのろと着替えをした。

「我が伊集院家のクリスマスパーティーへようこそおいでくださいました。
 日頃の現実を忘れて、今日は心ゆくまで楽しんで行ってください。
 最高のおもてなしをみなさんにお約束いたします」
伊集院レイの挨拶が、会場全体に響きわたった。
「毎年毎年派手だなこのパーティーは‥‥‥」
学校の体育館よりも広い場所、見たこともないような色とりどりの超豪華料理。
毎年ながら圧倒されるのは確かだ。
「やあ、庶民。来ていたのかね」
伊集院が話しかけてきた。
客を庶民扱いするのが、最高のおもてなしか。
「なんだ」
俺は答えるのもイヤだったが、とりあえず招いてもらった事もある。
一応対応をした。
「どうかね。パーティーは」
「すごいな」
これだけは、正直な気持ちだ。
「だろう。君のような庶民が滅多に来れる所ではないからね。じっくりと味わってくれたまえ」
カクテルグラスを片手に、得意そうに笑った。
「ああ、そうさせてもらうよ」
もともに対応する気がない俺は、そっけなく言って手を振った。
「高校生活のうちで君らをパーティーに呼べるのは、もう最後だからな‥‥‥」
「え?」
つぶやくような声に、俺は一瞬自分の耳と頭を疑った。
「いや、なんでもない。それでは私は忙しいので失礼する」
俺が見た伊集院の後ろ姿は、少し寂しそうに見えた。


「あっ、…」
「あ、詩織」
ようやく俺は詩織を見つける事ができた。それまでに三十分かかってしまった。
下手したら、会う事もできないのかと思っていたところだった。
「よかった。もう会えないかと思っちゃった」
「俺もだよ。なんせここの会場はやたら広いからね」
「そうよね」
ホッとして話していると、背後から声がかかった。
「…先輩、藤崎先輩」
振り向くと、部の後輩の女の子達が集団でこっちを見ていた。
「あ、あなた達も来てたの」
「はい、初めてなんです。ここのパーティー」
絢爛豪華なこのパーティー会場に圧倒されているのか、多少ぎこちないが目は好奇の輝きに満ちている。
「あれ? 男の部員達は?」
「一緒に来たんですが、門の前で黒服のお兄さんに追い返されてました。
 でも、あのお兄さん結構カッコよかったです」
一人が言うと、「ね、ね」と、申し合わせたように頷いた。
「あ、あれは‥‥やめておいた方がいいかもしれないぞ」
俺は背中に悪寒が走った。
「え? なんでですか?」
「い、いや、なんでもない‥‥‥」
「でも、藤崎先輩、綺麗ですね〜。素敵」
後輩の女の子達は、詩織のパーティードレスを見ながら、わいわいと騒いでいる。
部活でも女子後輩達の憧れの的となっているだけに、詩織を見つめる後輩達の目の輝きが違う。
「ありがとう」
詩織も赤くなっている。
「私達も来年になったら、先輩みたいに綺麗なカッコして来たいです」
女の子達の喜びに、俺達はおかしそうに顔を見合わせた。
「先輩先輩」
女の子の一人が俺を呼んだ。
「ん?」
その子に顔を近付けた。
「お似合いですよっ」
コソっと言われて、俺は瞬時にして顔から火が出そうになった。
「ば、馬鹿‥‥なに言ってんだよ」
「何やってるの?」
詩織が聞いてきた時、一瞬心臓が止まった気がした。
「なななんでもないよ。うん」
うまく言葉でない。
「藤崎先輩。私も来年になったら彼と一緒に来ますね」
「な、なにを言ってるの」
詩織も慌てているようだ。
「それじゃ、先輩、私達伊集院さんの所に行ってきます」
後輩達は、団体で固まって「失礼します〜」と言って去って行ってしまった。
「ふう‥‥やれやれ」
「もう‥‥‥あの子達ったら」
頬が紅いのは、パーティーの熱気のせいだろうか。
「来年になったら‥‥か」
俺はまだ後輩の子達の言葉が頭に残っていた。
来年。
俺達はもう来年になったら、きらめき高校には居ない。
高校を卒業したからには、ここにはそうそう来れなくなるだろう。
別に来たい場所でも無いが、もうこれない場所だと思うと、少し寂しい気がする。
さっきの伊集院の後ろ姿が少しだけ頭をよぎった。
「来年‥‥‥か」
詩織がポツリと言った。
寂しそうな横顔を、俺はチラっとだけ見てしまった。
なぜか胸が痛い。

「ごめん。遅くなっちゃって」
俺はパーティー会場内の待ち合わせの場所に五分遅刻した。
すでに詩織は待っていた。
「私も二分くらいまえに来たばっかりだから」
「そっか、それなら良かった。あ、それより、友達は?」
「あ‥‥うん、約束があるから‥‥‥って、先に帰ってもらったの」
「なんだか悪い事しちゃったかな‥‥」
「いいの、もともと来る時も一緒にっ‥‥て思ってたから」
確かな声で言われたせいで、正直びっくりしたが、
来る前の電話の意味がわかって、なんとなくホッとした。
「一緒に帰れるだけで十分だよ」
「え? なんか言った?」
思わず声に出してしまったが、良く聞き取られていなかったようだ。
「い、いや、なにも言ってないよ。それより帰ろう」
「うんっ」


会場から外に出ると、とたんに身を切るような冷たい空気がどっと押し寄せてきた。
曇天の空は、星一つ見えない。
「寒いね」
「ああ、まったくだ。こんな日は早く帰るに限る」
会場から出てからしばらく歩いて、俺は足を止めた。
「どうしたの?」
不思議そうな顔で詩織が聞いてきた。
「あ、いや‥‥‥ここに来るのももう今年が最後かな‥‥って思うとね」
「‥‥‥そうね」
なんだかんだ言っても、ここには高校生活の思い出の一部が残っている。
俺がきらめき高校に入っていなければ、こんな所になんてこられなかったかもしれない。
もちろん、詩織とだってそんなに会う事もなかったかもしれない。
そう思うと、あまり見慣れている場所でもないのに、なぜか懐かしく感じる。
「もう来れないかもしれないって‥‥そう思うと、ちょっと寂しいね‥‥‥」
寂しげな微笑みを浮かべた詩織の言葉の最後が、白い息になって夜の空気になった。
『あ!』
俺達は同時に声をあげた。
空から落ちてきた冬の子供達を見て。
「今年も‥‥‥またホワイトクリスマス」
詩織が空を見上げて、嬉しそうにしている。
大粒の雪が俺のコートの肩にかかって、溶けずに積もりだした。
「高校最後のクリスマスに雪か‥‥‥」
誰の為に降る雪なのだろうか。
そんな事をふと考えてしまった。
「だんだん強くなってきたから、早く帰ろう」
「そうね‥‥」
二人でもう一度会場を、伊集院邸を振り返った。


記憶に焼き付けておくには少し豪華すぎる建物かもしれないけど、俺達は忘れる事はないだろう。
高校生活最後のクリスマスイブを。
またいつか思い出の中で会えればいい。そう思って俺は背中を向けた。

「すっごい雪ね」
「詩織、頭真っ白だよ」
「…の頭だって」
お互いの姿を見て、俺達は笑った。
詩織の頭には、すっかり雪の帽子ができている。
コートの肩にもすっかり積もっていた。
こんな事なら傘を持ってくるんだった。
「急いで帰ろう。風邪引いたら大変だ」
「そうよね」
二人して、雪が薄く積もった道路を走った。
俺達の足跡は、すぐに雪がかき消してくれるだろう。
家に着くころには、俺達はほとんど全身が真っ白に近くなっていた。
「それじゃ、風呂にでも入ってゆっくりあったまって‥‥‥風邪なんか引かないように」
「うん、ありがとう。…もね」
「ああ。それじゃ‥‥」
そこまで言った時、俺はいままで雪で忘れた事を思い出した。
『あ、そうだ』
俺だけじゃなく、詩織も同時に叫んでいた。
「な、なに?」
「…こそ」
俺はコートの内ポケットからある物を取り出した。
「はい。クリスマスプレゼント」
「私も」
詩織もオーバーのポケットから細い包みを取り出していた。
顔を見合わせて声を出さずに笑った。
俺が詩織のプレゼントを受け取り、詩織も俺のプレゼントを受け取った。
「こんな雪の中でごめんね」
降る雪越しに、笑顔があった。
「俺のほうこそ」
プレゼントに雪が積もる前に、俺はコートにしまった。
なにか暖かい物をしまったような気がする。
じんわりと暖かい。
「ありがとう」
「ううん・・わたしこそ」
しばらくの沈黙が訪れた。
「あ‥‥‥」
何か思い付いたのか、詩織が声をあげた。
「なに?」
「この分じゃ‥‥‥明日、コート使えそうにないね」
降る雪が、積もる雪が、音だけでなく言葉の意味すらも吸い込んでしまいそうだった。
しかし、残念そうな表情だけは、消す事はできなかったようだ。
「そっか‥‥明日はゆっくりするしかないか‥‥‥」
「そうね‥‥仕方無いけど」
詩織はその後に何か言いたそうにしていると感じたのは、寒さと雪のしわざだろうか。
俺も何かを言いたかった。ただ口から言葉が出てこない。
そのままの沈黙に、雪の降る音だけが小さく聞こえてきた。
「じゃ‥‥‥おやすみなさい」
詩織が小さく言った。
「ああ、それじゃ‥‥おやすみ」
結局何も言い出せないまま、俺は玄関で雪を払い落として家に入った。

(4)

カーテンを開けると、外は空も地上も白一色だった。
昨夜から降り続いている雪は、見事なまでに積もっている。
それでも、まだやむ気配すら無いが、昨日よりは若干小降りになっているようだ。
「良く積もってるなぁ‥‥」
詩織の家の屋根にも庭の木にも白い綿帽子。
小さいころから見てきた場所が、雪に覆われてこの世界から消えているのが不思議な感じだった。
窓を開けると、ヒンヤリとした空気が足元にゆっくりと流れ込んできて、俺はびっくりしてすぐに窓を締めた。
時計をチラリとみると、もう9時を回っていた。
雪でもなかったら、朝練が終わって、ちょうど教室で弁当を食べている時間だ。
食べている俺の顔を見ながら微笑んでいる詩織の顔が、ふと浮かんで消えた。
「やれやれ‥‥‥雪か」
ベットに倒れこんで、雪ほど白くない天井を見つめた。
そういえば、昔、詩織と雪合戦とか良くやったっけ‥‥‥
お互い頬を真っ赤にしながら、遊んでたよな‥‥‥
ピンポーン。
その時、思い出をチャイムの音が遮った。
こんな雪の日に一体誰だろう?
チャイムの音がしてからしばらく立った時、俺の部屋のドアが開いた。
ドアから顔を出したのは母さんだった。
「詩織ちゃんが来てるわよ」
「えっ! そこに居るの?」
慌ててベットから跳ね起きた。
散らかった部屋を見渡して、焦りまくった。
「玄関で待ってるわよ。早く行ってあげなさい」
「ちょ、ちょっとまって‥‥」
まだトレーナーとスウェットのズボン姿だったのを思い出して慌てて着替えた。
急いで履いたズボンの冷たさに、俺は身を縮ませてしまった。


「どうしたの?」
「ごめんね。こんな時間に」
「いいよ。別に。今日はコートも無理そうだし。
 俺もどうしようかって思っていたところなんだ。丁度よかったよ」
「そう、よかった」
すまなそうな表情が、一変してうれしそうな表情に変わった。
俺は、さっき窓から見た、雪ですっかり変わった世界の事を思い出した。
「そうだ。ちょうど良かった。ちょっと外出ない?」
俺の変な提案に、少しびっくりしているようだ。
「あ‥‥やっぱり変かな。ちょっと散歩しようかなって思ったんだけど」
「ううん、そんな事ない。
 実はね‥‥私もそう思って‥‥‥でも、ちょっと言い出せなかったの。変かなって思って」
親に褒められた子供が見せるような、無邪気な笑顔に、言い様の無い気持ちがこみ上げてきた。
「それじゃ、ちょっと待ってて、外出る用意してくるから」
もうすっかり寒さの事など気にならなくなった。階段を一段飛ばしで駆けあがる足も軽い。
部屋に戻って、ジャンパーとマフラーを取って、また玄関に戻ってきた。
「お待たせ」
「お待たせって言っても、まだほんの数秒じゃない」
可笑しそうに笑った。
「よしっ、それじゃさっそく行こう」
非日常の世界を詩織と歩ける喜びに、俺ははりきってしまった。
「まるで小さい時の…みたい」
そう言う詩織の顔も、どこか嬉しそうだ。
「詩織だって、嬉しそうな顔してるじゃないか」
「そうかな?」
「そうだよ」
そこまで言って、お互い顔を見合わせて、抑えるように笑った。
小さい時は、好きとかじゃなくて、ただ詩織と遊ぶのが楽しかった。
男の友達と遊ぶ時とは違う、なにか別の楽しさがあった。
好きと意識した時には、気が付くと詩織が遠くに居たような気がする。
しかし、今は‥‥‥
「さて、行こうか」
「うん。行きましょう」
白銀の世界へ、俺達は旅立った。

「わあ・・・すごいね。ほんとに真っ白」
雪を踏み締める音だけが小さく聞こえる。
車はもちろん、人通りもほとんどなく、音のほとんど無い世界。
普段の景色とは、まるで違う不思議な世界。
公園の横を通った時などは、どこか北の地に来ているかのような感じすらしたものだ。
「こんなに雪が降るなんて、何年ぶりかな」
「そうよね。小さい時は結構雪降ってたもんね」
寒い中でも、詩織の頬の紅みが消える事はなかった。
「そうそう。小学校の時なんかさ、でっかい雪ダルマとか作ったよね」
「下の玉をあまり大きくしすぎて、上には小さい玉しか乗らなかったじゃない」
可笑しそうに口元を押えて笑った。
「丸めた雪があんなに重かったなんて知らなかったからね」
用意した二個目の玉は、転がせたものの、持ち上げる事はできなかったのを思い出した。
「でも、あの雪ダルマ、ずいぶん長く残ってたよね。
 溶けてなくなっちゃったときちょっと悲しかった‥‥‥‥」
昔をみているような薄く閉じた目。俺はその姿に、思わず肩に手を延ばしそうになった。
油が切れて千年放っておかれた機械のように、ギリギリと手が動き始めるのがわかった。
こんな事をしていい筈がない。ないとわかっていても、手は勝手に動く。
「ねえ、もう一度‥‥‥つくらない?」
そう言ってみつめられた時、動かしかけていた手をびっくりして引っ込めてしまった。
引っ込めるスピードは、さすがに早い。
「そうだね。作ろうか」
心臓が口から出そうなほどになった。それでもまともに声を出せたのが不思議なくらいだ。
「どうしたの?」
それでも、慌てているのがバレているようだった。
きょとんとした顔で俺を見つめている。
「い、いや、なんでもないよ。それより、作ろう。その前に、もうちょっとだけ‥‥歩こうよ」
「‥‥‥うん」
雪の降る中、小さな笑顔が俺の心をじんわりとあっためてくれた。


「よーし。これでオッケーだ」
俺は、渾身の力を込めて雪玉を、土台の雪玉の上に乗せた。
記憶にある雪ダルマよりも大きい。
うちの門のすぐ前にたっているその姿の、なんと頼もしい事。
「わあ、すごいね」
「ははは、まあね‥‥」
腰が少し痛いのは我慢するとしよう。
「あの時よりもおっきいね。このダルマ、寒かったら来年まで残ってるかもしれないね」
はしゃぐ子供のように、楽しそうな笑顔を見れただけで。作った甲斐は十分にあった。
「そうだといいな」
「おまけに、うちの前の道路まで雪かきを手伝ってもらっちゃって‥‥ごめんね」
「いいっていいて。これも体力づくりだと思えば」
「うん‥‥ありがとう」
この笑顔が、とっておきの報酬かもしれないな。
「あ‥‥‥もう雪やんじゃったね」
空を見上げると、雲が流れているのがわかった。だんだん雲が薄くなってきているような気がする。
「なんかもうじき天気も良くなりそうだよ」
「ちょっと‥‥‥残念かな」
「え?」
「あ‥‥な、何言ってるのかな。私。
 それより‥‥‥すっかり冷えちゃったでしょ。
 うちに寄っていかない? あったかいお茶でも飲みましょうよ」
「そ、そう?それじゃちょっとお邪魔しようかな」
雪の日の幸運は、次第に雲間から覗く青空と太陽が見届けてくれそうだ。

−翌日−

以前雪は残っているものの、前日からすっかり天気も回復したおかげで、すっかり雪は減っていた。
それでも道路の端には、まだ大量の雪が残っている。
「今日は特に寒いね」
「雪がまだ残ってるからね。天然の冷蔵庫だよ」
「そう思って、今日は、あったかいお茶持ってきたの」
肩から下げている保温性の水筒に目を向けていた。
「なんか、練習より弁当の方が楽しみだよ」
「いいの? そんな事言ってて」
それでも嬉しそうなのは、俺がそう言ったからなのだろうか‥‥‥


俺達は、コートに着くなり、とりあえず整備を始めた。
設備の良いコートだけあって、雪をどけるだけで、すっかり水が引いてしまった。
「ふう‥‥‥ようやく終わったよ」
「とりあえず一面だけでいいよね」
寒い中、一生懸命整備していたせいで、お互い身体から湯気が立ち上っている。
「もうこんな時間になっちゃったな‥‥‥
 もうじきしたら後輩も来るだろうし。そしたら他のコートの整備もやってもらおう」
「そうね。それまで一試合やってましょうよ」
「一日ぶりにやるか」
身体が冷えないうちに、俺達はコートに立った。


「ふぅ、あったかいなぁ」
むしろ熱いくらいのお茶をゆっくりとすすりながら、一息ついた。
コート整備の後、部長から部の冬休みを聞かされた。
といっても、試合を控えている俺達以外の部員だけだった。
コート整備が終わった後輩達は、少しの練習をしたあと、切り上げて早々に帰宅していった。
次に会うのは、来年の試合の時だ。
「今日は、ちょっとご飯遅くなっちゃったね」
詩織もあったかそうにお茶をすすっている。
「ほとんど昼飯だよ」
時計をチラリと見ると、もう正午近い。
いつもは授業の残り時間だけを気にする時計も、見るのがあと三ヶ月近くだと思うと、なんとなく寂しくなる。
それだけじゃない。俺のこの机、きれいに拭かれた黒板。
教室の匂いから壁の汚れまで、思い出は一杯に染み込んでいる。
目の前に座っている人との思い出も沢山ある‥‥‥
「なに? どうしたの?」
俺がお茶を飲むのも忘れて、じーっと詩織を見ていたのに気づいたのか、不思議そうな顔で聞いてきた。
「あっ‥‥べ、別に。なんでもない。
 ただ、この教室使うのもあと少しだと思うと、ちょっと‥‥‥ね」
良かった。うまく誤魔化せた。
「うん‥‥そうね。一杯思い出あるよね‥‥‥」
俺達は、それから、しばらく無言で過ごした。
一つ一つ籠った思い出の数々を、ゆっくりと拾い集めて胸の中にしまうように。
詩織には、一体どんな思い出があるのだろう。
その中に俺は居るだろうか‥‥‥
「お茶‥‥もう一杯いい?」
ふと我に返って、持っていたコップが冷えているのに気づいた。
「うん」
ゆっくりと俺のコップに注いでくれる音が、やたら大きく聞こえる。
「ありがとう」
何か沈黙が長かったせいか、いざ何か話そうとしても、うまくいかない。
「あ、そうだ‥‥大会終わったら、スキー行こうよ」
なんとか話を切り出す事ができた。前々から思っていた事だけに、すんなり出てきた。
昨日の雪景色を見たせいもあったのかもしれない。
「え‥‥‥‥?」
突然の事に、詩織は少し驚いたように眉をピクリと動かした。
「駄目かな、やっぱり」
こんな時にこんな事を言い出す俺もやっぱりどうかしている。
断られて当然だろう。
「駄目なんて‥‥言ってないのに」
俺の先走りに、暖かい笑顔で答えてくれた。
「え‥‥それじゃ」
「うん、いいよ。一緒にいこ」
雲間から覗く太陽のように明るい笑顔に、いままでの感傷的な気分が一気に吹き飛んだ。
「でも、その前に大会‥‥お互いに頑張ろうね」
「もちろんだよ」
俺は勢い余って、お茶をガブっと飲んでしまった。
「あちちっ」
「だ、大丈夫!?」
「あ、ああ、大丈夫大丈夫」
「気をつけなくちゃ駄目じゃない」
そう言って笑う姿を見ていると、こういう失敗もいいかな。
そう思う。

Fin

後書き

(編者注…TOKI33は第18話にあたります。TOKI34に当たる話はありません)

テニス部での年末。
まあ、こんな感じかな。とか思います。
高校最後の年末。
ゲームでは、もう詰めの段階ですね。

話の展開がちょっと長くなっちゃってなんなんですがまだ実は途中。(でも、推敲してません。誤字脱字たくさんかも)
続きは、コピーの製本の合間にでも‥‥(^^;
TOKI34に続きます。
TOKI33は別の話ですでに出ているので‥‥‥

元もと、誰に読んで欲しいとかで始めた訳ではないこの暴走文章。
こんな文章ばっかりの物に、たまにレスとかくれる方々には本当に感謝です。
電報でチョコっと言われた時もありました。
うれしいですね(^^)
そんな方々へ、お礼の意を込めつつ、CGなどを描いてます(笑
期待とかはされてないとは思いますが、出来上がったらプレゼンツっていう事で(^^)


作品情報

作者名 じんざ
タイトルあの時の詩
サブタイトル17:インターハイに向けて
タグときめきメモリアル, ときめきメモリアル/あの時の詩, 藤崎詩織
感想投稿数280
感想投稿最終日時2019年04月09日 05時07分52秒

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  • [★★★★★★] 間違えてEnter押してしまいました。m(__)m 詩織SSでは運動部物って殆ど見た事が無いので、新鮮な感じで良かったです。(^^♪
  • [★★★★★★] 詩織SSで運動部物って殆ど見た事が