「なんだ‥‥好雄の奴遅いなぁ‥‥‥」

俺は腕時計を見た。
約束の時間をもうとっくに過ぎている。
「まだいいじゃない。ゆっくり待ってましょうよ」
詩織がにこやかに笑いながら言った。
まあ、別に待つのも、今は全然苦にならない。一人で待っている訳でもないし。


仕事帰りに詩織と待ち合わせて、喫茶店でコーヒーを飲んでいる最中だった。
コーヒーを二杯おかわりした所で、喫茶店のドアを開ける音が聞こえた。
ドアにつけられた鐘がカランカランと良い音を響かせる。
俺がその音に振り向くと、ロングヘアーの女性がキョロキョロと店内を見回している。
俺と目があった。
「あ、いたいた」
その女性が言った。
「夕子ちゃん。こっち」
詩織が手を振った。
「ごめーん、待った?」
朝日奈夕子が、元気な声を出して応えた。
高校の時よりも髪が長く、ずっと大人っぽくなっている。

「‥‥‥あれ? 好雄は?」
朝日奈さんは、そう言いながら、俺達の向かいの席に座る。
「まだ来てないんだよ。一緒じゃなかったの?」
「ううん、今日は別々」
やれやれ‥‥という風に首を小さく横に振った。
「まったく、あいつはいっつもそうなんだから」
苦笑しながら、ウェイトレスが運んで来た水を一口飲んでいる。
「ごめんね、あいつのせいで待たせちゃって」
「いいのよ、夕子ちゃん。別に退屈してた訳じゃないし」
詩織は、柔らかく微笑んでいる。
待っている間、確かに退屈している風でもなかったっけ‥‥‥
「あ、そうそう。…君と詩織ちゃん。おめでとう。式はいつなの?」
いきなりそう来た。
つい先日役所に婚姻届けを出しに行ったばかりだ。
今日はその事で、好雄と朝日奈さんが、前祝いだ。ということで誘われていたから、当然といえば当然か。
「ありがとう。
 再来月の二十日なの。もう招待状は発送してあるから」
詩織は照れくさそうに笑った。
「詩織ちゃん、なんか幸せそうでいいね」
「夕子ちゃんたら‥‥‥」
照れた風に頬を赤らめている。
「それより、好雄とはどうなの。朝日奈さん」
卒業してから一年後、好雄に聞いた事がある。
結局好雄は、朝日奈さんといつのまにか付き合うようになったと。
中学の頃からの腐れ縁だよ。と好雄は言っていたが、嬉しそうなのは隠しようが無いのか、表情に出ていた。
それ以来、ずっと続いているようだ。
「うん、まあぼちぼちって感じかな」
嬉しそうな朝日奈さんの顔。
好雄もなかなかやるもんだな。
それにしても、その当の本人の好雄はまだ来ない。
あいつ、いつもこんな感じなのか‥‥‥
「あ、それよりさ。聞いた聞いた? レイちゃんがきらめき高校の理事になったって話」
「え? そうなの? 知らなかったわ」
詩織は、ちょっと驚いた風に目を丸くしている。
レイ? レイってあの伊集院のかな‥‥‥?
なんとなく嫌な思い出しかない。
「朝日奈さん、レイって‥‥‥あの伊集院レイの事?」
「当たり前よ。他に誰がいるのよ」
朝日奈さんはそう言って笑った。
「へぇ‥‥‥理事にね。あの学校もいよいよ大変だな」
あいつが壇上に立ってどんな挨拶するのか、想像するのもたやすい。
「美人理事ってんで、有名よ」
「へ?」
俺の耳、どうかしたのかな?
昨日、詩織に耳掃除してもらったばかりなんだが‥‥‥
「そうね。レイさんならとっても奇麗だと思うわ」
詩織も思い出すように宙を見つめている。
「美人理事?」
「そう、美人理事。とてもおしとやかで評判らしいわよ」
「美人理事? まるであいつが女みたいな言い方するなぁ」
『え?』
俺がそう言った時、詩織と朝日奈さんが声を揃えて言った。
「何言ってるの? レイさん女じゃない‥‥‥」
詩織が不思議そうな表情で言った。
「え? あれ? ‥‥‥もしかして…君‥‥」
朝日奈さんも、同じように不思議そうな表情だ。

女? 伊集院レイ?

あいつに妹なんていたのか? 同じ名前ってのも変だよなぁ‥‥‥

どうも思考が先に進まない。

えーと‥‥‥

認めたく無い事なのかもしれない。

「伊集院レイって、女だったのか?」
俺は思わず声を上げてしまった。
言ってから口を押さえてあたりを見回すと、数人の客が俺の方を見ている。
「え‥‥‥知らなかったの?」
俺より、むしろ詩織の方が驚いている。
「‥‥‥‥知らなかった」
口が勝手に喋ったような気がする。
「ウソー? ほんとに?」
朝日奈さんが驚いている。
俺は一つ肯いた。
今自分がどんな表情しているのか見てみたかった。
しばらく、俺はなんて言っていいのかわからずに黙っていた。
詩織と朝日奈さんも、そうなのだろうか。
何にも言わない時間が過ぎて行く。
高校入学してから今の今まで、俺はずっと騙されていた事になる。
いや、騙されていたというより、知らなかったの間違いだ。
「‥‥‥‥‥‥そうか。そうだったのか」
「まあ‥‥良かったじゃないの。人生にウソを残さなくて。うん」
朝日奈さんが、運ばれてきた紅茶に砂糖を入れながら言った。
「そ、そうよね。わたしもそう思うわ」
詩織が少しだけ慌てている。
まあ、確かに結婚する前だし、どんな俺達にまるっきり関係無い事でもウソは無い方がいいに決まっている。うん。
それにしても、あの伊集院がまさか女だったとは‥‥‥
好雄は知っているのかな。
俺が茫然としていると、喫茶店のドアを開ける音がした。
またカランカランと鐘の音がする。
入ってきたのは好雄だった。
スーツにネクタイという、堅い格好。いかにもサラリーマンというのがにじみ出ている。
好雄はすぐに俺達を見つけたようだ。
「やぁ、悪い悪い、電車が止まっちゃっててさ」
悪びれもせず、にこにこ笑いながらやってきた。
「遅い! …君と詩織ちゃん待たせてたんだから、ちゃんと謝りなさいよね」
ちょっときつい目で、朝日奈さんは好雄を見ている。
「いいのよ。早乙女君。夕子ちゃんも‥‥‥」
詩織が苦笑を浮かべていた。
「いや、ほんとごめん」
真剣な顔で言った後、俺が少し茫然としているのに気付いたのか声をかけてきた。
「よぉ‥‥どうしたんだよ。ボーっとしちゃって」
「好雄‥‥‥おまえ、知っていたか?」
「あ? 何をだ?」
「伊集院レイが女だって事を‥‥‥」
俺がそこまで言うと、好雄の表情が変わっていくのがわかる。
おまえ何言ってんだ? その表情は口より先にそう言っていた。
「何馬鹿な事言ってるんだ。おまえ夢でも見たんじゃないか?」
俺は詩織と朝日奈さんを見た。
二人ともまた驚いたような顔をしている。
「もしかして‥‥‥レイさんって男子生徒には自分が女だって言ってないんじゃないかしら‥‥」
詩織の呟きに、好雄が目を丸くした。
「え?」
「まさか好雄も知らなかったの?」
朝日奈さんが、俺の時より驚いた風に好雄を見ていた。
「え? ‥‥‥なんの事だ? 伊集院レイが女? そんな馬鹿な‥‥」
詩織と朝日奈さん、それに俺が同時に無言で首を横に振った。
「ほんとか?」
茫然とした目つきで、俺に救いを求めるように見つめている。
「ほんとらしいよ‥‥‥」
答えると、また沈黙がやってきた。
やれやれ、今日はとんでもない日だ。

伊集院の話を忘れようとしてから、もう三十分が経った。
あの後、すぐに喫茶店を出てから、かねてから行く予定だった居酒屋へと場所を移した。
俺も口にしないし、好雄ももう立ち直ったようだ。
「早いよなぁ。もう…達は結婚だろう」
向かいの席で朝日奈さんと並んで座りながら、ビールを飲んでいる。
「まあな‥‥‥それより、好雄達はどうするんだよ?」
俺もビールを飲んだ。
ふぅ、やっぱり染みる味だ。うまい。
「俺達は‥‥そうだなぁ‥‥‥」
好雄はチラっと朝日奈さんの方を見ている。
朝日奈さんは、そんな好雄の視線に気付いているのかいないのか、元気な笑みを絶やさず、ビールを飲んでいる。
「ふぅ〜、おいし」
「早乙女君達も、もうそろそろいいんじゃないかしら?」
詩織はにこにこしながら、そんな好雄と朝日奈さんを見ている。
「そうだよ。もうそろそろ良いと思うぞ」
俺も詩織に同感だ。
「なんていうかさ‥‥‥なんか実感沸かないんだよなぁ。
 中学の頃から、別にお互い意識していた訳じゃないし、気が付いたらいつのまに‥‥って感じでさ」
そうは言ってても、口元が緩んでいる。
「そうよね。なーんかいつのまに‥‥だったよね」
朝日奈さんの方が、細かい事は気にせずというに笑った。
「そんな事ないわよ。それを言ったら、わたし達なんて‥‥‥ねぇ?」
こっちを見ながら小さく微笑んでいる
「そうだよなぁ‥‥‥」
小学校の頃からずっと一緒だった詩織。
それが当たり前のように感じた事もある。
そんな中で、俺もいつのまにか、自分でも抑えきれない感情がある事に気付いた。
今は抑える必要が無い。すぐ近くに居てくれる。
「はいはい。ごちそうさん」
好雄が呆れた風に苦笑しながら、ビールを飲んだ。
「ほーんと、こっちまで暑くなっちゃうわ。お酒のせいかしら」
朝日奈さんはニヤニヤしながらビールグラスを振って、中のビールを揺らしている。
「もう。夕子ちゃんったら」
「ごめんごめん。
 でも、そうよね。詩織ちゃん達に比べたらあたしたちだって、いつまでも‥‥‥って訳にはいかないよね」
好雄の腕を肘でこづく。
「ま、まあな‥‥」
困ったような、それでもどこか嬉しそうにしている好雄。
高校の時に比べると、随分好雄も変わったな‥‥‥
卒業しても、良く遊びに行ったり飲みに行ったりして好雄がどう変わったかなんて、全然気付かなかったが、こうやって朝日奈さんと一緒に居る好雄を見ると、そう思う。
「おまえもほんと、早くなんとかしないと、優美ちゃんに先を越されちゃうぞ。
 こないだ優美ちゃんに街で会ったけどすっかり大人っぽくなって‥‥‥」
詩織と街を歩いていた時に、偶然優美ちゃんと出会った時の事を思い出した。
ショートカットで、すっかり見違えるようだったの覚えている。
「あれは、きっと誰か居るわよ」
詩織がにっこり笑いながら言った。
「優美はまだ子供だよ」
好雄は残っていたビールを一気に飲んだ。
「馬鹿ね。女なんて知らないうちにあっというまに変わるんだから。
 やっぱりこれだから男は駄目ねぇ」
朝日奈さんが、やれやれ‥という風に肩をすくめた。
「ちぇっ‥‥‥」
好雄も、その事はわかっているのかもしれない。
飲みに行くたびに、「優美の奴、すっかり大人っぽくなって‥‥‥」と、寂しそうに良く言っていたものだ。
「ほんとう‥‥‥時が経つのって早いわ。
 なんか高校生だったのがついこないだみたいな気がする時もあるのに‥‥」
詩織の浮かべた笑みが、なぜか寂しそうに見える。
「でも、詩織は全然変わってないよ」
「‥‥ありがとう」
別に気休めでも世辞でも無い。
小さい頃から見てきたからなのかもしれないが、ずっと近くに居ると変化がわからない時もある。
そのせいか、以前、仕事の都合で海外へ一ヶ月近く行って帰ってきた時、空港で待っていてくれた詩織を見ただけで驚くほど変わったように見えた。
会えなければ会えないほど、離れていれば離れているほど会った時に、何かが見えてくる。
そんな物なのかもしれない。
「ほらほら、そこ。そんな事言ってないで、どんどん飲んで飲んで。
 今日はそんな事言う為に集まったんじゃないでしょ。
 …君と詩織ちゃんの結婚前祝いなんだから」
「そうだぞ。おごってやるからジャンジャン飲め!」
‥‥‥ほんと、変わってないな。この二人は。
でも‥‥なんとなく嬉しいものがある。
「そうだな。飲むか!」
俺はビールを一気に飲み干した。
空になったグラスに、すぐに詩織がビールをついでくれた。
「ほら、詩織もどんどん飲んで飲んで」
俺も詩織のグラスにビールを注ぐ。
「すいませーん! 日本酒熱燗で一本!」
朝日奈さんが、明るい声で追加注文をした。
「おい、夕子。おまえにはおごるなんて言ってないぞ」
「ケチケチしないの。ほらほら、好雄もどんどん飲んで飲んで」
「人の金だと思って‥‥‥」
それでも、悪い気はしていないのは、表情を見ればわかる。
「うふふ‥‥」
詩織の微笑みが、その楽しさを物語っているような気がする。

「それじゃね。詩織ちゃんに…君」
「じゃあまたな」
好雄と朝日奈さんが、二人並んで手を振っている。
「今日はごちそうさま」
「またおごってくれよ」
俺と詩織も手を振り替えす。
「あ、詩織ちゃん。今度女の子だけで飲みにいこうよ。
 高校ん時のみんな誘ってさ」
「うん、そうね。そういえば、みんなと会うのちょっと久しぶりだし」
こうやって会話しているのを見ると、高校生のまんまだ‥‥と思う。
「俺達も行きたいな。なあ好雄」
「まったくだ!」
「駄目。女だけで話すんだから。ねえ詩織ちゃん」
朝日奈さんが言うと、詩織も笑いながらうなずく。
「それじゃ、俺達は男でも集めて飲みに行くか。好雄のおごりで」
「おいおい、勘弁してくれよ。あんなやつらにおごってたら金がいくらあっても足りないぞ」
「あ、ねえねえ。わたしもそれ行きたい」
朝日奈さんが割り込んでくる。
「駄目だ。男だけなんだから」
好雄が勝ち誇ったように言った。
「ケチ」
「ケチとはなんだ。そっちの集まりに連れてってくれないくせに」
ホントに‥‥‥この二人も高校ん時と変わらないな。
「お、それじゃ俺達はもう帰るから。あとゆっくりやっててくれ」
「それじゃ、また今度ね」
詩織が手を振った。
「じゃあね。バイバーイ」
朝日奈さんの元気な声に送り出されて、俺達は歩き出した。


「早乙女君と夕子ちゃん、相変わらずね」
「まったく。あの二人はほんとに変わらないなぁ」
少し飲みすぎたせいか、ちょっとだけフラフラして‥‥でもいい気分だ。
ふと空を見上げると、星がいくつか輝いていた。
いつか見上げた星空と、どこも変わっていない。
俺達も変わっていないのかもな。
「わたし達も、この先も、ずっとずっと変わらないでいれたらいいね」
「ああ‥‥‥」
回りの状況がどう変わっても、いつまでもお互いは変わらないで居たいというのは同じ望みだ。
あの時、あの樹の下で誓った事。
それは今でも変わらない‥‥‥
さりげなくつないだ手の温もりを感じながら、そう思った。

Fin

後書き

なんだか今までと系統が違うかもしれません
主人公を含め、大人数でいろいろ行動する話も良いんですが、焦点を当てて書いた方が自分としても書きやすいし、どうせやるならとことん暴走して、読んでいる人が恥ずかしくて悶死するようなのを書こう‥‥と思っていたんですが。
今回は、ちょっと反れました。

ちょっと朝日奈さんと好雄に話を食われてます。

いつのまにか44になってます(^^;
最近アップしてないのは一つの話を終わらせずに、次の話を次々と手がけてしまって気が付くと5本くらい同時進行ってなってます。
こんな事ではイカンですね‥‥(^^;
で、この44が一番早くあがってしまったので、とりあえずゴーって事で。

朝日奈さんと好雄がいつのまにかくっついてるし‥‥‥
個人的には、一番描きやすい組み合わせでした。
朝日奈さんファンから石(ISH)を投げつけられるかもしれない‥‥コワイコワイ(^^;

SFC版やって、なんかネタの供給が出来るかなとか思ったんですが、海外修学旅行や軽音楽部では、ネタ的にはいまいちだったので得るものなし(^^;


作品情報

作者名 じんざ
タイトルあの時の詩
サブタイトル27:変わらぬもの
タグときめきメモリアル, ときめきメモリアル/あの時の詩, 藤崎詩織
感想投稿数279
感想投稿最終日時2019年04月09日 02時58分41秒

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  • [★★★★★★] これって続きがあるんですよね?是非読んで見たいです!