空にむくむくと黒い暗雲が現れたはじめたのは、仕事の打ち合わせから帰ってくる時だった。
さっきまで青かった空は、みるみるうちに嫌な色の雲に覆われていく。
「‥‥まずいな。でも、まあ傘あるからいいか」
不安には違いなかったが、カバンの中には折り畳みの傘がある。
朝、出る時に詩織が持たせてくれたものだ。
女のカンというやつだろうか。なんにしろ助かったのは確かだ。
やがて、雨が降ってきた。
最初はポツポツときて、すぐに大粒の雨が落ちてくる。
俺は、ポツポツと来た時点で、すでに傘を開いていたおかげで助かった。
「あぶなかった‥‥‥」
別に服は濡れても良かったが、カバンは困る。
歩いていた俺は、ふと店の軒先で雨宿りをしている女の子を見て、一瞬心臓が跳ね上がる。
「‥‥‥詩織?」
その姿で居る筈が無いだけに、俺は一瞬茫然となってしまった。
「‥‥‥‥‥‥‥‥紗織?」
雨で霞む先に見えたのは、紗織だった。
「ありがとう。お父さん。助かったわ」
ニッコリと笑う紗織は、同じころの詩織に良く似ていた。
娘と相合傘も良いものだな。
「朝、お母さんの言うことを聞かずに、香織を追いかけて出ていくからだぞ」
「だって‥‥お姉ちゃんが」
「まったく、香織も高校生になっても相変わらずだな‥‥‥」
俺は肩が濡れるのも気にせず、ため息を洩らした。
育て方を間違えたのだろうか。
詩織は、俺に似ているというが‥‥‥
それでも、いつでも元気な姿を思い出すと、どうにも嬉しくなる。
「それにしても、紗織はずいぶんお母さんに似てきたな。さっき間違えてビックリしたよ」
「え? そうなの? お母さんに?」
紗織の顔がパァっと嬉しさに明るくなる。
そういう顔も、とても良く似ていた。
「ああ」
「本当? 嬉しいなぁ」
そういえば、紗織は小さい頃から詩織の真似ばかりしていたっけ。
そのせいだろうか、今もロングヘアーにヘアバンドをしている。
同じ歳ごろだった時の詩織にそっくりだ。
「紗織は、お母さんみたいにロングヘアーだからな。特に似て見えるよ。
香織もロングにすると、もっと良く似て見えるかもしれないな」
「お姉ちゃんの方が‥‥‥似てる?」
少し残念そうな表情で俺を見上げた。
「ま、まあそうだな‥‥‥でも、紗織も高校生になれば、もっと似るよ。きっと」
「ありがとう。お父さん。お世辞でもうれしいな」
世辞でもなんでもない。だいたい娘に世辞を言ってもしょうがない。
「しかし‥‥‥みんなお母さんにばっかり似て‥‥」
「ううん、そんな事ないよ。お母さん良く言うもん。
あなたたち、お父さんそっくりねって」
「そ、そうか」
俺から見れば、娘二人は詩織の分身にしか見えない。
詩織からすると、違う風に見えるのだろうか。
「ねえ、お母さんともこうやって帰った事あるの?」
「な、なんだ。いきなり」
「どうなの?」
娘にされる質問の中では、答えるのが恥ずかしい部類の質問の一つだ。
若い時のように、打てば響くように、すぐには答える事ができない。
「‥‥‥あるよ」
「ねえ、その時の話聞かせてよ」
「そんな恥ずかしい事言えるか」
「どうして? 家じゃまだお母さんの事、詩織って呼んでるのに?」
意地悪そうに微笑んで俺を見つめていた。
この微笑みは、俺の血がさせている訳ではなさそうだ。
まったく、どこまでそっくりなんだ‥‥‥
女としての遺伝だろうか。
俺は心の中で苦笑した。
「‥‥しょうがないな‥‥‥お母さんには内緒だぞ」
「うんっ」
黒い暗雲が、もくもくと西の空からやってきた。
特に急いでない学校の帰り道、俺はその空を見上げて、ほっと胸を撫で下ろした。
カバンの中に、折り畳み傘を入れっぱなしにしておいたのを思い出したからだ。
空は、みるみるうちに暗雲に覆われ、すぐにポツポツとやってきた。
ついに来たか。
傘を広げると同時に、すぐに大粒の雨が落ちてくる。
「やれやれ‥‥‥助かった」
それでも、容赦なく雨は傘を叩き、地面に落ちた雨は撥ねて足を濡らす。
「ひどいな‥‥‥落ち着くまでどこかで雨宿りでもするか」
商店街まで駆けていって、とりあえずどこかの軒先を‥‥‥と探している時に、ふと俺の目が止まった。
「‥‥‥詩織?」
軒先の下で、空を見上げているのは、確かに詩織だ。
俺は小走りに詩織のところへ向かった。
「あっ‥‥ …」
傘を畳ながら駆け込んできた俺を見て、驚いたように声をあげた。
「詩織も雨宿り?」
「うん‥‥‥傘持ってなかったし」
「俺もなんだよ」
傘を畳ながらの台詞とは思えないな‥‥‥
「傘あるのに?」
近づく時まで、ずっと黙ってうつむいていたとは思えない笑顔を浮かべている。
「この雨だからね。傘も役にたたないよ。ほら、足なんかもうビショビショだよ」
俺は濡れた足を上げた。
「それじゃ、雨が小さくなるまで、雨宿りね」
「それまで、邪魔じゃなかったら‥‥‥一緒にいいかな?」
「邪魔だなんて、そんな‥‥‥ここに居て良かった‥‥」
雨の音で、最後の方が良く聞き取れなかったが、紅く染まった頬にドキっとさせられた。
「あ、ありがとう」
自分でも、何を言っていいのかわからなくなって、出た台詞がこれだった。
「いいの、お礼なんて‥‥‥」
小さな微笑みに、ひととき雨の冷たさを忘れる事が出来た。
暖かい‥‥‥そんな笑顔。
ずっと変わらない笑顔。
小さい頃から胸にしまってきた宝。
これからも‥‥‥
そんな思いで、俺は雨に感謝しながら詩織を見つめていた。
「あ、雨‥‥‥小さくなってきたね」
詩織が、軒先から手を延ばして雨を受けながら言った。
「ほんとだ‥‥‥」
物凄い音を立てていた雨は、いつのまにかすっかり小さく細くなって優しい音に変わっている。
しかし、まだやむ気配は無い。
「詩織、入っていく?」
俺は傘を広げながら言った。
一緒に帰ろう。と素直に言えない自分が少し情けない。
「え‥‥‥いいの?」
俺は無言でうなずいて、傘を少し差し出した。
自分の肩が濡れる事ぐらいはなんでもない。
「ありがとう‥‥‥」
嬉しそうな笑顔は、予期せぬ送り賃だ。
「また‥‥相合傘になっちゃったね‥‥‥」
詩織は、照れくさそうに笑った。
「俺がまた傘を用意したから、雨降ってきたのかな」
からかう様に笑ってみせた。
「もう、意地悪なんだから」
「ははは、ごめんごめん。それより、ほら、もっとこっちに近づかないと肩濡れちゃうよ」
「‥‥うん」
一つ頷いてから、スッと近寄ってきてくれた。
肩が、傘をもつ俺の手に触れる。
俺は手を引かなかった。詩織も離れようとはしていない。
触れ合った部分から、詩織の気持ちが読めたら‥‥‥
逆に、俺の気持ちが伝えられたら‥‥‥
そんな事を思いながら、お互い、いつか最初に相合傘をした時よりも
ほんの少し近いづいているのに気づかないまま、俺達は歩き出した。
「お父さん、かっこいい事してたんだね」
「親をからかうもんじゃないぞ」
「からかってなんていないよ。なんかすごく憧れるなぁって」
そういえば、香織や紗織には、誰か意中の人は居るのだろうか。
居なくても、言い寄ってくる男の何人かはもう居るだろう。
いつか、本当に心から好きになれる人が出来たら、
こうやって帰る事があるのかと思うと、複雑きわまり無い気分だ。
「それより、雨がだんだん強くなってきたな。雨宿りしていこう」
「そうね」
どこか適当な軒先を‥‥‥と見回っていると、目が止まった。
「あ、お姉ちゃんとお母さん」
紗織も同じ所に目を止めたようだ。
俺と紗織は、頷きあってから、その軒先へと走っていった。
「あ、紗織にお父さん」
「あら‥‥‥」
二人は俺達に気づいたようだ。
「なんだ、詩織達も雨宿りか?」
「そうなの。いきなり雨降ってきたところで、偶然お母さんにあっちゃって。
それで傘入れてもらったんだけど、雨が強くなってきたから‥‥‥」
香織が、濡れた髪を気にした風にいじっている。
「だから言ったでしょう。朝に傘持っていきなさいって」
詩織は、それでも、優しく微笑みながら、香織と紗織を見つめていた。
その姿に、遠く過ぎた過去が見えたような気がする。
雨音の激しさも、過去に馳せる思いを止める事はできない。
「そうだ。ちゃんと朝落ち着いてゆっくりしていかないから、こうなるハメになるんだ」
「お父さんはゆっくりしすぎだと思うんだけど」
紗織が、おかしそうに笑った。
「そうね」
詩織もおかしそうに笑う。
「一家総出でこんなところで雨宿りなんて‥‥‥困ったものね」
香織が、やれやれという感じに、苦笑しながら肩をすくめた。
その時、紗織が俺を、香織が詩織を見て、同時に言った。
「さっきの話、こういう感じ?」と。
「紗織っ! 言うなって言ったろ」
「か、香織!」
俺と詩織は同時に言った。
言ってから詩織と顔を見合わせる。
「な、なんの話だかなぁ」
「そ、そうね‥‥‥」
照れくさくなるような歳でもなくなったつもりだったが、そんな事は無かった‥‥‥思いっきり照れくさい。
その間、何か香織と紗織はコソコソと話あっている。
「ねえ、お母さん。ちょっと傘貸して?」
香織が手を差し出した。
「どうしたの?」
「いいから、早く」
詩織が、その手に傘を渡すと、いきなり香織と紗織が軒先から飛び出す。
「じゃね。あたしたち先に帰るから」
香織と紗織は、にんまりと笑っている。
とっさのことに驚いたのか、詩織が
「ちょ、ちょっと香織」と、手を延ばしたが、二人は相合傘で走っていってしまった。
「な、なんだ‥‥‥」
俺もさすがに突然の事に茫然となるしかない。
なんなんだ一体。
「なんなのかしら‥‥‥あの子達」
「まったく‥‥‥わからないな‥‥あの年頃は。詩織もそうだったのか?」
俺の言葉に、詩織は首を振った。
「わたしもああいうふうだったのかしら‥‥‥」
そう言いながらも、香織達が去った方を見る詩織の眼差しは、優しく柔らかい。
「それより、香織が言っていた『さっきの話』って?」
「えっ? ‥‥‥あ、あなたこそ」
「俺か‥‥‥俺は‥‥」
俺は、傘を広げて軒先から出た。
「詩織‥‥‥入っていく?」
あの時を思い出しながら言った。
うまく言えただろうか。
「紗織に聞かれて、ついつい思い出したよ。俺の話はこういう事」
まだ照れられる事に、俺は嬉しさを感じた。
あの頃までとはいかないまでも、気持ちはずっと変わっていないと自分では思っている。
「こうやって、何度帰った事があったかしらね」
スッと傘に入ってきた詩織が、微笑みながら言った。
「香織に話したのも同じ事よ。きっと‥‥‥うふふふ」
「ほら、もっと近づかないと濡れるよ」
「ありがとう‥‥‥でも、やっぱり照れるわね」
それでも、せまい折り畳み傘にぴったりくっついて入った。
俺は、昔からこうした時に、必ず自分の肩を濡らす。
「もういい歳だしな」
笑いあう俺達は、距離のわからなかったあの頃とは違う。
でも、今はその頃に戻っているような気がする。
「ねえ‥‥‥どこか寄ってから帰りましょうよ」
「そうだな。せっかくだから、寄り道してかえろうか」
悪戯っぽい笑顔を浮かべたのは、何年ぶりだろうか。
俺も詩織も。
「もしかして‥‥‥あの子達‥‥」
「ん? なんか言った?」
「別に‥‥‥なんでもないわ」
香織と紗織は、この笑顔を受け継いだんだな‥‥‥
そう思わずにはいられない。
後書き
新年明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
今年もいっそうの暴走を心がけて書いていこうかと思います。
なんていうか、スランプです(^^;
ひたすらに暴走していた最初の頃の感覚が懐かしい‥‥‥
なんか今年になってから、いきなり不調なんですが(T_T)
自分の未熟さをひたすら痛感するのみです。
暴走に未熟もへったくれもないような気がしますが、なぜか自分で気に入れるような文章が書けない‥‥‥
もうメチャクチャ辛いです。
湯水のごとく涌いて出た去年が‥‥ぅぅ
それに、文章表現にもわりとつまってます。
で、ちょっと気になる事というか、そーいう事があるんです。
ある意味じゃ悩みにも等しい物です。
この暴走文章、書き始めてからもうずいぶん沢山書いたんですが、みなさんの目にはどのように映っているでしょうか。
他の方の目を気にしないからこその「暴走」の称号なんですが、やはり、そこは自分が作り上げた「一応」一個の作品。
まったく見てくれてないよりは、見てくれる事を少しは期待しちゃってる訳です。
だから、文章にも表現にも、暴走とは言いながらも少し気を使っています。
これから、自分は一体どういう方向で暴走していけばいいのか、暴走の方向を見失っています。
こういう暴走って、読んでいる方は、どう思われているんでしょうか。
元々、詩織らぶらぶな気持ちが高じて、こういうのを書いている訳なんですが、そういうのはときメモファンの方にはどのように思われているのか‥‥‥
正直、物語の主人公に自分を重ねている部分さえもあります。
(こういう事を話せたらいいな。とかこういう事があったらいいな。とか)
そういうスタイルって、端から見ていて、やっぱり変でしょうか。
聞くまでもなく変かなぁ‥‥‥と思わなくもないですが、いままでは暴走の名の元に、全然そんな事は気にならなかったんですが‥‥‥‥
もし、暇があったらで構わないんですが、前回までの文章とかの、文体「‥‥」の使い方や、文章表現、感情表現、状況表現など、内容以外の事でなんか気になるとかそーいう事があるようでしたら、是非教えてください。
今回、ちょっと番外編。
「TOKI」+「トキ」シリーズみたいな感じ。
歳取った主人公と詩織。
これもまた時間の流れの一つって事で。
永遠にくらべれば、人生分の時間なんて、無いも当然ですね(^^;
作品情報
作者名 | じんざ |
---|---|
タイトル | あの時の詩 |
サブタイトル | 21:いつかの相合い傘 |
タグ | ときめきメモリアル, ときめきメモリアル/あの時の詩, 藤崎詩織 |
感想投稿数 | 282 |
感想投稿最終日時 | 2019年04月09日 11時00分17秒 |
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- [★★★★★★] 綺麗な文章(シナリオ)ですね
- [★★★★★★] どんどん暴走して下さい(爆) と言うか、楽しみにしているんですよ! 絵に描いたような平和な家族。詩織ストならみんな憧れる光景。でも、絶対に実現しない夢。SSならこそ叶う夢ですね。(^^♪ こう言うのを、今後も期待しています!
- [★★★★★★] うわぁ・・・!やっばい!すごい好きです!こういうの!
- [★★★★★★]