秘密の計画。


これがどれほど楽しいか、どれほどスリルがあるか。
小さい時は、すくなくともそうだった。
それが今も変わっていない事は、不思議としか言い様がない。


大学を卒業してから、半年後、俺は自分の居るアパートで、そのスリルと不安と期待を胸にしていた。

「‥‥‥‥」
壁にかけてある学生服を見て、俺はしばらく無言だった。

なんの変哲も無い、黒い学生服。

普通に学生が着ているような、黒い学ランという奴だ。
ただ、普通じゃないのは、それを着れるような年齢ではないという事とその学生服が、少しくたびれた感じだという事だ。
今は、「学生」という身分から離れてから、まだ一ヶ月も経っていない。
同じ春でも、あの時より、少し暖かい風が吹いている。
そんな春の夜だった。

ベットに腰掛けた俺は、ひとつ息を吐いた。
ホックのあたりのきらめき高校の校章を、懐かしく見ている余裕さえない。
体を動かしている訳でもないのに、鼓動が早まる。

その時、玄関のチャイムが鳴った。

来た。

鼓動が飛び上がった。
心臓が口から出てきそうだ。
「は、はい」
急いで玄関まで行って、ドアをこっちから開くと、玄関先には詩織が立っていた。
白い長袖のシャツに、足のラインを引き立たせるような、ピッタリとしたGパン姿。
少し大きめのカバンを持っている。
中身はきっと『アレ』だ。
「こんばんわ」
自分一人でテンションあがっているのが、馬鹿らしくなるくらい穏やかな笑みを浮かべていた。

詩織が、壁にかけてある俺の制服を見て、
「懐かしいね‥‥」
そうつぶやいた。
ほぼ五年ぶりとはいえ、この制服は別段変わった制服じゃない。
詩織がそう言うのは『俺』の制服だからだろうか。
「持ってきた?」
「‥‥‥うん」
少し恥ずかしそうに、うなずく。
「でも‥‥ホントにするの?」
「何言ってんだ。やろうって言ったのは詩織じゃないか」
「でも‥‥‥」
「俺なんか、こうやって制服出しちゃってるのに」
「そうよね‥‥」
俺の制服を見た後、
「うん‥‥わかったわ」
覚悟を決めたのか、しっかりとうなずいた。
もうどうにでもなれ。と顔に書いてあるように見えたのは気のせいだろうか。
俺の顔には、とっくにそんな文字が染み込んでいるに違いない。


「外、人通りどうだった?」
床に荷物を下ろしている詩織に聞いてみた。
「ここらへんって、そんなに人通りないみたいね。
 ちょっと一周回ってみたけど、ほとんど誰にも会わなかったわ」
「そ、そっか‥‥‥」
人通りが気になるのは、詩織も一緒らしい。

俺のベットの上に腰掛けて、くつろいでいる詩織に、
「あ、そうそう。
 それより‥‥こっち来れるの、いつごろになりそう?」
「うん‥‥あと半月くらいだと思う」
「そっか」
「一応、もうお父さんとお母さんには了解もらったし、あとは荷物をまとめて‥‥って感じかな」
「でもさ、おじさんとおばさん、よく許可したよな‥‥ホントの事言ったんだろ?」
「うん。
 最初、確かにあまりいい返事は貰えなかったけど、いろいろ話合ったら許してくれたの。
 一人で住むくらいだったら、その方がよっぽど安全だし。
 何より、…となら‥‥って」

大学を卒業してから、すぐに俺は一人暮しをする道を選んだ。
仕事の都合上、少しでも職場に近い方が、いろいろと自由が利きそうだと思ったからだ。
詩織にその事について話していたら、いつの間にか『同棲』という事で話が進むようになっていた。
それで、現在の所、俺が一足先に住んでいるという訳だ。

「そっか‥‥じゃ、今度挨拶に行かないと‥‥でも、変かな‥‥」
「なにが?」
不思議そうに聞いてくる。
「なんていうかさ‥‥同棲許可してもらったお礼‥‥っていうか‥‥」
「ふふっ‥‥」
可笑しそうに笑った。だんだん大声になってくる。
「な、なんだよ。そんなに笑う事ないだろ。礼儀なんだし」
「だ、だって‥‥‥‥おかしいんだもん‥‥」
なにがそんなに可笑しいのかと思うくらい、可笑しそうに笑っている。
腹まで抱えられると、どうしていいかわからない。
「そんなにおかしいかな‥‥‥」
「ご、ごめんなさい‥‥でも」
そう言ってから、必死に笑いを押えている。
笑いが収まるまで、俺は苦笑するしかなかった。

女の子には、『箸が転がっても可笑しい年頃』というのがあるらしいが、これからする事に影響されてその頃に戻ってしまったのではないだろうか。
「‥‥じゃ、とりあえず今度の日曜に、詩織んとこ行くから」
「う、うん‥‥待ってる」
そう言ってから、また笑った。
「ちぇっ‥‥」
床に座って、テーブルに置いてあった飲みかけのコーヒーを一気に飲んだ。
すっかりぬるくなっている。
詩織と暮らせるようになれば、いつも熱いコーヒーを飲めるようになるだろうか。

「ご、ごめんなさい」
はぁはぁと息を切らせている。
「まったく‥‥息切らせるまで笑う事ないだろ」
「ほんとごめんなさい」
俺の苦笑に、ようやく収まりつつある途中の笑顔で応えてきた。


「それより‥‥」
詩織は、チラリと自分の持ってきたカバンを見た。
「ほんとにするの?」
「イヤならいいけど‥‥」
「ううん‥‥別にイヤって訳じゃないけど、なんていうか‥‥恥ずかしいし」
さっきまでの笑いで、勢いが消えたのか、語尾が消え入りそうだ。
いや、本当に恥ずかしいのだろう。頬が真っ赤だ。
それはこっちも同じ事なのだが‥‥
「やっぱりやめようか?」
「でも‥‥せっかく持ってきたから‥‥」
「じゃ、やろうよ」
こんな状況で、うじうじしてても始まらない。即断即決あるのみだ。
「う、うん‥‥」
元々は詩織の冗談が発端だけに、詩織も強い事言えないのだろう。
「さ‥‥てと、じゃ、さっさとやっちゃうか。
 俺も恥ずかしいのはおんなじだから」
壁にかけてあった学生服を取って、ハンガーから外した。
詩織は、自分の持ってきたカバンを膝の上に乗せて、中身を取り出している。
「‥‥‥」
取り出した物を、じっと見つめていた。
戻らない過去の証。
詩織にとって、いや‥‥俺にとっても、思い出の品。
きらめき高校の女子制服。
詩織の制服姿を初めて見てから、もう何年経っただろう。
互いに、気持ちを知った時、着ていた服。
「懐かしいな‥‥」
詩織は、ひとり言のようにつぶやいた。
今、詩織の脳裏にはどんな思い出が浮かんでいるのだろうか。
その中に、俺は‥‥‥‥
「制服か‥‥その制服見るのも久しぶりだな‥‥」
詩織は、ひとつ頷いただけだった。
「もう一生着る事ないって、思ってた」
「‥‥‥」
それは俺も同じだ。
学生服を脱いでから、もう着る機会なんて無いと思っていた。
だからこそ、詩織の冗談に少しでも乗ったのかもしれない。

『制服、着てみようか?』

あの時の詩織‥‥‥‥‥ある意味、本心だったのかもしれない。
「さて‥‥と、んじゃ早速するか」
「うん」
心なし、嬉しそうに見えるのはなぜだろう。

『いまさら』隠す必要がないとわかっていても、着替える時はさすがに恥ずかしい。

着替えるのが、学生服だからだろうか。
「こっち見ないで‥‥」
「べ、別に見てないよ」
詩織は、脱いだシャツで前を隠しながら、頬を赤らめている。
「‥‥見たっていいけど‥‥ううん、やっぱり駄目」
「な、なんでもいいから、早く着替えてなって」
男は、つくづく便利だ。
俺は、さっさとズボンを履いて、制服を羽織った。
チラリと横目で見た詩織は、ちょうどスカートのホックを止めていた。
どうやら、キツイ様子もない。

「‥‥‥すごいな。全然変わってないのか」

思わず口から言葉が漏れた。
まずいと思って口を塞いだが、もう遅い。

「‥‥もう、見ないでって言ったのに」
恥ずかしそうに言ってから、背中を見せた。
「‥‥わ、わるい」
「‥‥‥」
俺が見ているにもかかわらず、黙って着替え作業を始めた。
といっても、あとは上着を着るだけだ。すっぽりと被って、すぐに着替えは完了した。
振り向いた制服姿に、まだ足りない部分があった。
「へえ‥‥リボンが無いと、ずいぶん味気ないんだなぁ‥‥」
「いつもならつけたまんまなんだけど、今までずっと仕舞まってたから」
長い髪を、襟元からサラっと両手で掻き出してから、二、三回頭を振って、乱れた髪を整えている。
「リボンは?」
「カバンの中にあるわ」
「ちょっと見ていい?」
「うん」
了解を貰った所で、俺は詩織のカバンの中をのぞき込んだ。
確かに綺麗にたたまれた黄色い布が、何かの布の上にのっている。
「これか」
取り出してみた。
詩織の制服のリボンには、ちょっとした思い出がある。
聞きかじりの思い出だが、凄く懐かしく感じる。

確か、高校三年の夏の前に‥‥‥

ふと、俺が手に持ったままのリボンの上にそっと手が重なってきた。
ハッとして、詩織の目を見ると、浮かんでいたのは、微笑みの色。
「あ、ほら‥‥」
詩織にそのまま受け渡した。
「ねえ、このリボン‥‥覚えてる?」
「え‥‥?」
「ほら」
詩織は、リボンを広げてみせた。
「あっ!」
長く伸びたリボンの中央あたりに、黒っぽい染みが大きくついているのを見て、俺は思わず声を上げてしまった。
黄色いリボンに、その大きな染みはあまりにも似合わない。
「それ‥‥そのリボン‥‥もしかして?」
返事は、たったひとつの頷き。

詩織のうなずきが本当ならば、その染みは血の跡だ。
多分‥‥俺の。

「あの時は、ごめんなさい‥‥」
詩織の声の調子が落ちた。
「い、いや‥‥いいって。
 それに、詩織が謝る事なんて全然無いし」

俺の脳裏に浮かんできたのは、『あの時』の事だった。
高校三年の夏になる前。
校門の所で会った詩織と一緒に帰る事になった帰り道、信号無視をして突っ込んできた車から詩織を守った時に出来た傷に、詩織が巻いてくれた物だ。
俺自身、その時の事は覚えていない。後から詩織が教えてくれた事だった。
「でも、確かそのリボンは捨てたって言ってなかった?」
「うん‥‥‥お母さんにも、捨てたら? って言われたけど‥‥
 どうしても捨てられなかったの。
 それに、…にはそんなリボンをいつまでも持ってるなんて変だって思われたらイヤだったし‥‥」
「‥‥そんなに汚れてたとは思わなかったよ。捨てれば良かったのに」
俺の言葉に、詩織は首を小さく横に振った。

「思い出だから‥‥‥」

ただ一言。それだけだった。
その一言だけで、俺は詩織と一緒に思い出を重ねてこれた事が、嬉しくてたまらなかった。

今、こうなる事は夢にも思わなかった日々。
ただ想うだけで精一杯だった日々。

その頃が嘘のようだ。
いや、もしかしたら、本当に嘘か夢なのかもしれない。
今、ハッと目を覚ませば、俺は教室で居眠りをしているのかもしれない。

ふと、恐くなった。
今までの事が夢か? 冗談じゃない!


気がついたら、俺は詩織を抱き締めていた。
「‥‥‥ …?」
拒む事もなく、すんなり抱き締められたまま俺の名前を呼ぶ。
不思議そうに。

「‥‥‥どうしたの?」
「‥‥‥‥」
答える代わりに、腕に力を入れた。
暖かさ。柔らかさ。どれも現実感がある。
夢じゃない。嘘じゃない。
それが嬉しかった。

しばらく抱き締めていた頃だろうか、詩織が小さな声を上げた。
「‥‥‥痛い」
拒むような言葉じゃなく、今の気持ちを素直に口に出したかのような、そんな言葉だった。
「あ‥‥悪い」
気が付いたように、詩織を離した。
俺としたことが‥‥
「わたしは‥‥どこにもいかないから‥‥ずっと側にいるから‥‥」
抱き締めた時、気持ちも通じたのかもしれない。
言葉と一緒に、笑顔が返ってきた。包んでくれるような優しい笑顔だ。
微笑んだ後、血で汚れたリボンを纏うように背中に回した。
衿を立ててその下に通し前に両端を持ってくる。
その両端をクルクルっと器用に結んで、最後に輪っかの部分をキュっと引っ張ったところで、制服の胸に黄色い蝶が止まった。
「はい、出来上がり」
言われるまでもなく、俺はずっと見ていた。
まだあれから十年も経っていないが、それなりに俺達自身も変わったと思っていた。
今、目の前の詩織を見るまでは。
「‥‥‥‥変わってないな」
正直、感動さえしている。
「ほんと?」
「ああ‥‥全然変わってない。すごいな‥‥あの頃のまんまだよ」
もちろん、お世辞でもなんでもない。
「ありがとう‥‥うれしいな」
照れくさそうに笑う詩織。
そんな詩織の横にスっと立ってみた。
思えば、俺達のお互いの気持ちがわかった時、この制服を着ていた時間は短かった。
「ちょっとあっち向いて」
詩織を姿見の方に向かせた。
「‥‥‥やっぱり照れくさいね」
姿見に映った詩織の頬は、見るも明らかに紅い。
それもその筈、自分でもビックリするくらい、何も変わってなかったからだろう。
さりげなく高校の横とか通っても、ちょっと大人っぽい高校生だ‥‥程度くらいには思ってくれるかもしれないな。
「それじゃ、そろそろ行くか」
「‥‥‥‥‥‥‥うん」

長い沈黙は、覚悟の為の時間だったのかもしれない。

夜風には、確実に春の匂いが混ざっていた。
花の匂いでも、土の匂いでも、草の匂いでも‥‥そのどれでもあってどれでもない、でも、心が軽くなるような匂いだ。
あの時も、ちょうどこんな匂いがしてたっけな。
「大丈夫だよ。誰も居ないから」
アパートの敷地から出た俺は、まだ影にかくれている詩織に呼びかけた。
「ほんとに?」
「ここまで来たんだから、覚悟決めちゃえって」
「う、うん‥‥」
おそるおそる出て来た。
まるで、巣穴から出てくる臆病なウサギのようだ。
「ほんとに一周だけよ」
「わかってるって」
制服を着て町内一周。
それが、今日一番の目的でもあり、約束でもあった。
最初、詩織の冗談から始まった事とはいえ、決まった時は割と本気だった。
「さて、それじゃ行くか」
詩織が横に並んだのを見計らって、俺は歩き出した。


ちょっと変わった俺達の夜。
何か特別な夜。
土曜日の夜のような、そんなドキドキする夜。
今始まった。

「大丈夫かな‥‥」
詩織が不安そうに、回りを気にしている。
確かに、今のこの格好を知り合いに見られたりでもしたら、えらいことだ。
警官なんかに呼び止められた日には、どうなるかわかったもんじゃない。
「大丈夫だって。最近じゃ高校生も夜遅くまで居るから」
「そういう問題じゃなくって‥‥」
「詩織がそんな心配症だとは思わなかったよ」
ニヤニヤと笑ってみせたが、暗闇だ。通じてはいないだろう。
「もう‥‥普通、こんな事しないでしょ」
困った風な答えが返ってくる。
「まあ、確かにね」
こういう事をやろうと決めた時、『普通こんな事やらないよね』と笑いながら言ってたのを思い出す。
そりゃそうだ。どこの世界に、大学卒業したばかりの男女二人が高校生の制服を着て町を歩こうなんて考えるものか。
「あっ‥‥」
突然、詩織が小さな声をあげて、俺の制服の袖を掴みながら、背中に隠れるようにしてきた。
前から、人影が歩いてくるのが見えた。
なるほど‥‥と思いつつも、俺も内心ドキドキしていた。なにしろ、これからここの町に住む事になる訳だし、そうなったら近所とは無関係では居られない。
学生でも無いのに学生服を着て歩き、しかも同棲で‥‥などとなったら、ハッキリ言ってやばすぎる。
「‥‥‥‥」
無言で通り過ぎた。中年のサラリーマンらしき男だったが、こちらをチラリとも見ようとしていなかった。
「大丈夫だよ。全然気にしてないみたいだったから」
「ホントに?」
すれ違ったのとは反対側にまわった詩織が、不安そうに聞いてくる。
「夜だし、人の顔なんかそうそう見えるもんじゃないって。
 それに人の顔をいちいち見ながら歩いている奴だっていないよ」
「うん‥‥そうだけど」
不安そうな声に、思わず詩織の手を握ってしまった。
「‥‥‥うん」
手を握り返してくれたのが、返事だった。
それからしばらく歩いても、人とはあまり出会わなかった。
実家の近くと同じくらい、かなり静かなところだ。
「ここらへん選んで正解だったね」
状況に慣れてきたのか、詩織が落ち着いた声でそう言ってきた。
緩やかなリズムで吹いてくる、少し暖かい風のせいもあるのだろうか。
ふと、あの頃の時間の中に居るような気がした。
部活で遅くなった時、よくこうやって帰ったな。
その時は、今みたいに手をつなぐなんて、遠い夢みたいな事だったのを覚えている。
「なあ‥‥大丈夫?」
「え? 何が?」
「俺と‥‥その‥‥一緒に住むようになるっていうのとか‥‥」
「どうしてそんなこと?」
「いや、ただなんとなくそう思っただけなんだけど」
「‥‥‥‥」
答えは無言。
俺も答えを求めなかった。
しかし、ただ聞いてみただけの事に、答えてくれなくても良いとは思うものの、無言が長く続けば不安にもなる。
「‥‥‥詩織?」
「‥‥‥‥‥‥忘れちゃったの?」
「え‥‥?」
不意に来た質問。同時に、詩織の歩みが止まる。
そのせいで、俺は足を止められずに一歩だけ先を行ってしまった。
「どうしたんだよ」
「あの後、高校を卒業した後‥‥言ってくれたよね?
 高校に入るずっと前から‥‥ずっと好きだったって」
「あ、ああ‥‥まあね」
いまさら言われると、さすがに照れくさい。
「わたしだって‥‥ずっとそうだった。
 だから‥‥これからも一緒に居られるって思えば‥‥‥」
「‥‥‥詩織」
「このままずっといつでも仲良くいける‥‥って思っていたいけど、たまにはケンカする事だってあるよね。
 今までだって、何度もしてきた事だし」
「まあ‥‥ね」
四ヶ月に一回の割合でケンカしていたかもしれない。
一緒に暮らすようになれば色々と都合の合わない事でケンカにもなるだろう。
友人に言わせれば、少ない方だという事らしいが、人のペースで恋愛なんかしてる訳じゃなし、俺達には俺達なりのペースがある事は、お互い分かっている。
「でも‥‥嫌いだからケンカするんじゃなくて、好きだから‥‥」
それは俺も同じだ。
「わたし、そういうの全部わかってて、…と一緒に暮らすって決めたの。
 だから、わたしは大丈夫」
街灯にうっすらと照らされた顔には、微笑みが浮かんでいた。
「‥‥ごめんな。別に、そんな大げさなつもりで聞いたんじゃないだけど」
握った手に力を入れた。
「ううん‥‥大事な事だから、ちゃんと言いたかったの」
「‥‥」
思わず抱き締めようとしたが、視界の隅に、道の向こうから来る人影が入って、思わずフェイントをかけてしまった。
せっかくいいところだったのに。タイミング悪すぎる。
「立ち止まってると、メチャクチャ怪しまれるから、はやく行こ」
「そうね」
詩織がクスっと笑ってから、繋いだ手を隠すようにして、歩を速めた。

「今の人、ちょっとだけこっち見てた」
照れくさそうに詩織が言う。
「う‥‥確かに。俺達、立ち止まってたからな‥‥高校生の男女がこの時間に道で立ち止まってれば、誰でも気になるよ‥‥」
とはいえ、暗がりだ。
よっぽどじろじろと見ない限り、顔なんてわからないだろう。
「スリルあるね」
「ありすぎだよ」
「ふふっ‥‥‥‥どうしたの? さっきまでの勢いは」
「ちぇっ‥‥」
さっき立ち止まったあたりから、詩織の方が腹が座ってきたような気がする。
男は、強いんだか弱いんだか、自分でも良くわからなくなってくるが、女は確実に強い。そう確信してもいい。
「ねえ、もうちょっと足を伸ばしてみない?」
意地悪そうに笑っている。
「い、いや。もういいって‥‥俺の方が先に住んでるんだから、見つかったら真っ先に気まずい思いするの俺だよ」
「ふふふっ」
「笑うなよ」
「だって‥‥ふふっ」
「い、いいから、早く戻ろう」
「うん」
詩織の返事を待つまでもなく、俺は歩を速めた。

ドアの閉まる音を聞いた時、ようやく俺は一息つく事が出来た。
結局すれ違ったのは、二人だけだったが、どうという事はなさそうだ。
「はぁ‥‥‥」
出る時に決めた覚悟も、案外脆いもんだ。
「スリルあったね」
先にあがった詩織が、楽しそうに言う。
「確かに」
本当は、スリルどころじゃない。ヒヤヒヤ物だった。
「やれやれ、心臓に悪い企画だったな‥‥」
「そう? わたしは楽しかったけど」
言わなくても、表情がそう言っている。制服を久しぶりに着れたからだろうか。
出る時にあれだけ渋っていたのが嘘のようだ。
詩織は、先に居間に向かった。
「さってと‥‥‥」
あがってから、キッチンで水を一杯飲んだ。
気が付かないうちに乾いていた喉に、ひんやりと染み込む感じが心地いい。
さすがに落ち着くな。
「ねえ‥‥まだこれ着てていいかな?」
居間から、そう聞こえてきた。
「別に止めはしないけど‥‥」
コップを濯いでから水切り籠に入れて、居間に戻った時、俺は思わず目を剥いてしまった。
「し、詩織?」
学生服の上に着た、白い布は‥‥‥
「どう? このエプロン。昼間買ってきたの」
エプロンの腰紐を結いながら言った。
シンプルなエプロンだが、胸のあたりに、猫の可愛らしいマークがついている。
なにやら、凄く楽しそうだ。
「ど、どうって‥‥なんでエプロンなんか?」
「だって、お料理作る時、必要でしょ?」
「そりゃそうだけど‥‥‥」
「…の分も買っておいたから、料理する時に使ってね」
「あ、ああ‥‥ありがと」
いきなりな事に、正直少し戸惑った。

いや、別に普通の格好ならば、別にエプロンをしてもおかしくはないが、制服となれば話は別だ。
何かすごく違和感がある。
それに、中身も高校生じゃない。

「ね、おなか空かない?」
またしても、いきなりだ。
「え?」
「何か作ってあげましょうか」
「作るって‥‥今から?」
「うん」
そう言われてみれば、腹が減ってなくもない。
さっき戻って一息ついた時に、結構キュウっと来たのも確かだ。
「いいけど‥‥なんか悪いな」
「いいの。気にしないで」
俺がオッケーすると、カバンから髪止め用のゴムを取り出して、長い髪を首の後ろあたりでまとめ始めた。
「お、おい。そのまんまの格好でやる気か?」
「一度、こういうのやってみたかったの」
そう言ってから、悪戯っぽく笑った。
「それに‥‥‥」
ふと、表情から悪戯っぽさが消えた。
「あの頃、こんな事出来なかったし‥‥‥」
柔らかい微笑みに、不意に鼓動が高鳴った。
詩織が、学生服のままだからだろうか。
その笑顔を見るのが照れくさくて、俺は目を逸らした。
いつでも肝心な時に、俺はこうだ。
「そうそう。こないだ持ってきた野菜とか、まだ余ってる?」
「ああ、まだ冷蔵庫にあるけど」
共同出資で買った、少し大きめな冷蔵庫の中には、ちょっと前に詩織が買ってきておいた野菜が、まだ眠っていた。
一人だと、どうしても自分で調理する機会が減っているせいもある。
もちろん詩織が来たら‥‥という期待をしているが、自分でもやる時はやらなきゃならないだろう。
飯炊きさせる為に一緒に住む訳ではないのだから。

冷蔵庫のドアを開けた詩織が、
「男の人の一人暮しって、野菜不足になるわね‥‥」と、呆れた風な声を出した。
「いや、はははは‥‥」
「笑ってないで、ちゃんと食べてね」
「あ、ああ‥‥悪い」
今の詩織の目は、本気で心配してくれている目だ。
「えっと‥‥」
ドアをパタンと閉めてから、
「こんな時間だし‥‥焼そばとかでいい?」
「お、いいね」
「それじゃ、すぐ作るから」
「じゃ、俺も‥‥‥」
と言いかけた時、
「ううん。今日はわたしが作ってあげる」
「いいよ。俺も覚えないと」
「ね、お願い。今日はわたしに作らせて。
 今度教えてあげるから‥‥ね?」
「そこまで言うなら‥‥」
「そうそう、今日はわたしに任せて。
 それじゃ、ちょっと待っててね」
詩織に言われるまま、俺は居間の床に腰を下ろした。
飲物でも買いに行こうと思ったが、作っている姿を見ていたかった。

包丁の音。
炒める音。
用意する音を聞いていたかった。

シャクシャクと束ねた野菜を切る音がする。
グツグツとお湯の煮立つ音がする。
ジュウジュウと油が跳ねる音がする。
カチャカチャと皿を出す音がする。

すべてが小気味いい。

俺は、詩織が料理を作る姿をずっと見ていた。

学生服の上にエプロンを着けた姿。
長い髪を後ろで束ねた姿。
どれもが、不思議なほどの違和感があった。

今の時間ほど、不思議な時間があるだろうか。
あの頃でもあり、あの頃でもない。
そんな不思議な時間‥‥


「はい。お待たせ」
香ばしい匂の元を二つ持ってきて、テーブルの上に置いた。
腹の空き具合いが増す匂いだ。
「お、うまそうだな」
「簡単でごめんなさいね」
そう言いながら、詩織はエプロンを外した。それを畳む手つきが手慣れている。
家事をこなしてないと出来ない手つきなのかもしれない。
「いや、いいって。これで十分だよ」
「ふふっ‥‥おかしい」
詩織がいきなりクスクスと笑い出した。
「な、なにが?」
「だって‥‥こんな格好で二人で食べてるなんて‥‥」
言われてみれば確かにそうだ。
こんな格好で食べている『元』学生が居るだろうか。
そう思うと、違和感ついでに足りない物が一つある事に気づいた。
俺は立ち上がって、冷蔵庫へ向かった。ある物を取りに。
「お‥‥あったあった」
ドアを開けるなり、目的の物はすぐに見つかった。
それを「二本」持って、テーブルに戻る。
「はいよ」
「あ‥‥ありがとう」
置いたのは、ビールの缶だ。
「やっぱ、やるんならこれくらいじゃないと」
「ふふっ‥‥そうね」
制服姿の俺達の前に、缶ビールが二本。
この違和感がたまらない。
今時の高校生にしてみれば、なんという事はないだろうが、中身が高校生じゃないのは今の高校生には無理だろう。
「それじゃ、乾杯でもしましょう」
「そうだな」
缶ビールの栓を開けると、小さく弾けるような音が一瞬だけ部屋に響く。
「え‥‥と、何に乾杯するかな」
「変な夜に‥‥っていうのはどう?」
「なんだそりゃ」
俺は笑ってみせた。
「だって、ホントに変じゃない」
「まあね。そりゃ確かに」
言われてみればその通りだ。
こんな変な事をしている夜は、これからもそうそう有るもんじゃない。
「じゃ、それでいいか」
「うんっ」
俺達は缶ビールを持った。
「それじゃ‥‥変な夜に」
俺のすぐ後に、詩織が、
「乾杯!」
お互いの持っている缶ビールを打ち合わせた。
中身の入ったアルミ缶同士がぶつかる音は、ガラスほど澄んだ音は出さなかった。
ベコンという鈍い音。
もっとも、変な夜への乾杯に相応しい音なのかもしれない。
一口だけ飲んだビールの味は、生まれて初めて、一番うまいと思えた。

Fin

後書き

ああ、なんか主人公と詩織が変な企画を‥‥(^^;


という訳で、第51話。
なんかすごーく変な話になってしまいました。
わたしは、詩織を完璧な女の子と思った事は一度も無くて怒ったり、甘えたり、すねたり、お姉さんしたり、茶目っけがあって‥‥と、そーいう女の子に見えてました。(今も見えてます(^^;)
ゲーム中ではそーいうシーンはほとんど無いですが、なぜかゲームをやればやるほどそういう女の子に思えてきてしまって‥‥(^^;
もちろん、まじめな所とかも十分に詩織を形作っている要素の中に入ってはいますけど。


「変」だけど、わたしの中で、そーいうイメージの女の子こそがある意味で「完璧かな」とか思います。
というか、「そうだよな」と、同じ物を感じてニヤっと笑い合えるようなそんな女の子なのかもしれない‥‥と思う訳です。


わたしは、夜の話が好きです。
前にも書きましたが、夜は普通の世界じゃないですね。
昼間とは全然違う世界。
空には月だし、星もある。
日常‥‥というか、昼間はゲームの世界でいいんですが、わたしは夜の世界を多く書いて、なんとなく自分の中でゲームを補完してます。


そんなこんなで、とりあえず今回も暴走しました。
ではでは(^^;/ ソユコトデ


作品情報

作者名 じんざ
タイトルあの時の詩
サブタイトル51:秘密の計画
タグときめきメモリアル, ときめきメモリアル/あの時の詩, 藤崎詩織
感想投稿数283
感想投稿最終日時2019年04月12日 23時43分27秒

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  • [★★★★★★] しおりんのほうが乗り気
  • [★★★★★★] 非日常シリーズ(?)は、どれも面白いですが、中でもこの作品は、最高に良かったです!(^^)! 普通はやらないでしょうが、想像の中でなら何でも自由ですからね。!(^^)! こう言う感じの作品を、もっと書いて欲しいです。m(__)m
  • [☆☆☆☆☆☆] DQNを発見しました。 by CNN Tokyo
  • [★★★★★★] 「あの頃はこんな事出来なかった」ってのが・・・くぅ・・・。
  • [★☆☆☆☆☆] そのまま強姦されてくれ。某同人誌のほうができがよい。