「…さんのわからずや!」
「わからずやはどっちだよ!」
美樹ちゃんの険しい声に負けずに、俺も声をあらげた。
「だいたい、生活の約束決めたのはお互いの同意あっての事じゃないか。別にきっちり
やってくれなんて言うつもり無いけど、いくらなんでも勝手すぎやしないか?」
「勝手だなんて、ひどいです! わたしにだってわたしの都合が!」
「俺にだって俺の都合があるんだ」
これは嘘だった。今日これから予定なんかありはしない。売り言葉に買い言葉で出た物だ。
「・・・・・」
「・・・・・」
おそらく美樹ちゃんもだろうが、次の言葉を探しながら、俺達は睨み合うまでにはいか
ないが、それに限りなく近い雰囲気のままで、しばらくお互いを見つめ合っていた。
美樹ちゃんの表情には、普段の雰囲気からは想像出来ないほどの険しさがある。
もしかしたら、学校では美樹ちゃんのこんな表情を知っている奴なんて居ないのかも
しれない。あるいは、美樹ちゃんの両親さえも・・・
「なんにしても駄目だ。それで納得出来ないなら、今日はもう夕飯なんか要らないよ」
言ってから、心の片隅で、少し言い過ぎだという声がしたが、それを圧倒して余りある
ほど、俺はイラついていた。いつもなら苦笑まじりで引き受けても良い事だったのだが、
今日はどうしてだか、そんな気持ちにはなれなかった。
俺の心の暗い部分が、好きな子をいじめる小学生の心を思い出したかのようだ。
俺をイラつかせる本当の要因は、この後にやってきた。
「・・・・」
美樹ちゃんの目に、じわっと涙が浮かび上がってきた。みるみるうちに溢れて、たまら
ず、ひとしずく、ポロリと頬に流れ落ちる。
すぐに泣く自分に対して悔しいと思っているのか、あるいは、俺に対して怒っているの
か、どちらともとれる表情に、涙は似合いすぎた。
似合いすぎるからこそ、今の俺の神経を軽く逆撫でる。
「泣いてどうしようっていうんだ? 泣けば俺がはいはいとでも言うと思った? 冗談
じゃない。泣いてどうにかなると思ってるんだったら、それは大きな間違いだ」
「・・・・・」
俺の暗い悪意が、美樹ちゃんの心に刺さったのだろう。美樹ちゃんは、唇をぎゅっと閉
じた。唇に隠れた歯は、悔しがる気持ちを受け止めて、悲鳴をあげているかもしれない。
しかし、そうすればするほど涙は出てくる物だ。本人が悔しいと思えば思うほど。
「ばかっ! …さんのばか!」
突然、美樹ちゃんの心が弾けた。
耐え切れなくなった物を一気に吐き出すように、ありったけの声で叫んで、俺の耳を直
撃する。
どういう態度で返ってくるか意識してなかっただけに、驚いたのは俺の方だ。いきなり
で慌てた心に追い打ちをかけるように、
「ばかぁっ!」と一言叫んでから、くるりと背中を見せて、走って玄関まで行き、サン
ダルをつっかけて、外へ駆け出して行った。
いきなりの事で、残された俺は、ただただ呆然とするしかなかった。つい数分前の事が、
まるで幻でもあったかのようだ。
「・・・・・・なんだってんだよ」
自分でも情けないとわかるくらい、か細い声が出てきた。もっと憎々しげに言うつもり
だったのに、こんな声しか出なかったのは、美樹ちゃんの涙を思い出したからだ。
・・・まあいい。泣けばなんとかなると思っているなんて、冗談じゃないしな。
ただ、涙を思い出すと、どうしてだか胸の奥の何かが、握りつぶされるように、鈍く痛
むのはなぜだろう・・・・・

 美樹ちゃんが出ていってから、三時間が経った。
窓からの景色は、夕闇のカーテンに覆われ、街にも明かりがポツポツと灯り始めたていた。
そんな景色を見ながら、俺は何度ため息をついただろう。
いつもなら、この時間になれば、美樹ちゃんが当番の日には、鼻歌交じりで楽しそうに
夕飯の準備をして、俺はそれをなんとなく見ては、心地よい気分になっている筈なのだが、
今は、火の入らない台所が、寂しそうにしているように見えるだけだった。
「遅いな・・・」
時計を見ると、すでに六時を回っている。残暑が残る日が多いとはいえ、日が落ちれば、
北からの風も、少しは冷たさを増してくる時期だ。出ていった時の軽装で長い間外に
居れば、肌寒さを感じるに違いない。
そう思うと、不意に心配になる。しかし、それは心の半分ほどで、一度はそれくらいの
目に合った方が良いと思う、イヤな自分も居た。日が落ちるにつれて、心配する自分と、
イヤな自分の両方が、同時に大きくなっていく。
それから、どれくらい経っただろう。
時計を見れば、すでに七時近い。空もすっかり夜の闇だ。
瞬間、イヤな自分がスウっと消えていく感覚。今の時間に薄着で外に居る美樹ちゃんの
事を考えたせいだ。
さっきまでは、いい気味だと思っていた自分が、どうしようもなく憎らしくさえ思えて
きていた。同時に、居てもたっても居られなくなって、俺は部屋で上着を羽織ってから、
急いで外へ飛び出した。

 結局、思い当たる場所・・・と言っても、そんなに思い当たる場所も無いままに、とに
かく闇雲に探し回った。
普通なら、ゲーセンとか、人混みの多い所に居るだろうが、美樹ちゃんの場合は別だ。
多分人気の少ない所に居るだろう。それだけは間違いないと思った。
近所の公園をしらみつぶしにしてから、結局一時間ほど探し回ってから、一旦家に戻る
事にした。もしかしたら、もう戻っているかもしれない。戻っていたら、骨折り損になる
が、戻ってくれるならそれでいい。戻っていなかったら、それこそ、一大事だ。なんかあ
ったら俺の責任という事になる。それ以上に、どうしても彼女を探したいという気持ちの
方が先に立っている。
もし、彼女が見つかったなら・・・帰ってきていたなら、真っ先に謝ってもいい。
許してくれなくても、額を地面にこすりつけてでも謝りたい。
涙に踊らされたという事でもいい。無事に戻ってさえくれれば。
そう思いながら、俺は走って家に戻った。
俺も、相当に甘い・・・

 結局、美樹ちゃんの履いて行ったサンダルは玄関には無かった。家も、明かりがついて
いないし、部屋に戻った形跡さえも無い。
いよいよ慌てて、俺はもう一度夜の町へ行こうと玄関のドアを開けた時、どこかで小さ
なくしゃみの音が聞こえてきた。
慌てていた足がピタリと止まり、俺の心臓も、まるで聞き耳を立てようとしているのか、
一瞬止まったような気さえする。
そのままの姿勢で固まっていると、もう一度くしゃみが聞こえてきた。近い所だ。しか
も、間違いなく、美樹ちゃんだ。
俺は、屋上のあたりを、足音を殺して探しまわった。
屋上で見えない位置といえば、屋上へ出入りする階段の出入り口の建物の裏しかない。
ゆっくりとそこへ近づいていくと、暗がりの中にしゃがみこんで膝を抱えている
人影が見えた。長い髪が、時折吹いてくる、肌寒い風に揺れていた。
その姿を見た時に、胸の奥に、安心感という名の暖かい物がスウっと降りてくるのを感
じた。同時に出てきた安堵のため息をぐっと飲み込んで、俺はゆっくりと上着を脱ぎなが
ら美樹ちゃんに静かに近づいた。近づいて、持っていた上着をゆっくりと肩からかけてや
る。俺の予想どうりに、美樹ちゃんは身体をビクっと震わせて驚きに目を見開いていた。
寒い所に居たせいもあるのだろう。表情が凍り付いたかのようだ。
「美樹ちゃん・・・・探したよ」
「…さん・・・!?」
美樹ちゃんが何か言う前に、俺は美樹ちゃんの横に腰を下ろした。
「ここ・・・良い場所だよね。夜景も綺麗だし」
美樹ちゃんの方を見ずに、夜景を見ながらつぶやく。事実、ここからの夜景はビルの屋
上だけあって、綺麗な物だ。
「・・・・・」
美樹ちゃんの返事は、沈黙だった。
やっぱり怒っているのだろうか。
「ごめん・・・俺、さっきひどい事言って」
夜景から美樹ちゃんに視線を移して、言いたい事を告げた。寂しそうに膝を抱えていた
美樹ちゃんの姿を見たら、俺のつまらない意地悪な気持ちは、完全に消し飛んでいた。
「・・・ほんとにごめん。今さら許してくれなんて言えた立場じゃないけど、とにかく
ごめん!」
頭を下げて、謝った。反応が無ければ、屋上と俺の額がくっつくのも時間の問題だ。
美樹ちゃんがどこを向いていようと、俺にはこれしか言えないかった。
「あ、あの・・・ …さん・・・やめてください」
気のせいか、美樹ちゃんの声には、困った風な響きがある。それでも、俺は頭を上げる
訳にはいかなかった。探し回っている時の不安と焦りを思い出して、それが安心に変わる
のならば、なんだってやろうと思っていた覚悟があってこそだ。
「お、お願いです。やめてください・・・」
美樹ちゃんの声に、明らかに困った風な色が濃くなってきて、ようやく気のせいじゃな
い事がわかって、俺は顔をあげた。待っていた表情は、声同様、困惑の色が濃い。
「…さんが謝らなくても・・・わたしも・・その・・・」
そう言ってから、しばらく口籠って、
「ごめんなさい。わたし、自分の事ばかり考えてて・・・」
「え・・・?」
「勝手だって言われて、ちょっとムっとしちゃったんですけど、ずうっとここで座って
考えてたら、やっぱりわたしが勝手だったのかな・・って」
美樹ちゃんは俺から視線を逸らして、街の明かりへと目を移した。
「わたし・・・ずっと…さんに甘えてたのかもしれません。元々、成り行きとは言え
一緒に住む事になってから、思い出せば…さんに甘えてばかりで・・・」
横顔の頬には、俺の心を痛めた涙が、また流れ落ちていた。街の明かりが反射して、光
る跡を引いている。
自分の腑甲斐無さに流す涙だろうか。
俺を責める為に泣いたのであっても、今の俺にはそれを許してもいい。軟弱と言われよ
うとも・・・だ。
「ごめんなさい。わたし、泣いてばかりで」
美樹ちゃんは、涙を指で何度も何度もぬぐいながら言った。
「泣いたってしょうがないですもんね。泣いたって・・・」
抑えれば抑えるほど出てくるのが、涙という物だ。
次から次へとポロポロと流れ出てくる涙は、美樹ちゃんの表情まで変えそうだった。
「ごめんなさい・・・もう泣かないって・・・自分で決めたばかりなのに・・」
「自分の為に自分で泣くのを、止めろなんて言わないよ。でも、泣いた分だけ強くなら
ないと、泣き損だと思うよ」
「・・・・・」
「男なんて、大概がバカばっかだからさ、女の子の涙には・・・弱いんだよ」
俺は、苦笑して、頭を掻いた。
カッコつけすぎかもしれないと思ったからだが、それ以上に照れ隠いせいもある。
「でも、弱いから・・・見たくないから、なんとかしようとか思うんだけどね」
「やっぱり・・・わたし、甘えてたんですね」
風に持っていかれてしまいそうなほど細い声は、俺の耳になんとか届いた。
「い、いや・・・別に・・・」
ハッキリと言い切れないのは、正直な所そう思っていたからだ。
「わたし、これから泣かないようにします」
「だから、それは違うって言・・・」
俺の言葉が途中で止まったのは、美樹ちゃんが俺の手を握ってきたからだった。
「・・・!」
「冷たい・・・ですね」
「え、あ、ああ・・」
「わたしを探しててくれたんですか?」
「いや、まあ・・・ね」
柔らかい手に触れられているだけで、肌寒い風が心地よいと思うほど、身体の奥からマ
グマでも吹き出したかのように熱くなってくる。心臓の鼓動で、熱い物が全身を駆けめぐ
っていく。
「心配かけたくないから・・・だから、もう泣きません」
きゅっと両手で握っている美樹ちゃんの手にも、温もりは感じなかった。それだけ長い
事外に居たせいだろう。
「ましてや、わがままで泣くなんて、まだまだわたしも子供・・・って事ですね」
この言葉と一緒に在ったのは、美樹ちゃんの照れくさそうな笑顔だった。
「そんな事・・・ないよ」
俺の方が圧倒されっぱなしになっていた。握られた手から、俺の鼓動が伝わったりしな
いだろうかと、そればかり心配になるほど、今の俺の鼓動は早かった。
「と、とにかく、無理しなくていいよ。無理して止める涙って、身体に良くないって言うから」
ドキドキしているせいで、自分が何を言ってるのか、自覚も出来ない。
「駄目です! もう決めたんですから」
「だから・・・」
そこまで言ってから、俺自身、何がおかしかったのかわからないが、思わずプっと吹き
出してしまった。釣られて美樹ちゃんも笑った。
「でも、美樹ちゃんは、やっぱり笑ってた方がいいよ。その方が絶対いい」
心が間違って声になったくらい、自分に素直な言葉だ。
「そ、そうですか?」
ハっとして、照れくさそうに、俺から視線を背けた。同時に、俺の手を握っていた手を
離して、自分の頬に手をあてていた。
何かを抑えるように。
不意に気恥ずかしくなって、俺は立ち上がった。それに、美樹ちゃんが見つかったなら
こんな所で寒い格好をしている事もない。
「さ、部屋帰ろう。一応風呂沸かしておいたから、あったまりなよ」
俺は、座っている美樹ちゃんに手を差し出しながら言った。
「それ終わったら、飯・・・食おう」
「・・・・はいっ」
ニッコリ笑った美樹ちゃんが、俺の手に手を重ねた。
なぜだか、さっきよりも暖かい。
俺は、そんな手にまたドキドキしながら、手を引いて、美樹ちゃんを立たせた。
「さ、行こう」
俺の言葉に、返ってきたのは頷き一つ。
とびっきりの笑顔と一緒に。

Fin

後書き

  Tiny Story

 って事で。

 最近アップした前に書いたヤツで、なんか主人公の気持ちの高ぶりが
始まった感覚っぽくなってます。ええ。

 みさきRとプリンセスクラウンと一緒で、何本かやってる最中〜

 でも頭の中が枯れてきた(^^; 水を希望。


作品情報

作者名 じんざ
タイトルふたりぼっち
サブタイトルわからずや
タグずっといっしょ, ずっといっしょ/ふたりぼっち, 石塚美樹, 青葉林檎
感想投稿数155
感想投稿最終日時2019年04月09日 18時25分56秒

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