土曜の夜。
普段なら特別な土曜日という日も、連休の中の一日では幾分霞んでしまうが、それでも十分特別感があった。学生にとって、土曜日ほど特別な日は無いんじゃないかと僕は思う。
そんな中、時計の秒針だけが動いて、夜を刻んでいた。
時折、紙のめくれる音と、布がこすれ合う音が微かに聞こえてくる。
本を読む音だ。
僕は、椅子に座りながら、僕のベットの上で本を読んでいる美樹ちゃんに目を向けた。
随分と熱中しているようだ。釘付けとは、まさにあの事だろうか。
つい一時間程前に、僕の持っている漫画を読みたいと来てから、ずっとそんな感じだった。
僕も、とりたてて何かをしたいという訳でもなかったし、美樹ちゃんが側に居るなら、それだけでも時間は充実するものになると思って、部屋に通した。だから、別にそれでも良かった。
美樹ちゃんとの二人暮らしとはいえ、実際部屋に一人で居ると、本当に一人暮らしをしているような気分になって、無性に人恋しくなる時がある。
一人の時間は嫌いじゃないが、たまには誰か側に居て欲しい時がある。例え会話が無くてもだ。
もしかしたら、今美樹ちゃんがここに居てくれるのも、そう思っての事だろうか。
僕は、本を読みながら、ちらちらと美樹ちゃんの方を見ていた。
同じ年頃の女の子が、僕のベットの上で本を読んでいる。今でこそこんな事が当たり前の生活でも、そんな事を思う度に、ふと不思議な気分になる。実は、同じ場所に一緒に住んでいるんだなんていうのは、嘘なんじゃないか。本を読み終えたら、美樹ちゃんはお邪魔しましたと言って、自分の家へ帰ってしまうんじゃないか。そして、僕はこの家の中に一人取り残されるんじゃないか。何から何まで、全部自分一人で受け止めないといけない生活に放りこまれるんじゃないか・・・
ふと、怖くなった。
僕の記憶の中の風景から、美樹ちゃんが消えるのが。
台所に立って、鼻歌交じりで料理を作る美樹ちゃんの姿を試しに消してみた。新鮮な野菜を水洗いするのが似合う場所が、汚れた食器が転がるだけの場所になってしまった。 風呂上り、濡れた長い髪をタオルでぬぐいながら、冷蔵庫を開けて飲み物を探している姿を消してみた。冷蔵庫が、中の物を冷やすのを忘れた、ただの四角い箱になった。
食卓に座って、眠そうにしながら朝食を食べる美樹ちゃんを消してみた。ある日いきなり取り壊しにあった建物のあった場所のように、食卓の意外な広さが目の前にあった。
僕が家の中の事を思い出す時には、必ずどこかに美樹ちゃんは居た。
不動産屋の契約の手違いから起こった奇妙な同居なんて、ほんとの所、長続きなんてしないと思った。僕の場合は相手が女の子だ。少々の期待はありこそすれ、我慢できないという事はなかったが、美樹ちゃんにしてみれば、チャンスさえあればいつでも出ていくつもりだったに違いない。
それでも、気がつくといつのまにか、美樹ちゃんはここに居つづけている。僕の事を信用してくれたからなのか、それともチャンスが無いのか。本当の所は分からないが、今ここにこうして居てくれる。それだけは事実だ。
そして、気がつけば、美樹ちゃんは僕の暮らしの中だけじゃなく、僕の中にも入り込んでいた。
そんな事を考えて、眼を止めすぎたのかもしれない。美樹ちゃんの事をぼんやりと考えるのに、美樹ちゃんを見ながらなんて機会は、滅多に無いせいか。
美樹ちゃんが、僕の視線に気づいたのか、不意に頭を動かして、こっちを見てきた。やばいと思う間もなく、美樹ちゃんと眼が合ってしまう。
目の奥まで見えてしまうんじゃないかとさえ思うほど、目がピッタリと合った。
もう逸らす事は出来なかった。今逸らしたら、わざとらしくなってしまう。かと言って、このまま見つづける訳にもいかない。
逸らすか。見つづけるか。こんな事を考えてる時間ってどれくらいだろう。ほんの一瞬なのか、それとも、いつまで見ているんですかと言われるくらいの時間だろうか。
なんて事を慌てて考えいると、美樹ちゃんが先に眼を逸らした。
「あ・・・」
僕も、慌てて視線を逸らした。
数秒間、気まずい雰囲気が流れた。いや、気まずいと言うより、気恥ずかしいと言うべきか。
沈黙に耐えられなくて、思わず声が出た。内容なんて考えてない。
「え、えっと・・・その漫画、どう?」
我ながら、冴えない言葉が出てきた。
「あ、はい・・・おもしろいです」
美樹ちゃんはこっちを見てはいなかったが、頬がほんのり染まっているのだけはわかった。確かに、なんの用も無いのにじっと見られていたら、赤くもなるだろう。
「・・・・・・」
会話が止まった。
秒針より速く、鼓動が波打つ。
「あ・・・」
僕と美樹ちゃんの声が重なった。
また沈黙。
美樹ちゃんが言い出すまで待った。それでも何も言ってこない。もしかしたら、僕が何か言うのを待っているのだろうか。でも、またかち合ったら、繰り返しになってしまう。まるで道の譲り合いだ。
「あ・・と、ちょっと考え事してて・・・」
「いえ・・べつに」
消えそうな声が返ってきた。
おかしな雰囲気だった。
普段、目が合ったくらいで、いちいちこんな風になったりはしない。付き合いが浅い同士でもないし、そればかりか、誰よりも近くに居る。
もしかして、美樹ちゃんに意識されている?
僕は頭を振った。。
ただ単に、見つめられていた恥ずかしさ故だろう。
「えっと・・・ごめん」
焦れて、先に声を出したのは僕だった。幸いにも言葉はかち合わなかった。
すると、美樹ちゃんが驚いたように目を丸くして、こっちを見てきた。
「どうして謝るんですか?」
「いや、なんとなく・・・」
一番無難な言葉も、理由がわからなければ、伝わり様も無いか。ただ、これできっかけみたいなのは掴めた。それに、僕が美樹ちゃんの方を見ていたのかが帳消しになった雰囲気もある。ここは一気に気分転換を図るのが手だ。
「そうだ、美樹ちゃん。なんか飲む?」
立ちあがって、ううんと一つ伸びをしてから、そう聞いた。
「それなら、昨日スーパーで缶ジュースが特売だったんで、たくさん買っておいたんですけど、それを飲みます?」
「いいの?」
「いろんなのありますけど、好きなの選んでいいですよ」
「ほんと? 悪いね」
笑顔で言うと、美樹ちゃんからも笑顔が返ってきた。
もっとも、黙って食べよう物なら、笑顔とは程遠い表情をされる。前に一度、美樹ちゃんが買い置きしていたお菓子を食べてしまった時の事が頭に浮かんで来て、思わず頭を振った。

「あ・・・そこはいやぁ!」
美樹ちゃんの小さな叫びが、部屋に響いた。床に置かれたジュースの空き缶が、そんな叫びをさらに響かせているように思えた。
「いやも何もあるもんか。それっ」
「ああ、そんな・・・…さん、ひどい・・・」
「最後に、ここの穴に長いの入れて・・・と。てやっ」
「いやあぁっ・・・・」
僕が、穴に長いのを入れると、美樹ちゃんは悲痛な声をあげた。
「いぇーい。五連勝〜」
僕は、腕を突き上げて勝ち誇った。
TV画面には、YOU WIN の文字がでかでかと表示されていた。つい最近買ってきた新作のこのパズルゲームは、その表示が嫌味なくらい大きくて派手な故に、相手に与える屈辱も大きい。現に美樹ちゃんも、漫画に出てきそうないかにも悔しそうという表情をしている。
「どうして…さんの時だけ、都合よく長いブロックが降ってくるんですかぁ」
ずるいと言わんばかりに、非難めいた声を浴びせられた。
悔しい時には、正常な思考が出来なくなるんだろうか。まあわからなくもない。何しろ五連敗した後だ。
「どうしてもなにも、対戦条件は一緒なんだから。うまくやれてないって事だよ」
僕は、悔しそうな表情に油を注ぐように、意地悪そうな笑顔で答えた。すると、案の定悔しげな色を深めていった。僕の意図に素直にハマってくれるのは、美樹ちゃんと同居している中の、密かな楽しみの一つでもある。
ジュースを飲んだ後、漫画読書からゲーム対戦に切り替えたのは、そうした理由があったからだ。
ちらりと時計を見た。もう二三時を回っていた。
普通の女子高生ならば、もうとっくに門限の時間だ。それでも美樹ちゃんはここに居る。美樹ちゃんが僕と同じ家に住んでいるのだと、こんな時に思う。そして安心する。美樹ちゃんが帰る所はここしかないのだと。
「ああん、もうっ。悔しい・・・」
「まあ、練習するしかないね」
「…さんは、ずっと自分の所で練習出来るじゃないですか。私ゲームマシン持ってないのに」
ぷうとむくれて見せた美樹ちゃんに、
「いいよ。ここでいくらでも練習してて。ちょっとうまくなったら、また相手してあげるよ。まあ、今日やったくらいじゃ、駄目だろうけど」
屈辱たっぷりな事を言ってから、床から立ちあがって、ベットの上に腰掛けて、ばたんと横に倒れた。
美樹ちゃんの背中が見える。長い髪はよく梳かれていて、本当に綺麗だった。ついつい触れてみたくなるのを我慢して、背中越しに見えるTV画面の方に目をやった。触ってみていいかと聞いたら、なんて言われるだろう。本気でそんな事を考えた。
「それじゃあ、今からやってていいですか?」
振り返ってそう聞いてきた美樹ちゃんに、僕は「うん」と一つだけ頷いた。目の奥に炎があるような勢いで言われては断れそうもないし、何よりも美樹ちゃんがまだここに居てくれる。どちらかと言えば、後者の方が本音だ。
すぐに美樹ちゃんは向き直って、ゲームを始めた。
気のせいか、全身から炎が燃えたっているような気がした。
悔しさのせいなのか、熱中するタイプなのか・・・同居しててもわからない事は、まだまだ沢山あるんだな。


しばらく、ゲームの音楽や効果音に混じって「えいえい」とか「あん、もう!」とか聞こえてくる声をBGMに、僕は漫画を読んでいた。
本なんて、本来一人で静かに読むべき物なのに、今はなぜか心地よかった。安心と言っても良いかもしれない。
一人っ子だった僕にとって、美樹ちゃんとの同居は、新鮮な事の方が多かった。これが同棲とかだと、雰囲気はもっと違のだろう。
もし僕が美樹ちゃんに対する気持ちを伝えて、それで良しとなれば、同居が一気に同棲になるのだろうか・・・
どれくらい経っただろう。
横になって漫画を読みながらそんな事を考えていたせいか、それとも、側に美樹ちゃんが側に居る安心感からだろうか。
瞼が急にストンと落ちた。
頭の中にもやがかかって、やたらと重い。
う・・・ねむ・・・・
眠気に逆らう事も考えた。しかし、よく考えたら、逆らう理由もない。美樹ちゃんはまだゲームに熱中してて、会話の相手にはなってくれなさそうだし、今見てる漫画も、散々読んだ奴だ。ここは逆らうよりも、むしろ心地良い気分のままうとうととしていた方がいいかもしれない。
船を漕ぎ出してから、一度だけ美樹ちゃんの声を聞いた。なんて言ったのか良く聞き取れなかったが、適当にうんうんとだけ答えて、とりあえず、起きてるよ。意識はあるよ。美樹ちゃんを放って寝てなんかないよ。という事をアピールした。
それから、何度、寝る起きるを繰り返しただろう。
もしかしたら、もう美樹ちゃんはゲームに飽きて自分の部屋に戻ってしまったたのかもしれない。確かめたかったが、確かめる気力が無かった。
風呂も入りたかったし歯も磨きたかった。さっぱりしてちゃんと布団に入って寝たかったが、今は寝るのが至上の幸せだった。もう何もかも忘れて寝ようかと思った。
その時だった。
偶然意識がふっと戻った時に、僕の部屋のドアが開く音が聞こえた。しばらくしてから、何かが僕の全身をふわっと包む感覚。
心地良いこの重さは・・・・
それに、なんだか良い匂いもする。
布団・・・?
薄目を開けると、美樹ちゃんが間近に見えた。布団の端を持って、僕の肩辺りまでかけてくれようとしている所だった。
そうとわかった瞬間、身体に感じた布団の感触が、例え様も無いくらい優しくて気持ち良かった。布団の重さをこんなに気持ち良く思ったのは、もしかしたら初めてかもしれない。僕が知らない所で僕を気遣ってくれたせいなのか。
例え誰に対しても当たり前の心遣いだとしても・・・だ。
不意に、僕が目を開けたのに気づいたのか、
「あ・・・起こしちゃいました?」
「う・・・・・ん」
気づかれたら、今までがなかった事になるような気がして、思わず、寝言とも取れるような返事を返してしまった。
「駄目ですよ。なにもかけないで寝たら」
そう言いながらも、口調は優しかった。
「ありがと・・」
いろんな気持ちが、うまく言葉にならなかった。
「…さん寝ちゃうなら、わたしもう行きますけど」
「僕は別にかまわないよ・・・まだ居てくれても」
「でも、眠いんですよね? さっき、もう眠いですかって聞いたら、うんうんって言ってたじゃないですか」
さっき何か言ってきたのは、それだったのか。
「うるさくて寝られないくらいだったら、最初から寝てないよ・・・」
僕は、苦笑を浮かべたつもりだったが、うまく表情を動かせたかどうか。
そんな事をしているうちに、ぼんやりしてた頭が、段々はっきりしてくる。さっきまでみたいな強い眠気はもう無かった。今あるのは、まどろむ寸前の、ぬるいお湯にふわふわ浮いているような気持ち良さだけだ。
「それより、もう寝なくていいの?もう遅いんじゃない?」
「まだ十二時ちょっと前ですよ。それに、明日はなんの予定も無いですから大丈夫です」
僕を見下ろす表情に笑顔が浮かんだ。
ずいぶん寝入ってたようでも、それくらいしか経ってなかったのか。
「じゃ、いいよ。気の済むまでやってて。ちょっとくらい音があった方が、うとうと出来るし」
すると、美樹ちゃんがちょこんと床に腰を下ろした。寝ている僕の目の高さに少し近くなる。
「あ、わかります。授業中、うるさかった方がよく寝られますもんね」
「うん・・・まあそんな感じ」
今度はうまく苦笑出来た。
「それじゃ、もうちょっとだけ遊んでいきますね」
ぱっと笑顔を輝かせたと思ったら、身体ごと振り返って、ゲームマシンの電源を入れた。
僕が望んだ時間が、もう少しだけ続きそうだった。
そういえばこの掛布団・・・・僕のじゃない。となると、美樹ちゃんのという事になるのか。予備の布団だろうけど、それでも僕の布団とは違って、良い匂いがする。でも、この布団、いつか美樹ちゃんが使う時もあるんじゃないのか? 僕の匂いなんかつけちゃったら、なんだか悪いな。
しかし、そんな不安は、今の心地よさの前では、台風の中の蝋燭の炎だった。
それに、こうしていれば、後姿とはいえ堂々と見ていられる。滅多に無いチャンスだ。
「なあ、美樹ちゃん・・・」
名前を呼んでみた。特に用があったわけじゃない。なんとなく呼んでみたかった。それに、一人じゃない事を確認したかった。僕が呼んだら答えてくれる。そんな距離に本当に美樹ちゃんが居るのかどうか。目の前に居ても、そんな事をしてみたい気分だった。
「はい? なんですか」
画面に集中しているためか、こっちは向いて来なかったが、それだけでも良かった。
「いや・・・別に。ごめん。なんでもない」
「もしかしてうるさかったですか?」
ゲーム最中にも関わらず、そう言って僕の方に振り返ってきた。
さっきよりも近い距離で、思いっきり目が合った。
鼓動が一段階跳ね上がった。
美樹ちゃんはそんな事無いのだろうか。
「違う違う。ただ呼んでみただけだから・・・意地悪とかじゃないよ。ほんと」
「それじゃあ。私もいいですか?」
「え?」
なんの事か考える暇はくれなかった。
「…さんっ」
「な、なに?」
思わず返事をしてしまった。
「うふふ。なんでもないです。ただ呼んでみただけ」
そう言って、またTVの方に向き直った。
出会ったときの美樹ちゃんなら、絶対こんな事はしてこない。
なんかしてやられた気分だった。
それが心地良いからなおさらだ。
今度振り返ってきたら、先に目を逸らさせるくらい思いっきり目を合わせてやろう。
僕は、美樹ちゃんの背中をじいっと見つめた。
もう眠気はすっ飛んでいたが、それでも起きなかったのは、せっかくかけてくれた布団から出たくなかったからだった。


Fin

作品情報

作者名 じんざ
タイトルふたりぼっち
サブタイトルNight on Saturday
タグずっといっしょ, ずっといっしょ/ふたりぼっち, 石塚美樹, 青葉林檎
感想投稿数155
感想投稿最終日時2019年04月14日 10時20分37秒

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