いつの間にか俺は君にとって必要じゃなくなっていたんだ。
君を支えてくれる存在は、俺一人じゃいけないわけじゃなく、
他のものでも代わりを務めてくれる。君からそう聞かされた。
俺はそんな君の言葉に失望したかって?
しなかったって言ったら嘘になるけど、正直ほっとした部分もあった。
あれが君の答えだったんだ。
俺はようやく君というしがらみを外せた、君の答えによってね。
なんだか心が白に染められて、それに色を付けるために
俺は夜の入り口に立った街に出掛けた。
人々の歩く速さは割とゆっくりで、100メートル進むのに一分半くらいかかった、
だから俺はじっくり街を眺めることが出来たんだ。
そしたら、そこに君が居た。
眺めた視線の先にもまた君が居た。
前を通り過ぎるのに7秒くらいかかった貴金属の店の中でも君が居た。
電気屋のガラス越しのテレビの中にも君が居た。
でも俺はもう彼女を見つめなくても良くなっていたんだ。
だから笑ったり、喋ったりしている彼女の前を無表情通り過ぎることが出来た、
だけど君は、そんな俺に失望の色を微塵も見せずに、
ずっと笑ったり、喋ったりしていた。
こんな気分になれたのは久しぶりだったんだ、
だって君とお互い無視し合うという同じ心を持てた、
そんなこと終ぞなかった事だからね。だからますます俺は虚しくなった。
記号になった君とやっと心を通じることが出来たんだ、かつて俺に『好きだ』って
言った彼女は、今何を思っているか分からないけど、ここに居る君が今何を
思っているか、俺達に応えようとしていたんだ。俺達が君を見ることに対してね。
だからだ、君のポスターをわざわざ盗んで部屋に飾るヤツが居るって言うのは、
君の大きく伸ばした写真をわざわざ買うヤツが居るって言うのは。
きっと君がその絵に閉じこめられた瞬間、君はそんな心も閉じこめたんだろう?
俺達はその心を聞きたいから自分の側に君を置く事を望むんだ。
たまたま俺は閉じこめられていない君の心を求めたんだ。
でも君は俺に心を聞かせることを望まなかった、そして他の人間と
同じように与えようとした、俺はそれを望まなかった。
あの時、俺の前にいた君は俺に応えることを拒んだんだ。
そして、君は言った。「それなら、あなたじゃなくていい」と。
そうなんだ、彼女の心を常に聞いていないと出来ない役目はお役御免になったんだ、
もう彼女の心を知らない理由で悩まなくてもいいんだ。
でも待ってくれよ、俺は彼女が好きなんだ。好きだから知りたいことだって
沢山あるさ、そんなことすら知っちゃいけないのかな。
ああ、そうか、俺は自分で言ったじゃないか、
彼女に恋をする何千人っていう人間が居るんだって。
そいつ等みんなで君のことを知ろうとしてごらん、いつかの下司野郎と
同じ様な物に成り下がるじゃないか。
それでも知りたい人間は君の心が閉まってある物を求めるんだ。
好きだから、君の心に少しでも近付くためにね。
だけど俺は違った、俺の目が届くところに君が居たからね。
同じ街に住んで、同じ大学に行って、そしてなにより、お互いの部屋からは同じ
景色を持っている。だから俺は貪欲になれた。
求める物をいつでも抱きしめることが出来たんだ。
君の心も髪も顔も腕も胸も全部、俺の二つの腕で包み込むことが出来る距離に
あったんだ。そしてなにより、俺は全てが好きだった。
でもさ、今の暮らしをしていると、何も変わらないんだ。
俺の部屋の窓からは相変わらず君の部屋が見れるし、滅多に来なくなったとはいえ
大学だってある。この街を歩いているとサングラスと帽子をした彼女に会いそうな
錯覚さえ覚える。俺は貪欲なんだ。君が近くに居るから、またいつか君の
心を知りたくて悩み出すか分からない。事実今だってそうさ、家に帰ると
10メートル向こうには君が居るんだろう?近すぎるんだよ、俺達は。
近いから俺は君を惑わすんだ、そして君も俺を惑わすんだ。
君が俺に心を与えなくなった今、こんな近さが必要なんだろうか?
むしろ邪魔なんだ、俺に惑わさたくないだろ?
俺も君に、もう惑わされたくなかったんだ。