グラドリエルは、真っ白な外套のフードをずらして、素顔をさらした。
耳を立ててみる。
何も聞こえない。
雪が、全ての音を吸い取ってしまったからだろうか。
空を見上げて、大きくゆっくりと息を吐く。
白く変わって、すぐに空気に溶け込んでしまう。
さっきまで、ちらちらと雪を降らせていた雲が、ゆっくりと東の空に流れていく。
それでもまだ春は遠い。
グラドリエルは、またフードを被り直して、歩き出した。
行く先に何が待っているのか。何があるのか。
そんな事を想像せずにはいられない。そんな足取りだった。
ヴァレナディンの冬。
凍てつく寒さ。全てを白く染める雪。
まだ春は遠く、雪の下で眠りについている時期。
そんな中で、ヴァレンディアは新年を迎える。
それは毎年繰り返され、いつもと同じ様に見えたが、今年はいつもの年と違う事が一つだけあった。
今年は、ヴァレナディン、ヴァイユ歴の最初の月。
青鷲の月である。
青鷲の月から始まり、九つの月を経て、白陽の月までを十年周期としたヴァイユ歴の最初の月に戻ってきたことを意味している。
ヴァレナディンの新年でも、この青鷲の月を迎える事は、特別な事である。
豊穣と平和の使者とされる青い鷲を祭る年であったからだ。
ヴァレナディン王家の紋章の中にも、この青鷹は刻まれている。
毎年、この月になると、国あげてのお祭りが開催される。
といっても、大陸の各町村から、数十人といった代表者、老人から子供までが、ヴァレンディアの城で開催されるパーティーに招待されるという物だった。
もちろん、大陸全土からやってくる代表をいっぺんに収容出来る筈もない。
パーティーは三日に分けて行われる。
ヴァレンディアの城下町もお祭りムード一色に染まり、パーティーに参加出来なった人々も、大勢ヴァレンディアにやってくる。
主催はもちろん、ヴァレンディア国王、グラドリエルである。
グラドリエルにとっては、これが生まれて初めての青鷹の祭りだった。
「先程、リィランドにヴォルガ国、ジャディス法皇様が到着したとの知らせが入りました」
カード騎士団の使者が、執務室の大きな窓の前に立っていたエリエルとジェストナイに向かってそう言った。
「ありがとうございます」
エリエルが、ニコリと笑った。
「ただちに迎えを‥‥」と、使者が言うと、エリエルは首を横に小さく振った。
「迎えは必要ありません」
「‥‥は?」
使者は、思わず素っ頓狂な声をあげた。
ヴォルガ国王といえば、ヴァレンディア王家に縁あさからぬ国でもある。
それに、現国王グラドリエルの祖父だ。
国賓として丁重に迎えるのが当然だと思っていたからである。
すると、エリエルはクスっと笑って、
「法皇陛下に迎えは必要は無いのですよ」
「‥‥‥‥」
使者が困惑していると、ジェストナイが、
「気難しいお方じゃからの。
迎えなど出したら、恫喝されて逃げ帰ってくるハメになるわい」
そう言って、おかしそうに笑った。
力強い笑い声だった。
使者は思う。この老人のどこにそんな力強さが眠っているのかと。
自分がいつか年老いたら、あんな風に笑えるだろうか。いや、笑いたい。
「とにかく。
迎えは必要ありません。道の整備さえきちんと出来ていればいいのですから」
「は。それはぬかりなく」
「そうですか。
それでは、引き続き進行の補助をお願いいたします」
エリエルの丁寧な言葉に、使者は、はっとして慌てて深く頭を垂れた。
もはや、何も言い返す必要はなかった。自分は、言う通りの事をしていればいい。
女王グラドリエルの姉にして、その才覚はグラドリエルに勝るとも劣らないといわれる。
城中の者なら、誰もが信頼する。
その言葉で動ける事は、誇りでもあったし、栄誉でもあった。
使者は、恭しく一礼をして執務室を後にした。
「お爺様が来てくれるなんて‥‥なんて素晴らしい事でしょう」
ヴォルガのシェリウス王子が、国を捨ててエルファーランと結婚をした為、それを望まなかったジャディス法皇によってヴォルガとは国交が途絶えたのだが、そのジャディスの心を動かしたのは、グラドリエルだった。
エルファーランでさえ成しえなかった事をしてのけた。
「エルファーラン様も、ずっと気にかけておられた事じゃからの‥‥」
ジェストナイの顔の皺が深くなった。微笑みの形によって。
「グラドリエル‥‥」
エリエルは、窓に手をついて、空を見つめた。
雲の切れ間に、青空が見える。
この日を祝ってくれるているような色が、エリエルにはたまらなく嬉しかった。
「私が昔着ていた服(ドレス)で悪いのですけれど‥‥」
シドラエルが、不安そうに声をかけると、
「ま、まあまあね。結構いい服じゃない」
大きな鏡の前の椅子に座っていた少女が、照れくさそうにしながらも、口調はいつもの通りに言った。
城内の者が、この言い方を聞けば、嘆き呆れ、シドラエル王女に対してなんという事をと色めき立つだろう。
しかし、シドラエルはまるで構わずに、むしろ楽しそうに目を細めるだけであった。
グラドリエルを生涯のライバルとする魔女、プロセルピナであった。
ドレスの、淡い青、シドラエルをそのまま色にしたような優しい色のせいか、いつもの彼女らしくなく、身体も少しの緊張に強張っていた。
生まれてこの方、こういう服は着た事がないのが理由でもあるのだが。
シドラエルに、髪を梳いて貰っている最中であった。
「癖っ毛だけど、綺麗な髪ね」
「そうでしょう。髪には自信があるの」
すると、部屋を蝙蝠の様な小さな羽で、パタパタと飛び回っていた小さなゴブリンが、ケケケと笑った。
「ガブリエル。後でカエルの刑ね」
プロセルピナの声は本気だった。ガブリエルと呼ばれたゴブリンが、冷や汗を流す。
シドラエルは、二人(?)のやりとりに、思わず笑みをこぼしながら、
「とりあえず、ドレスに広がった髪はちょっと向かないから、リボンで結っていいかしら」
プロセルピナはこくんと一つ頷いた。頬が、微かに赤く染まる。
今まで、こんな風にしてもらった事はないし、身だしなみにも、実際気を使った事などほとんど無いからだ。
興味が無かった訳ではないが、魔女としては、服に気を使っていたら、何も出来ない。
実の所、一度だけ彼女なりに着飾った事があったのだが、魔法の暴発によってボロボロになって以来、着飾る事などどうでもいいと諦めていたのだ。
それが、今は、こうして身だしなみを整えて貰っている。
なによりも、自分をまるで大切な物みたいに扱ってくれる。それが一番嬉しかった。
自分に肉親が居たらと考えなかった事が無いと言えば嘘になるが、こうしていると、そういうのもいい。そう思い始めていた。
「よく、グラドリエルにもこうしてあげたわ」
「‥‥‥‥」
「あの子もね、ほんとは身だしなみにそんなに興味がある訳ではなかったわ。
それでも、やっぱり女の子だからかしら、嬉しそうにじっと座って‥‥」
「女王なんだから、それくらいちゃんとして欲しいわよね」
女王に対しての口の聞き方ではなかったが、シドラエルはそうねと言って微笑んだだけであった。
「あなたのそういう所が、あの子も好きみたいですよ」
「ふ、ふん。あんなお子様に好かれたって嬉しくもなんともないわ」
すると、また後ろで、ケケケと笑う声がした。
慌ててプロセルピナが、顔を赤くしながら、揺らしていた足をスカートで覆いながら止める。
嬉しいと足を振る癖がある。犬みたいだとガブリエルに言われた事があったのを思い出したのだ。
もちろん、その後しばらくは、プロセルピナの空飛ぶ箒の舳先には、一匹のカエルが乗っていたのは言うまでもない。
「さ、出来ましたよ」
シドラエルに肩をぽんと叩かれ、プロセルピナは今まで視線をそむけていた鏡に映る自分に目を向けた。
「‥‥‥‥うわ」
思わずそう声が出た。
鏡の向こうに居る、自分に良くにた顔の少女に驚いていた。
清楚なドレスを着た、どこかの国の姫君だ。
黙って座っていれば、誰もその事を疑わないだろう。髪をリボンで束ねてあるから、相当に印象が変わっていた。
プロセルピナにとっては、魔法よりも不思議な事だったかもしれない。
「あなたは魔女だから、こんな格好窮屈でしょうけど」
シドラエルが、プロセルピナに視線の高さを合わせるように、顔をプロセルピナの肩の所に寄せた。
「そそそそんな事無い‥‥」
プロセルピナの心臓は、爆発寸前だった。
自分がこんな格好をして居る事もそうだし、こんなに優しくされたのも初めてだったからだ。
「歩き方を注意しないと転ぶから、気をつけてくださいね」
その言葉に、カクカクと頷く。
満足したようにニコっとしたシドラエルは、後ろを振り向いた。
視線の先に、ガブリエルが浮かんでいた。
「ガブリエルさん‥‥いらっしゃいな」
「オ、オイラの事リラ?」
ガブリエルは、慌てて左右を見回した。自分以外には誰も居ない。
シドラエルがこくんと頷く。
ガブリエルは、恐る恐る小さな羽を動かして、シドラエルに近づいた。
優しく呼ばれる時は、悪巧みがある時。すっかりプロセルピナによって刷り込まれてしまった事が原因だった。
シドラエルが、不意にガブリエルに手を伸ばしてきた。あっと思う間もなく、首にするりと何かが巻きついた。逃げなかったのは、シドラエルの表情を見ていたからである。
プロセルピナなら、巻きつけた何かで、首を締めてくるくらい平気でやる。それが今は違った。
「あなたもお洒落しなくちゃ。はい」
シドラエルが、手を離した。首も何も締められなかった。
この世界に生まれて、初めての出来事だった。
シドラエルがさっと退くと、鏡に自分の姿が映っていた。
首に、リボンが巻きつけられた姿で。
「プロセルピナのリボンとおそろいにしました」
楽しそうに両手を合わせながら、シドラエルが言った。
赤いリボンだった。
正直、似合うか似合ってないかは、ゴブリンであるガブリエルには判らなかったが、ガブリエルの目は涙目になっていた。嬉しさからである。
感動していた。
普通の人は、ゴブリンには近づかない。近づいてくれるのは、魔女達くらいだ。
そんな生き方が普通。オイラ達は悪戯意地悪をする妖精。
もうそんな事は頭に無かった。
「うう、感動リラ。嬉しいリラ」
「喜んで貰えてよかったわ」
「何よ! ガブリエルのクセに生意気」
ふんとそっぽを向いた。リボンをガブリエルにもした事が気に食わなかったのだ。
独占欲であったのかもしれない。
ガブリエルは、プロセルピナの嫉妬などおかまいなしに、くるくると宙を嬉しそうに飛び回った。
後ろ宙返り一回ひねりから側転。自由自在だった。
「それでは、私は少し疲れたので、休んでから行きます。
あなた達は、自由にお城の中を見て回っても構いませんよ。騎士団への連絡は済んでいますから」
シドラエルは、一仕事を終えたように、ほっと力を抜いて椅子に座った。
プロセルピナは、はっとした。
シドラエルが病弱であった事を忘れていた訳ではなかったが、自分の格好に浮かれていたせいで、そこまで気が回らなかった事に対して。
「ご、ごめん‥‥なさい」
「大丈夫ですよ。もう前よりずっと調子がいいの。みんなのお陰ね」
「でも‥‥」
ガブリエルも、心配そうに、プロセルピナの側にやってくる。
二人の不安そうな表情を見たシドラエルは、
「もし、人を元気にしたいなら、まず自分が元気になることを覚えましょう。ね?」
言葉に責任を持つように、元気を振り絞って微笑む。
「空元気でもいいの。落ち込んでいるよずっといいから」
「うん‥‥」
プロセルピナは、何度も頷いた。
「元気なら、オイラ特性のゴブリンジュース飲‥‥」
そこまで言ったガブリエルの口を、プロセルピナが手で抑えた。
「元気があたしの取り得よ」
ニっと笑った。ドレスが望む表情ではなかったが、シドラエルにはそれで十分だった。
「ありがとう」
「‥‥」
自分は今ここに居ない方がいい。不意にそう思った。
きっとシドラエルはそんな事は無いと言うだろうが、プロセルピナは、部屋から出ていく事にした。
「行こう。ガブリエル。お城の中を見てまわろう」
「でもリラ‥‥」
「いいの。私ちょっと見たい所があるんだから、付き合いなさいよ」
頭をむんずと掴まれたガブリエルは、強制的に連行されるハメになった。
「あ、そういえば‥‥グラドリエルはどこへ行ったの?」
「グラドリエルですか‥‥」
シドラエルは、窓の外に目を向けた。
大きな空へ。
もうすっかり雲が切れ、眩しい日差しが溢れる空へ。
「午後からのパーティーまでには‥‥きっと」
「‥‥‥‥うん。わかった」
聞いた答えが返ってこなくても十分だった。
目を閉じて思いたい事があるなら、邪魔しちゃいけない。
「ほら。行くよっ。
それじゃ、いってきます!」
プロセルピナは、手を振ってから、元気良く部屋から出て行った。
後に残ったのは、静寂。
シドラエルは、肩から力を抜いた。
随分頑張れるようになった。
もう母親を不安にさせるような事は無いだろう。
「お母様。私、なんとか元気でやっています。
春になったら、今度は姉妹揃って‥‥」
そう言ってから、後は無言でずっと空を見ていた。嬉しそうに。
城の中央にある広大なホールは、すでに喧騒に満ちていた。
元々、カード騎士団が出陣の際に壮行を行う場所で、出陣ともなれば、全面に張り出したバルコニーの上から、女王自ら騎士団全を鼓舞させるのだ。
そんな場所なのだが、今は、剣を持たない人々で溢れ返っている。
これから始まるパーティーの期待に胸躍らせながら、新しい年の空気を満喫していた。
この会場が、国の縮図と言っても良かった。
「海賊じゃないか」
礼服に身を包んだエドワードは、会場の壁にもたれかかっているポートガスを見つけ、声をかけた。
「女王陛下直々の招待だ。
まさか俺を追い出すつもりじゃあるまいな。
この為にわざわざリィランドへ戻ってきたんだ」
「今日はそんな無粋真似は、女王陛下も許されないだろう」
「そうか」
ポートガスは、ニっと笑った。
「ところで、女王陛下殿はどこへ?」
「それが、朝から姿が見えない」
「お前、それでもこの国の聖騎士か?」
「ふっ」
エドワードは、何をバカ事をと言わんばかりに、鼻で笑った。
「‥‥わかってる。あの女王様だもんな」
ポートガスが、肩をすくめる。
「ワシの孫娘を捕まえて、えらい言い様じゃな」
いきなり、岩で出来たような声がした。
この声で恫喝されたら、しばらく身体が動かなくなるのではないだろうか。
「なんだ。爺さんか」
エドワードは、驚きもせず、恰幅のいい老人を一瞥した。
「相変わらず、口の聞き方のなっとらん若造じゃ。
グラドリエルは騎士の教育を怠っていると見える」
そう言いながらも、岩をも噛み砕きそうな唇に笑みを浮かべている。
「おお、誰かと思えば、ヴォルガの爺さんじゃないか」
「海賊まで城中に入り込んでおるとはな」
「おいおい、ひでえな。女王直々の招待だぜ」
ポートガスが腕をあげると、一羽のオウムが飛んできて、その腕に止まった。
口に何かくわえている。この場所に居る誰もがわかる物だ。
「今日は無礼講じゃ。偽物でも許す」
「くそ、ムカつくジジイだ」
ジャディス法皇は、ポートガスの憎まれ口を笑い飛ばした。
「あら。プロセルピナ。ここに居たのね」
会場の隅に、文字通り突っ立っていたプロセルピナを見つけて、エリエルが近寄っていった。
プロセルピナにしてみれば、こんな多くの人の中に居た事も無い。不安の方が多い。
だからと言って暴れてしまえば、シドラエル達の面目を潰すことになる。
その一心だけで、大人しくしているだけであった。
それにも限界はあったのだが、そこでエリエルの声だった。渡りに船である。
「あ」
張り詰めていた何かが、ふっと緩む。
「まあ、素敵ですよ」
「‥‥‥う、うん」
強がりで返す気力は無い。
代わりに、エリエルのドレスをぎゅっと握ってくる。
「‥‥‥ごめんなさいね。一人にしてしまって」
優しく肩に手を乗せながら言った。
「あなたにはちょっと窮屈だったかしら。
ほんと、女王様と同じ」
すると、とある一団が二人の側で立ち止まった。
ガイア神の紋章が描かれた前垂れは、ヴォルガの民である証である。ジャディス法皇と共に来た、大臣達であった。
エリエルをジャディス法皇の孫娘だと知っていたのは、法皇に勝るとも劣らない、体格の良い老人であった。ジャディスが武なら、この老人は知で満ちている。
ヴォルガの賢者、ミレグス。
エリエルの目指している人物でもあった。
「これは、ミレグス様。
本日は、遥々このヴァレンディアへお越しくださいまして、ありがとうございます」
エリエルは、丁寧な所作で頭を下げる。
「なんの、こちらこそ。
本日は、青鷹の祭りにお招きくださって感謝いたします。プリンセス・エリエル。
今年もお互いの国の発展の為に」
胸のガイア神の紋章に右手を当てて、深々と頭を垂れる。
「ありがとうございます」
「エリエル様の御名前は、ヴォルガにも良く聞こえております。
政と医の分野では、あなたのお名前を知らぬ者はおりません」
「光栄です。ミレグス様にそのようにおっしゃっていただけて」
「国、人無くして動かず。
人を動かすのは心。
すなわち、心を動かす事が出来なければ、国も動きますまい。
我々のような年老いた者ではなく、これからはあなた方のような若く才覚に溢れた者達の時代なのかもしれません」
「ご冗談を。
私など、まだミレグス様の立つ所に届くには、まだ遠く至りません」
エリエルは、目を伏せた。
まだ自分は一歩を踏み出したばかりだ。歩いていいのか走っていいのかの区別さえつかない。
「ところで、そのお嬢様はどちらのお方ですかな?」
ミレグスは、打って変わって、無邪気そうな笑顔をプロセルピナに向けた。
「この子は‥‥」と言いかけたエリエルを遮って、すっと前に出る。
「魔女よ。悪いっ?」
大臣一団に、ざわっと波が立つ。
魔女風情が。と思う者達も少なくないのだろう。
魔女は、魔法使いとは違い、より闇の属性に近い存在である。未だに忌み嫌う風潮が残る国も少なくない。
ヴォルガにしても、ガイアを信仰する神聖王国という性質上、その風潮とはまったく無縁ではない。
しかし、どの国も、それはもちろんヴァレンディアも例外ではないが、必ずしも賢臣ばかりではない。とはいえ、だからと言って愚臣という訳ではないのが、ヴォルガとヴァレンディアに共通していることだった。
しかし、ミレグスは、
「はっはっは。そうですか。
可愛らしい魔女のお嬢さん。
私はヴォルガのミレグスと申します。以後、お見知り置きを。
よろしければお名前を」
エリエルにしたように、深々と頭を下げた。
相手が子供であろうと大人であろうと、また、魔女であろうと、この老人は変わらないのだろう。
「プロセルピナ‥‥」
ミレグスの、自分に対する扱いに調子を狂わせられながら名乗った。
プロセルピナも、自分がそういう存在である事を自覚していな訳ではない。居て悪いとでも言う気持ちでもあったのだろう。
すると、ミレグスの表情からは、一瞬にして笑顔が消えた。変わりに出てきたのは、驚きの表情であった。
「プロセルピナ! おお、その名前はどなたから?」
大きな声だったので、周囲に居た人が、一瞬二人の方を見るが、すぐに会場の喧騒にならされて、二人の方を気にもとめなくなる。
ミレグスは、自分の声の大きさを恥じたのか、コホンと一つ咳払いをした。
「オババから‥‥」
「もしや、ロデリナ殿か?」
「知らない。オババとしか呼んだ事が無いから」
「そうですか‥‥いや、失礼いたした。
ヴォルガには、遥か昔、プロセルピナという大魔女が居たという伝説が伝わっていましてな。
若い頃、その伝説を研究した時期があるのです。
その時、大陸から来た魔女殿に会いました。なんと、彼女は魔女プロセルピナの伝説を継承するという老人で、名前をロデリナ‥‥と」
「ふうん‥‥」
プロセルピナは、自分の名前の由来などは知らなかった。
物心ついた頃から、ずっと自分を育ててくれたオババと一緒だった。
それ以外の事を気にした事もなかった。
大魔女と同じ名前だと言う事に、さして感慨は無かったが、なれるものならなってやろうと思わなくも無い。
「いずれあなたも、伝説のプロセルピナのように‥‥」
そこまで言った時、プロセルピナが手を突き出して、まったをかけた。
「あたしはあたし。
昔の大魔女だかなんだか知らないけど、そんなのと一緒にしないでよね。
一緒にされなくたって、そんなの越えちゃうけどね」
「そうでしたな。これは失礼。私としたことが」
「わかればいいのよ」
ミレグスの背後の大臣達は、プロセルピナの態度に不満であったが、そんな物はどこ吹く風だ。
「プロセルピナ。そなたに闇の法則と月の光の加護のあらんことを。
あなたなら、きっと‥‥」
ヴォルガの大臣も驚いていたが、それ以上にエリエルが驚いて、はっとなって手で口を隠した。
魔女の理を説く言葉。
ガイアを信仰する国の大臣が口にしていい言葉では無い。
ましては、ジャディス王の側近たるミレグスの口から出る事になろうとは。
プロセルピナは、ミレグスの言葉に驚いたが、すぐに満足そうな笑みを浮かべた。
そして、右手を胸、左手を下腹に当てて、軽く膝を曲げた。
この場で、それを若い魔女がする挨拶の仕方だと知っているのは、ミレグスとエリエルだけだった。
「それでは私はこれにて失礼いたします。
では、ごきげんよう、エリエル様、プロセルピナ」
ミレグスは、一礼してから大臣を引き連れて立ち去っていってしまった。
「あのジイさん、ただものじゃないわね」
「そうね。ふふっ」
「ああ、なんかしらないけど、いい気分。
気分よくなったら腹空いてきちゃった。料理はまだなの?」
「もう準備が出来ていると思うわ。
あとは、グラドリエルが帰ってくれば‥‥あ、それでは、私は皆への挨拶の準備がありますから行きますね」
エリエルは、プロセルピナの肩に手を置いてから、優雅な足取りで会場から出ていった。
「もう、どこ行ってるのよう!」
一人残されたプロセルピナが、この場に居ない女王に向かって、腰に手を当てながらぷんすかと頬を膨らませた。
会場も、パーティーがなかなか始まらない事に、ざわめき出してくる。
開始時刻から、少しばかり遅れていた。
主賓である女王が、いつバルコニーに姿を見せるか。
それだけを楽しみにしている人々にも、待ちきれない空気が漂っているのだ。
「おい、女王‥‥グラドリエルはどこへ行ったんだ?」
ポートガスがエドワードに聞くが、エドワードは目を閉じて、首を横に振るだけだった。唇に笑いを浮かべながら。
あの女王様の事だ。
どこに行こうとも、必ず戻ってくるさ。このヴァレンディアに。
「ジャディス様。グラドリエル様は‥‥」
ミレグスが、ジャディスにそう言うと、ジャディスは一つ頷いた。
目を閉じながら。瞼の裏に誰かを浮かべながら。
彼等だけではない。この会場に居る全ての人々が、待ち焦がれている瞬間だった。
「お姉さま」
バルコニーの控え室にやってきたエリエルに、シドラエルが心配そうな眼差しを向けた。
「グラドリエルはまだ戻っていないのですか」
「ええ、まだです」
何かあったのかしら。
そんな考えが頭をもたげる。しかし、今まで何があっても、どんなに傷ついても、必ず戻ってきた。
不安は無い。
無い筈でも姉として妹の身を案じる事だけは変わらない。
この世界で、たった三人の姉妹なのだから。
ああ、お父様。お母様。
エリエルが、シドラエルの手を取った。
「あの子は必ず来ます。大丈夫」
笑顔と一緒に、握る手に力を込める。
「‥‥お姉さま」
そうだ。姉の自分たちが信じなくてどうする。
と、その時だった。窓から勢い良く何かが飛び込んで来たのは。
空中で急ブレーキをかけたそれに、エリエルとシドラエルが、同時に叫んだ。
「アーリア!」
かつての冒険の一部始終を、二人に語って聞かせてくれたのは、グラドリエルではなく、妖精アーリアであった。
息を切らせながら、虹色に変化する薄い羽を細かく震わせて、宙に浮いている。
「ああ、よかった。間に合って」
「ど、どうしたんですか?」
「女王様からの‥‥伝言‥‥」
「まあ‥‥グラドリエルから」
アーリアは乱れた息を整えてから、二人にグラドリエルの伝言を伝えた。
エリエルとシドラエルが、会場内を見渡せるバルコニーに姿を現すと、会場内から拍手が沸き起こった。
それは、この国、この大陸の活気を象徴しているようでもあった。
二人が手を上げて応えると、一層の拍手が沸き起こった。
エリエルが一歩前に出て、振っていた手をすっと下げると、拍手が波が引くように収まっていく。
エリエル・ド・ヴァレンディア。
シドラエル・ド・ヴァレンディア。
彼女らの名前を知らない物は、この大陸に生きる者で知らぬ者は居ない。
本来なら、双子でなければ、玉座に座っていたのはグラドリエルでは無かったのだから。
完全に引いたのをきっかけに、エリエルは話だした。
澄んだ声が石壁に反響して、隅々まで響き渡る。
「ようこそヴァレンディアへ。
青鷹の月のこの良き日に、この場所でこの時、皆と新しい年を迎えられる事を嬉しく思います」
シドラエルがそれに続く。
凛とした姉の声とは違う、慈愛に満ちた声で。
とても病弱であるとは思えないその声の原動力の一つを、人々は知らない。
それは、他ならなぬ自分たちである事を。
「これからの三日間。私は祈ります。
全ての人々の頭上に、青鷹の恵が降り注ぎますよう。
女神ガイアの名の元に。
皆、共にこの国の‥‥いいえ、この世界の未来の為に、心を一つに。
私達の未来は、何にも繋ぎとめられはしないのですから」
二人の言葉が終わると同時に、会場に再び嵐のような拍手が巻き起こった。
空気が揺れ、会場を震わせ、二人の姉妹の心も振るわせた。それは、拍手をしている人々自身の心も同様だった。
そして、その拍手は鳴り止む事は無かった。
人々は待っていたのだ。
この国の王の登場を。
世界が魔の存在に侵されかけた時、常に陣頭に立って、自らの剣を振るったと伝えられる、若き女王の登場を。
この会場には、その姿を知らない者も居る。町村の代表者の中には、王の姿を見るのが今日が初めてという物も居る。
だから、待ちわびている。子供も大人も。
自分達の明日を守ってくれた王の姿を。
クィーン、グラドリエル。クィーングラドリエル。
誰かのそんな一言を合図に、会場内に王を呼び求める声が、洪水のように溢れ出した。
「お姉さま‥‥」
シドラエルが、頬を紅潮させてエリエルに向けて言った。
自分が病弱なのが嘘のように、身体が中から熱い。
「あとはあの子次第ですね。この国の明日も‥‥この熱気も」
エリエルは、そう言ってから苦笑した。
少々過熱気味。そう思いながら。
でも‥‥あの子の治める国らしい。
グラドリエル王の時代は、国中が活気という熱に浮かされていた。
ずっと先、誰かがこの時代の物語を話す事があったら、そんな風に話すかもしれない。
そしてこう付け加えるだろう。そんな時代に生まれてみたかったと。
そんな中、いつ会場に入ったのか、白い外套をすっぽりかぶった小柄な人影が、人々の間を縫うようにして歩み進んでいた。
ほとんどは、バルコニーのエリエルとシドラエルに注目し、次に来るであろう女王グラドリエルの登場を待ちわびている。
そんな中で、一人くらいの異容など、気にもとめられない。
しかし、気づいた者が何人か居た。
プロセルピナは、沸き返る人々の隙間を、軽い足取りで風のように縫い歩く姿を見つけて、ふんと鼻を鳴らした。
「何よ。
遅刻してカッコウつけてるつもり?」
そう言ってはいたが、その顔に浮かんでいたのは笑顔だった。
ポートガスとエドワードは、目の前を通った白い人影が残した風を受けた。
「さて‥‥海賊はこれで失礼するとしよう」
ポートガスが、自らの首筋を一撫でして、首をニ、三度傾けると、派手に音が鳴った。
エドワードは理由も聞かず、頷いただけであった。
「そうか」
「やっぱり俺は海の上が性に合ってるようだ。それに‥‥海の匂いがした」
「海‥‥か」
「行くか。ドレイク! 俺達の居るべき場所へ」
肩にとまっていたオウムが、早く行こうぜとばかりに一鳴き。
「またどこかでな」
エドワードが、拳を差し出した。
「ああ。またな」
ポートガスが、その拳に自分の拳を打ち合わせた。
「この世界にいれば、いつかどこかで会えるさ。あの女王様になら」
そしてポートガスは、会場を後にした。
その間、彼が振り向くことは無かったのである。
バルコニーに居た二人が、会場内の中心にじっと佇む白い人影を見つけ、顔を向かい合わせて頷き合う。
エリエルがすっと手を上げると、それを見たファンファーレの楽団長が一つ頷く。
「グラドリエル女王陛下。お出ましになられます」
団長が声を上げると、すぐに高らかにファンファーレが鳴り響く。
一際高く上がる歓声。
もう会場は待ちきれない程の興奮と熱狂の坩堝と化していた。
ファンファーレがやむと、女王登場の瞬間をして、息を飲んだのか、会場内がしんと静まり返る。
まだ若いというが、どれくらいなのだろう。
自分達の未来を守ってくれるに値する人物なのか。あのバルコニーの中央に現れる王というのは。
グラドリエルの姿を知らない人々の胸に、期待と不安が大きく膨らむ。
その瞬間、大きな布がはためく音がした。
注目した人々が見たのは、宙に舞っている白い布だった。
こんな時に、誰が投げたのか。
そんな目で、投げた人物を求めて、人々の目がある一点に集中した。
大人は、自分たちよりも頭一つ小さいその姿を。
子供は、自分たちよりも少しだけ大きなその姿を。
人影は、真っ白なドレスを纏った少女だった。
肩まで届く長い髪は、葡萄色に輝いてた。
誰もが触れてみたいと望み、それが叶わぬ物と知るだろう。
ラベンダー色の瞳は、この瞳がいつも微笑みの一部であることを願わずには居られない。
その微笑を守る為なら、自分達に出来る事なら何をする事も惜しみはしないだろう。
瞳が浮かべる微笑みが、自分達の力になる。勇気に変わる。
そんな瞳だった。
会場の真中に突然現れた少女から、周囲の人々は一歩あとずさった。
触れてはいけない。
汚してはいけない。
それもあるが、そんな事よりも、存在感に圧されたからである。
この少女は一体何者だと人々が思ったのも無理はない。
周囲の気配が徐々に広がっていた。隅々の方では、ざわめきに変わっている。
どうした。何があった。俺たちにも教えてくれ。
膠着状態を動かしたのは、一人の大臣だった。
人ごみを掻き分け近づき、おもむろに少女の前に跪いた。
「じょ、女王陛下」
まさかこんな所に、自分達の主君が立っていようとは。
そう思ったのは大臣だった。
大臣の言葉に、凍りついたのは、周囲に居た人々だ。
この少女が?!
そんなバカなと思う気持ちは、ほんの一瞬だった。
いや、この少女ならばあるいは‥‥
「どうしてここに‥‥」
「祭りの間、この場は無礼講です。
膝をつくのはやめてください」
少女のその声を聞いた人々は、確信した。
この少女は自分達の国の王。グラドリエル・ド・ヴァレンディアその人であると。
あれほど熱狂に渦巻いていた空間が、今は穏やかだった。
「は、し、しかし‥‥」
いきなり言われてもやめられる物ではなかった。
大臣にしても、この少女を王として仰ぐ事に、常に誇りと栄誉を感じていたからだ。
「遅れてしまって申し訳ありませんでした。
あなた方‥‥いえ、皆にご迷惑をかけてしまいましたね。お詫びします」
グラドリエルは、ぺこっと頭を下げた。
女王が出てきた事よりも、その事に人々は驚いた。
高嶺に咲いている花が、自分達の足元にも咲いていたことに気づいたように。
「女王様。そんな‥‥」
「いいえ。遅れてしまった事は私の責任です。
一国の主として、恥ずかしい限りです。折角の青鷹の月の祭りだというのに」
「この場の誰がそれを咎めましょう。皆女王陛下をお待ちしておりました」
すると、大臣に賛同する声が、あちこちから上がる。
その声の波はグラドリエルを中心にして広がっていく。
忘れかけていた熱狂が戻ってくる。
目を閉じて、熱気の波を感じ取っていたグラドリエルは、目を見開いた。
「私は皆に約束します。
この世界が、常に光溢れる世界で在り続けられるようにすると」
グラドリエルが手を宙にかざすと、その手からまるで生えてきたかのように、いきなり大きな剣が現れた。
「ナイスキャッチ。女王様」
グラドリエルの頭上で、アーリアが指を鳴らす。
清楚なイメージとはかけ離れた大振りな剣を掲げる少女。
例えその姿は見えなくても、会場のどこからも、その剣は見えた。
「この王の剣にかけて」
グラドリエルが言うなり、人々から大きな歓声があがる。
一本の剣の元に、全てが集まる。
そんな瞬間だった。
「この国は、こんなにも一つなんですね」
シドラエルは、グラドリエルを中心にした渦を見ながら、そう呟いた。
感動していた。
世界を自分の目で確かめる事が出来なかったシドラエルには、今まさに世界を見るような心持だったのだろう。それはエリエルにしても同じであった。
「ええ」
見てますか。お父様。お母様。
「さあ、そろそろいいでしょう。シドラエル、お願いします」
「はい」
バルコニーからシドラエルの姿が消えてから、程なくして会場に大量の料理が運ばれてきた。
グラドリエルが、ドレス姿にも関わらず、バルコニー下の一段高い所に飛び乗り、剣を床につき立てた。
「今日の料理は、それぞれの地方の名物料理です。
私達はなんて広い世界に生きているのだろう。それを判ってもらえると思います。
さあ、存分に召し上がってください。パーティーはこれからです」
その言葉に、会場は、今日一番の沸きあがりを見せた。
街に溢れていた喧騒も、今は静かな空気の底に沈んでいた。
静かな晩。
喧騒の残り火を静かに消すように、雪がはらはらと舞い始めていた。
「グラドリエル。
今日はお疲れ様でした」
ベットの傍らに座り、妹の寝顔にエリエルはそっと語りかけた。
なんて凄いのだろう。こんな小さな身体のどこにあんな力があるのだろう。
エリエルは、年が明ける前からのグラドリエルの行動を思い出しながら、ぼんやりとそんな事を思っていた。
今まで、出来る事なら、何度変わってあげられたら。と思った事か。
エリエルは目を閉じ、小さく首を振った。
自分には出来ない。務まらない。
すぐに弱音を吐いてしまうかもしれない。
だから、女王を裏で支え、その手助けをするだけ。
今まで当たり前だと思っていた。それが、自分が王の娘として生まれたから。
心のどこかにそんな義務感が無かった訳ではない。
でも‥‥‥ 本当に相応しいのはこの子。私など足元にも及ばない。
エリエルは、そっとグラドリエルの眉にかかった前髪をそっと分ける。
とても、激務をこなしている風に見えない寝顔に、エリエルは微笑んだ。
自分の力がこの子の役に立つなら、役立てたい。
今はその一心しかなかった。
不意にドアをノックする音がする。
ゆっくりとドアが開いて、シドラエルが顔を覗かせた。
「お姉さま。よろしいですか」
エリエルが一つ頷いてから、グラドリエルの頬にそっと手を当てて微笑んだ。
「おやすみなさい、グラドリエル‥‥‥いい夢を」
母親がかつてそうしてくれたように、エリエルもそっと唇を近づけて、おでこに優しくキスをした。
いい夢を見られるおまじない。
昔そう言ってくれた母親の顔を思い出しながら。
「お姉さま。グラドリエルは‥‥」
「ええ。良く眠ってます。
疲れたのでしょう」
「ずっと頑張ってましたものね‥‥‥」
シドラエルは、目を伏せた。
自分が、姉としても王女としても、何もグラドリエルにしてあげられない。それが悔しかったのだ。
「あの子‥‥言ってましたよ。
私達にありがとうって」
「ありがとう‥‥?」
それは自分の台詞ではないか。
シドラエルは、信じられないとでも言う風に口に手を当てる。
「どうしてって聞いても教えてくれませんでしたけど。
でも‥‥私も、あの子やあなたにも言いたいわ。ありがとうって」
「それでしたら、私も」
「きっと、そういう事なのね。あの子が言いたかったのは。
だから、あなた達が居てくれるだけで十分なの。それは私も同じ」
「お姉さま‥‥」
「何か出来ることを探しているのなら、あの子の前ではいつも笑顔で居てあげることです。
私だってそれで嬉しいのですから」
シドラエルは、こくんと一つ頷く。微笑みながら。
「わかりました。今出来る事がそれならば‥‥」
「でも、決して無理はいけませんよ。
そんな事をしても、誰も喜ばないのですから」
「わかってます。ふふ」
エリエルは、不意に思い出す事があった。
ずっと昔、まだ二人が幼かった頃。
父親であるシェリウスがエリエルを膝に乗せ、シドラエルのベットの側で語った事だった。
誰かを元気にしたければ笑いなさい。元気は笑顔で伝わるのだから。
「さ‥‥行きましょう。
あなたも早く寝ないと、身体に障りますから」
「はい‥‥あ、あの‥‥」
シドラエルは、ぽっと頬を染めた。
「なにかしら?」
「いえ‥‥‥あの‥‥なんでもありません。おやすみなさい」
「‥‥?」
早歩きで自分の部屋に向かっていくシドラエルの背中を見て、エリエルは小首を傾げた。
ジャディス法皇は、不意に風を感じて空に目を向けた。
それも一瞬で、また、目の前の真っ白な、寄り添うように並んだ二つの墓標に目を向けた。
海を背にしたその墓標は、つつましく小さな物だった。
眠っている主が生前に望んだとおりの場所と形であった。
本来なら、このような所で眠るには相応しくないと誰もが思う。しかし、ここに立つとそれが間違いである事にも気づく。
空と海と大地。全てが見渡せるこの場所に。
ここにこそ相応しい。
そう思わずには居られなくなるのだ。
墓標の前には、それぞれ青、赤、紫の花で、花輪が三つずつ置かれていた。
この寒い中、どこに咲いていたものか、まだ花が瑞々しく真新しい。
昨日今日の品物であるのは、ジャディスにもわかっていた。
「シェリウスよ。久しぶりだな」
ジャディスは、武王の名からは想像も出来ないような、優しい微笑みを墓標に向けた。
「ここに眠っていられるなら、お前も満足だろう。
ヴォルガに居た頃にお前の好きだった場所に良く似ている」
風が流れた。冷たい風だ。
「お前とエルファーラン殿の娘達もよくやっている」
ジャディスは、手にしていた二つの花輪を、それぞれの墓に手向けた。
「バカ者が。あんないい娘達を残しおって‥‥‥」
そう言ってからしばらく、ジャディスは手を合わさず、ずっと二つの墓標をいつまでも見つめていた。
ヴァレンディア城の頂上にある塔の上は、グラドリエルが一番好きな場所だった。
旅に出る前は、いつもここに来て、遥かな地に思いを馳せるのが、彼女なりの慣わしであった。
「祭りが終わってやれやれって時に、なんですぐに行くのかしらねえ。
この国って実は暇?」
欄干に肘をついて、プロセルピナは呟いた。
同じ格好でプロセルピナの横に居たグラドリエルは、空を見上げたまま、
「まだ、私は何も知らないから」
目を細めた。
遠いあの空の下では、どんな事が待っているのだろう。
不安もあるが、それ以上に期待の方が大きい。微笑まずには居られないのだろう。
「ふうん‥‥」
「プロセルピナ。あの‥‥いいですか?」
「なによ?」
「今度の旅は、少しばかり魔法の知識が必要になりそうなのです。
もしあなたさえ良ければ、私と一緒に行ってはくれませんか?」
「は?」
「あなたさえ良ければ‥‥ですけど」
グラドリエルは、微笑みをプロセルピナに向けた。
プロセルピナの頬がぽんっと赤くなる。
「な、なんであんたと一緒に行かなきゃいけないのよっ。
冗談じゃないわ。あんたみたいなお子様のお守りなんてしてられないわ。
だいたいあなたは基本的にあたしの敵なのよ敵! わかってるの?」
グラドリエルに指を突きつけながら言い放った。
「そうですか‥‥残念です」
「ちょ、ちょっと。あっさり諦めないでよ。
魔法の知識が要るんでしょ!」
「ですけど、あなたが嫌だっていうなら諦めるしかありません」
心底残念そうに見つめられて、プロセルピナの鼓動が一段階跳ね上がる。
それをグラドリエルに悟られないように、顔を背けた。さらに赤くなった頬を見られたくないからでもある。
グラドリエルもプロセルピナも、お互い同年代の友とも呼べる者は居ない。
だから、本当は嬉しくてしょうがないのだが、プロセルピナの心は、それを認める訳にはいかないと意地を張っているに過ぎなかった。
「無理を言った私がいけないのですから」
「う‥‥」
少しくらい食い下がってくるだろうという目論見は、見事に外れた。
そればかりか、あっさりと引いてすっかり一人で行く気になっている。
こんな筈ではなかったと後悔してもすでに遅かった。
ここで折れるかどうか、迷ったのはほんの一瞬だった。
「しょ、しょうがないわね。
私も偶然同じ道へ行くし、ついでだから仕方なく嫌だけど付き合ってあげるわよ」
壁に立てかけてあった箒に手をかけながら言った。
「わ、私まだどこへ行くかなんて‥‥」
「行くのっ? 行かないのっ?」
「い、今からですか?」
思ったら即行動。すっかりそのお株は奪われていた。
しかし、プロセルピナの場合は、照れ隠しの為の勢いだ。
「当たり前でしょ!」
グラドリエルは、すっかりプロセルピナの迫力に圧されていた。もう止められない。
「わかりました」
「じゃあ、乗りなさいよ」
箒に跨ったプロセルピナが言うと、
「乗るんですか?」グラドリエルは自分を指差した。
「いいんですか?」
大丈夫ですか? という響きもあったのだが、それはプロセルピナには聞こえなかった。
「ああもうじれったいわね」
プロセルピナの乗った箒が浮き上がって、つま先が床から離れる。
「あ、待ってください!」
覚悟を決めたグラドリエルが、浮かび上がる箒に飛び乗った。
「行くわよ〜しっかり捕まってなさいよ」
言うが早いか、二人を乗せた箒は、塔から飛び出していた。
一瞬の恐怖。グラドリエルはプロセルピナの腰に手を回して、しっかりと抱きついていた。
しばらくしてから、眼を開けると、プロセルピナの背中越しに、青が広がっていた。
それが空だと気づくまでは遅かったが、それとわかった瞬間、身体の内側が熱くなる感覚。鼓動が跳ね上がる。冷たい風なんてなんでもない。
自分は今、空の中に居る。
そんな、見たことも無い世界と感覚が、鼓動を高鳴らせていた。
小さい時に、雪の世界を初めて見て以来の感動だった。
「どこいくの!」
プロセルピナの声がした。楽しそうな声だった。
グラドリエルはしばらく考えてから、大きな声で叫んだ。笑顔のまま。
「南! 南へ行ってください! 出来たら、海岸沿いで」
「わかった。んじゃ飛ばすわよー!」
二人を乗せた箒が、青空に溶けていった。
風が吹いた。
海からの風だった。
墓標の前に置かれた花輪の花を微かに揺らす。
その上空。
良く晴れた青い空を、何かがゆっくりと横切っていった。
しばらくすると、光の粒が墓標の辺り一面に舞い落ちてきた。
光の粒は、まるで小さな太陽のように雪を溶かす。
雪の下から現れたのは、今はまだ咲いている筈の無い花々だった。
まるで、そこだけ一足先に春が訪れたかのように、色とりどりの花で彩られた絨毯のようであった。
後書き
プロセルピナ×シドラエル萌えーΣb(゜∀゜)
と、弾けるのはほどほどにしておきまして‥‥
個人的に、ヴァレンディア三姉妹は姉妹好きな私としてはたまらんキャラ達ではあるんですが、三姉妹+プロセルピナという構図も非常に魅力的なので、今後もプロセルピナはバンバン絡んでくる物を書きたいなと思ったりします。
なにしろ、三姉妹には無い要素をもっているのは彼女だけですから。
作品情報
作者名 | じんざ |
---|---|
タイトル | プリンセスクラウン |
サブタイトル | Power! |
タグ | プリンセスクラウン, グラドリエル, シドラエル, エリエル, ジェストナイ |
感想投稿数 | 59 |
感想投稿最終日時 | 2019年04月12日 00時07分15秒 |
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- [★★★★★★] 当時SSの中でも良作でした