彼女にとって初めての全国ツアーが始まった。
東京会場の予約は受け付け初日から割と好調で、完売とまではいかなかったものの
初めてにしては上々、という評判だった。
俺は彼女からチケットをもらったから知らなかったけど、チケットの受付窓口の
前で2日間徹夜したヤツも居たって話だよな。
すごいな、そいつは。君のために2日間っていう日を捧げたんだ。
寒い中で冷たいメシ食って、ひたすら場所を守りながら過ごしたんだろうね。
俺なんて君にそんな時間を貢ぐことすら考えつかなかったよ。
君は日本中の人間からどれだけ多くの時間を貢いでもらったのかな?
そいつ等だってそんな時間はただ無意味に流れてるんじゃなくて、
君のためにと思って、君のことを想いながら過ごしてるんだろうけど、
結局は君に届きやしないんだ。
こんなに君に近くても、強くても届かない想いが有るんだからね。


君は取りあえず北海道に飛び、極寒の札幌でコンサートと地元FM局への
出演を果たした。
上手くいったんだろう、北海道から遠距離通話で掛けてくる君の声は弾んでいた。
沢山のファンに囲まれて嬉しかったこと、こっちの寒さの凄さなんていう事を
早口で喋ったね、やっぱり俺ってそんなときに無力さを感じるんだ。
俺のいない土地で彼女は楽しんでいる。
俺は彼女のピエロになろうと思ったことは一度もないけど、やっぱり
彼女の笑顔が何百キロも離れた土地で、そこにいる人々に振りまかれていると思うと
まだ見ぬ人に嫉妬した。
でも、俺のことが重荷になって、俺の居ないところで彼女が笑えなくなっても
困るんだ。彼女は笑っていられるから綺麗なんだ。その彼女の心を掴めている
俺に彼女の周りの奴等は羨望の眼差しをする。俺はそんなことが嬉しかったんだ。
俺の力?そんなもの無いよ。大勢を相手にしている詩織とはスケールが違うんだ。
ただ彼女を喜ばせる、それだけだった。そうすれば、俺も喜べるんだからね。


・・・・本当にこれで良いんだろうか?
彼女を見つめる俺は一体どれくらい居るんだろうか?
当然のことだけど彼女は一人なんだ。
彼女に注がれる視線はコンサートの会場だけでも2×何千ってあるんだ。
その視線の違いに彼女は気づくのだろうか?
こんなちっぽけな視線気付けないだろう?彼女を光らせている数多くの視線の
一つにしか過ぎないんだ。例えそれが彼女の全てが好きであろうと、一握りの彼女が
好きであろうとね。
前からそう思っていたんだ。
でもこんなに具体的に考えるなんてどうかしてたね。
その日、君の心を感じるには遠すぎる距離に居たからなんだよ。
別に君が居なかったわけじゃないんだ。
相変わらず君のラジオ番組はやっててさ、
何日か前の君の声がよどみなく流れてきたよ。
テレビにも君が溢れていたし。今週発売の週刊誌のどれかには必ず君が居た。
あれは紛れもなく君だった。君が生きてきた断片が収められているんだ。
その中で君は泣いたり笑ったりしてる、俺に見せるものと変わらなかった。
何万人かに向けた笑顔を俺が独り占めしてるんだぞ、って思っていたけど
何万人かの内の一人として彼女は俺に微笑んでいるのならどうしよう、と。
そう考えたらますますこの部屋が寒くなってさ、毛布をかぶって眠ったんだ。
いくら寒くても君の部屋を見えなくさせるカーテンは閉めずにね。


そんな日も長く続かなかったんだ。君はすぐにこっちに帰って来たからね。
コンサートを明日に控えて彼女は電話を掛けてきた、
上がっているのが手に取るように分かったよ。でさ、最後にこう言ったよね。
「明日は、この間よりずっと上手く良く気がするの。あなたが見ていてくれるから」
たった二日間だけど、彼女に聞きたいことは沢山あったんだ。
けどやっぱり俺には聞けなかった。彼女は何て言うか分かっていたから。
それに彼女はああ言ってくれた。それが答えなんだよ、って思ったんだ。
そしたらさ、なんか気が軽くなって純粋に君に頑張って欲しいって思えた。
そうしてその日は来たんだ。


俺は電車に1時間揺られて君の待つ会場に行った。
そしたらさ、凄いんだよ、君の姿を見るために集まってきたヤツが。
こんな寒い中あんなに大勢だぜ、恋でもしてなきゃ出来ないよな。
・・・恋か。あいつ等も君に恋でもしてるんじゃないのかな?
初めてそれに気づいたよ。君がコンサートをする前に言っていた
「みんなに会いに行く」って言葉のイカサマじゃない意味が少し分かった。
君は君に恋している何千人かの人間に会いに来たんだ。
じゃあさ、何で俺をわざわざ呼んだんだよ。こいつ等をただ見せるだけか?
それとも君に恋している俺って言う人間にも会いに来たのかい?
また確かめたいことが増えちゃって、今すぐ君の所に行きたかったんだけど、
やっぱり楽屋には入れなくてさ、君はあの夏以来思わせぶりなことを極力
控えるようになっていたからね。
もともとそんな時間もなかったんだ、ようやく会場の扉が開いて、熱気が
どんどん建物の中に吸収されて行ったから。
そして俺もその熱気の一つとなって吸い込まれていった。
中に入るとさ、そいつ等の濃縮したような雰囲気で上着を二枚脱がされた、
いや本当に凄かったんだ。何がって?この雰囲気を産み出している君がだよ。
それから始まるまでの一時間半、そいつ等のバカ騒ぎを眺めていた。
なんだか、君を騒ぐための口実にしか使ってないんじゃないかって思うくらいの
騒ぎだったよ。以前公園で見掛けた連中が何百人規模で居てさ、また空に向かって
叫ぶんだ。でも、ここには空がないから、なんだかそんな言葉がだんだん会場に
溜まって、ますます空気を変えて行ったんだ。
外の空気との差が痛いほど感じられて来たとき、ようやく照明が落とされて君が
現れた。凄い歓迎ぶりだったぜ、独裁者を迎える民衆の群みたいだったよ。
俺もそんな中にいたんだけどさ、こいつ等と同じじゃイヤだなって
駄々こねてたんだけど、周りの圧迫感があって同じように騒いだんだ。
そしたら、前から思っていたことを痛烈に感じてさ、どんなことかって?
ほら、俺は1分の1じゃなくて何千分の1だってこと。
俺達何千人が一体となって彼女に想いをぶつけてるんだなって、感じたんだ。
でもさ、やっぱり彼女は一人なんだぜ。応える心の容量にも限界があるよな。
だからさ、彼女はこう応えるしかなかったんだ。
・・・
「みんな今日はどうもありがとう」


俺は彼女の心を何千分の1を残されただけで、後はみんなこいつ等に
等分されたんだな、そう思った。
悲しかったよ。俺に分け与えられた心の「大きさ」に気づいたときはさ。
「好きでいればいる程、向こうも好き」って言葉なんて嘘っぱちだよな。
俺が好きなのは彼女ただ一人なのに、彼女にとって俺は「一番大切」だったんだ。
ようやくその言葉の意味に気づいたよ。
待てよ、この中にも恐らく彼女を「世界で一番好き」ってヤツが居るんじゃないのか?
そいつ等も悔しくないのかな、その他大勢の、心すらぶつけていない奴等と同等に
扱われてさ。いや、別に彼女が一番好きだから認める訳じゃないぜ、誰よりも
俺に勝てるような想いなんて持ってないんだから。何でそんなこと分かるのかって?
簡単だよ、俺は無邪気に伝説とかがまだ頭の隅に残ってたんだ。
この照明の向こうにいる君のかつての姿を信じていたんだ。
アンプで増幅されてしか聞くことの出来ない君の声が
また、あの言葉を囁いてくれる日を望んでいたんだ。
そんなことが俺の想いとして君に向かって行ったんだよ。


君は終始黄色い歓声に包まれていた。
それをうっとりとした表情で眺めていたね。
「これが自分の成果なんだ」って風に。
そして終わりに近付いた頃そんな彼等にこう言ったよね、
「みなさんの応援がなかったら、今ここにいるなんて事有りませんでした」
だったかな。とにかくシナリオそのままって感じだったんだ。
でもさ、そいつらそんな台詞にすら狂喜して、君に益々歓声と拍手を送った。
そしたら君、いきなり泣き始めたんだぜ。うれし泣きってやつに分類されるのかな、
とにかく突然だったんだ。
そんな君に客席から「がんばってー」なんて、ますますふざけた言葉が
あちこちから上がってさ、それに応えるようにうなずいてから君は涙声で
また話し始めたんだ、「目をこすりながら」ね。


・・・・なるほど、やっと分かったよ。もう何もかも。君はもう居ないんだ。
この涙はこいつ等をつなぎ止める小道具なんだろ。俺はあの時の涙まで
疑っていなかった。でもさ、ハッキリしたんだ、君にとって涙は
欲しいもの、俺とか人気とかを手に入れるために使う小道具なんだ、って。
演出家も良く見抜いたよな、彼女の泣き顔が、男心を掴んで離さないなんて。
・・・そうだよ、何もかも演出なんだ。彼女に関わる全てが。
俺はずっと彼女に対しての俺っていう人間が何人か居るようで悩んだ。
でもさ、彼女も同じだったんだ。彼女は俺が望む彼女を演じていたんだ。
名演技だったぜ。彼女と何年もいる俺じゃなくちゃ見抜けないんだろうから、
その俺だってやっと今分かったんだから。君の癖を知っている俺ですらね。


俺はまたステージの上の彼女を眺めた、最後の歌をドライアイスの煙と一緒に
照明に照らされて歌っている。
俺はいつになく君と話したかった。こんな君はもう見たくなかった。
だから俺はアンコールの声が響く中会場を後にしたんだ。

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作品情報

作者名 雅昭
タイトル悪意に満ちたSS〜詩織編
サブタイトル第8話
タグときめきメモリアル, ときめきメモリアル/悪意に満ちたSS〜詩織編, 藤崎詩織
感想投稿数37
感想投稿最終日時2019年04月10日 01時37分14秒

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  • [★★★★★★] 自分の彼女がアイドルになって、ファーストコンサートに行ったら・・・複雑な心境ですね。続き行きます!