「なんのことだよ」
帰り道、立ち寄った喫茶店で改めて彼女に尋ねた。
彼女は落ちついた様子でエスプレッソを一口飲んで、ゆっくり僕に視線を固めた。
「デビューのことでしょ、あなたが聞きたいのは」
驚くくらい表情がなかった。
「あの番組やったお陰でもっと有名な番組に出れることになったの」
声に金属音を感じた。
「だから私、東京に出た方が良いって言われたの」
唇の動きに規則正しさを見つけた。
「こんな地方に居るより、東京に出て歌を歌って、テレビに出て。東京には良いメイクさんや
良いカメラマンがいっぱい居るから」
デビューの意味よりも、何故それを僕に伝えなかったかそれが知りたかった。
「この話ね、実は私もさっき聞いたところなの。あの人が花束渡してくれてその時言ったこと
後で聞いてみたんだ、そしたらいつの間にか決まってた事だったの。
知らなかったのは私だけだったみたい」
知らなかったのは君だけじゃない、僕だってそうさ。なのになんで君は僕のことを抜きにして考えるんだ?
そんなに長い間じゃなかったけど、確かにぎこちなかったけど、2人でやって行こうって僕はそう思って・・・。
「プロダクションの人達ね、いろいろ私にしてくれるようになったんだ。なんにもしてくれないって
あなたに言ったこと取り消したくなるくらい」
取扱注意。その言葉を聞いたとき、そんな札が彼女の体に張り付けられた気がした。
東京に送り届けるまで、心にも傷を付けないように。
「で、行っちゃうの?東京に」
僕は東京という場所が日本中に溢れているつもりでいた。石灰石の塔、交通渋滞、共通語。
なにも遠い場所に行ってまで同じものを追いかける必要なんて無いんじゃないかなって。
僕の問に彼女は笑みの交じったため息をエスプレッソの上に注いだ。
「おんなじ国の中なんだから、そんな大げさに言わなくたって、たった飛行機で1時間ちょっとの場所に
私が行くだけじゃない」
空港から羽田まで1時間でも、空港まで、搭乗手続き、手荷物検査、座席案内待ち、着いてからでも
延々と長い通路を歩いて手荷物を受け取るまで待たなければいけないし、羽田から山手線まで十分遠くにある。
さらに彼女はどこに住むかなんて決まってるわけじゃない、きっとそこからまた遠くに行かなければ
会えない距離が生まれてしまうんだ。
「駄目なの?こっちじゃ」
「限界があるの、すぐそこに」
彼女は窓の外を見た。この街の向こうの山に落ちていく夕日が僕たちを染め上げている。
僕の手元のアメリカンが少し波立った。
「分からないよ、僕には」
「分かって欲しいの、私だって分かったのはさっきなの、あなたにだって・・・」
「矛盾してるよ、なんの限界がすぐそこに有るんだよ。頑張ればなんとかなるって言っていたはずじゃ
なかったのかよ」
そんなことよりも、自分の過ごしてきた時間を否定されることが怖かった。彼女と一緒に過ごした
時間よりも、彼女を動かせるものが有ったんだ。僕はそれに負けたくはなかった。
自分がやっぱり彼女の中で大きいことを実感していたかった。
「花束渡してくれた人、前島さんって言ってね」
彼女は僕の言葉が耳に入らなかったかのように、エスプレッソを口に運ぶ途中で、一言だけ
これから言う言葉の前置きをし、ゆっくりと両手でカップを支えながら二口飲んだ。
「ずっと前から私のこと見てたんだって。今度のことも、東京の事務所からのまだ表に出てない資料を
わざわざチェックして私に教えてくれたんだ」
僕の意識の中に、前島という男の顔が僕と彼女の間150cmの中に割り込んだ。
「喜んでいてくれた。私、私のことで誰かが喜んでくれることがこんなに嬉しいって知らなかった。
まだ見たことのない人達が、私を知ってそれで喜んでくれるなら私は行かなくちゃいけない、
そう思ったんだ、その時」
僕の中の前島、笑った。
いろんな疑問符が頭の中でグルグル回った。君が短時間でそんな理由を思いつくとは思えなかった、
ずっと前からそう思っていたのか、だとすると僕はだいぶ前から1人、無駄な時間を過ごしていたことになってしまう。
確かにテレビの仕事を初めてから会う機会はぐんと少なくなった。僕が少し避けていたせいもあるけど、
それでも君を支えていた気分にはなっていた。どうしても支えて居られない場所も有るにはあったけれど。
彼女は矛盾しているのだろうか。確かに大筋では彼女がこの道を歩き始めるとき、僕に言った言葉に
背いてはいない。僕は彼女を許したはずだった、2人の道として歩いていくつもりで。
だけど今、彼女は僕と一緒に歩こうとしなくなろうとしている、それどころか僕の存在すら見えていないような気もする。
僕がいくら彼女に近くても立ち向かうことすら出来ない存在が有るんだ。
僕なんかよりよっぽどあの男の方が君に近いとも言えるよ。君が動かされて行く道を確かに示すことが
出来たんだから。僕が探している君への近さは、君の気持ちへの近さ、言葉にするとそうなると思う、
同じ花を見て美しいと言えればそれで良かった。
彼女が僕に見せた花を美しいと感じることが出来ない自分に気がついて、驚く。
人は花の中に美しさを見つけようとして花を見る。
僕は、君の話の中に造花のような色しか見つけることが出来なかった。
同じ気持ち、それを知ることが出来る2人になれないと感じる孤独だけ見つけた。
作品情報
作者名 | 雅昭 |
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タイトル | 悪意に満ちたSS〜沙希編 |
サブタイトル | 第7話 |
タグ | ときめきメモリアル, ときめきメモリアル/悪意に満ちたSS〜沙希編, 虹野沙希 |
感想投稿数 | 24 |
感想投稿最終日時 | 2019年04月11日 01時48分27秒 |
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