部屋の中でも吐く息が白くなるほどだった。
取りあえずストーブのスイッチを入れてから、コーヒーを入れるために
キッチンに立った。君と話すのが怖かったんだ。
その間君は、寒い部屋の中で静かに座っていたね。何か思い詰めているようだった。
俺はコーヒーの湯気で部屋の空気が和むことを願いながら、君と俺との間に
2つのコーヒーマグを置いた。
君は寒さで冷え切った手でマグを持ち、ブラックのまま口に運んだ。
そうして、「おいしい」とつぶやき、ゆっくりこわばった顔をほぐして、
マグをテーブルに戻しながら口を開いたね。
「ずっと、電話もさせてくれなかったね」
別段責める風でもない口振りで切り出した。
俺も特に気にしていない振りをして「ああ」と切り返すだけにした、
「私ね・・・・」
君はテーブルの上に置いたマグを凝視するように目を伏せて、言葉を吐き出した。
「毎日、家に帰るとあなたからの電話が無いか、ずっと待ってたの。
その日に無いと『きっと明日こそ有るんじゃないかな』って思って、
その希望だけが私の毎日を弾ませてくれたの。
だって・・・だって、みんな居なくなっちゃったんだ。
私を好きだって言ってくれた人がみんな・・・・。
私分かったの、みんなが私を好きになってくれて、
私もそれに応えることが出来たのは、私の側にあなたっていう人が
居てくれたからなんだなって。
あの時の私は本当にどうかしてた。もっと多くの人に好きになってもらおうって
それだけだったわ。だから、あなたに居てもらうと苦しかったの。
でも・・・あなたがいないと何にも分からないの、
どうやって人を好きになって良いか、どうやって人から好かれたら良いか、
あなたが居ないと・・・・」
「もういいんだ」
「え?」
「俺もいろんな事が分かった、俺が居なくなっても君は
輝いていられるって思ってた。」
「そんなこと・・・」
「そう、そんなこと無かったみたいだね。
結局、満足に浸れたのは俺だったんだ。
あの時、俺は君の求めているものを下らないと思った。
でも、俺も、君が見落としているほど下らない物を沢山求めていたんだ。」
「私が見落としている物?」
俺も手にしていたマグをテーブルに置いて、一つうなずいた。
「例えば、俺っていう存在とかね。」
「待って、私はあなたのこと見落としたりしていたりしてないわ。
ずっと、大切な存在だったんだから・・・」
彼女の声を聞くまいと、俺は続けた。
「君が俺に見いだした存在って何なのかな。
君はさっき、『俺が居ないと他の人間を好きになれない』って言ったよね。
それは結局君の勝手なんじゃないかな。君が欲しがる物の為に俺は居るの?
だったら御免なんだ。君は確かに綺麗だよ、だから他のヤツが好きになるだけの
価値がある。だけど、ずっと前に君は俺を好きだって言ってくれたよね。
一人の俺って言う人間を好きになってくれたことが嬉しかった。何度も言ったね。
ずっとそのままで居たら、何にも変わらずに済んだんだ、
ずっと俺だけのこと見つめてくれれば、俺だって全力で君に応えられたんだ。
でも君はそうしてくれなかった、住む世界が違ったんだ。
やっぱり無理だったんだよ、だから・・・」
「私のこと嫌いになっちゃったの」
不意に目を伏せたまま君は聞くでもなく決めつけるでもなくつぶやいたね、
その質問には間髪を入れずに答えることが出来たんだ。
「今でも、君のことが好きなんだ。」
「それならいいじゃない、ね、またあの街で暮らそう。」
君のことは好きなんだ・・・・気が狂うくらい、好きなんだ好きなんだ好きなんだ。
君が目の前にいるだけで今すぐ抱きしめたくなる。
でも、俺には君と引き替えに得た数え切れないほどの物がある。
全部足しても君には届かないよ。だけど・・・だけど君は俺の物になれるの?
考えると悲しくなるんだ、だから手に出来た物はもう離したくない。
「もう・・・遅すぎたんだよ、俺達は。
俺はあの時までずっと、ホントにずっと君を待っていたんだ。
君に壊されるまでずっと、想いを育んでいたんだ。
君に壊されてからだって、君から逃げているつもりでずっと君を求めていたんだ。」
「嘘。現にあなたは私から逃げたじゃない」
「俺は怖いんだ。ちょっとでも気を抜くと、君に向かって何にも目をくれずに
走り出したくなるんだ、現に今だって・・・・」
君を抱きしめたい
「ならなんで・・・・」
「また元通りになることが怖い、また君の心でかき乱されるのが怖い、
だからもう・・・・。」
俺はそこで、言葉を詰まらせた。ぬるくなったコーヒーを一口すすって改めて、
「俺はこの街で新しい暮らしを手に入れた。君が居ない暮らしをね。
今はそれで十分なんだ。」
俺の言葉を俺の口に言わせた。俺の心は彼女に聞かせられなかったんだ。
「そう・・・それがあなたの気持ちなのね。」
違う、違う、違う、違うんだ。
「あなたも私と同じじゃない、私も確かに他の人の心が欲しかったのかも知れない、
あなたの心も一緒にね。
でもあなただって、私だけとの暮らしを望んでるんじゃ無いじゃない。
私をあなたの暮らしの一部にしようとしているの?私は私で居たいの。
分かってくれる?」
君は君じゃないんだ、君は虚像の君を演じているだけなんだよ。分かってくれよ!
「分かってくれないの?じゃあもう私達は・・・あ、そんな早とちりはダメよね、
また前みたいな事になっちゃう、そうね・・・。今度は私が待つ番みたい。
待ってるから、きっと帰ってきてね。」
そういって君は立ち上がった。
「もう帰るの?」
俺はさっきの君の問いかけの答えを出さずに聞いた。
「うん、このまま一緒にいてもまたケンカばっかりでしょう。
まだ新幹線動いているんだし・・。私も仕事があるし・・・。」
「そう、じゃ駅まで送っていくよ。」
「いい、帰りたくなくなると辛いから・・・。」
俺も見送ると彼女がまた離れていくのが辛くなりそうだった。
だから彼女の申し出を受けた。
「じゃあね」
玄関まで送って彼女に告げた。
「うん」
玄関が閉まると俺は深く息をついた、そしたらまた玄関が開いたんだ。
彼女だった。
「忘れ物があるの。」
と言ってから、いきなり玄関に突っ立っていた俺に彼女は唇を押しあてた。
突然のことに戸惑いながらもしっかりと彼女の閉じられた瞼を見つめた。
驚いたんだ、君に不似合いな香りがしたからね。
彼女がようやく俺から離れたとき何より先に訊いた。
「詩織、煙草・・・・?」
「ちょっとだけよ、じゃあ、今度こそ、さよなら。待ってるから。」
彼女はようやくそれだけ言うと、走り去っていった。
俺は彼女がまた変わってしまったことに気付いた。


初めて行く神社での初詣を済ませると新しい年が始まった。
俺の新しい戦いが始まったんだ。
君が来てくれたことで、俺は君のことをちっとも忘れていないって思い知らされた。
俺は何も変われていない、君に対する想いを手近な物に置き換えていただけなんだ。
この街は相変わらず俺に温かかった、だけど俺の心の中でどうしても
満たしてくれない所があった。彼女はそれを俺に示した。
彼女から何百キロと離れただけでは俺は何も変われない。
彼女にとっても戦いが始まった。
彼女はあの小さな体を可哀想なくらい使って、また俺達の前に姿を現した。
まだほんの少しの数だったけど、心を閉じこめた姿としてね。
結局、君も何も変わっていなかったんだ。
君はより多くの心を欲しがった、かつて俺を悩ませたときのように一生懸命にね。
一度失った物を取り返そうとする姿を見るのは辛かった。
「帰ってきてね」という、俺だけに言ってくれた言葉がまた白々しく見えた。
彼女はみんなに「帰ってきてね」と言っているみたいだったからね。
彼女以上に、そんな彼女の姿にのこのこと戻っていく奴等が許せなかった。
でも彼女は、そんな奴等に対してアピールする手段に事欠いたみたいだった。
前みたいに引っ張りだこって感じじゃなかったからね。
何でそんなこと知ってるのかって?
逐一彼女が知らせたんだ、俺の電話番号知られちゃったんだよ。
いつも最後に「信じてるから」ってつけ加えた。
そのことがますます俺を悩ませた。
また電話番号変えれば済むことだったんだけど、彼女を見失うのが怖くなったんだ。
彼女からの電話の後にはいつも、タンスの一番上の段を開けて、
彼女の写真、それも高校時代の写真を眺めた。俺は戻りたい日々を見つめたんだね。
思い出が、俺の中で息を潜めながらも確かに生きていた。
それだけは壊される事が無いって信じてたんだ。
他のヤツがいかに彼女を好きだろうとたどり着けないものだからね。
その気持ちだけは、君に届いて欲しかった。
でも俺は上手く言えなかったんだ、君が自分を削って生きている合間にくれる
電話なのに、そんな下らないこと言っていられない気がしたんだよ。
俺は君の声をただ聞くだけだったんだ。


君の一方通行の言葉によって、俺が彼女のCDが出ることを知ったのは
それからすぐのことだった。
去年からもう、ずっとやって来たことだ、って君は言った。
彼女は流行のプロデューサーがついたことを自慢げに話した。
俺はその時、嫌な予感がしたんだ。
前の君を越えるほど多くの心を集めちゃうんじゃないかなって。
本当に何も変わらないんだ、そんな事をしたら。
そんな思いの俺に君は言った
「生まれ変わった私を見ててね」
見たくないよ、そんなの。俺はあの時の君を見ていたいんだ。分かってくれよ。
「CDが出たらその曲を使ってコンサートもするわ、
もちろんあなたの住んでいる街にも行くから、来てね。」
分かってくれ、見たくないんだ・・・・・。
「じゃあ、待っててね。あ、待っているのはこっちだったわね。」
逃げたい・・・。逃げ切れるわけはないけど、逃げたい。俺は彼女に脅えたんだ。


結論から言おう、俺には時間がない。
君のCDはレコード会社の過熱気味の宣伝のお陰で売れたみたいだ。
もちろん俺の元にも届いた、でもどうしてもそれを開ける気にはなれなかったんだ。
街を歩くと時折、わざとらしく抑揚をつけた君の歌声が流れているのを耳にした。
俺は歌の内容までは聞こえないように歩いた、何かが壊れそうな予感がしたんだ。
そのCDのお陰で君は沢山の心を取り戻した。君は君の戦いに勝てたんだ、
例えそれが君だけの力でなくとも。そして、俺との戦いにも優勢だった。
君をまた、あちこちで見るようになったからね。
俺の想いを爆発させるには十分だったんだ。
君を好きだ、離れている距離がじれったい。
でも君に会ったら今度こそ負けてしまいそうなんだ。
今、君の元に行ったら君は俺の心も取り戻せたって喜ぶだろう。
それじゃあ、俺の無条件降伏だ。君は俺に何を与えてくれる?
その疑問には、何度も結論を出したじゃないか、little heart….
俺はそれが嫌で逃げ出したんじゃないか。
だけど我慢できないんだ。じゃあ少しででも満足するのか?
前から分かり切っていることじゃないか、俺は貪欲なんだ。
あきらめるのか?それが出来たら、とっくにそうしている。
俺は彼女に何を求めているか、それははっきりしている。
それ以上は何も求めていないんだ、本当にそれだけなんだ。
どうしようか、気が狂いそうだ。
彼女を共有することは出来っこない。せめて一瞬でも彼女を・・・・・。


彼女に会える時がやってきた、とは言っても彼女が約束したコンサートツアーで
この街に来ただけだ。
どんな君でも、とにかく見てみたかった。
画面じゃなくて、動いて、息をしている君をね。
この街でも君に恋をしたヤツは沢山居るようだった。
東京と変わらない雰囲気が会場を包んでいた、俺の嫌気を誘う雰囲気さ。
そして、君は俺達に「会う」為に出てきた。
君は「俺達」に向かって歌って、躍って、笑った。
君の新しいCDを聞いていないせいで7割の歌は知らなかったけど、
別に君が作った訳じゃないから興味はなかった。あの歌を除いてね。
突然ステージの上の君はしんみりして言った。
「皆さん、今度は私が詩を書いた『Please look at me』という曲を聴いて下さい。」
会場のヤツ等は総立ちになって歓声を上げた。
その歓声が最高潮の6割ぐらいにまで落ちついたことを見届けて君は続けた、
「この歌は、ずっと前に、私が好きな人に伝えた言葉を元にしました。
今は、私を好きなみんなに聞いて欲しいから、歌います。」
さっきの倍くらいの歓声が会場に響いた。
その歓声に負けないくらいの力強さでドラムが叩かれ、前奏が始まった。
「ずっと見ていたあなただから 今度はあなたから見つめて欲しい
ずっと好きだったあなただから 今度はあなたが私を好きになってね
逃げ出したくなる私を捕まえて 私の気持ちをちゃんと聞いてね
私は世界の誰よりもあなたの事が好きなんだから
離さないでね look at me.
信じていてね look at me.
ずっと 一緒に居ようね」
彼女のその歌を聴いて、涙を流さんばかりに喜ぶ連中が大勢居た。
俺も体が熱くなった、喜んだんじゃない、もの凄い喪失感が俺を襲ったんだ。
君は、・・・こいつ等のために思い出を売り物にしたんだ。
俺が大切にしてきた物を、君が欲しい物のために売り払ったんだ。
詩織。俺は涙が流れてきた。
その後のことは覚えていない、気が付くといつもの布団で目が覚めた。
涙のお陰で目はバンバンに腫れていた、
そんな目で俺は君から送ってきたCDを探した。
「『伝説』って信じますか」
それが彼女が自分で書いた曲に対する解説への書き出しだった。
「私は信じています。私の通ってきた道にも『伝説』がありました。
伝説のお陰で勇気が出たり、励まされたりもしました。
でもまだ『伝説』が本当に力を持っているか分かりません。
だけど、ずっと待って居るんです。
皆さんにもこんな想いを分かって欲しいな、そう思ってこの曲を書きました。」
・・・・伝説だよ。俺はもう忘れていたんだ。


まさか君から教えられるとは思ってもいなかった。
君はまだ伝説を信じていた。君は「永遠に幸せな関係」になることを望んでいたんだ。
俺はようやくその事が分かった。
俺は君の思いを叶えてあげる。詩織。誰にも渡さない。俺と永遠に・・・。
タンスの一番上の段の君との思い出を詰めた箱を取り出した。
そして君のCDを一番上にかぶせるようにして置いた。君との思い出に蓋をしたんだ。
君との思い出はもう必要ない。君は他の奴等に売り渡したんだからね。
その代わり、俺は君を手に入れる。絶対に。
好きだ。君を永遠に抱きしめていたい。君もそれを望むんだろう。

ここまで書き上げて、ふと窓を見ると夜明けのようだ。
この街が呼吸を始める時間はもうすぐ、
俺は書き散らかした紙を整理して、封筒に入れようとしてふと思う。
「これは君が読むんだろうか?」
俺が君に会うとしたら、君は読まないだろう。
俺が君と会うことがもう無いとしたら、果たして君に届くのだろうか?
待てよ、俺は君だけに書いたんじゃ無い気がしてきた。
まだ見ぬ人間に読ませるつもりも無かったはずは無い。
書いている時は夢中でそんな事考えなかった、誰かにこんな俺を分かって欲しい。
見知らぬヤツでも誰でもいい、とにかく分かって欲しい。
これがもし読まれるとしたら俺が居ないところで読まれるだろう。
構わない、なるようになれば良いんだ。
俺がもし途中で力尽きて、君の元にたどり着けないとしても、
誰か一人は読んでくれるだろう。
俺が君の元にたどり着いたとしてもこの紙束は残るんだ、誰かの目には留まるだろう。
どうせ俺には知ることが出来ないんだ。俺を分かってくれるかくれないかなんてね。
ようやく結論が出た、俺はこれを誰かに読んで欲しいんだ。
だから君に会わなければいけない。そしてこれを読んでもらうんだ。
俺達は特別だった、だから分かってもらえないかも知れない。
全部と言わないでも良い、ちょっと分かってもらえれば良いんだ。
そうして俺は、夜更けに俺の血を吸わせた
君の心臓に届くには十分の長さのナイフを鞄にしまった。
左手の包帯を隠すようなシャツを着て上にジャケットを羽織る、そして
その封筒を胸ポケットに入れる。
君との思い出の写真は昨日ほとんど焼いた、「また会おうぜ」って言葉と一緒に。
でも一枚だけ残していた、それに向かって「これから会いに行くよ」とつぶやいて
封筒と同じポケットに入れる。
そうして俺は部屋を出た。朝日をナイフに照らしてみようと思って鞄から取り出し、
東に向けて曇った光を反射させて、またしまう。
朝焼けが赤かった、俺はその中を歩き始める。東に向かって。

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作品情報

作者名 雅昭
タイトル悪意に満ちたSS〜詩織編
サブタイトル第13話
タグときめきメモリアル, ときめきメモリアル/悪意に満ちたSS〜詩織編, 藤崎詩織
感想投稿数37
感想投稿最終日時2019年04月11日 19時10分16秒

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  • [★★★★★★] 何だか凄い事になって来ましたね(汗)。このお話の行き着く先は?次話行きます!